公民のところで、このように習いませんでしたか?
大日本帝国憲法 → 天皇主権
日本国憲法 → 国民主権
私は基本的にこのような嘘が嫌いです。もちろん私ごときの能力で「全ての嘘を暴く」ことは不可能ですが、少なくとも教育の場に「嘘を持ち込む」というのは、それが長きに渡って愛されていても、許し難いですよね?
今日は、ちょっと熱くなります!
そもそも帝国憲法には「主権」という言葉がありません。これはある意味、当然で、元を辿ればフランス革命という大規模テロの大義名分が「今までは国王主権、これからは人民主権」だったのです。そのために「主権」という言葉が用いられました。
ですから、伊藤博文や井上毅らが「主権という言葉を用いなかった」のは、彼らが正確にヨーロッパで法学を修めた証であって、そのような革命用語は排除しようとした結果、すなわち「天皇主権を否定した」結果と言っても過言ではありません。つまり…
天皇主権は嘘!
なのです。また、「帝国憲法下において、天皇は独裁者」と表現する人も多くいますが、それも悪意のある嘘と言っていいでしょう。。その証拠に、帝国憲法において、天皇は勅令を出すときに「大臣の副署」を必要とします。独裁者とは「独り」で命令を出せるから独裁者なのです。独裁者の命令は絶対です。そんな勅令を出す際に「副署」が必要な独裁者など言語的に矛盾しています。まとめると…
天皇は主権者でも独裁者でもありません!
常識的に考えれば、立憲君主制であるならば、「主権者は誰だ?」と問われても「人ではない。法(=慣習)が権力を保証している」とする以外にありませんし、こんな言い方も面倒ですから、やはり伊藤博文や井上毅という碩学に倣って
主権という言葉は用いない。
というのがベストです。我々は偉大なる過去に学ぶべきですよね?
しかし、困ったことに日本国憲法には第一条に「主権の存する日本国民」という文言が入ってしまいました。これではフランス革命のテロ思想ではないか、と疑われてしまいます。実際は違いますよ? ただ、余計に話がややこしくなったわけです。
これら文言は「立憲君主制の古典的表現」と言われるベルギー憲法などを真似たもので、実際には革命思想とは関係ありませんが、日本の左翼は小躍りしながらそうのように「吹聴」してきました。そして、日本国憲法の三大原則の1つに
国民主権
が掲げられるようになったのです。「主権は天皇ではなく日本国民にあるのだー!」と、反天皇という驚くべき思想を持つ人間に、以後、そのように広められて来ました。ただ、普通の感覚でこの文言を読んでも
1、主権の存する(天皇ではなくて)日本国民
なのか
2、主権の存する(外国人ではなくて)日本国民
は解釈が分かれます。そこで政府解釈を見てみましょう。
「主権の存する国民のなかに天皇も含まれる」(昭和38年3月29日参院・内閣委)
ということは「1」は成立しません。「2」ということになります。垂直的な定義(天皇ではなく国民)、水平的な定義(外国人ではなくて日本国民)ということになります。だいたいが第一条の文言なのですから正確に引用し、三大原則であっても「国民主権」ではなく、「日本国民主権」にするべきです。政府解釈が正しいと言えるでしょう。
昨今、外国人参政権という意味のわからない議論がありますが、条文に基づき「日本国民主権」だということがわかれば、それらが憲法違反であることがより明瞭になります。
また、これらの議論から日本国憲法は「天皇奉戴」を定めているとも言えますよね? 左翼・反天皇思想の方には申し訳ないのですが、嘘を排し、物事を正しく理解していくことで、憲法は日本の政治の正しいの指針ともなり得ます。
ですが、主権という言葉を用いることで「面倒が生じる」のは事実です。嘘も吹聴されます。ということで、憲法改正の際は「古典的表現」に囚われず、是非ともこの「主権」という言葉を抜いて頂けたらと思います。伊藤博文、井上毅らから連綿と続く立憲君主制を守るには、そういった過去に日本が生んだ偉人の業績を大切にするべきでしょう。
今日は以上です。おやすみなさいませ。
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はじめまして
makoto
2018-08-14 16:00:13
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