王の二つの身体   作:Menschsein
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Naturarum Divisus 5

 村長との夕食の次の日、エンリはトブの大森林へと向かうモモンガの後ろを歩いていた。まずは防柵を作る。その材料は木で、それを集めに行く。

 

「モモンガさんをお手伝いするように村長から言われました。よろしくお願いします」

 

「そうか。まずは材料を集めに行くぞ」という会話があっただけだ。

 

「このあたりであれば問題ないだろう。エンリと言ったな。すこし目を閉じていろ」とモモンガが言った。トブの大森林でも、村から離れた場所で、村人なども滅多に近づかない。

 

現断(リアリティ・スラッシュ)」というモモンガの声の後、バキバキバキという木々が倒れる音が響く。エンリは目を開けて状況を把握したくなるが、我慢して目を強く閉じる。

 

「もう良いぞ……」

 

 エンリが目を開けるとそこには信じられない光景が広がっていた。幅二十メートルほどであろうか。エンリの視界が届くずっと先まで直線上に木々が倒れている。まるで、地平線から太陽が昇った瞬間に朝日が、直線上に暗い草原を照らし出したかのようであった。

 

「凄い……」

 

「失態だ……。直線上に森林を伐採してしまうと、木材を拾い上げに行くのが面倒だな。運ぶ距離がどんどん長くなってしまう……ブループラネットさんに確実に叱られてしまうな……」

 

「そんなことはないです。これだけの木を伐採するのにどれだけの時間がかかるか!」

 エンリは未だに目の前に広がっている光景が信じられない。

 

「まぁ、こうなってしまっては有効活用するのが礼儀だ。私が木々を運んでくる。枝を落として丸太にしていってくれ。余裕があれば、丸太の長さを一定に切りそろえるまでしてもらって良い」

 

 モモンガの指示通り、エンリは枝を幹から落としていく。モモンガが運んでくる木はどれも大きく、枝も太い立派な木であった。その枝を一本一本ノコギリで切り落とすのに時間がかかる。エンリが一本の木の枝を全て切り落とすまでにモモンガはもっと沢山の木を運んでくる。木々は溜まっていくばかりであった。

 

「なるほど……。草原の近くから木を運ぶと、枝を切り落とす作業が追いつかないな。出来るだけ遠くから木を運んでこよう」

 

「す、すみません」とエンリはもう泣きそうであった。村長からは、カルネ村で自分たち姉妹が生活を続けていくチャンスをもらった。だが、結局はモモンガさんの足を自分は引っ張っている。モモンガさんが村長に、「あの娘は役に立たない。手伝ってもらうだけ迷惑だ」などということを言ったとしたら、それだけで……少なくとも妹の運命は確実に決まってしまう。

 

 エンリは必死にノコギリを引く。汗なのか涙なのか、自分でもよく分からない物がノコギリを引くごとに粒となって落ちていく。どうして村が襲われたのか…… どうして父と母は死んだのか…… どうしてこんなにも自分は無力なのか……。悲しく、悔しい。だが、エンリの必死の想いとは裏腹に年輪を重ねた太い枝はなかなか切り落とすことが出来ない。

 

 ・

 

 やっとのことで一本の木の枝を全て切り落とした。だが、モモンガさんは戻ってこない。モモンガさんは、地平線の彼方まで木を切り倒していた。遠くまで木を取りに行ったのであろう。モモンガさんが戻ってくるまでに、たくさん枝を切り落とさねば。既に握力があるのかないのか分からない右手。腕も肩も痛い。しかし、一休みするという選択肢など自分には既に無い。

 

 次の木に取りかかろうとしたとき、背中に寒気が走る。何かがいる……。時折現れるゴブリンなどではない。もっと強大で危険な存在だ。

 

「それがしの縄張りを侵したのは、お前でござるか?」

 

 トブの大森林と草原の境界線近く。森林の暗闇の中から凶悪な二つの瞳が自分を見つめている。そして蛇のような鱗に覆われた以上に長い尻尾が、森林の中から顔を出してゆらゆらと揺れている。まるで、獲物を狙っているかのような動きだった。

 

 恐怖でエンリは立っていられない。腰から力が抜け、その場に尻餅を着く。逃げようにも体が震える。自分はこれで死ぬのだ……。

 

「答えぬでござるか……。まぁ良いでござる。いま逃走するのであれば、先の見事な魔法に免じ、それがしは追わないでおくが……どうするでござるか?」

 

 逃げたい……。生きたい。死にたくない。だが、恐怖で動くことができない。下半身から生暖かい感触が太ももから伝わってくる。

 

「ふふふ。その服の下から驚愕と、失禁が伝わってくるでござるよ」

 

 森林から顔を出した獣の顔に歪んだようなような笑みが浮かぶ。そして長い尻尾がくねった。白銀の体毛に包まれた体には奇怪な文字にも似た模様が浮かび上がっている。体は大きく、馬ほどの大きさはあるだろう。しかし、体高は低い。横に広く、うすべったいという形状だ。

 

重力渦(グラビティメイルシュトローム)

 

 その声が轟いた瞬間、その獣の体は渦巻きを描きながら小さくなっていく。そして、自分の握り拳程度の大きさとなり、ストンと地面に落ちた。

 

 

「すまないな。どうやら、遠くまで行きすぎたようだ」

 マントに仮面を付けているという姿。しかし、その声は間違いなくモモンガさんの声であった。

 

「モ、モ、モモンしゃん……」

 

「怪我はないようだな……だが……とりあえず、ポーションを浴びておけ」とモモンガさんは自分の体にポーションをかけ始める。なんとなく嗅いだことがある香りだ。この臭いはなんだろう。分からない……。

 自分の意識が遠くなっていった。

 

 ・

 

 目を覚ますと、空には満月と、そして無数の星の海が広がっていた。

 

「気付いたか?」

 

「あっ。モモンガさん……。私……」と身を起こす。自分は半日以上寝ていたのだろうか……。

 

「気を失っていたようだ。覚えているか?」

 エンリは、記憶を手繰り寄せる。たしか恐ろしい獣に襲われて……モモンガさんに助けられた……。

 

「助けてくださってありがとうございます」

 

「気にするな……離れすぎてしまった私のミスだ」とモモンガはエンリを見ることなくずっと空を眺めている。

 自分もモモンガさんの見ている方向を見る。美しい星空が輝いている。星を見たのは何時振りであろうか。

 

「なぁ、夜空を見る気分というのはどんな気分だ?」

 

 モモンガさんからの唐突な質問であった。

 

「え? 夜空ですか? き、綺麗だと思いますが……」

 

「そうだよな。綺麗だよな。俺は間違ってないよな」とモモンガさんは呟いた。

 

「間違ってません。だって、私も綺麗だと思いますから……」

 明日をも知れない自分と妹。役に立たない自分。そんな自分でも、光り輝く満月と星空は美しく見える。悔しいくらいに輝いている。悲しさと、悔しさを、自分の心から満月と星空が食べてしまっているようだった。ただ、その美しさに自分の心は染まっていく。

 

「あ、流れ星!」

 ふっと流れた流れ星。エンリは願う。ずっとネムと暮らせますようにと願った……が、間に合わなかった。

 

流れ星(シューティングスター)に願うか……。何を願ったのだ?」とモモンガが笑いながら尋ねる。

 

「え? 願った内容を他の人に言うとダメだって聞いたことがありますけど?」

 

「そうなのか? 俺は、何度も流れ星の指輪(シューティングスター)に願った。その願いは誰にも言ってはいないが、俺の本当の願いは叶うことなど無かった……」

 エンリには、モモンガさんが付けている仮面が、何故か、泣いているように見えた。

 

「モモンガさんはどんな願いがあるのですか?」

 自分の想像を絶するような力を持っているモモンガさん。そのモモンガさんが届かない願いとは何であろうか。おとぎ話で誰もが求める不老不死であろうか……。

 

「なんだ? 願った内容を他の人に言うとダメなのではないのか?」とモモンガが冗談っぽく笑う。

 

「ええ? まぁそうですけど……」

 

「まぁいいさ。どうせ叶うことなどもう無い。俺がずっと願っていたのは、仲間とずっと楽しく過ごせますようにだ。月並みだろ?」

 

「え? 私の願いと少し似ているかも……」

 

「そうなのか? 奇遇だな」「奇遇ですね」とモモンガとエンリはお互いに笑い合う。

 

 お互いに笑い合った後、「さて、そろそろ帰るか。村では心配をしているだろうよ」とモモンガは立ち上がる。

 

「はい!」

 

 満天の月と星が照らす草原は少しも暗くはなかった。夜露を宿した草が、宝石のように輝いている。エンリは、モモンガの横を歩く。カルネ村は近い。

 

「モモンガさん」

 

「ん? なんだ?」

 

「仲間とずっと楽しく過ごせますように。素敵な願いだと思います。私は、妹とだけでなく、村の仲間ともずっと楽しく過ごしたい。モモンガさん、明日もよろしくお願いします。明日も、楽しく過ごせますように! おやすみなさい」

 エンリはそう言って、自分の家へと走る。

 

「そうか……。おやすみ」というモモンガの声をエンリは背中で聞いた。








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