13日夜「総おどり」が行われた瞬間(筆者撮影)

「踊る阿呆」が市長に勝った…阿波おどり「圧倒の現場レポート」

止めにきた徳島市幹部も、音を上げた

昨日8月13日、夜10時から徳島市内で、一時は「中止」となった阿波おどりの「総おどり」が急遽実施され、世間を驚かせた。徳島市と阿波おどり振興協会の対立が先鋭化する中、現場ではどのような攻防があったのか?

阿波おどり問題を継続取材してきた「週刊現代」の小川匡則記者が、現地に飛んだ緊急レポート。

 

市に頼らない「総おどり」開催へ

「いろんな方々のご協力があって、なんとか総おどりを実現できた。これだけ多くの方が集まり、大きな声援を送ってくれた。そして、皆さんの笑顔を見ることができて、成功したんだなと思いました」(阿波おどり振興協会・山田実理事長)

徳島夏の風物詩、阿波おどりが8月12日に開幕した。

今年の阿波おどりで一番の話題は、例年、最大の見せ場であった阿波おどり振興協会による「総おどり」が中止に追い込まれたことだった。そして、阿波おどり開幕後も、徳島市内の話題は「総おどりを決行するのか」で持ちきりだった。

「総おどり」は、市内に4つある有料演舞場のうち、南内町演舞場の2部ラストで、阿波おどり振興協会所属の16連(今春2連が脱退し、今年は14連)1500人以上の踊り子が一斉に踊る、圧巻の「フィナーレ」だ。

しかし遠藤彰良・徳島市長は、その総おどりの中止を今年6月に決定した。

阿波おどりの象徴ともいえる総おどりを取りやめれば、客足が減ることは確実。強引な市のやり方に、地元では反発が広がり、いまひとつ盛り上がりに欠ける状況となっていた。

これに対して振興協会は、「安全性を確保した上で、なんとか総おどりを実現したい」(前出・山田氏)として場所や体制を練り、市に頼らない独自での総おどり開催を模索してきた。そしてついに、2日目の8月13日、22時からの開催を決めたのだ。

踊り手も観客も「渾然一体」

場所は、紺屋町演舞場にほど近い両国橋南商店街。振興協会はこの時のために、事前に多くの関係者に対して根回しを行っていた。

事前の告知は決して十分ではなかったにもかかわらず、SNSなどによる拡散効果もあったのだろう、22時前には一気に人が集まった。同日昼には、遠藤市長が「総おどりを実施しないでほしい」と呼びかける異例の緊急会見を行っていたが、それがかえって宣伝になったのかもしれない。

両国橋南商店街には、例年の総おどりのような桟敷席は当然ない。観客と踊り子は同じ目線、両者の境界もあいまいで、あたりには他の会場とは質の異なる熱気が漂っていた。

「きたぞ!」

22時過ぎ、一糸乱れぬ動きで、ついに踊り子たちが姿を現わした。観客はみな背伸びをして、またカメラを持つ手を伸ばし、この歴史的瞬間をひと目見ようと必死だ。踊り子たちの表情も、心なしか毅然としているように感じられる。

熱気あふれる渾身のおどりは約30分続いた。観客からは「頑張れ!」「市長に負けるな!」といった声が絶え間なく上がる。踊り子もその声に動きと表情で応える。会場全体が、まさに心も体も渾然一体となった瞬間だった。

阿波おどりのルーツは、このような人々の自発的な踊りだったのだろう。江戸時代にも、為政者が何度も「一揆を招きかねない」として「阿波おどり禁止令」を出した理由がよくわかる。

写真は筆者撮影

22時30分過ぎ、総おどりは終わった。見事な成功だった。あちこちから、「よくやった!」「ありがとう!」と、賞賛と拍手が止まない。踊り子たちからも、やりきったという充実感がみなぎっていた。

だが、この「異例の総おどり」が成功するまでの数日間には、総おどりをなんとか中止に追い込みたい遠藤市長と、阿波おどり振興協会の攻防が展開されていた。