なぜ、精神科病棟を居住施設にしてはならないのか?(3/3) - 精神科長期入院を経験した人々の思い

私自身も、精神障害の当事者です。いつ発病したのかも定かでない統合失調症を抱えており、2週間ほどの休養入院を経験しています。

職業があり、現在17歳1ヶ月の高齢猫を含む2匹の猫と同居している私にとっては、悪化を招かないための日々のマネジメントこそ大事。そのマネジメントの中心は、睡眠・食事・身体の清潔と快適さの維持です。それでも数年に一度は「ああもう限界、ちょっと病院で休養させて」ということがあります。

私の経験した精神科病院の休養病棟は、建物こそ古いものの個室で、他の患者からのプライバシーは保たれていました(監視カメラはありますが)。エアコンで空調の維持された清潔な空間に滞在でき、考えなくても三度の食事が提供され、週に2日は介助つきの入浴ができることは、心身とも疲れ果てているときには非常にありがたいことでした。パソコンも持ち込めましたし、通信の自由も外出の自由もありましたし。看護スタッフの「上目線」に不快な思いをすることくらいは時にありましたが、特にイヤな思いをすることもない入院でした。

私の友人には、数多くの精神障害者がおり、基本的には地域で生活を営んでいます。ときに病状を悪化させて入院することもありますが、ここ10年以内に限っていえば、2人を除いてほぼ全員が任意入院(本人の意志に基づく入院)。相当の快適さが保たれた状況での入院生活でした。期間は長くても2ヶ月程度。

病棟は開放病棟だったり閉鎖病棟だったりします。閉鎖病棟には保護室もあります。しかしその保護室も概して「本人が入りたくなったら、依頼して静々と入り、静々と出てくる」というもので、「無理やり押さえつけられて閉じ込められ、屈辱的な扱いを受ける」といったものではありません。家族も希望すれば、病棟内に入って病棟の様子を見ることが可能であったりします。

その友人たちや私の経験した精神科病院は、精神科以外の病院と大きく異なる雰囲気ではなく、

「もしこれが居住の場であったとしても、そんなに悪くはないかもしれない」

と一瞬くらいは思ってしまうようなものでした。もちろん、病院は病気を治すために入るところです。長居したり、ましてや居住すべき場ではありません。いかに快適であっても。

では、精神科長期入院を経験した方々は、どのような環境を経験してこられたのでしょうか? 北陸地方に済む住むAさん(50代・女性)とBさん(60代・男性)にお話を伺いました。

---

--こんにちは。まず、どういう経緯で精神科に長期入院されたのか教えてください。

A:私は、大学を卒業したあと公務員になり、福祉事務所に配属されました。理想に燃えて頑張っていたんですけど、1年数ヶ月ほどで、突然職場に行けなくなりました。ほとんど眠れなくなって、食欲もなくなって。理由もなく涙が出たり、人の目が怖くてサングラスをして電車に乗るようになったりして。上司に勧められて精神科を受診したところ、統合失調症と診断されました。それから30年ほどの間に10回近く入院しました。入院期間は数ヶ月だったり2年ほどだったりです。

B:僕は大学を中退して、今で言う「引きこもり」になっちゃったんです。それで強制入院させられて、7年入院していました。その後も数年間の入院を、9回しました。

--お二人とも20代で発病されて、長期間の入院を経験されたのですね。入院生活はどういう感じでしたか?

A:入院すると、まず、Tシャツと短パンだけの服装に着替えさせられて、地下の光の入らない部屋に閉じ込められました。閉鎖病棟の中にある個室で、広さは6畳か8畳くらいはありました。食事はドアの下から出てきました。

--「自傷他害のおそれがある」と判断されるような状態だったのですか?

A:いえ、そんなことはなかったと思います。その閉鎖病棟は、廊下を挟んで、そういう部屋がたくさん連なっていました。その廊下を、若い男性が大声を出して走り回って歌を歌っていたりして、気が休まりませんでした。入浴は1週間か2週間に1回でした。

--今から30年近く前、1980年代に入ってのことですよね。漏れ聞く当時の障害者施設より、精神科病院はそれよりもさらに劣悪だった感じがします。ずっと、その個室にいたのですか?

A:いえ、数ヶ月して、別の病棟に移されました。閉鎖病棟の中の普通の病室です。畳の部屋、6畳か8畳くらいの部屋に、布団を敷いて4人か5人くらいで寝ていました。

--食事はどうでしたか?

A:やや肥満気味だったので、食事を少なくされたんです。そうしたら、廊下を立って歩けず這って歩くほどの低血糖状態になりました。看護師に訴えても聞いてもらえなかったので、病棟内の公衆電話から救急車を呼びました。救急車が病院の前まで来てくれて、病院を何箇所か回って、最後は家族がタクシーで病院に戻したようです。よく覚えてないんですが。

--Bさんの入院生活は、いかがでしたか?

B:似たような感じです。病棟は閉鎖病棟だったこともあります。暴力が日常的でした。水分不足で便が固まったりもしました。

--水分不足?

B:最初の2ヶ月くらい保護室に閉じ込められていて、与えられた水分は、食事についている汁物とお茶だけだったんです。水不足で便が固まってしまって、自分で摘便したりしました。ツバが喉を通らないので、息苦しくなって目が覚めたりもしました。その2ヶ月くらい、歯も磨けないので虫歯になりました。顔も洗えませんでした。

--治療の内容はどういうものだったのでしょうか?

B:ただ監視し、管理しているだけでした。患者に拘束衣を着せて畳に転がしておいたり。看護師や看護人(看護師資格のない人)に何か言うと、跳び蹴りされて脳震盪を起こさせられたり。そういうことが平然と行われていました。看護師たちが患者の手足を持って、体を床に打ち付けて死なせたりしたこともある病院でした。

--患者さんが亡くなるようなことがあれば、行政も少しはチェックを厳しくするのではと思うのですが。

B:監査は、ときどきあったんです。でも監査が入るとなると、モノが片付けられて、ナースステーションにあったピンク電話が廊下に動かされたりするんですよ。

--ふだんは、ピンク電話がナースステーションの中にあったということですか?

B:そうです。誰もかけられません。

--外界とつながることが全くできないわけですね。

B:だから、とにかく服従しました。退院したいですから。まずは保護室から閉鎖病棟に、閉鎖病棟から開放病棟に。そして退院。「一日でも早く出たい」という思いから、模範生になりました。徹底的に服従し、率先して何でもやりました。「看護人にならないか」と言われるほどになり、病院から看護学校に通わせてもらったりもしました。結局、再発があったりして、看護師として働くことはありませんでしたが。

--「保護室から閉鎖病棟に出てもよい」という判断は、どういうふうにされるのですか?

B:最初、「鍵を開けておくけど出ちゃいけない」と言われて。出ないでいると、「ドア開けとくけど出ちゃいけない」と言われて。それでも出ないでいると、廊下には出してもらえるようになって。そういった繰り返しで、閉鎖病棟に出してもらえました。

--まるで、犬のしつけみたいですね。人間、それも大人がこういう扱いを受けていいのかと愕然とします。そもそもBさんは、保護室に入らなくてはならないような病状だったのですか?

B:そんなことはなかったと思います。親が、僕を病院に連れてきて。僕は自分がどこにいるか分からなくて、ドアを蹴りまくったんです。それで病院に「暴れる人間」と思われたようです。

A:結局、医者や医療次第なんです。どういう扱いを受けるのか、退院できるのか、できないのか。大変な思いをしている人、精神科病院に入院している方の中には、まだまだたくさんいると思います。密室ですから。

B:病院から入院患者に、タバコが1日に3本とか5本とか支給されるわけなんですけど、それが売買されるんです。タバコ3本と時計1個、という感じで。その時計は、家族に面会のときに持ってきてもらったりします。そのくらいの密室でした。

--いつごろの話ですか?

B:1990年代に入ってからのことだったと思います。

--まるで、第二次世界大戦時の捕虜収容所の話を聞いているようです。どういう極限状況なんでしょうか。「病棟転換型居住系施設」を推進する人たちは、「病院の中に人が入ってくることになるからいい」と言っていたりもしますね。「長期入院している患者が退院したがらない」という意見も根強いようです。

A:去年、ちょっと調子を崩して、近くの病院に2ヶ月ほど入院したんです。その時は、家族や友人が面会に来てくれました。家族が、地域と自分をつないでいます。でも、家族と離れて遠くの病院に長期入院している人の場合、地域での退院支援をしてくれる人がいません。

B:最初に入院した時は、皆さん「退院したい」という希望があるんです。でも1年、3年、5年と経つうちに諦めてしまうんです。医師にも看護師にも、意見を聞いてもらえませんから。

A:看護師はだいたい、指導的で管理的で、高圧的ですよね。「……しなさいよ!」という感じで。お互いの人間性を大切にした接しかとぉかたをしてほしい。なんでそういう、上からの管理命令をするのか。それぞれに感じ方や生活の過ごし方があるのに、看護師の言うとおりにしないと看護師の機嫌が悪くなったりするんですよね。

--わかります。精神科は特にそうですよね。開放病棟でも若干はそうでした。

B:精神科病棟の閉鎖病棟って、一般の人が入れないんです。家族でも入れません。本来ならば、開放病棟でも閉鎖病棟でも面会者が入れるべきなんです。そういうシステムを作らないのは、なぜなんだろうと思います。せめて家族だったら、自分の家族がどういう場所でどういう扱いを受けているのかを見られるようにしてほしいと望んでいます。

--長年、そういったことをやれてこなかった精神科病院が「病棟転換型居住系施設」を作ったらやれるんでしょうか。同じ組織の同じ人たちなのだから、同じことをするんじゃないかという気がします。

B:「病棟転換型居住系施設」は、まったく、病院の経営の都合でしょう。今でも、精神科は診療報酬が低いから、満床にしておかなくてはいけないんです。本来なら早期退院できるはずの人でも。また、古い考え方の精神科医が「早く退院させると、また入院することになるから、長く入院させる」といったことで入院期間を延ばしていたりすることもあります。

A:まず、精神科病院が積極的に患者を退院させることはないですよね。地域から病院にアプローチしないとダメです。アパートを確保して、障害年金や生活保護を取れるようにして、地域生活できるようにして。でもそこに「見えない壁」があるんですよね。

--「見えない壁」?

A:地域と医療の間、地域と福祉の間、福祉と医療の間に壁があると感じています。また、「地域が貧困なので、出てきてもらいたくても出てきてもらうわけにはいかない」という医療側の発言もよくあります。

--ああ、精神科病院が立地している貧困な地域だと、ありそうです。その人の生活の糧が生活保護しかないけれど、もう一人生活保護利用者が増えたら大変な負担になるという地域。すると家庭が受け皿になるしかないんですが、受け皿になれる家庭がそれほど多くないから、今のように社会的入院患者が減らない状況になっているのですよね。

A:家庭が受け皿になれない場合には、地域が責任を負って受け皿になる必要があります。でも、その地域も大変で、入院患者の地域移行を構造的にやれなかったりするんです。地域福祉によって支えてくれるところも沢山あり、私はそこで救われました。ただ、社会資源等の地域格差が解消され、病院と地域が連携して、入院者の地域移行にも力を入れる様に、国も地方自治体も方針を変換して欲しいと思います。

B:施策が大切ですよね。地域によっては公営住宅にたくさんの空き部屋がありますから、そういうところに退院先の住居を確保すればいいんです。なぜそうしないんでしょうか。国が音頭を取って人的支援や住まいの確保をするようにしないと。「市町村が独自にやってください」では無理ですよ。

A:最初から、1年以上の長期入院にならないように、行政の中で「入院させたら退院させる」という方向に持って行かなくてはいけないと思うんです。でも、今までの流れでは、いつまでたっても精神科病院は満床です。経営の都合で。長期入院患者は、就労できるわけじゃないから経済不安を抱えてるし、退院したくても住む場所がないし、高齢だと身体の合併症があったりして一人暮らしが難しかったりします。そもそも諦めて、退院の意欲を失ってしまって、「もうここで死ぬからいい」と言っていたりします。だから、年間2万人が病院で亡くなっているのに、病院が空かないんです。

B:たぶん「病棟転換型居住系施設」は、缶詰の場、監禁の場、第二の精神科病院になってしまうと思います。行政の中で、退院支援ということを本当に考えなくてはならない時期だと思います。

A:私たちは、こういうことを当事者の声として、世の中に伝えて行政に持っていくことができます。今までもやってきましたし、これからも続けていきたいと思っています。

--本当に、世の中全体の問題だと思います。精神障害者や、精神科長期入院患者だけの問題ではなくて。

B:健常な人も、明日、障害者になるかもしれません。誰がいつ、障害者になるかわかりません。誰だって、高齢になったら「認知症になったらどうしよう」という不安があるじゃないですか? 今でも「認知症病棟の施設の中に精神科病院がある」という事例はあります。発達障害や行動障害の人も、そういうところに押し込まれるようになるかもしれません。名前が「病棟転換型居住系施設」であるというだけで。

A:「病棟転換型居住系施設」の問題は、まったく、他人ごとじゃないですよ。検討会で「食事の時間を自分たちで決められるから、病院とは違って良い」という意見が出たそうですけど、そんなことで都合よく押し込められたら困ります。

B:自由はないでしょう。医療法人が作ったグループホームやケアホームは、地域にあっても制限がたくさんあります。門限があったり、「◯◯しちゃいけない」という規則があったり。「病棟転換型居住系施設」がそれ以上劣悪なものにならないとは思えません。

A:全部管理されて、何かしたくてもできなくなるんですよね。こういうところに、特に若い人が閉じ込められるようになると思うと、若い人の未来、人権という意味からも許せないと思うんです。「病棟転換型居住系施設」は、「恥ずかしいことをしているのだ」と思ってもらわないといけないと思います。「国辱」という言葉を使った人もいます。

--私からも、恥の上塗りをしているように見えます。国際社会から長年、根本的解決を要求されているのに。

B:繰り返しますけど、世の中のすべての人の問題です。精神障害者や精神病者が家族や友人・知人の中にいる人が、たぶん、ほとんどです。でも、差別・偏見・誤解があるから、言えないし、知られたくない。差別があるために公にできないから、隠しているんですよね。

--この状況を変えていかなくてはいけないわけですが。

B:上に立つ人たちの認識を「障害者だからイヤという時代ではない」と深め、偏見をなくしてもらって声を発してもらうこと。それで変わっていくと思います。

A:精神障害の当事者が高校に行って、「回復できる」「地域に支えてもらって元気になれる」「ふつうの人が、だれでも罹る可能性のある病気。だけど早期発見早期治療できるし、社会復帰もできる」ということを啓蒙していくといいんですよね。幾つかの地方自治体では既に行われているようですが。

--そのためにも、地域生活に予算がもっと配分される必要がありますね。

A:今、精神医療の医療費の97%が病院に、3%が地域に配分されているわけですが、これはおかしいです。地域にもっと配分すべきです。退院した長期入院患者が地域でアパート暮らしして、サポートの人も配置したら、地域が潤うんです。でも、今の「病棟転換型居住系施設」のプランでは病院だけが潤います。

--本当に、なぜこういう施策が真面目に議論されるのか、疑問を感じます。

A:誰のためなんでしょうね? 少なくとも私達のためじゃない。精神科病院の経営のためでしょう。

--そこに消費税を財源とした約904億円が注ぎ込まれることについては、世の中の多くの人が怒っていいところだと思います。今日はありがとうございました。