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「バズる」と「セルフブランディング」に疲れた、私たちの孤独論

ちょっと、うんざりし始めています

日本全国、どこでもSNSで他人とつながり、Googleで調べればどこにでも行ける世の中ーー私たちはそう思い込んで暮らしている。でも、それは本当の「つながり」なのだろうか。そんな毎日から、こぼれ落ちている視点や感情はないだろうか。

デビュー以来、多くの作品で「地方や郊外に生きる普通の女性」の内面を描いてきた作家・山内マリコ。彼女が新刊『選んだ孤独はよい孤独』で主題に据えたのは、2000年代以降の日本に生きる男性の葛藤だった。そこには、「つながり」に縛られ、他人からどう見られるかを常に意識する現代人の「孤独」が描かれている。

山内氏と、かねて親交のあるライター・編集者の速水健朗氏が、「つながらざるを得ない社会」との距離感を語った。

(撮影:丸山剛史)

 

毎日、どこかが燃える世界で

速水:山内さんが作家としてデビューされたのはいつでしたっけ?

山内:最初の本(『ここは退屈迎えに来て』)が出たのが2012年です。ただ、R-18文学賞の読者賞を受賞したのは2007年なので、けっこう間が空いているんですよ。一応、世の中に名前が出てからは、11年経ったことになるのかな。

速水:僕も、初めての単著(『タイアップの歌謡史』)を出したのが2007年でした。いた場所も分野も違うけど、実はテーマにしてきたものを比べると、山内さんとは近い題材を扱ってきているんじゃないかって思っています。

山内:はい、世代はちょっと違うけど、書き手としては同時代という感じで、影響受けてますね。受賞のあとずっと書きあぐねてたときに、速水さんが2008年に出された『ケータイ小説的。』を読んでヒントをもらって、それで『ここは退屈迎えに来て』が書けた部分もあります。

私は今でこそ地方都市とか、ロードサイド文化を意識して小説を書くようになりましたけど、受賞した時点では、全然そんなこと考えてなかったんです。書きたいテーマはあるけど、なにを書くべきかは掴みかねていた。

でも『ケータイ小説的。』で分析されている地方の女の子の生活や世界観を読んで、「これって私の地元のことじゃない?」って気づいたんです。自分にとっては当たり前すぎて相対化できてなかった場所の、特殊性がやっとつかめたというか。あの本は本当に名著!

速水:それはどうも(笑) 自分の過去著作で一番部数が少ないのが『ケータイ小説的。』なんですけど、書いた甲斐がありました。

そう、山内さんの小説の舞台は「東京じゃない場所」、つまり地方のロードサイドとか、東京の人がイメージする「田舎」とはちょっと違う、地方都市の外側に広がる郊外だった。そこに育ち、生きてきた人の物語をちゃんとキッチュに描いている。

東京みたいな都市に住んでいる人と、地方、都市郊外に住んでいる人の考え方って、現代ではどんどん離れていってるっていうのが問題意識として僕にもあった。だからそれをテーマにして、しかもヤンキー寄りでない側から小説がようやく出てきた、と思って『ここは退屈迎えに来て』を読みました。そこは空白地帯というか、だから共感する人も多かったし、映画化にまで至ったんだと思うんですけど(10月19日全国公開)。

山内:ありがとうございます! よろしくお願いします(笑)。

速水:山内さんの今回の新刊『選んだ孤独はよい孤独』も、2000年代以降の地方、「東京じゃない場所」に住むごく普通の人々の日常を描いているという点では、これまでの山内作品を踏襲していますよね。ただ、今までと大きく違うのは、収録されている短編すべての主人公が男性だという点。これにはどんな理由があるんですか?

山内:最近はネット上で、女性が「自分たちが受けてきた抑圧」について声を上げるようになりましたよね。私はフェミニストなので、Twitterのそういうアカウントの発言もよくチェックしていたんです。

最初の頃は逐一、ふぁぼったりリツイートしたりして、人様の意見に乗っかる形で自分の意志をアピールしているつもりになっていたけど、最近はもうTwitterを開けば毎日毎日誰かがケンカしているじゃないですか。

私も基本的には女性側の意見にすべて賛成なんだけど、女の人が声を上げて、それに対して男の人がどんどん意固地になって、話がこじれていったり「炎上」したりするのを見ると、ちょっと複雑な思いもあったんです。