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みなおす・震災後(1)「明るすぎ」節電で気づくー本当は原発は必要ないのだ

2011-05-06 06:07:51 | 意見発表

(2011年4月26日  読売新聞)

みなおす・震災後

(1)「明るすぎ」節電で気づく

キャンドルの明かりの中、食事を楽しむ女性客ら(13日午後、東京・中央区のジャッジョーロ銀座で)=若杉和希撮影
蛍光灯を間引いて点灯する、西武鉄道池袋駅のコンコース(12日午前、東京・豊島区で)=松田賢一撮影

「 東日本大震災と福島第一原発の事故で、私たちの暮らしは変革を迫られている。

 被災地では今も厳しい生活が続き、首都圏やその他の地域でも、モノや電力を際限なく使う生活はもう望めない。この転換期を、暮らし方を再考する機会と捉え、シリーズで考えていきたい。

ほの暗さ 抵抗薄れ

 東京・豊島区の西武池袋駅の地下コンコースには、震災前、82本の蛍光灯があった。現在点灯しているのは33本。日中は階上からの日差しもあり、以前の半分以下の暗さも気にならない。だが、蛍光灯が取り外され、裸のままの照明器具の列は寒々しい。

 首都圏の鉄道各社は節電策として、駅構内や電車内などで消灯を行っている。百貨店やスーパーも同様で、大手コンビニのローソンは、被災地以外の全国で日中の店内照明を50%以上消し、東京電力管内では看板も終日消灯する。

 今回の震災を境に、街の明るさは一変した。東京工業大名誉教授の乾正雄さん(77)(建築環境工学)は、「幕末や明治の使節団は、欧州のガス灯の明るさに目を奪われた。それから今に至るまで、日本では明るさが繁栄の象徴だった」と話す。

 日本電球工業会によると、必要な時や場所だけに照明を使う傾向のある欧州諸国に対し、日本では部屋全体を明るくし、つけっ放しにしがち。1人が使用する照明などの光の量は、日本が7万1600キロ・ルーメン時と、欧州より約4割多いという

 バブル崩壊後も電力消費量は増え続け、街は明るくなった。環境省の星空継続観察調査を基に計算すると、2006~09年の東京都中野区の夏の夜空は、1988~91年の約2倍の明るさだった。

 しかし、暗くなった街への反発は少ないようだ。西武鉄道によると、「夜の駅の階段が暗くて不安」という声はあるものの、「暗さに乗客の目も慣れてきた。このまま継続を」などと理解を示す声が多い。JR東日本も、「照明を落としたことへの否定的意見はほとんどない」。

 駅や店舗の多くは、計画停電終了後も、照明の削減を続ける。三越や伊勢丹は「電力消費の少ないLED(発光ダイオード)照明への取り換えを進めつつ、引き続き一部の照明を落としている」という。

 乾さんは現状を「戦中に次ぐ2度目の灯火管制」と呼ぶ。その中で、「明るすぎた夜に休む間もなく動き回ってきた現代人が、暗さの価値を再認識できる」面もあるという。

 実際、ほの暗さを楽しもうという動きも出ている。

 4月13日の夜、東京のレストラン「ジャッジョーロ銀座」で行われた「キャンドルチャリティーディナー」。ろうそくの明かりで食事をする「非日常的な空間」が人気で、全32席は予約で埋まった。イタリア料理を楽しんだ都内の会社員、岸美貴子さん(36)は「このぐらいの明るさの方が落ち着きます」と話した。

 家庭で節電に取り組む人たちも増えた。東京・浅草でケーキ店を営む尾谷理絵さん(45)は、自宅でも使わない部屋の電気を消し、こまめにコンセントのプラグを抜く。親子4人が同じ部屋で過ごし、風呂には理絵さんと中学生の娘、夫と高校生の息子が2人ずつ入る。「お風呂では娘と部活の話をしたり、歌を歌ったり。笑いが絶えません」。そんな家族だんらんの楽しさを再認識している。

 暗くなった街の中で、見えてくるものもある。

http://www.yomiuri.co.jp/komachi/feature/20110426-OYT8T00277.htm

 

ジャンル:
経済
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