糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

08月12日の「今日のダーリン」

・なにか頼まれることがあったとき、
 「いやだなぁめんどくさいなぁ」という気持ちもあるし、
 「よし、なんとかしてやろう」という気持ちもあります。
 こどものころに教えられるのは、
 「めんどくさがる」のはよくないんだよ、と。
 よろこんで引き受けなさいということでした。
 そうすると、がんばるこどもは、
 積極的に頼まれごとを引き受けるようになっていきます。
 そのほうがいいと思っているからそれは自然なことです。
 おとなになってからでも、頼まれごとを
 こころよく引き受けると、人によろこばれますから、
 さらに「よし、がんばろう」と思うようになります。
 また、じぶんが頼む側になったときに、
 スカッと引き受けてもらえるのも、うれしいことです。
 「いいやつだなぁ」とか思います。

 うまくいってるうちは、こういうことはいいことですが、
 いくら頼まれるからといって、断れないからといって、
 いくらでも引き受けられるわけもない。
 ほんとにできるんだろうか、というくらいの山が、
 目の前に積みあがってしまいます。
 でも、相手によろこんでもらいたくて、つい引き受ける。
 これは、続けているといつかややこしいことになります。
 仕事がいいかげんになったり、荒っぽくなったりして、
 頼んできた人をよろこばせるために引き受けたのに、
 その相手の信頼を失うようなことが起こったりします。
 そうでなければ、身体やこころの健康を損ねたりします。
 あるいは、家庭などの人間関係を壊したりもしがちです。

 もともと、よろこんでもらいたくてがんばってきたのに、
 よろこばれないような結果になってしまう。
 「いいこ」「いい人」「いいやつ」だからこそ、
 こういう渦に巻かれてしまうんですよね。
 特にフリーで仕事をしている人は、
 止めてくれるしくみもないから、そうなりやすい。

 …というようなことを書きだしてひと休みしてたら、
 横尾忠則さんの、こんな文が目に入ってきた。
 「生きるというのは、頼まれて生きているのではない」
 すべてが入ってるなぁ!と思って考えるのをやめた。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
その身も蓋もない本の名は『アホになる修行』といいます。