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2018-08-13

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・毎年のように京都にやってきました。
 庭のいつものところにゆりが咲いていました。
 コーラスグループのマイクのように並んでいて、
 なんだかおもしろいので写真を撮りました。
 それを見た家人が、じぶんのスマホを出してきて、
 「同じ写真を去年も撮ってたよ」と見せてくれました。
 しかも、京都に来た日も同じだったらしいです。
 新幹線の席の足元にいるブイヨンの写真もありました。
 「ああ」と、ぼくも思いました。
 だいたいのことは、毎年同じだけれど、
 同じじゃないこともちょっとあるよね、と。
 そのちょっとが、ずいぶん大きいんだよねぇ、と。
 大きい大きい、8キロの体重の何倍も大きかったです。

 テレビの電源を入れて、スピーカーもつないで、
 蒸し暑かった家に強めにエアコンをかけて冷やし、
 背負ってきたパソコンを開いて、水を飲みました。
 東京から送ってある荷物が届けられて、
 やがて、近くの酒屋さんが配達にきてくれて…と、

 そういうことが、まったくじゃまもされず、
 スムーズに進んでいくわけです。
 なんと、都合がいいのでしょう。
 今年の、京都での夏は、こんなふうにはじまりました。

 「お盆だから、もう帰ってきてるんじゃない?」と、
 よく人にいわれるのですが、だったらうれしいですね。
 先にいってる人も、新参者の犬も、
 近くに来てくれているのだとしたら、たのしいなぁ。
 五山の送り火の夜まで、にぎやかに過ごしましょう。

 今年の夏ならではのことって、なにがあるかなぁ。
 昨日も書いた横尾忠則さんのことばじゃないけど、
 ぼくらは、だれも、だれかに
 「頼まれて生きているのではない」のだから、
 なにがしたいんだ、どうしたいんだということを、
 大切に考えていかなきゃなぁと思います。
 その人その人の根っこにある「考え方」のなかに、
 「頼まれて生きてるのではない」を、
 ちゃんと練りこんでおきたいものですね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
思いっきり「集中」から遠ざかる夏休みを過ごしましょう。


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