任官
人は環境に慣れてしまう生き物。それを自分の身体と頭が改めて理解する。訓練、訓練、また訓練。
この訓練の嫌なところは、拒否すれば死ぬほど痛い目に合うということ。敵の攻撃から身を守るという訓練をボイコットすれば、無防備に銃で射たれ、爆発に吹き飛ばされる。そのたびに、文字どおり死ぬほどの苦痛に襲われる。
なので、痛い思いをしたくなければ、回避と防御を覚えなければならない。飛んだり跳ねたり、物陰に身を隠したり。神経を削るような集中力でさんざん逃げまどい、気を失うように眠る。起きれば、また、訓練訓練。
どれだけの時間、この訓練をしてるのかわからないけれど、だんだんと解ってきた。視界の右端の薄緑の記号と数字は、機体情報。破損部位告知、燃料残量、残弾数。左側は感知器群情報、地図情報、というところ。
私が金属の鎧を着ているのでは無くて、私が人型の機械だった。
敵に囲まれたときの対処法、武器の種類による危険度の判断、地形情報からの敵の潜伏位置予測、脚部、腰部、背部の各推進機を使った移動方と姿勢制御、覚えることは大量だけど、覚えて使いこなせなければ苦痛が待っている。
「なかなか良いですよ。次は距離にも気をつけてくださいね」
男の人の声が丁寧に指導する。私はその指導のままに身体を動かす。最初の女の声よりは、私を気づかってくれているみたい。
どれだけ痛い目にあっても、苦しい思いをしても、この声が「再起動」と言えば、痛みは消える。そして、脳が疲れて気を失うまでは訓練が繰り返される。
何度も繰り返して、繰り返し過ぎて疑問も感じなくなった。自分が指示に従って動く機械なんじゃないか、と思うようになった。
意識が覚醒して、今度はどんな訓練か、と目を開けたら、視界に見慣れた薄緑の記号も数字も無くて、赤い丸も無かった。白い天井を見上げていた。
「あれ?」
「おはようございます」
聞き慣れた声、訓練のときと同じ声が聞こえる。寝たまま首を左に倒して見れば、青い髪の男の人が立っていた。
洋画の俳優に似ているような、掘りの深い顔立ち。俳優の名前が思い出せない。
「100時間の戦闘訓練が修了し、正式に和国軍人として任官となります。訓練お疲れ様でした」
長い時間訓練してたと感じてたけれど、100時間もやっていたのか。身を起こしてみれば、ベッドの上にいる。ん?灰色の岩山じゃない。ここはどこ?手を見る……金属じゃ無い。白い手袋をしてる。身体もゴツゴツしてない金属じゃない。見たことも無い白い軍服?のような服を着てる。
私の身体が、元に戻っている。信じられない。両手で顔を触る、ゴツンという金属がぶつかる感触も無くて、振動も無い。柔らかい。頬に白い薄手の手袋のさらさらとした感触がある。髪に触ると指の間を髪の毛が滑り通る。身体中を手で撫でて見下ろす。何処にも金属が無い。見たことも無い白い服を着てるけれど、これは私の元の身体だ。
「こちらをどうぞ」
見ればさっきの男の人が鏡を持っている。そこに映る私の顔は、100時間?ぶりに見る、私の顔だ。17歳の女の顔。どこにもケガも傷もない。肩口で切り揃えた髪。少し癖があってゆるくウェーブのある私の髪の毛。目も鼻も口もちゃんとある。弓子が残念そうに『黙って微笑んでいたら可愛いのにね』と言った顔がある。身体も元の私の身体のようだけど、白い学生服、男子の学ランみたいな服を着てる。襟と肩に飾りがついている。下も白いズボンで黒い靴下を履いているので首から下の肌が見えない。自分の身体を確認したくて、白い服のボタンを外そうとすると、
「失礼します」
目の前に青い髪、黒い目の男の人が微笑んでいる。そうだ、ここにはこの人がいた。私、男の人の前で脱ごうとしてた?そこに気がついて慌てて服のボタンを両手で押さえる。だいたいこの人はなんなんだろう?ここは何処なんだろう?
男の人はベッドの脇の床に片膝をつく、
「足をこちらに出してください」
訓練で、この声の指示で動いていたから、素直に従ってしまう。ベッドの上で横座りになってた姿勢から、足を出す。ベッドに腰掛ける態勢になって、青い髪の男の人を見下ろす。その人は私の左足の踵を優しく持ち上げる。少しくすぐったい、なにをするのかと見ていると、横にあった黒い靴を私の足に嵌めた。靴を履かせてくれるらしい。
男の人が跪いて靴を履かせてもらう、今までそんな経験をしたことが無い。真っ青な髪の映画俳優みたいな人。確かに映画で見た人に顔は似ている、髪の色は違うけれど。
両足ともに靴を履かせて、靴紐を締めて、私を見る、
「では、行きましょうか」
「ちょっと待って」
聞きたいことは山ほどある。ここは何処なのか、私はどうしてここにいるのか、訓練はなんだったのか、とにかくいろいろ知っているなら教えて欲しい。
「聞きたいことがあることは、わかります。ですが、私にはその情報すべてを開示する権限がありません。これからあなたの上官に任官の挨拶に伺います、彼女があなたの疑問にいくつか答えてくれるでしょう。また、正式に上官の部下となれば、情報閲覧の権利を持つことができます」
情報閲覧の権利。それがなければ、私にはこの状況を知ることができない、という。
「少しお待ち下さい」
男の人はそう言って、少し歩いて離れて、右手の中指をこめかみにあてて、話はじめた。
「調査お疲れ様でした。シズネ様の訓練が修了しました。つい先程、起きられましたので、これから任官の確認をお願いします。はい、着替えも終わりましたので、休憩室にてお待ちします」
何もない空間に向かって話している。右手に携帯電話でも持っていればおかしくは無いのだけど、なにも持ってない。どこかと通信している、おそらくはさっき言ってた私の上官だろう。……今、着替えも終わりましたので、とか言った?
「は?ハンガーにですか?ですが……しかし、目覚めたばかりです……はい、確かにいずれは知ることになることですが……わかりました。今からハンガーにお連れします」
男の人はこちらを向いて、
「上官がお待ちですので、ハンガーまでご案内します。私についてきて下さい」
「……その前に、『着替えも終わりましたので』って、私の、この服は」
「はい、和国軍人の儀礼用服で、私がお着せしました」
……私は寝てる間に服を着せられた、らしい。いろいろ、みられた、らしい。