ブログを書く | 新規登録 | サポート 

お知らせココログアクセス解析のポイント

 

2017年7月10日 (月)

【軽三・四輪】 年式別車台番号一覧 【軽・小型二輪】

長らくブログを放置してしまい申し訳ありません。。。
毎度同じようなことを書いていますが、親の介護に追われて時間的にも精神的にも余裕が全くなく、ブログにまで手が回らなかった次第です。
排泄介助のため、一晩に5回も6回も起きなければならない生活は本当にハードで…。
身体は疲れ果て、精神が摩滅していっているのが私の近況です。
とはいえ、取敢えず生きてはいるので生存報告としてこのエントリーを書いています。
 
ブログを放置している間に何件かコメントを頂いたようで…、レスを書けずに本当にすみませんでした。
今はカラ元気も出ない状況なので、この場でお詫びのみさせて頂きます。
ご免なさい…。
 
せめてものお詫びのしるしに、『軽自動車・小型二輪自動車諸元表』という資料を公開しようと思います。
この資料には、年式別の車台番号一覧が掲載されているので、車台番号から車両の製造年を調べることが出来ます。
但し、資料に掲載されているのは軽三・四輪自動車と軽・小型二輪自動車のみです。
また発行年が1972年(昭和47年)なので、掲載されているのは年式打刻制度が廃止された1964年(昭和39年)から1971年(昭和46年)までの機種になります。
1965年(昭和40年)から1974年(昭和49年)までに製造された軽三・四輪自動車を網羅している『軽自動車 車台番号・原動機型式一覧表』という資料も手元にあるのですが、それはまた別の機会に。
 
今回公開する資料が、国産旧車をこよなく愛する皆様のお役に立てば幸いです。
 
※全ての画像はクリックすると別ウインドウで拡大表示されます。
 
<<表紙と目次 >>
Dsc03324_2  Dsc03325

  

» 続きを読む

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2017年1月 1日 (日)

あけましておめでとうございます

170101 (クリックで拡大表示)
Canon IXY Digital L

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年12月31日 (土)

よいお年を

161231_beat (クリックで拡大表示)
 
今年は、というか今年も母の介護に明け暮れた1年でした。
とても疲れました…。
5月には、精神的にかなり参ってしまって衝動的に家を飛び出し、無断外泊をしたこともありました。
後始末が大変でしたが、介護から開放された1日弱の時間は、私にとって至福の時でした。
他には何があったかな?
そうそう、捨て猫を2匹保護しました。
1匹は2月29日に、物置の奥に隠れているところを発見し保護しました。
見つけた時はまだ子猫でしたが(生後3ヶ月くらい?の雄)、現在は立派に成長して雄ネコの任務である自分のテリトリーの哨戒作業に毎日精を出しています。
もう1匹はつい最近で、11月1日に我が家の玄関脇で保護しました。
こちらは雌猫で、発見時の体の大きさは片手に乗るくらい。生後でいうと2ヶ月経った程度の小さな小さなニャンコでした。
雄ネコの方は、物置に寝床を作って外ネコとして飼っていますが、雌のチビちゃんはさすがに小さ過ぎて外で飼うのは気候的に無理そうだったので、家の中で飼っています。
寝床は私の布団の枕の横。 毎晩一緒に寝ています。
この子猫に癒されているお陰で、何とか介護を頑張れている感じです。
でも、こんな生活いつまで続くのかなぁ…。
先のことを考えると気が滅入るばかりなので、とにかく1日1日を淡々とこなしていくしかありません。
来年もそんな感じだと思います。
殆ど放置状態の当ブログですが、来年もよろしくお願い致します。
それでは、皆様よいお年をお迎え下さい。

管理人 mizma_g

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月 6日 (木)

【祝】「トヨタ2000GTを愛した男たち」 細谷四方洋 (著)【出版】

2000gtlove_2  (クリックで拡大表示)

細谷さん渾身の一冊、「トヨタ2000GTを愛した男たち」が9月30日に三恵社より出版/発売されました。
トヨタ2000GTファン必携必読の"バイブル"だと思います。
売り切れ絶版になる前に、是非お買い求め下さい!

<内容紹介>
普遍的な美しさを持つ奇跡の名車「トヨタ2000GT」は謎に包まれている。
トヨタ2000GTが誕生した'60年代は、高度成長期のエネルギーに満ちあふれていた。
白熱する自動車レースで数々の勝利を刻んだレジェンド・ドライバー細谷四方洋がトヨタ2000GTの開発&レースに関わった日々のすべてを、証言者と共に語った。
著者の半生が日本モータリゼーション黎明期の歴史そのものなのだ。

単行本(ソフトカバー): 200ページ
出版社: 三恵社 (2016/9/30)
言語: 日本語
ISBN-10: 4864875642
ISBN-13: 978-4864875646
161008_2000gtlove  (クリックで拡大表示)
併せて、ヤマハ発動機のオフィシャルサイトで公開されている「YAMAHA MOTOR HISTORY」の12ページ(下記リンク先)を一読することも強くお奨めします。

1965-1967 「トヨタ2000GT」の試作から生産へ

但し、トヨタ2000GTはヤマハが企画・開発したと信じて止まないアンチトヨタ厨の皆様には見るに堪えない非情な内容となっておりますので、リンクを踏まずにPCをそっ閉じすることを、これまた強く強くお奨めしておきます。
真実はいつも残酷なものなのです。
妄想の中に生きる人達にとっては…。

  .

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2016年7月24日 (日)

【ホンダ】ボンネットにバルジか設けられた本当の理由【S800】

本来、S800は私の守備範囲外のクルマなので、これまで敢えてスルーしてきたのですが、毒吐きついでにS800のボンネットバルジに関する誤った通説を、一刀両断にぶった切っておこうと思います。
 
S800のボンネットバルジに関しては、現在「採用予定だった機械式インジェクションとの干渉を避けるために設けられた」という説が広く流布していることは皆さんご存知の通り。
でも、この通説は全くの出鱈目で事実ではありません。
では、あのバルジは何故設けられたのか?ということになりますが、その理由はバルジをデザインした張本人である岩倉信弥氏が、↓こちらで公開されている氏のコラムで詳しく述べられています。
 
または、↓こちらの資料にも同様の記述があります。
(※ ページ下部にあるPDFファイル(リンク)の7~8ページ)
 
詳しくはコラムやPDFファィルを読んで頂くとして、コラムの内容を三行にまとめると以下のようになります。
S600のマイナーモデルチェンジにあたり、設計部門からは「外板はいじるな」ときつく釘を刺されていた。
にもかかわらず外板をいじったのは、本田社長から「ボンネットに何か特徴が要るねぇ(ジロリ)」と暗黙の要求があったため。
設計の担当者からボンネットバルジは意味のない変更だと散々非難された。(実際にバルジは意味ありげなだけで機能的な意味合いはなかった)
 
ということで、岩倉氏のコラムには機械式インジェクションの機の字も出てこないどころか通説とは全く間逆で、設計からは外板をいじるなときつく釘を刺されていた、というのが真相です。(通説が事実であれば、設計からボンネットの形状変更を求めるリクエストがあったはずですよね)
機械式インジェクションの話がどこから出てきたのかは私には分かりませんが、S800のボンネットバルジをデザインしたご本人の証言を否定、あるいは覆せるエビデンスを見つけることはまず不可能でしょう。
つまり、ボンネットバルジの「機械式インジェクション回避説」の信憑性はゼロということです。

(結論)
S800のボンネットバルジは、本田社長の要求によって岩倉氏がデザインしたもので機能的な意味合いはなく、外観上の特徴を得るために設けられたものでした。
S800のボンネットにバルジか設けられた本当の理由、お分かり頂けたでしょうか。



(2016.07.26 追記)
余談ですが、せっかくエスハチを取り上げましたので、もうひとつネタを投下しておきます。
S800の発表は1965年に開催された「第12回 東京モーターショー」に於いて、というのが定説になっていますが、実際にS800の発表が行われたのはショーの数日前でした。(↓)
160726_s800 (クリックで拡大表示)
残念ながら発表会が行われた正確な日時は分かりませんが、第9回全日本自動車ショー(1962年( 昭和37年)10月25日〜11月7日開催)に出展されたスポーツ500、スポーツ360、T360の発表会が行われたのは、ショーが開催される5日前の10月20日(場所はホテルオークラ)でしたから、S800(や同時に参考出品されたN800)の発表会も同様にショー開催の5日程度前に行われたものと推察されます。
ということで、S800は第12回 東京モーターショーに先立って行われた発表会に於いて発表された、というのが正確な史実になります。
まあ、固定観念に囚われて古い誤った情報に拘泥する方達にはどうでもいい情報でしょうけれど、ちょっとだけお節介をやかせて頂きました。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

ホンダ エスの生誕○○周年に関する私見

(2016.08.13) リンクを1件追加

                            量産型プロトタイプの発表                発売時期               生誕50周年イベント
  
トヨタ2000GT       1966年(第13回東京モーターショー)   1967年5月16日    2016年にイベント実施の予定はなし
                              ※前年にはプロトタイプを出展
               
コスモスポーツ         1965年(第12回東京モーターショー)   1967年5月30日       2017年に実施予定  
                               ※最終生産型として展示   
         
スバル1000              1965年(第12回東京モーターショー)     1966年5月14日          2016年8月、「ボクサーエンジン50周年」をテーマにしたブースを出展
                                ※モーターショー開幕の8日前に
                                    発表会を実施
                                                                                 
トヨタ スポーツ800  1964年(第11回東京モーターショー)   1965年4月1日     2015年に生誕50周年を祝う会を実施
 
日産 初代シルビア  1964年(第11回東京モーターショー)       1965年4月1日        2015年に誕生50周年記念展示を実施
      
ホンダ S500            1963年6月16日、新聞紙上に於いて     1964年2月1日          2013年にホンダエス生誕50周年を祝う会を実施
               販売価格が決定した旨を発表                      
                             同時に量産試作車の写真を公開
                             同日、本社ビル及び国内各拠点に
             「四輪車生産開始」の垂れ幕を掲揚
              1963年7月21日、新聞紙上に於いて
                             販売価格と発売時期、量産試作車の
                             写真を発表
                             1963年7月22日、「価格当てクイズ」の
                             抽選会の会場に量産試作車の実車を
                             展示(抽選会の模様はTV放映された)
              1963年8月14日、荒川テストコースにて
                             プレス向けの試乗会を実施
                             1963年10月26日~、第10回全日本自動車
                             ショーに量産試作車を出展
 
本題に入る前に、まずS500が発表された時期を「1963年10月」とすることに、個人的にはすごく違和感を感じます。
何故なら、S500の価格や発売時期の発表、車両の写真や実車の公開は、上記のようにそれ以前に何度も行われていたからです。
当時、S500(当初の名称はスポーツ500)が自動車専門誌をはじめとしたメディアに大きく取り上げられたのは、「価格当てクイズ」と「プレス向け試乗会」が実施された後の二度でした。
第10回全日本自動車ショーが開催された時点では、既に大々的なプロモーションが済んでいて"旬"が過ぎていたことと、S500の発売延期が決まっていたことから、メディアへの露出は僅かだったようです。
(例えば、第10回全日本自動車ショーの特集記事が掲載されているモーターマガジン誌'63年12月号で、S500について言及している記事は、たった↓これだけです。)

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月30日 (土)

遅れ馳せながら…

平成28年熊本地震で被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
また不幸にもお亡くなりになられた方々には、謹んで哀悼の意を表します。
被災地の一日も早い復旧及び復興を、心よりお祈り申し上げます。
   
当方が居住している常総市も、僅か7ヶ月前に水害により被災したばかりなので、
今回の震災は他人事とは思えず、TVに映し出される惨状を目にするのは本当に心苦しく辛いです。
とにかく一刻も早く、地震活動がおさま.ることを願って止みません。
報道によれば、震度1以上の地震が発生した回数は既に1000回を超えたとか。
これは物凄い回数ですね。
 
東日本大震災の時もだいぶ揺れて、私は「ふわふわ眩暈」というものを発症してしまいました。
「ふわふわ眩暈」って何?と思われる方も多いと思います。
眩暈というと回転系の、所謂"目が回る"状態のものが一般的で、実際に経験された方も多いと思いますが、
「ふわふわ眩暈」というのは垂直方向の感覚がおかしくなる眩暈です。
普通、人が歩くときは時は体が上下に動きますよね。そして、体の下向き方向の動きは足が地面に
接地した時点で止まりますが、「ふわふわ眩暈」になると足が地面に接地しても、体がさらに下に移動(沈下)して
いるような感覚になってしまいます。
その感覚はちょうど、柔らかいスポンジの上を歩いているかのようなもので、体がフワフワと浮いているような感覚に
囚われるため「ふわふわ眩暈」と呼ばれているんじゃないかと個人的には愚考していますが、この感覚はなってみると
分かりますがとにかく不快です。
固い地面の上を歩いているのに、スポンジの上を歩いているように感じてしまうのですから…。しかも、歩いている間中ずっと。
 
今回の平成28年熊本地震で、もしかしたらこの「ふわふわ眩暈」を発症している方が多いのではないでしょうか。
とにかく、余震の大きさと回数が半端ないですからね。
でも、心配ご無用です。
「ふわふわ眩暈」は放っておけば、いずれ完治します。(脳の疾患によって発症した場合はこの限りではありませんのでご注意下さい)
被災された皆さんは、不便な避難生活や大切な財産を失った喪失感、先の見えない不安感などから、毎日強いストレスにさらされて、
身体的にも精神的にもまいっておられる事と思います。
そして、ストレスから様々な身体的症状が出ていてると思いますが、地震由来の「ふわふわ眩暈」に関しては、何も心配はいりません。
「そのうち治る」と軽く考えて、これからの復旧・復興に頑張って頂きたいと思います。
私も募金くらいしかお手伝いは出来ませんが、常総市民も街の復興に向けて現在も前進していますので、
九州の被災地の皆さんも前向きに努力を続けて頂ければと思います。

  
ここからは私信です。
@mx2.et.tiki.ne.jp宛に送って頂いたメールに、先月から返信できなくなっています。
連絡が先月届いたので、忘れないうちにやっておこうとプロバイダーのHPに掲載されている説明書きの通りにメールソフトの設定を
変更したところ、メールの送信が一切出来なくなってしまったためです。
考え付くことはすべてトライしてみたのですが、どうしてもメールを送信することができません。。。
しかも当方、今年は不幸続きで、1月にはツレが交通事故に遭い、2月には愚弟が急病により入院、3月にはツレの近親者がやはり
急病で入院し、しばらくICUに入っていました。
母は今年に入ってから足腰が急に弱ってしまって、現在は車椅子を使う生活に…。しかも、この数ヶ月で何度も転倒しています。
先週には、出血を伴うような激しい転倒をされて、家族一同肝を冷やしました。
そんな訳で、心配事や母の世話で毎日精一杯で、PCをいじっている暇がなく、メールの不通状態をしばらく放置してしまい、多方面に不義理をしてしまっています。
この場を借りてお詫びいたします。。。
入院した二名は現在は退院し社会復帰したので安堵できました。しかし、毎日毎日毎日絶え間なく続く母の介護からは逃れられず、
私は心身ともに疲れきっていろんな意味で現在ダメダメな状態です。
頑張らないといけないのはわかっているのですが、もう頑張りがききません。orz
メールの復旧を早めにするつもりですが、時間が掛かってしまったら申し訳ないです。(と、前もって陳謝しておきます)
 
下掲の画像は今月、気分転換に出掛けた時に撮影したものですが、この撮影場所も去年の水害時には2mくらい冠水しました。
それでも、水没した桜はご覧のように今年も見事に咲いてくれました。
Dsc02540
今は辛い思いをされている熊本や大分の皆さんの周りにも、いずれ必ず希望の花が咲くと思います。
そのことを信じて、同じ被災者同士励ましあいながら復旧復興に邁進していきましょう!
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年12月30日 (水)

ねもいがう ねてしいらあて

今年も残すところ、あと1日とちょっとになってしまいました。
今年は全くブログの更新ができなかったですね。(反省
2015年を振り返ると頭に思い浮かぶのは、毎日毎日、来る日も来る日も母の介護をしたことと、9月の水害のことだけです。
水害は、皆さんも報道などでよくご存知のように大変な出来事でしたが、私にはそれ以上に母の世話をすることの方が大変でした。
母は常に情緒が安定しないので面倒を看るのは大事(おおごと)なんです。
しんど過ぎて頭がおかしくなりそうになります。
介護鬱という言葉があるそうですが、今年は私もそれに片足を突っ込んだような感じでした。
…などと年の瀬に愚痴ってもしようがないですね。(苦笑
 
正直毎日がしんど過ぎて、先の事を考える余裕がありません。
なので、来年の抱負なんて頭の中にこれっぽちも浮かびません。(^^;
まあ、明日は明日の風が吹くということで、きっとなるようになるでしょう。ケセラセラです。:
今年は近親者を亡くしているので、新年の祝いはしない予定です。
年賀の挨拶もここにアップしませんので、予めご承知おき頂ければと思います。
 
ということで、今年のブログ更新はこれにて終了と致します。
皆様におかれましては、くれぐれもお風邪など召されませんように、よいお年をお迎え下さい。
明年も相変わらぬご厚誼の程、お願い申し上げます。
 
三妻自工管理人 mizma_g
 
 
最後に、ウチのチビちゃんから皆さんにメッセージです。

» 続きを読む

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015年11月23日 (月)

Facebookに関してお知らせ

またまた久しぶりの更新になってしまいました。。。
ブログネタがない訳ではないのですが、親の介護のため精神的にも時間的にも余裕がないので、ブログの更新をオサボリしている次第です。
何卒ご理解頂きたく、お願い申し上げます。
 
ところで、現在Facebookの私のアカウントに2件 3件の友達リクエストと1件のメッセージを頂いているのですが、当方のボロPCがある時からFacebookにアクセスするとハングアップするようになってしまったため、友達リクエストを承認したりメッセージに返信を書くことができなくなっています。
思い切ってPCを買い替えればよいのですが、情けないことに先立つ物がなくて…。
今しばらくFacebookの方は放置状態になりそうです。
友達リクエストやメッセージを下さった皆さんには本当に申し訳ありませんが、このような事情ですので、当方の不義理を何卒ご寛恕頂きたく、お願い申し上げます。

先般の水害より二ヶ月以上経過しましたが、復興の方はまだまだという感じです。
現在も避難所で生活されている方が200人以上居るようです。
何より、人や企業が去っていってしまうことが、非常に寂しく悲しいですね。
二ヶ月前に完全に水没した水田地帯は(↓)
151123_ggl (クリックで拡大表示)
現在は完全に水が引き、水害前の風景に戻りましたが(↓)、稲は刈り取られずに放置されたままです。(白い星印の所が下掲の画像の撮影場所です)
151123_beat01 151123_beat3 (クリックで拡大表示)
PCもボロですが、クルマも車齢24年を超えて、あちこちガタがきています。
PGM-FIのチェックランプが点灯してしまったのを早く直さないとなぁ。。。
(11/25追記:チェックランプ点灯の原因は、エラーコード#9[シリンダ判別センサーの異常]でした orz)



| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015年9月17日 (木)

常総市民よりご報告

一週間ぶりにインターネット回線が復旧して、PCをネットに繋げるようになりました。
ライフラインで最初に復旧したのは電気、次いで電話回線、その次がネット回線でした。(ウチはオール電化なのでガスは使っていません)
残念ながら水道はまだ復旧せず…。 大変不便な生活を強いられています。
と書けば、私の居住地がバレてしまいますね。(苦笑
 
そうなんです、私の家は常総市にあります。
しかも堤防が決壊したのは鬼怒川の上流側の隣町(つまりウチは決壊地点の下流側にある)で、我が家は鬼怒川の堤防から100m程度しか離れていません。
そんな立地なので、洪水が起きた日には、若宮戸地区で越水したという情報を得た時点で貴重品の持ち出しの準備を始め、燐市に住む弟の家に避難させてもらえるように連絡を入れ、濡れては拙い家財道具を二階に運び上げて、三坂町で堤防が切れたという情報を区長さんから電話で知らされた時点で、要介護状態の母親や子供たちを弟の家に避難させました。
因みに、この時既に市は鬼怒川の東側の住民に鬼怒川の西側に避難するよう「避難指示」を出していたのですが、正常性バイアスが働いてしまった人達が多かったようで…。
ウチよりも下流側の住民が自衛隊や海保、警察などのヘリコプターのご厄介になっている光景を沢山目撃しました。
私は他の家族よりも少し遅れて避難しましたが、堤防が決壊してから約二時間後の段階でも、水はウチから1km以上上流のあたり(圏央道のインターチェンジのあたり)にしか来ていなかったので、浸水したエリアの大部分の住民は逃げる時間が十二分にあったはずなのですけどね。
こんなことを言っては何ですが、"避難勧告"よりも強制力のある"避難指示"が発令されているのに避難しようとしないのは、あまりにも呑気過ぎますし危機意識がなさ過ぎると思います。
まあ、これが正常性バイアスの怖さなのでしょうけれど…。
 
そんな訳で、ウチの家族は全員無事でしたが、三坂町は同じ学区で友人知人が沢山いる場所なので、あの惨状を見るととにかく言葉がありません。
また先々のことを考えると、暗鬱とした気分になります。
被災生活も一週間が経過して(火事場泥棒を警戒して、私は洪水が発生した翌日には家に戻りました)、心身ともに疲労もピークです。
発災の前から体調を崩していたところに、この災害ですから本当に体がしんどくて仕方がないのですが、家や家族を失った人たちの苦労に比べたら、自分のしんどさなんて大したことではないですから頑張らないといけませんね。
でも、どこまで頑張れるかな…。
まあとにかく、私は無事ですということをご報告させて頂きます。
それにしても被災地には、不審者や野次馬観光、火事場泥棒、押し売り、怪しいリフォーム業者などなど、不逞な輩が大勢集まってきますね。


   

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2015年7月 2日 (木)

じいちゃんが死んじゃった…(泣

果てしなく続く母の介護で心身ともに疲れきっている私のもとに、また悲しい知らせが届きました。
親類縁者の中では最も身近な存在で、普段から色々と世話になり、また私も世話をしていたじいちゃん(父の実家の本宅のおじいさん)が、先月の30日に急逝してしまいました。
じいちゃんは去年の暮れに手術をして以降、入退院を繰り返していて、退院してくる度にやつれてしまっていたので物凄く心配していたのですが、まさかこんなに突然に亡くなってしまうとは…。
全く予想していなかったので、訃報を聞いたときには激しく動揺して、うろたえてしまいました。
今年は悲しい出来事ばかり続くので、正直精神的にかなりマイってしまっています。
母の介護もしんどいですし。。。

そんな訳で、なかなかブログの更新をできなくて申し訳ありません。
今日はお通夜、明日はお葬式なので、しっかりとじいちゃんとお別れをしてきたいと思います。

でも、ちょっと気が重いなぁ。。。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2015年4月18日 (土)

田村久米雄氏が逝去されました

日本を代表する名車、日産フェアレディZ(S30型)のスタイリングを手掛けられた田村久米雄氏が、今月16日に亡くなられたと連絡を頂きました。
葬儀は、本日ご家族のみで執り行われたとのことです。

田村さんは日産自動車の造形課に在籍し、前任者である吉田章夫さんの後を引き継いで、S30Zのエクステリアデザインをまとめ上げた、稀代の名デザイナーでした。
その偉大な功績を、一人でも多く方に称えて頂けたらと、願わずにはおれません。
田村さんの訃報に接し、非常に大きな喪失感を感じています。
そして、最後まで田村さんを支援できなかったことを、とても悔やんでいます…。
全ては、私の力不足のせいなのですが。。。

田村さんに、謹んで哀悼の意を表します。

Dsc01907 (クリックで拡大表示)
山形の旧車イベントで人前に立った時は、足が震えたと仰っていました。

F7ed378ff6 (クリックで拡大表示)
Ken Okuyamaこと奥山清行氏は、田村さんの功績を認めて下さっていた一人です。
「やっと本物が現れた」と仰った奥山さんの一言が、全てを物語っていると思います。
このイベントの時には、奥山さんは出張先から態々飛行機に乗って田村さんに会いに来て下さったとのことでした。

画像を拝見していると、涙が止まらなくなりますね。。。
本当に辛いです…。
    

| | コメント (8) | トラックバック (0)

«ホンダS660を手に入れちゃいました^^