◆前置き『エレGY』という小説について
『ニコニコ自作ゲームフェス』に3回ともに参加している泉和良という方は同名義で小説を執筆されており、処女作『エレGY』は講談社ボックス新人賞・流水大賞優秀賞を受賞し、出版されている。この小説がなぜ評価されたのか? それは紛れもなく、こんな不思議な小説を書いた人間が今この時代まで彼しかいなかったからだろう。
フリーゲーム作家のジスカルド(=泉和良)は平凡な毎日にうんざりし「パンツ姿の写真が見たい」とネット上で言ってしまう。すると、本当に見せてくれるファンの女の子が現れる。実際に会ってみたら自傷癖のある子で……
随分前に読んだきりで、さらに誠に失礼ながらBookoffに売ってしまって手元に本が無いので不正確な部分があるということをご容赦いただきたい。そして泉先生ごめんなさい。(後述、今WEBで無料で読めるんですね)
主人公のハンドルネームは実在するものであり、端々に出てくるワードも実在するものである。一見現実を描いたノンフィクションのように思える。しかし、流石にこんな現実ある訳ないじゃないかと思わせるようなイベントも次々起こる。言ったらパンツ見せてくれるとかある訳ないじゃないかHA HA HA! 読者は“小説の内容の一部が事実である”という前提の知識をWEBを通じて知ることができる。それゆえに、この小説の現実と虚構の境界を見極める事ができない。もしかしたらすべて本当の話なのかもしれない(それを示す根拠もある)し、一部がフィクションかもしれない。はたまた、すべてがフィクション。泉和良という人間はニコニコ自作ゲームフェスのインタビューまで含めてすべてが空想上の、非実在の人物であるかもしれない。
『エレGY』は現実と虚構の境界を揺らがせる作品である。
前置き終わり。ここから本題。
◆恋してマシュマロってどんなゲーム?
ぽっちゃり系恋愛シミュレーションゲーム。
ぽっちゃり系ヒロインの主人公が2人のイケメン幼馴染のハートを射止めるため、20日間、食べる・外出・寝るの3つのコマンドを選択してステータスを上げて脂肪を磨き、マシュマロ女子を目指す。
ステータスの変動によって主人公のグラフィックが変化するコレクション要素もあり、恋愛シミュレーションやネタ要素以外の楽しさも盛り込まれている。
◆現実と虚構の境界
世の中には“ぽっちゃり好き”という性的趣向が存在する。実際に『恋してマシュマロ』のPV動画を見てぽっちゃり系目当てにダウンロードした方もおられるだろう。しかし、この作品世界における美意識は「ちょっと肉付きのいい女の子が好み」という次元を遥かに超越した、この世ならざる冒涜的な別の何かで構成されている。
ごく普通の日本。ごく普通の学生生活。そんな世界観がごく普通の乙女ゲーの文脈で語られている。にもかかわらず、この世界の“美意識”“常識”は肥満体という概念を中心にアジャストされ、浸食されきっている。『恋してマシュマロ』をプレイしているとプレイヤー自身の“常識”と、作中で登場人物たちの語る“常識”の乖離に混乱を抱かざるを得ない。“私たちの常識”という前提条件があるがゆえに、“『恋してマシュマロ』内における常識”に恐ろしい違和感を覚える。『エレGY』とは異なる形で現実と虚構の境界が揺らいでしまう。
ラードは食べ物だっただろうか?
オリーブオイルは飲み物だっただろうか?
なぜ真冬に無人島でビキニを着ているんだろう?
脂肪の壁で銃弾を止める事は果たしてできるのだろうか?
ラードかけご飯って一体何なのか?
マックでマカロン売っていたっけ?
理解不能! 理解不能!
何かがおかしいのではない。何もかもがおかしいのだ。
しかし、ツッコミ不在、自信満々で語られる非常識の数々に「俺の認識の方がおかしいのではないか?」そんな錯覚すら芽生え始める。
これまで『ニコニコ自作ゲームフェス』には数多くの奇ゲーバカゲーが投稿されてきました。「乙女ゲーのグラフィックをぽっちゃりに差し替えただけ」「単に奇を衒っているだけ」と吐き捨てる方もいらっしゃるでしょう。とんでもない。徹底して自分たちのゲームのテーマでプレイヤーをタコ殴りにする姿勢からは、グラフィックを差し替えただけなどという陳腐さは微塵も感じられない。これは我々の理解を超えた、奇妙な世界への誘いなのかもしれません。(CV:タモリ)
◆と、長々と講釈を垂れましたが
実際に遊んでみれば、紋切り型のゲームとは違う異彩を放っている事を言葉でなく心で理解できると思います。とても笑えるので皆さん遊んでみましょう。