現代社会というのは、一見は自由なように見えるが自由ではない。
街を歩けば監視カメラだらけで、ネットを繋げばログを取られる。
結局、何が自由なのかといえば国家権力や資本が容認した消費を行うことだけだったりする。
その商品というのも一見は多様でも割と似通ったものだったりする。
ウェブでも街でも容姿というものが大切だというのはよくわかるはずだ。
どうにかこうにか美の基準に向かおうとしたりして、自身の価値を高めようとする。
そうではないだろう。反資本主義だろうが容姿がある一定以上にないと豊かな物語や肯定感は得られないのではないか。
現代の身体を所有しているという思想はどうにもならないくらい強いし、不可逆だ。
容姿というものが人生を定め、選択肢を事実上なくすということは永遠に続くのではないかとすら感じるものだ。
社会は今の世の中を「自由」と言いながら、実際は規制、免許、約款のようなものでガチガチで絞め上げたカスみたいな社会に放り投げられているだけなのかもしれない。
こんな社会に息が詰まりだ。ただ、皆は当たり前のようにそこで生きている。
大規模なものをやりたい。親のコネで入れそうな就職をけりたい。留学で学歴ロンダもしたい。
監視社会などに抗う物語を見ると、皆容姿が良かったりする。醜いものが何か言っても何か虚しいのだろう。
自由、と、自在、との違いがわかっていないでしょう?
金権力と容姿とを同列に語るところが、映画やテレビ放送の見過ぎな気にさせる。
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