2018-08-12

世の中は「自由」と言いながら、自由などない

現代社会というのは、一見自由なように見えるが自由ではない。

街を歩けば監視カメラだらけで、ネットを繋げばログを取られる。

結局、何が自由なのかといえば国家権力資本容認した消費を行うことだけだったりする。

まり、金がないと自由なんて言葉は何も力を持たない。

その商品というのも一見は多様でも割と似通ったものだったりする。

皆もスグに思い当たるものが見つかるはずだ。

さらに、カネがあっても「自由」は得られない。

というのも、「性的魅力」というもの必要なのだ

ウェブでも街でも容姿というものが大切だというのはよくわかるはずだ。

どうにかこうにか美の基準に向かおうとしたりして、自身価値を高めようとする。

これは資本主義の問題なのか。

そうではないだろう。反資本主義だろうが容姿がある一定以上にないと豊かな物語肯定感は得られないのではないか

現代身体を所有しているという思想はどうにもならないくらい強いし、不可逆だ。

容姿というもの人生を定め、選択肢事実上なくすということは永遠に続くのではないかとすら感じるものだ。

そして、自分容姿が醜いためにどうにもならなかったりする。

社会は今の世の中を「自由」と言いながら、実際は規制免許、約款のようなものガチガチで絞め上げたカスみたいな社会に放り投げられているだけなのかもしれない。

こんな社会に息が詰まりだ。ただ、皆は当たり前のようにそこで生きている。

自分は、自由になりたいものだ。

ただ小金があるから美容整形をしたいとも思ったりするものだ。

大規模なものをやりたい。親のコネで入れそうな就職をけりたい。留学学歴ロンダもしたい。

監視社会などに抗う物語を見ると、皆容姿が良かったりする。醜いものが何か言っても何か虚しいのだろう。

そして、自分はそんな気持ちだ。

  • anond:20180812220032

    自由、と、自在、との違いがわかっていないでしょう?

  • anond:20180812220032

    金権力と容姿とを同列に語るところが、映画やテレビ放送の見過ぎな気にさせる。

  • anond:20180812220032

    Z武さんを見ると、人間は見た目だけじゃないな!と勇気付けられる。 顔がブサイクでも、男なら筋トレでマッチョになれる。 マッチョになればある程度モテる。 ガリ勉のもやしは運...

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