王の二つの身体   作:Menschsein
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 彼女がたっち・みーに促されて病室に入った。病室は個室だった。真ん中に置いて有るベッド。そこに眠っているのは、間違い無く鈴木悟。頭に付けているのはログイン用のコンソールだが、それよりも彼女の目に入ったのは、両腕に何本も刺された点滴だった。

 鈴木悟は、彼女が見る限り、眠っているようだった。

 

「ぶくぶく茶釜さんかい?」と、ベッドを囲むように椅子に座り、両腕を組んでいる男が言った。彼女はその男を見る。見たことのない顔だった。しかし、なんとなく彼が誰であるか分かった。

 

「武人建御雷さんですか?」

 

「おうよ」と彼は答える。

 

 

「ボクのことは覚えていらっしゃいますか?」と、武人建御雷の隣に座っている女性が言った。当然覚えていた。最後に会ったのは随分と昔のオフ会で、現実世界でもなかなかお互いに多忙で連絡を取ることが稀だが、今でも親友だと自分は思っている。第6階層巨大樹の中で語り合ったことは大切な思い出だ。

 

「やまいこさん、お久しぶりです」

 

「ぶくぶく茶釜さんも、お元気そうで。それに……お仕事も順調なようで……。この前、生徒の学習用タブレット(ノート)の抜き打ち検査したら、茶釜さんが出演しているのが沢山、その……職務上、デリートしなければなりませんでしたが」と申し訳なさそうに答えた。教師であるから、生徒が18歳以下禁止のアダルト作品を持っていたら、対応しなければならないであろう。

 

「あ、いえ。年齢制限は守ってもらうのが当然です」と答えながら焦る。どのタイトルだろう? タイトルによっては、友達辞めると言われてもおかしくない作品もある……。

 

「『陵辱攻めの七将』という作品は素晴らしかったですね。タイトルが示す通り、その元ネタとなっているのは、アイスキュロスのギリシャ悲劇、『テーバイ攻めの七将』でしょうか。ぶくぶく茶釜さんは、見事にオイディプースとイオカステーとの間に生まれたイスメーネーの役を見事に演じきっていましたね。ただ、題名がアイスキュロスの作品から採用しているのに対し、実際の内容が、ソポクレスの『アンティゴネ』の内容であったのが大変気になりました。オイディプースとイオカステーとの間に生まれたのは、エテオクレース、ポリュネイケース、アンティゴネー、イスメーネー。そして、エテオクレース、ポリュネイケースは兄弟で戦い死ぬという悲劇。アンティゴネーは、同士討ちした兄二人を埋葬するために法を犯し、そして牢獄で自死するという悲劇。そして、ぶくぶく茶釜さんが演じたイスメーネーは、生き続けなければならないという悲劇。辱めを受けながらも生きなければならない、自らの誇りを失わずに陵辱に耐える日々。胸に来るものがありました。しかし、問題はそのイスメーネーの陵辱を担当する七将です。時代考証が少しいい加減でしたね。たとえば、トロイの三角木馬にイスメーネーを乗せて楽しむカパネウスは、オーギュギアイ門を攻める際に、ゼウスから雷撃を受けて死亡したとされています。イスメーネーが陵辱を受けるのがテーバイでの戦闘後の話であるので、カパネウスが生き残っているということが原作と相違しています。また、オンカイダイ門を攻めたヒッポメドーンは、イスマロスによって討たれています。彼が生きているのも違和感がありました……」

 

「あ、タブラ・スマラグディナさんもお元気そうでなによりです」と彼女は、終わらない彼の蘊蓄を遮った。誰かが止めなければならない。モモンガさんであれば、それを楽しそうに聞くことができるだろうが、他のギルドメンバーにとっては果てしない苦行にしかならない。

 それにしても、さすがはタブラさんである。愚弟と同じエロゲ—を語っているとは思えない。エロゲ—を熱く語っているという点では同じであるが……。

 

「これだけの人が集まってくれたんだ。モモンガさんも喜んでいるだろうね」とたっち・みーがベッド脇の椅子に座った。そのベッドの反対側には、ウルベルト・アレイン・オードルが先ほどから不機嫌そうに黙って座っている。

 

「ウルベルトさんもこんにちは」とだけ簡単に挨拶をした。たっち・みーさんと何かあったのだろうということは簡単に予想することができた。いつもそうだったから。

 

「それで、モモンガさんの容態はどうなのですか?」と彼女は言った。

 

「命には別条はないみたいだ。意識はないけれど、生命の維持に対してはこの通り、病院の設備は万全であるし――」

 

「――現状は、最悪としか言えませんよ」とたっち・みーの発言にウルベルトが割って入る。

 

「強制的にもログアウトが出来ず、意識も戻らないというのは、今までのバーチャルゲームでは考えられない。これは、Geist(21gの魂)シンドロームですよ」

 

 自分以外の人間が、気まずそうに視線を床に向ける。自分以外はもう、ウルベルトさんが言ったGeist(21gの魂)シンドロームというものを知っているのであろう。たっちさんも気まずそうにしている。おそらく、私に心配をかけないようにたっちさんは気を使ってくれたということも分かる。

 

「ぶくぶく茶釜さんは、電脳法でなぜ、五感の内、味覚と嗅覚は仮想世界で完全に削除されているかご存じでしょう? 触覚もかなりの制限がされていますね?」とウルベルトさんが話を続けた。

 

「それは……」と彼女は答えられない。

 

『味覚と嗅覚、そして触覚が仮想世界で実装されてしまうと、現実のように弾数などの制限がないし、ずっと快感神経を刺激し続けることが出来てしまい、そうなると人間の精神に変調をきたす恐れがある。肉体的にも、男性で言えば精巣が空であるのに関わらず、射精信号を脳が送り出すことにより、深刻な臓器障害へと陥る可能性があると言われている。また、女性でいえば、想像妊娠によりホルモンバランスが崩れる、また脳の信号により、生殖器が妊娠をしたと誤認識し、実際には妊娠をしていないにも拘らず月経を止めてしまう可能性が指摘されている』というのがエロゲ—業界に入る時に受けた講習の内容だ。しかし、それは、エロゲ—業界としての知識であり、一般的な常識ではない。彼女が説明をするのにははばかりがあった。

 

「その理由は、単純です。人間の精神、心、魂とでも表現される21gが、本来の肉体に宿るべきか、それとも仮想現実のアバターに宿るのか、それが曖昧になってしまうからです。味覚、嗅覚を遮っていれば、魂は現実の肉体へ宿り続ける。強制的にログアウトされても、それは夢から覚めたということになる。しかし、モモンガさんを始め、今回のユグドラシルの被害者は、運営が強制ログアウトをさせても意識が戻らない。これは、魂が仮想現実の方へ移ってしまったということなのですよ」

 

 その言葉に、彼女は息を飲んだ。そんなことが有り得るのだろうかと。

 




タブラさん、蘊蓄長い……。







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