今回は少々難しいテーマについて語ります。 何度も語ってきた古代から現在の日本で残ったもの、消耗しつつあるもの、壊されてしまったもの、いずれにもノスタルジは付き物ですが、「その40」、「かきつばた」のところでお話した、ウタの技法と「喪失感」という概念に関して、息子(ヱ)がなかなか理解しないものですから、少しだけ掘り下げ、シベリア組の喪失感、ソ連邦を失った沿ドニエストルと、ロシア連邦との共有できない喪失感、大東京音頭が無視しようとしている喪失感等についてお話しすることにします。 そして、最後にアントンヴァイノ氏についてのお話を聞いていただきたいと思います。 まず、現在までの日本の形について語りたいとおもいます。 以前、フランス語の資料を貼り付けたことがありますが、それを日本語にしたものを、たたき台にして話を進めたいと考えます。 一般に、キミの階級に意識を集中させると、社会体制は約300年程で崩壊すると思われています。 しかし、古代日本人は、この図の中心にあるトミの階級に注目することにより数千年に亘り、体制を維持してきたのです。 そして、この図の左側に書いたように、この150年の間に起こったことが日本に終焉をもたらそうとしているのです。 もともと、先住日本人とアメ族が習合する以前に、アメ族は、キミが支配する体制から「逃げて」来たと考えると実に良く整合するのですが、それを証明するには史料は少なすぎるのです。 ここでは問題は留保し、単純に「逃げて」来たと仮定してください。 古代日本人がこんな思想を持っていた、と想像してください。 これこそがサステイナブルな社会を作る秘訣だったのです。 ホツマツタヱの中では、こんな関係を良く理解しないまま、夫婦関係について「イセノミチ(妹背の道)」などと呼んでいます。 これが我ら日本人の(集団としての)行動原理なのです。 もともとの構造が、戦争を前提にしていないわけですから、そんなものに威力を発揮できる集団ではなかったのです。 戦国時代の社会の解説では、「戦乱が続き、田畑は踏み荒らされ」と、見てきたようなことを教えられていますが、そんな大戦争は、「無かった」のです。 日本人はもともと、戦争には向いていないのです。 無論、タミの中にも戦闘的な個体がいるのは否定しませんが、いつの世にも盗賊のたぐいは居り、それを中心に踏まえた社会システムを想像するなどナンセンスなのです。 御一新に前後してグラバーやマセソンに、カウンターパートとして誘導された薩長の一部勢力は、トミを変質させ、タミを困窮させ、兵役に追いやります。(経済的徴兵) 富国強兵と称して、嫌がるトミ・タミを「世界の敵」へと変貌させて行ったのです。 女工哀史などもそうですが、明治政府はフランス人権宣言(1789年)と真逆の方へ進んでいったわけです。 もともと人治主義の日本で支配層が強硬な政策をとれば、結果は明白ですが、日本人としての最低の歯止めを欠いていたのが明治政府だったのです。 また、お得意の口八丁で、「ロシア帝国がシベリア鉄道を通ってアジアを隷属させる!」などと、大嘘を吐いていたわけです。 帝国ってそういうもんなんですかぁ? 中華帝国だって、遠く周辺に攻めこんだりしたのでしょうか、そんな無駄なことを・・・ たしかに、蒙古は遠くヨーロッパ辺まで攻めこみはしましたが、若気の至りとでもいうのでしょうか、侵略に飽きて帰って行ったようです。 元としてはどうでしょうか? 普通の帝国として安定を求めていたように見えます。(まともに海を越えられなかったし) まあ、周辺である日本に手をだしたのもトライアル、一時の気まぐれかもしれません。(失敗するしぃ) 大英帝国はこの範疇にないかも知れないので、いつでも成り立つ理屈ではないかも知れません(もっともあいつらは野蛮すぎるから) 日本を含む世界は、そんな「経験」を積んだのは確かですが。 平和に過ごしたがっていた日本人が侵略をうけたときの反応を想像したら、どうでしょうか? もともと、大陸のどこかで圧迫された、という先祖の記憶を受け継ぐ日本人の最初の反応は「逃げる」のはずでは? まあ、東のどん詰まりで逃げられなかった、というのはあるかもしれませんが、帝国に朝貢すれば済むことを、そうしないで日本人が修羅の道を選んだというのでしょうか? そのように誘導された、というのが正解ですね。 長州勢力というのは日本に対して「修羅の中で滅びろ」とばかりに送り込まれた勢力なのです。 まあ、百歩譲っても、ロシア帝国も今は無く、中華帝国も経済協調しているし、米帝国も凋落の一途だし、日本が世界に飛躍する必要などまったく無いし、その可能性も限りなくマイナスなのですから。 さて、喪失感だけは如何ともしがたい感情です。 簡単に人を絶望へと導くのです。 小鳥など、同じ鳥かごで飼っていたものが、伴侶が死ぬと実に耐え難い表情を見せますが、エサを食べることすらやめてしまう個体もあり、後を追うようにすらみえます。 喪失感とはそうしたプリミティブな感情で、周囲で簡単に理解できてしまうものなのです。 「その40」でかきつばたの例をだしたのは、族の意思疎通というのを解説するためのイントロにすぎません。 なお、ホツマツタヱでは「カキツバタ」という語は15アヤに出てきますが、このようなテーマとは無関係で、シャキッとして、凛々しい様子の例えとして使っているだけです。 私の大きな喪失感は嫁を失ったのが一番大きかった、とずっと思っていたのですが、311の後、じわじわと押し寄せて来る喪失感はもっとはるかに大きく、複合していました。 最初は津波によって、列島がいかに脆弱か、ということを知らされ、それから放射能によって国土が失われた喪失感が来ました。 極めつけは、政府によって、それらが「無かった」ことにされた事でした。 この話は悲しみだけがこみ上げてくるので、話を変えましょう。 沿ドニエストルはモルドバ共和国の中にあり、ドニエストル川に沿った狭い地域をさしています。 ソ連邦の崩壊に伴い、モルドバはロシア支配を認めず、ルーマニア系の住民が多数をしめていたため、モルドバ共和国として残ります。 しかし、ロシア兵とウクライナ兵をあわせたような沿ドニエストルの住民は、ロシア連邦に加入したいと望みましたが叶えられず、トランスニストリア戦争などを経由して、ほとんど世界から承認されず、鬱々とすごしていました。 最近になって、ロシアがクリミアを併合したのに伴い、沿ドニエストルも再びロシアに戻りたい、と願ったのですが、認められませんでした。 まあ、当然といえば、当然なのですが、沿ドニエストルの住人はソ連邦への帰属意識が強くミリタリスト特有の英雄崇拝によって立国しているため、現在のロシアとは、反りが合わないのです。 なにしろ、ロシア自体がソ連邦からの脱退を望んだわけなので、無理筋になってしまうのです。 無論、現在のロシア人にもソ連邦へのノスタルジーは有ります、なにしろ世界の半分の軍事バランスを占めていた当時と比べて、現在のロシア人の感じた喪失感と沿ドニエストル住民の喪失感は違いすぎるのです(同床異夢) ひところ盆踊りで際限なく演奏されていた、「大東京音頭(昭和54年)」というのがありました。 その前身ともいえるのが「東京音頭(昭和8年)」だったのですが、これはオーソドックスな音頭でした。(踊り踊るならチョイト東京音頭ヨイヨイ♪) 一見して、民謡のような雰囲気を持った音頭による社会の誘導、というと、なにを大げさな、と言われるかもしれませんが、実際に、そのような意図を持って作られたのがこのような「音頭」なのです。 ちょっと、歌詞を書いてみましょう。 人が輪になる(ソレ)輪が花になる(ヨイサヨイサ) 江戸の残り香ほのぼのとけて 通う心に咲き残る(ヨイショ) 東京 東京 大東京(サテ) 咲いて咲かせていつまでも、ソレいつまでも 明日のしあわせ(ソレ)願いをこめて(ヨイサヨイサ) 伸びる地下鉄 高速道路 苦労なんかは吹きとばせ(ヨイショ) 東京 東京 大東京(サテ) ご覧隅田の水も澄む、ソレ水も澄む 富士も見えます(ソレ)筑波も見える(ヨイサヨイサ) 昔武蔵野いまニュータウン ビルの林に歌が湧く(ヨイショ) 東京 東京 大東京(サテ) 月が笑顔で今晩は、ソレ今晩は 夢は広がる(ソレ)南へ西へ(ヨイサヨイサ) 文化日本のあこがれ乗せて 今日も空から港から(ヨイショ) 東京 東京 大東京(サテ) 行くぞ世界の果てまでも、ソレ果てまでも 滝田常晴 作詞 遠藤実 作曲 すでに高度成長は終わっており、管理者に拠る回収フェーズに向かうわずかな安定期とでも云うのでしょうか。 この後、日本、いや、世界も激動の時代にむかうことになります。 そんな時代、ニュータウン構想も限界に向かい、80年代を乗り切ったとしても、高速道路は老朽化をはじめる時代にさしかかってくるのです。 原発を含め、なんでも設計寿命は10年、そんな時代が今につながっている(!)のですね。 この歌はテレビ屋が企画して、これからくる凋落の時代の喪失感の前払いに相当しているのではないでしょうか。 制度疲労を景気付けで乗り切る前払い、じつに優れた社会操作ではないですか。 うちのヱも むかし むさしの というのはすぐ見つけましたが、これはウタの技法というほどのものでもなく、この歌はコンテンツとして「良き昭和」の時代を持っているのです。 つまり、今、私が「昔シベリア今ニュータウン」と歌っても、この歌の持つ「叙情性」は、変わらないのです。 結局、昔武蔵野は、単に調子を良くするための語呂合わせにすぎないのです。 音頭は調子が明瞭で、コンテンツの暗さをすべてマスキングする威力があるので、歌詞の叙情性と一致したものは名作として永く受け継がれてゆくのです。 思えば、さまざまな音頭がありました・・・東京五輪音頭、オバQ音頭、怪獣音頭・・・ 音頭にかぎらず、この調子の良さが、そのウタの良さになっていれば優れたウタと云われ、「唐衣着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思う」も調子が良いので小技が冴えるのですね。 ここまで説明して、ヱは少し理解したように見えました。 また、この後ヱは、伊勢物語は都落ちがテーマだということに気づくまでさらに半日かかったようですが、これは順当な進化だと考えられます。 この作者は都から半ばの三河八橋で「かきつばた」の言葉遊びをして、隅田川まで行ったところでその遠さを強調してみせている、という構成力は無視できないのです。 これはウタの技法ではなく、散文の技法です。 なに、わたしだってドニエストル川と隅田川、そして東京とシベリアの距離をしみじみと感じて欲しくてこの話を書いているのですから。 さて、情念の話はこれくらいにして、政治的な事に入りましょう。 これから、端的に、シベリア組の可能性について語ります。 私は、2016年頃から掲示板「放知技」に書き込むようになっておりました。 その頃、EG(もう、あえて名を秘す必要もないでしょう)は、ブリヤート移住を訴えていたのです。 私はその話に乗りたいと考えたのです。 タイガに囲まれた冷涼な気候とバイカル湖の澄み切った水、そんな爽やかな景色が浮かんでくるようでした。 私は、幼い頃から、「今日のソ連邦」なんていうグラフ版の雑誌や同名のテレビ番組を見るたびに、ロシアに夢をはせたものです。 しかし、冷戦が終わった頃から、アメリカの影が重苦しくのしかかってきました。 ソ連は絶対悪だ、そんな声が。 311のあと、絶望していた私にEGは再び夢を見せてくれたのです。 しかし簡単に裏切られます。 それまで、日本人の先祖の地ブリヤートと強調していたのに、ある日を境に、ブリヤートにはまったく触れなくなり、言を左右して日本人のふるさとは大中華のハルビンだといいだしたのです。 これは、困ったことになりました。 私はEGをブリヤート移住の先達と仰ぐ、と宣言していたのです。 おそらく、シベリアを根城にして旗揚げの日をまっている、と、正式に認定されてしまったのだと考えられます。 しかたなく、私は独自にシベリア組を名乗ることにしました。 ロシアは直接擦り寄ってくる勢力は信用しないからです。 自分のブログ(ここです)を立ち上げ、独自のコンテンツでロシアの文化に近づこうと考えました。 息子(ヱ)が法政大学の下斗米教授の講義をとるようになり、ロシアに関する知識は深まって行きました。 しかし、ロシア語の学習は遅々として進まず、悶々とした日が続いたのです。 やがて、私は心得のあったホツマツタヱの記事を書きはじめました。 はじめのうちは、通り一遍の解釈しかできませんでしたが、ニニキネ、ウツキネの事績をしらべると、なんとそこは、ユートピアまであと一歩という優れた時代だったのです。 ホツマツタヱに基づく歴史の記事は多くの人に詠まれていたようです。 私は記事をアップするたびに放知技に宣伝しました。 しかし、ある日、「その28」「その29」の記事に猛烈な怒りをぶつけてきました。 よほど都合がわるいことがあったようで、ここに踏み込むことは許さん、とばかりに。 私は、それ以上の接触はさけ、知らぬ振りを続けました。 すでに多くの読者は放知技を離れていたので、ネットゲリラでここを宣伝すると10倍も人が来るではありませんか。 ネットゲリラでの私のコメントから、このブログにこられた方も多いと思います。 現在、世界の中で日本は孤立しつつあります。 霞が関と自民党、日本政府が、非人道的な行為(あるいは不作為)を繰り返すたびに、平和を愛する世界は日本を敵視するようになっています。 これは日本政府が「世界の敵」に味方しているせいでしょう。 もはや日本は、あとひとつ何かをしただけで国連の敵国条項が発動され、国連軍の占領を受けることになるのです。 そして、そんなときに漁夫の利をねらっている勢力もいた、ということなのです。 我ら、シベリア組は自らをロシア文明から、「助ける価値が有る」と、認められるまで、自分を磨き続けてゆくしかないのです。 今、私(シベリア組)が、古くて新しい試みを提案します。 名前はありません。 サイバネティクス応用の記事を全部読んでいただければ、私の提案は理解できると考えます。 構想全部を羅列するのはむずかしいのですが、下の図をみながら考えてください。 これはもとより、変形された棄民政策なので公民に要求される最大の要件は「生きる」ことであり、労働は必須ではありません。 豊かに暮らしたいと欲するものは労働に勤しむのも良いでしょう。 だらだらすごしたい者は無為に時間をつぶすのも良いし、学びたいものは学べば良いのです。 兵役に関しては義務も権利もありません。 心情的ミリタリストには住みにくい世界になると考えられます。 軍人になりたい者はロシアに帰化する(高度なロシア語を含む難関の試験あり)のが良いでしょう。 これら、当然の帰結として、高齢者、不具者に対しては無償の公的扶助が与えられます。 現在のような病院は考慮されていませんが、在宅医療は100%保障されなければなりません。 日本人医師は全員、公務員となり、自営医は存在できません。(ロシア人の医師はいるとは思いますが) 信教の自由はありますが、キリスト教徒との諍いは厳に慎まねばなりません。 ■ 完成された時の体制を簡単に紹介します。 今、トミを一級市民とし、タミを二級市民と定義しましょう。 シベリア組は国家ではないので、国民に相当する人々を公民と呼びましょう。 公民は生まれた時は二級市民ですが、公民講座を修了するまでは公民権は制限され、親権者に従属します。 初等教育・中等教育前期に相当する教育は公民の義務となります。 初等・中等教育は6歳より始めますが、年限は無く、所定の能力に達した時をもって修了とします。 教員の免許はこれまでのように必須ですが、二級市民には受験資格はありません。 義務教育、公民講座を修了したものは、一級市民の受験資格を獲得します。 一級市民になるための試験を公臣試験と呼び、現在の公務員試験が就職試験である事と異なり、純粋に資格試験となります。 専門職の資格はすべて免許として試験を受ける必要があります。 この個別免許は、現公務員試験の科目合格に相当し、多岐にわたる科目免許として交付します。 科目免許は欠格事由が発生した場合には失効します。 公臣試験に合格したものは宣誓をおこなった後に一級市民となります。 一級市民は、ロシア連邦に従順な自治政府を構成します。 刑法は日本の現行法に準じますが、いずれ新一級市民によって、歪が除かれることでしょう。 一級市民には公僕としての義務が発生します。 一級市民には厳格な行動規範が課せられます。 原則的に一級市民は終身資格ですが特に二級市民に戻りたい(つまり義務の履行が嫌になった等)場合には一定期間(通常2年間)執行官等として資格を制限され、そのペナルティ業務の満了後、二級市民となることが可能です。 現在、地方公務員の職に有るものは、一定期間トレーニングの後、適性確認、宣誓を経て、自治政府公務員として仮採用されます。 仮公務員は次世代の養成に努めます。 そして一級市民の資格試験及び専門職の科目試験を制定します。 仮公務員は年に一度、適性検査をうけなくてはなりません。 二級市民には選挙権に相当するものはありませんが、反社会的行為以外なら、あらゆる自由があります。 一級市民は評議責任を負い、一級市民の長は立候補無しの互選により選出します。 この制度の完成時点は、新制度の試験で一級市民が誕生し、すべての公務員業務が引きつがれた時点となります。 まだまだありますが、私が全部決めてしまったら、新たに一級市民になった人の仕事を奪った、と云う謗りを受けると思われますので、この辺でやめておきましょう。 ■ シベリア組が認められる、と考える理由 1996年から2001年まで、在日ロシア大使館に勤務していたアントン・ヴァイノ氏が、2016年8月12日、ロシア大統領府長官に就任しました。 この方は日本語が堪能で、日本の国内事情に精通しているのです。 「そっか、じゃわれわれ日本人に優しいんだ、やったー、これでだいじょうぶだね!」 ブブー! ダメです、そうではありません。 彼は日本の国内事情に精通していると、書きました。 彼は、いかに日本人が信用できないか、を良く知っているのです。 先に書いたように、EGはロシアを信用させることができなかったのです。 戦前回帰して富国強兵を考え、平和なシベリアに潜伏して旗揚げする時期を待つ!などという輩は、ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)と判断されるのは当然なのです。 ロシア連邦が日本人と関係を深めたいと考えているのは間違いがありません。 だからこそ、内部に潜入して足を引っ張る間諜を放置できないのです。 私は、このブログも監視されていて当然だと思っています。 では、どうすれば良いのでしょうか? 心配することはありません、自然に過ごせば良いのです。 普通の日本人はロシアにとって脅威ではないからです。 ひとたび、大団円がはじまり、ロシア軍が国連旗を掲げて進駐して来る所を想像してください。 面接官があなたに人定質問します。 正確に氏名を名乗り、書類にサインします。 彼はあなたに訊きます、「シベリアに移住したいですか?」 あなたは一言、「Да(はい)」と答えます。(日本語でかまいません) 必要なものを持ってアントノフに乗りなさい、と指示され、飛行機をおりると、そこはもう平和なシベリアなのです。
恐れることは何も無いのです。 嵐はじきに過ぎて行くのです。 くれぐれも、英雄的な死を想像しないでください。 われわれは文化を愛して生きるのです。 |
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