現代ビジネスの好評連載を書籍化した『されど愛しきお妻様』。おかげさまで売れ行き好調ではあるのですが、「奇跡の夫婦の物語」と捉えられてしまったことが残念と同時に、もっと実践的な内容も盛り込めばよかった、と反省。というわけで、どんな「すれちがい」のあるご家庭にも応用可能な超・実践的スピンオフ連載いよいよ最終回です。
実はこの記事は、現代ビジネスだけでなく、Yahoo!等の外部サイトにも配信されています。それらのサイトにはコメント欄が設けられていることもあり、編集部でも逐一チェックしています。中には匿名投稿であるのを良いことに心ないコメントも寄せられています。今回は連載の総括をすると同時に、そのようなコメントに対する反論を鈴木さんに執筆してもらいました。
*バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/series/daisukesuzuki
一方が不定型発達で、一方が定型発達。たとえその特性が障害と診断されるレベルでなかったとしても、特性が異なるふたりは、とかく傷つけ合いながら暮らしがち。世に数多いるはずの、そんな凸凹夫婦のパートナーシップ改善に向けて書いてきた本連載も、今回で最終回だ。
もちろん、夫婦の形は百組百様、千組千様で、一つとして同じものはなく、ここまで書いてきたのはあくまで我が家のケースに過ぎない。とはいえ「実用連載」とぶち上げて始めた連載だから、WEBで見ることのできる読者さんの声を、見させていただいて、きちんとそれに答える形で締めさせてもらいたいと思う。
WEB連載に寄せられるネット上の匿名の声に対し、多くの担当編集者は「読まないほうがいい」と著者に言うし、実際書き手として尊厳を傷つけられる酷い感想も多い。特に本連載のようなテーマの記事に対してのコメントは、根強い障害者差別を目の当たりにして、叫び出したくなるようなこともある。
正直僕のメンタルはおぼろ豆腐並みなので、連載に寄せられたコメントを読んで、数日単位でメンタル死んだ。
けれどその中で、やはりいくつか、これは考えなければならないなと思わせる声もあったので、それは誠意をもってフォローしたいと思う。
二点ある。
まず一つは、我が家の家庭改革は「子どもがいないからできたことだよね」との声だ。
実際、僕らにはには子どもがいない。そして僕は、不定型さんなお妻様と一緒になって、彼女と暮らしていく以上、今後も子どもはもてないと思っている。
それは元々僕があまり子どもを欲しいと思わないことや、夫婦そろって大病をしていることや、彼女の病気の再発リスクやそろそろ高齢出産の域に達しているからとかではなく、純粋にお妻様と僕の能力を総動員しても、子育てはできないからだと考えているから。出会ったころから「親になる」という選択肢は僕らにはなかった。
けれども、すでに子どもがいるケースでは我が家と同じことがやれるか。一方が望まなくとも、もう一方が「子どもを作らない家庭はありえない」との主張を譲らないケースはどうか。
やはり子育てというのはそもそも夫婦のみのマンパワーでは足りない大変なライフイベントで、かつてそれを補填してきた家族や親族や地域といった共同体が消えゆく中で、ただでさえマンパワーの足りない「不定型&定型」で子どもを育て、なおかつパートナーシップの調整もしていくのは、ちょっと至難の業だと思わざるを得ない。
少なくとも我が家においては子どもは無理。「あの人たち」の言説を借りれば、僕らは子どもを産まない=社会の中で「生産性のない」ふたりで、権利を奪われても仕方ない夫婦ということになるだろうが、そんなクソ言説はまったく無視したとしても、子どもがいたらきっと我が家の改革も無理だったし、やはりパートナーシップは解散(離婚)という選択肢もあっただろうと思う。
本連載では、凸凹カップルがパートナーシップを解散してもやむを得ない条件として、「経済共同体として足並みをそろえられないケース」(一方の稼ぎを一方が無為に食いつぶすような関係など)を挙げたが、「すでに子どもがいる場合」に子育てをしながら壊れたパートナーシップを再形成できない場合や、「子どもを持つか持たないかの合意形成ができない」と言ったケースも、解散の分岐点に含まれることは、書き加えたい。
もちろんこれ、我が家が挑戦してきてない(できない)だけで、不定型さんとの家庭に子どもは望めないと言っているわけではない。すでに子どものいる凸凹なご家庭の中には、きっと我が家とは違った形のパートナーシップ再形成の方法を確立している人たちもいるかもしれない。
子育てという共通の目標と、パートナーシップの両立。よりハードルは高いが、このちょっとワクワクするテーマについては、改めてその当事者の物語がどこかで語られれば素敵だな思う。