8話
閑話です。
ざわめきが1つの音としてそこにはあった。
活気の良い声、沈痛な声、値踏みをするような声、そして酔漢の声。
そこは夕日も落ちる頃に時間になると繁盛する店。
冒険者の宿。
迷宮に赴く冒険者達が大半を占める、酒場を兼ねた宿屋のことを指し示す場所だった。
迷宮に命をかけて潜り込む冒険者に対して、神殿はその勢力に相応しい最大のバックアップを行っている。無料の酒場や宿泊施設などである。
信徒である冒険者は無料でそういった施設を使用することができた。
これは当たり前といえば当たり前だ。なぜなら迷宮から出てきたとき、自らの所属する神殿に寄付を支払わなくてはならない。それなのに最低限の生活を行うのに、更に神殿から金を請求されたら誰だって不快に思うだろう。神殿からしても、自らの神の威光を増すための大切な冒険者に逃げられては困る。そういった関係が無料の施設の運営を行わせたのだ。
勿論、それは最低限度だ。しかしながらもっと贅沢をしたいと思えば追加の金額――通常よりも安く――を支払うことで、より優雅な生活が過ごせた。
つまり冒険者は神殿内から出る必要なく、生活を行うことが出来るのだ。
では何故、冒険者の宿が存在するのか。
ここがどこかの神殿の直営だという判断であれば、それは間違っている。確かに店の主人はどこかの神の信徒だろうが、そういうことのためにこの店は使われているのではない。
ここで出てくるのが冒険者のパーティーの種類だ。
これは大きく分けると2つに分類できる。同じ神を信仰する者たちで組む場合と、全員がバラバラの神を信仰する場合だ。前者も後者もどちらにもメリットとデメリットがあるのは充分に分かるだろう。
しかしながらどちらの場合も1つのデメリットがあった。それは他の神を信仰する冒険者パーティーとの縁が出来ないことだ。これは迷宮という危険地帯に乗り込むのに、あまりにも眉を顰めるべき状況だ。情報は集めるだけ集めた方が生還の確立は高くなるのだから。
そしてそれだけではない。
例えば不必要なマジックアイテムがあるとした場合だ。商店に卸すとして仮に50%で売って、買うときは100%。そんな馬鹿な話があるだろうか。そんなことをするぐらいなら欲しい人に直接75%で売って、持っている人から直接75%で買いたいと普通は思うだろう。
つまりはそういうことだ。神々同士で敵の場合もあれば、種族的に仲が悪い場合がある。そういった諸々を考えて、一種の中立地帯が求められる。
そしてその場所として選ばれたのが、冒険者の宿というわけだ。
迷宮都市ラッケルブレルにある冒険者の宿屋の一軒。
そこは酒場に相応しい喧騒がある。
天井から魔法のアイテムが白色の光を投げかけ、テーブルとテーブルの間を使い手のいない箒がゴミを集めて、忙しそうに走り回っている。
その店のテーブルの1つ。そこには4人組の男女がいた。男1人に女3人という構成だ。
テーブルを囲む女の1人が手に持っていたグラスを、ダンと強くテーブルに叩きつけた。勢い良かったため中からこぼれた液体が、テーブルに広がり酒精を漂わせた。
「いっひゃいにゃんにゃにょにゃ!」
「――一体、何なのよ」
先の発言をしたのは猫人といわれる種族の女性だった。完全に酔っているのだろう。呂律は回らず、腰からの伸びた尻尾はぐてんと床に垂れている。頭頂部脇にある2つの耳もペタリと垂れている。
普段であればきらきらと輝いているはずの瞳には薄い膜のようなものが掛かっていた。
それに対して後に発言した男は、酔った雰囲気がまるで無い。同じく猫人であるが、先の女性が猫風メイクをした人間の女性というのに対して、顔は猫科――豹を思わせる精悍な獣のものだ。これはこの2人が特別ということではなく、猫人の男女の差である。
「せっにゃっく、おにゃにゃにょにゃんめにぇ、いっにゃにょにゃ」
「――折角、お金を貯めて、行ったのに」
「はにゃなぉにゃ、すにゅ、にゃいにゃんなうにゃにゃんにゃ」
「――入って、直ぐ、追い……にゃにゃ……恐らくは追い出されたと言っている」
「もう、にゃいにゃくにゃぁん」
「――もう、最悪だ」
妹の言葉を通訳してくれた兄に、他の仲間達がお疲れ様という顔をした。
「おにゃにゃにゃにゃん!」
「――お代わり」
「却下」
ズバンと、テーブルを拭いていたチェインシャツを着た人間の女が切り捨てる。
「にゃって、のまにゃいとやっにゃにゃにゃいにゃ!」
「――だって、呑まないとやってられない」
「却下。それより、その2人組みってどんなのだったの?」
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃ! にゃにゃにゃにゃ!」
「――通訳不可能だ」
「はいはい」女は酔った猫人から視線を動かし、男の猫人に合わせる「で、どんな人? かのドワーフに気に入られたという人物は」
「ふむ――」
「――にゃにゃにゃにゃにゃにゃ!」
「あなたはちょっと黙ってる」
最後まで何も発言しなかった、三角帽子にローブという耳が僅かに尖った女がテーブルの上にあったお皿から、干物を持ち上げ、猫人の口に突っ込んだ。
「……ふにゃぁあああ」
ガリガリという音をバックに、再び男が口を開く。
「そうだな。2人組みの男女。見た覚えはなし。両方とも人間だ。男は戦士なのか? 人にしては良い体躯をしていた。女は……人の美醜という奴に自信は無いが、美人だと思う。神官のような格好をしていたが、首から提げた聖印に見覚えは無い」
「ふーん」
チェインシャツを着た人間の女はニヤリと笑った。
「私とどっちが――」
「――お前だな。俺が惚れた女の方が美しいに決まっている」
最後まで言わせずに男が断言する。それを受けて酒での酔い以上に女の顔が赤くなった。
「ちょっと、もう……」
「凄い顔がにやけている。つーか、何いちゃついてるの、死ね。独り者の私にわびながら死ね」
三角帽子の女は憎憎しげに顔を歪めると、再び干物を取り上げ、猫人の女の口に突っ込む。少しばかり勢いがあったためか、猫人の女がグヘとかいう奇怪な悲鳴を上げるが、それは完全に無視だ。
「すまんな。というより将来はにゃんにゃか・にゃん様に祈りを捧げて、番いになることも考えているのだから、許して欲しいものだ」
「いつも思うんだけど、凄い名前よね」
いまだ顔を真っ赤にしながら女はいう。
「そうか?」
それに対して不思議そうに猫人は問い返す。己の信仰する神の名前の何処が変なのだろうという疑問で。
「……にゃんにゃか・にゃんは古代の猫人たちの言葉で、『天空を走る四足の獣神』という名。結構真面目な意味」
「へぇ!」
「この前、調べた。実は言うチャンスを狙っていた」
「へぇ……」
先ほどと同じ声だが、そこに含まれている感情はまるで違った。それに気付いたのであろう三角帽子の女は話題を元に戻す。
「それでさっきの『ウェポンズ・コレクター』の話に戻す。店主であるガンドが何か渡した?」
周囲の喧騒が若干小さくなったような気がした。いや気のせいではないだろう。彼ら4人――完全に酔った1人を除いて、全員が周囲の雰囲気の変化を肌で感じ取っている。
「ああ。渡していたな。というよりも男の方が何度か振るっていた」
「へぇ。それはどんなの?」
先ほどの紅潮は消えてはいたが、女の顔に微妙な笑いがあった。それは罠にかかる獲物を見つめる狩人のものだ。
「それは……」
「ストップ。あとはこっそり話したほうが良い」
「そうね、うんうん」
「にゃん。にゃなうにゃん。なーん」
「――言葉ではないな」
「うんじゃ、どっか静かなところでガンドの店の話の続きをしましょ」
そう言って、一行が立ち上がろうとしたとき、横手から声が掛かった。
「そいつはつれねぇな」
見れば1人の冒険者だ。同じテーブルを囲んでいた仲間達も興味深そうに、一行を眺めていた。
「俺達にも『ウェポンズ・コレクター』の話とやら聞かせてくれないか?」
「ならば……うちの支払いはそっちもちでいいかしら?」
「……仕方ねぇな。おい、そっちのテーブルの奴、お前らも聞きたいんだろ? 金は割るからな?」
「……あいよ!」
一行の周りにあった別のテーブルから声が上がり、それに賛同する声は幾つも聞こえる。いうならこの酒場の全員が同意しているといっても良いだろう。
「これだけ聞きたいなら、ちょっと、美味しいお酒を追加注文しても問題ないわよね?」
「仕方ねぇけど、ある程度のもんで勘弁してくれよ?」
にんまりと笑う。
予定通りだ。だからこそこんな酒場で回りに聞こえるように声を上げたのだから。
◆ ◆ ◆
「なるほどな」
幾つもの質問を得て、一行から話を聞いた酒場にいた全員が頷く。無論、それほど重要かつ意味のある情報であったとはいえない。では、そのために酒代を出したことを後悔しているかといえば、そうではない。
その情報がどういう意味を将来的に持つか、誰が必要とするかは不明であるためだ。冒険者はどんな情報でもある程度の価値を見出し、求める。こういった微妙な情報が役に立つ可能性だって充分に考えられるのだから。
ただ、結局は1つの疑問にぶつかる。
「その男は何もんなんだ?」
「さぁなぁ?」
『ウェポンズ・コレクター』の店主であるドワーフは非常に気難しい男として知られている。
元々『ウェポンズ・コレクター』という店自体、この冒険者の宿に来る程度のレベルには相応しくない高級店だ。それだというのに、店の主人の性格がよく知られているのは、やはり冒険者の好奇心のせいだろう。
その好奇心の元である、ある噂。
そしてそんな性格の店主が、特別な対応をするほどの男。それに男は話では何かを渡されたという。
そこから出てくる答えはたった一つしかないだろう。
渡されたものは最高の魔法の武器。その謎の男は、店に並ばない武器を提示されるだけの感心をドワーフから買ったということ。
それほどの男が何者なのか。酒場でネタにならないはずが無い。
「冒険者なのか? 装備は大したものじゃなかったんだろ?」
「にゃん、にゃ――」
「――そうだな。年季の入った皮鎧ぐらいだったな」
「……神殿に武装を置いているのか?」
「まぁその辺が妥当か? しかし、知らんなぁ」
冒険者達は互いに顔を見合わせ、横に振る。
「……ぶっちゃけ人間の美醜、顔立ちにぴんと来ないってのがまずいんだよな」
猫人の美的感覚と人間の美的感覚は似ているようで違う。猫人からすると人間の顔は若干同じように見えるのだ。そのため特徴を言い表すのに、髪の毛の色や髭などの有無などが目印となってしまう。
人間が猫を見て、毛並みなどで特徴を捉えるのと同じことだ。人だって、猫の風貌を詳細に説明しろといわれても困るだろう。
「結局、誰の心辺りも無い奴ってことか……」
「上の迷宮にいる奴なんじゃないか?」
この迷宮都市には3つの迷宮がある。この酒場に来るのは大抵が一番危険度の低い迷宮の冒険者だ。もしかしたら、上位の迷宮の冒険者じゃないかという意味の発言だ。しかしながら、そういった本人自身が、その表情でそんなわけが無いと語っていた。
「な、わけないよな」
「だな」
うんうんと皆が頷く。
「だって、そんな奴知らないんだからな」
再びうんうんと皆が頷く。
3つの迷宮にもぐる冒険者の比率は下位が60%、中位が30%、上位が10%ぐらいだ。その中位以上の迷宮にもぐる冒険者のことは、同業者であれば必ず注意してみているし、情報を得るチャンスがあれば集めるものだ。
そんな彼ら、冒険者がこれだけ集まって知らないということ、それは中位や上位では無いと考えても良い。
「まぁ、才能がある奴なら直ぐに知られるようになるだろうよ」
「だな。どっかの切り札じゃなければな」
「違いない」
冒険者達は互いに笑いあう。
その男が高い能力を持つなら、必ず皆に知られるようになっていくだろう。それが迷宮を探索する冒険者というものだ。新たなライバルとして警戒はするが、その本当の実力はそのうち分かるだろう。そして分かるようになったら、色々と調べだせば良い。
そう妥協している中、1人の冒険者が思い出したように言った。
「そういや、例の超越領域、死んだらしいぞ」
「あ? やっぱり偽者か。だよな」
その場にいた冒険者の全員が嘲笑の笑みを浮かべた。かの桁外れの存在を名乗るなんて大馬鹿に相応しい末路だと。
◆
超越領域15席。ありとあらゆる存在を屠った規格外の者達。最後に戦った敵は『世界法則』。これによって世界のありとあらゆる法則が歪み、神は顕現し、死者は蘇るようになった。
この存在を知らない者はこの世界に存在しないだろう。それだけの知名度を誇る存在なのだから。
第1席『六翼天使』
第2席『修羅王』
第3席『絶対幸運』
第4席『死重呪紋』
第5席『幾千の刃』
第6席『大地唱和』
第7席『無垢なる神壁』
第8席『超越者』
第9席『魔王』
第10席『一にして全』
第11席『水界の女王』
第12席『精霊騎士』
第13席『白と黒の両翼』
第14席『全知慧眼』
第15席『名も無き旅人』
の15者からなるとされている、神に匹敵する最強の存在たちだ。
◆
「神格に昇ったのは第1席『六翼天使』、第2席『修羅王』、第8席『超越者』、第9席『魔王』だったな」
誰が声を上げた。打てば響くという言葉があるが、まさにそんな感じで次から次へと声があがっていった。
「第6席『大地唱和』はどこかの神様に仕えて、最高司祭長だっけ?」
「それは第7席『無垢なる神壁』も同じ」
「第14席『全知慧眼』は大帝国の魔術師長だったはず」
「第4席『死重呪紋』は神を幾人……幾柱屠った罪で、封印されたらしいけど?」
「封印してると見せかけて、誰が手に入れるかで神々も喧嘩してると思うけどね。超越領域を1人でも手に入れればその神の地盤は確たるものになるしな。なんといっても最強の剣を得ることになるんだから」
「第5席『幾千の刃』は 王国親衛団の団長。遠目で見たことがあるけど、確かにアレは強い。2つ名の由来となった武装した兵士を大隊規模で生み出す能力をチラリと見た」
「第11席『水界の女王』と第12席『精霊騎士』は結婚して国の王と女王でしょ。たった2人で近隣諸国最高戦力って言われてる」
「行方不明なのは第3席『絶対幸運』、第10席『一にして全』、第13席『白と黒の両翼』、第15席『名も無き旅人』だったな」
瞬く間に幾人もの冒険者が言葉を紡ぐ。そして直ぐに超越領域の全員のデーターが出たこととなった。
何故これほども詳しく知っているのか。別にこの場にいる彼らが特別なのではない。
1人で一国を相手にできるというクラスの化け物、神すらも屠れると言われる存在に対して注意を向けないような冒険者はいないためだ。
超越領域という存在はこの世界をこんな風にした罪人であり、ここまで強大な力を持てるという憧れであり、神に並べるという敬意をまぜこぜにしたような存在だ。
そしてこの迷宮都市にも時折、超越領域を名乗る者が現れる時がある。しかし、なかなかの実力を持つ者でも一ヶ月と命がもったことは無い。超越領域は神に匹敵する英雄だが、先も述べたように大罪人でもあるのがその理由の1つであった。
そして、冒険者が目指す最高の領域の存在、それを騙るなんて死んで当然だ。
冒険者は誰もがそう思う。
「死んだ偽者に乾杯といくか」
「すまん、俺達はもうやった」
「うんじゃ、何に乾杯といくか?」
「おごにゃ、にゃなおにゃなう」
「――奢りなら呑むぞ、と言っている」
「……お前らはもう帰れ。どう見ても充分に呑んでるだろうが」
「にゃにぃにゃにゃにゃん。にゃおにゃにゃ」
「あ、通訳はもういいから」
「そうか?」
ざわめきをその身に入れながら、冒険者の宿はこうして更けていく。
ちなみにこの時間帯、重蔵はティースや佐久夜と一緒に、懐かしくもひもじい日本の味を味わっていた。
やっと迷宮が始まる予感。