6話
重蔵とティースはガンドの店から更に歩く。
ティースが歩きながら数度、不満げに空を見上げた。
先ほどまで涼しい店にいたからか、空気中の熱気をより強く感じているのだろう。
「どちらかで休みますか?」
「え? ああ、大丈夫です! この時期はいつでもこんな感じですし。単に私、熱いのが苦手なんですよ」
「なら、寒いのは?」
「寒いのは全然大丈夫です。真冬でもこれ一枚で大丈夫ですから」
ティースが指したのは神官衣である。本来は純白だったのかもしれないが、それが今では日に焼け、色が付いていた。服はダボダボしているため、体の線は全然浮かび上がってこないが、薄いつくりだというのはティースが動くたびの揺れ方で充分に分かる。
「それで大丈夫なんですか?」
重蔵の怪訝そうな問いは当然のものだ。
この国の冬の時期はかなり厳しい。振り続ける大雪によって、街道が封鎖されることは珍しいことではないほどだ。
「はい、基礎体温が高いんですよ、きっと。だからあのマジックアイテムが欲しかったりします」
「なるほど。ではお金を貯めないといけませんね」
「そうですねー。あっと重蔵さん。一応、寄付の件でお話をしておこうと――」
「いえ、結構です。迷宮で手に入ったものは全て寄付させていただきます」
話しかけたティースの言葉を、重蔵は一刀の元に切り捨てる。実のところ、既におこなっている話だ。再び蒸しかえることも無いだろう、と。
しかしながらティースはそうは考えない。
「いえ、でもですね」
「私は佐久夜様、ティースに迷惑をかける身。その者からの謝罪の証だと受け取っていただければ」
「うーん。……その辺はやはり話し合う必要がありますね」
「申し訳ありませんが、私は無いと考えております」
「重蔵さんって結構頑固って言われます?」
「そんなことは無いと思いますが……」
重蔵は素直に頭を傾げる。日本にいた頃はそんな風には言われなかったし、こちらの世界に来たら、そういわれるほど仲良くした者はいない。
「まぁ、一応聞いてください。信者の方ができた時のため、私一生懸命勉強していたんですから」
「そうですか……」
勉強したことを言いたがっている子供に対して、聞きたくないなんて答える大人は失格だろう。そう言われてしまっては、断るのも悪い。
そう思った重蔵は、微笑ましい気持ちを僅かに持ちながら頷く。
「では聞かせていただいても?」
「はい! まずは迷宮で発見されたものの、2割を寄付してもらうのが普通です。これは冒険者パーティーというわけではなく、その神様を信仰する信者の方1人に対してです」
「なるほど」
4人パーティーが1000万相当を発見したら、1人250万の取り分。そこから2割の50万が持っていかれることとなる。もし4人全員が信者なら200万か。
重蔵はいまだ昔の考え方で整頓する。
「誤魔化したりしないのですか?」
「あまり聞きませんね。だって神様を誤魔化すんですよ。どこかで罰が当たりますよ、きっと」
「……どこかの神様が1割の寄進で良いという話を持ちかけたりしないのですか?」
「一時期あったみたいですよ。でもそれじゃ皆が損するだろうということで神様達が集まって色々と決めたそうです。それがこの都市の神々の約束の1つですね。この寄進額の割合の横並びや、混沌の渦時の協力体制なんかですね」
「混……?」
「で、す、か、ら! 重蔵さんから多く寄付してもらうのはちょっと不味いんですよね。横並びで貰うようにって話が決まってますから」
ドヤッ。胸を張りつつ、そんな顔をするティース。緩やかに盛り上がった神官服のある一部から、視線を巧妙に逸らしつつ、重蔵は尋ねる。
「それは多く収める分なら問題ないのでは?」
「う……」
簡単に反撃を食らったという素振を見せるティースに、ため息をつきながら重蔵は案を出す。
「では貯金という形で持っていてくれませんか? 何かあって返して欲しい時はそういいますので」
「む? むぅー、それならいいのかなぁ?」
いまだ納得はいってないようだが、ティースにしても強く断る理由は無いというところ。ティースもとりあえずは頷く。
話が一段落した――というより、これ以上その話をしないでという意味で、重蔵は話題を変えた。
「しかし……ここは?」
「えっと、クリスタルを買いに来たんですよ。そういったマジックアイテムを売っているお店で、ちょっと顔見知りだから安く売ってくれるんですよね」
ティースに理解した意を示すと、重蔵は周囲を見渡す。
そこは閑散とした通りだった。
殆どの店が閉まっており、人の気配が無いようにも思われる。廃棄された区画といっても信じてしまいそうな空虚さがあった、しかしながら良く観察すれば、家屋の外見は綺麗にされており、人が使っていることを充分に物語っている。
家屋の外見的な作りは店舗のようであり、そういう目で見れば無数の店舗が密集している区画だとも思える。
来た時間帯が悪いのか。
飲食店が無数に並んでいる通りが、一斉に昼休みに入った時の寂しさのようなものがあったからだ。
ただ、それだけではない。
重蔵は、体の中に一本の線を入れるイメージを持つ。
周囲の建物。そこから視線を幾つか感じるのだ。
この手の視線に含まれているのは警戒心。辺境の田舎村に行った時、よそ者に対して向けられるものに酷似している。
少数民族の集まる区画か。
そんなイメージを重蔵は持つ。しかしながら重蔵のその警戒心と想像は、あるものを見つけたことにより霧散した。
魔法によって明かりを作り出すマジックアイテムが、ほとんど店舗らしき家屋についているのだ。日本であればネオンが付いていたりするのはごく当たり前の光景だろう。しかしながら日の出と共に仕事をはじめ、日の入りとともに睡眠に入る者が多い世界においてはそうはならない。
確かに迷宮都市であれば遅い時間まで店を開いている。
そういう店は確かに明かりを取り付けるのだ。しかしその手の店は大抵が冒険者向けの店か、はたまたは夜間に仕事を行うような店。
ではこの区画はどちらの店が並ぶのか。重蔵の中では答えは既に出ている。どういう場所なのかも。
重蔵は僅か斜め前を歩くティースを、横目で伺う。
間違って来ていたり、近道だから来ているという雰囲気ではない。
「ここです!」
ティースはまだ開いていない店舗の1つを指し示す。
入り口には何かの紋様――聖印が4つ刻み込まれていた。
「えっと横手に入り口がありますので、そちらから入りますね」
横手の、恐らく裏口なんだろうという店舗の扉は鍵がかかっていなく、ティースはそれを押し開ける。中は薄暗かったのだが、迷うことなくティースは歩を進める。
「ティース・エクセールです! いますか!」
ティースに続いて入った重蔵の鼻を、蠱惑的な香りが刺激する。本来であればもっと強い匂いなんだろうが、現在は香が焚かれてないためか、香りはまだ大人しい。しかしながら肌に付着していくような感覚に重蔵は嫌悪感を感じていた。
広い室内は所々にボンヤリとした明かりが飾られていた。神秘的という言い方も出来るかもしれないが、それ以上に如何わしさを感じさせる。
床の厚い赤色の絨毯や、天井から吊り下げられたシャンデリア。置かれた革張りの長椅子。薄っぺらい豪華さを兼ね備えた調度品の数々が、相乗効果でその如何わしい雰囲気をかもし出しているのだ。
この店がどんな店なのか。
調度品の数々が赤裸々に物語っている。
「ティースです! ロクサーヌさん! いますか!」
大声を上げながらズカズカと薄暗い室内歩いていくティースを追いかけ、重蔵は歩く。この光量の落とされた室内でも、問題なく歩けるティースに僅かに感心しながら。
…………。
歩いていたティースの足が止まる。重蔵も聞き取った声が聞こえたためだろう。
「こっちみたいですね、重蔵さん」
「そのようですね」
ティースは室内にあった階段を昇る。厚い絨毯で覆われているために、殆ど音は立たない。
2階に昇ると、そこには複数の扉があった。
「えっと、どの部屋ですか! ロクサーヌさん!」
「…………」
本当にかすかに聞こえた声、それに先導されティースは扉の1つの前に向かう。そしてちょっと強めのノックを数度。
「入ってもいいんですか? 男の人を連れて来てますからね!」
「…………」
分厚い扉が開かれる。
そのとき重蔵はおやっと奇妙に思うことがあるが、直ぐに忘れることとなった。
開けられた瞬間、強い香りが漂いだす。空気に僅かな色が付いている感じを得るほどだ。
顔を顰めたくなるような思いを、重蔵は必死に押し殺さなければならなかったほどだ。
そうやって開かれた扉の奥、そこに広がる光景を一言で表現するなら、けばけばしいだろう。
光源は目が痛いというほどでは無いが、僅かに光の落とされたピンク色。部屋を殆どを占めているのではと思ってしまうような、巨大な天蓋付きのベッドが1つ鎮座していた。その薄手のベールのようなものがベッドを包んでいる。
奥にも1つ、扉があった。
それ以外にタンスなどがあるが、特別目を引くものは無い。
そしてその巨大なベッドの上、ベールに包まれるように1人の人影があった。
スイカ。
それが彼女を見た人間が、恐らくは最初に思うことだろう。その胸の異様な盛り上がりは、目を引かんばかりだった。
薄絹を羽織っているために、体の線はくっきりと浮かび、素肌の色までも見えるようだった。真ん中で合わせているために、臍とかは丸見えだ。
その美しい顔に付いたやや厚い唇には朱が塗られ、アーモンドを思わせる瞳には興味と情欲の色が同時に存在していた。彼女は黒いソバージュの掛かった髪を気だるげに掻きあげる。
年齢は不詳ながら、歳はそれほど行って無いように思える。20から30の間という大雑把な見当しか付かない。
「お、は、よ」
一言一言を区切って話すような独特の話し方で、女はティースに挨拶をする。
それから猫のようなポーズで背を伸ばした。大きな胸が、これまた大きく揺れる。
「はぁ。ロクサーヌさん……とりあえずはおはようございます。もうお昼を大きく回ってますけどね」
「うふふふ~。お昼ならまだまだ私にはお眠の時間なんだけどな~」
「はい、そのことは申し訳なく思います」
ペコリと頭を下げるティース。
女――ロクサーヌはベッドで姿勢を変えると、2人に向き直った。もう少し姿勢を崩せば完全に胸が零れ落ちそうな格好をしている。
「ロクサーヌさん。うちの新しい信者の佐々木重蔵さんです。そして重蔵さん。元冒険者で、現在はこの店の主人でマジックアイテムの売買をやっている2つ名『
一瞬、室内が凍った。
重蔵はそんな2つ名なのかと驚愕の表情でロクサーヌを見つめ、そんな目で見られたロクサーヌもまた顔を引きつらせる。
「……えっと、冗談ですからね?」
「ですよね!」
「ほんっと、冗談きついわ、この娘。おほほほ」
「2つ名は『紅蓮』でしたよね」
「そうよ~。炎系の魔法を趣味にしていたからね。……でも2つ名の紹介の仕方に、隠しきれない悪意が見えた気がするわ」
「そんなわけないじゃないですか!」
なんだかやたらと大きい声で、ティースはロクサーヌの言葉を否定する。重蔵はそんなティースから視線を外し、室内を大きく一度見渡してから、2人に問いかける。
「……ここはマジックアイテムの店なのですか。もっと別の店かと思っておりました」
「ああー。うーん」
ティースがなんと言おうかと困惑し、ロクサーヌが笑いながら答える。
「そうね。夜まではマジックアイテムのお店だわ~。私が気に入った相手のみに特別販売するって感じの」
「そういうコネクションをお持ちで?」
「ええ。まぁね~。あの娘も言っていたように元々冒険者だし、夜のお店でのコネがあるからね~。一応は最高級店なのよぉ。一見さんお断りの。興味あるぅ?」
「いえ。無いです」
「あらぁ、冷たいの」重蔵に断られても、余裕ある表情をロクサーヌは崩さない。「うちの神様、性愛神シューニースを信仰してくれるなら、特別に入れてあげてもいいのに。場合によっては1日貸切コースも可能よ~。女の子はべらかして、ぱぁってやってみたくない?」
ロクサーヌの唇を割って、ぬらりとやけに赤く長い舌が現れた。それがまるで別の生き物ように蠢く。
「数人に囲まれて舐められるのなんか、凄いわよぉ。征服欲、刺激されまくっちゃうみたいなんだからぁ」
「駄目です! うちの重蔵さんを勧誘しないでください! ぎゅうにゅう!」
「……ぎゅうにゅうって……、まぁいいわ~。今度煩いのがいない時、2人で話しましょう~。で、今日は何の御用かしら?」
「はい。それはですね。クリスタルが壊れてしまったので、新しいものが欲しいなって思いまして」
すぱんと表情を変えたティースに同意するように、重蔵も動き出す。
重蔵が肩から提げたバッグの口を緩め、中からクリスタルを取り出す。それを一瞥したロクサーヌは横に振る。
「これはもう無理ね~。新しいの買ったら?」
「ううー、やっぱりですか。一番安い奴で幾らぐらいなんでしょう?」
「……そうねー。また出戻り品にする? それなら安くしてあげるわ~」
「失礼ですが。その前に普通の奴だと幾らするのか教えてくれませんか?」
「普通? ピンキリだけど、安い奴で純金貨で50枚かしら」
「……高いです」
しょんぼりとしたティース。
「そうでしょ~。だ、か、らぁ、前みたいに出戻り品で――」
「――なんとかなります」
重蔵の発言に、ティースとロクサーヌ。2人が大きく驚く。
「私の全財産ですが……」
重蔵はしゃがみ、靴を触って隠しいれていた皮袋を取り出した。口を緩めると中からは1つの大粒の宝石が転がり落ちた。
「これは純金貨で75枚の価値はあるはずです」
渡されたロクサーヌはしげしげと眺める。流石に道具もなしにすぱっと答えることは難しいが、それぐらいの価値はあるんじゃないかと思われるだけのものではあった。
「う~ん、これなら確かに大丈夫みたいね~」
「で、でも重蔵さん、そんなお金を出して……」
そこまで言ってティースは言葉を小さく、下を向く。感情としては悪いと思いながらも、理性としてはこれしかないと判断しているためだ。
もしここで重蔵から借りてクリスタルを買わなければ、佐久夜が消滅してしまうかもしれない。それぐらいであればという思いが、縛りつけ苦しめているのだ。
そのティースの姿を見た重蔵は、15年間で初めてのことを行う。
ティースの頭を撫でたのだ。ちょっとばかり勢いがあるため、ティースの頭が揺れる乱暴なものだったが。
それから告げた。
「お気にされず。私の目的をご承知のように、木花之佐久夜姫様には消滅されては困りますので」
「……ありがとうございます、重蔵さん」
重蔵によって乱れた髪のまま、ティースがペコリと1つ頭を下げた。
「ま、まぁこれなら問題はないわぁん。価値をちゃんとした宝石商で測ってきてもらって~。こっちも準備しておくから」
「はい。了解しました、ではティース様、行きましょか」
「はい、重蔵さん」
ロクサーヌに背を見せ、歩き出した重蔵は突然足を止める。
「重蔵さん?」
「……ティース様、マジックアイテムの件で彼女に聴きたい話があるので、少しばかり残ってもよろしいでしょうか?」
「構いませんけど……」
ティースの視線がロクサーヌに動き、ロクサーヌはそれに答えるように頭を振った。
「うん? ああ~、こっちは全然問題無いわぁ」
「だ、そうです」
「……じゃぁ、私も一緒に残りますよ」
「申し訳ありません。これはちょっとした個人的な我が侭な話ですので、ティース様にご一緒されるのは」
「?」
「……ばかねぇん。男が残ってする話なんて分かるじゃない。夜の件での話よ、きっと」
その言葉を背中に受け、重蔵は隠しきれない苛立ちを僅かに表に出す。しかしそれはほんの一瞬。殆どの者が気のせいだと判断するような速度で、瞬時に無表情に戻る。
通常時の重蔵をしても、その表情の変化は掴み取れないだろう。しかしながら、その刹那の表情の変化もティースは見逃さない。だからティースはおどける様にため息をついた。
「ふぅ。重蔵さんも男の人ですものね」
「……ティース様……」
「冗談ですよ、そんな心外だって顔をしないでください。分かりました。下でもアレですし、外で待ってますね。だから早くしてくださいよ」
「…………了解しました」
論外に変なことをしたりして、時間をかけるなと言われている気がして、重蔵は肩を落とす。そんな奴に見えているのか、という思いだ。
ティースの瞳に宿った悪戯な光を知っていても、重蔵からするとそんな思いが沸き起こったのだ。そんな重蔵にティースは笑いかけ、扉に手をかける。
「じゃぁ、いきますね。それと何かあってもあんまり怒らないでくださいね」
室内に最後に声をかけた。
パタンというよりはもっと重い音がして、ティースの気配が徐々に遠ざかっていく。充分に遠ざかった、そう確信した重蔵はロクサーヌのほうに向き直った。
「うふふふ? それでどんな話がしたいのぉ。あの子が待ってるからあんまり長い話は無理だわ。それにベッドの上で暴れるのもね。ただ、お金はあるみたいだし、お口でサービスしてあげようかしらぁ? 凄いわよ、私の口技」
ヌラリと舌が唇の上を這い回る。
それに対して重蔵が浮かべたのは、軽薄な笑いだった。さきほど重蔵が纏っていた重厚感は、もはや何処にも無い。その急変にロクサーヌが僅かに目を見開いた。
「やれやれ」重蔵は肩をすくめる。それからニンマリと笑って言った。「そろそろ演技はやめて、仕事の話に入らないか? 高く売れること確定の商品が行ったことだしな?」
悪癖が出てきました。合計して20kを超えてしまいました。1話15kで終わらせるというのが予定ですので、ここで区切ります。