浜松のここが素晴らしい&ここが問題だ・・・のページ

浜松市中心街にあって長年のあいだ市民に親しまれて
きた松菱デパートの倒産したままになっている現在の姿

2004.9.07撮影

 このページは浜松市が平成17年に政令都市・新浜松市として出発することに合わせて浜松市の良い点と悪い点を取り上げるページです。どうしてこんなページを作ったのか・・・。それはまず今から600有余年前に先祖がこの地に住み着いて以来、当地「浜松」に住み続けていることにあります。一時は血縁が絶えたものの、両養子をもらっても家を継いだという先祖の気持ちを汲んで、今の代では家の繁栄だけではなく町興しという遠大な夢を追っています。なぜ街興しを考えるのか・・・。それは自店のみの繁栄を目的にすることは利己中心的な考えだと思うからですし、また店の繁栄は街が楽しくなければ成り立たないとも考えるからです。ひとは楽しくない街を訪れようとはしないものです。
 ただし、お断りして置きたいのですが、サイト管理者はそもそもよそ者(富士市生まれ)のため子供の頃からいじめを受け続けて来ているので浜松に対して特別な親愛の情を持っている訳ではありません。従ってこのページも独断と偏見により書かれるものであることをお断りします。浜松地方のひとは本当のことを指摘すると直ぐに敵視して仲間内だけで閉じ籠もってしまう傾向にありますが、そのような偏狭さが浜松の発展を阻害しているのに違いないのですから、浜松市民の方は
現実を直視する勇気と未来に通用する豊かなビジョンを持ち、街作りに意欲を持って、自分たちの住む浜松を「住んで楽しくない街から住んで楽しい都市」にして欲しいと切に思っています。

浜松が誇ることの出来るもの

 サイトを立ち上げてから自分の住む浜松の良い所を探してデジカメで撮って記事を載せようと考えて4ヶ月が経ったのですが、デジカメの重さが肩に食い込むばかりで何も見つかっていないというのが実状です。汚くて埃っぽくて計画性がどこにも見られず、人情は薄く排他的で文化の匂いのかけらもない・・・。新生・浜松市が誇れるものは残念ながら多分「ない」と思います。あるとすれば人口くらいでしょうか。したがって新浜松市の誕生というのは単に浜松が肥大化するだけのことだというひともいるくらいです。私もそれにはまったく同感です。どうしてこんなに楽しくない街に不満も持たず、住んでいられるのか・・・。

それでは早速、浜松生まれの浜子と静岡生まれの静男によるコント形式で浜松談義を始めましょう。

だって浜松は音楽の都じゃん

 「いきなり、おいでくださったね。い~え、それはアクトとか一部分の場所においてでしょ。吹奏楽部の部員とか限られた場所と特定の人間しかやっていないことを、あたかも普遍化しているようにいうのは詐称というべきものだよ。浜松は楽器を作っている工場が数社あるだけで音楽の都じゃあないよ。音大出身者がいうんだから間違いない。楽器生産都市であって文化都市じゃあない。たとえば篠原・三方原・遠州浜その他すべての町に住むひとりひとりの人間がそんなに音楽を生活のなかで必要としているかい?せいぜいカラオケかパチンコのBGMだろ。コンサートっていえば吹奏楽経験者による吹奏楽だけだし。底辺がまったく拡大していないのに音楽の都だなんてぬけぬけといえるなんて恥知らずもいいとこだよ。世界で音楽の都と呼べるのはウイーンだけ。浜松が音楽の都だなんてウイーンに対して申し訳ないというか恥ずかしいよ。ところでなぜ浜松では吹奏楽が盛んなのか知ってる?」

 
※平成15年度静岡県「文化に関する意識調査」の結果、文化活動をしなかった者は74、3パーセント、4人中3人が何もしておらず、前回平成12年より14、8パーセント増加している。

そりゃ音楽の都だからでしょ
 「違うね、なぜ吹奏楽かって聞いてるんだぜ。どうして浜松のひとって思考停止するようなレッテル張りをするのかなあ。音楽の都とかいうスローガン作ってやり遂げた気になってるのは学校でも地域でも政治でも同じで、日本人の悪い癖だよ。なぜ吹奏楽が盛んかっていうとリコーダーや合唱などに比べて使う楽器の単価が桁違いに高いからなんだよ。つまりね、古い楽器ほど鳴る弦楽器に比べて金管楽器に使ってる金属は分子構造が少しずつ劣化して行って音が悪くなっちゃうから買い換え需要がある、つまり儲かるからだよ。だから吹奏楽コンクールは音楽教室とともに楽器会社のよく出来たソフトなんだよ。あとで出てくる中心地街の衰退が自動車会社のソフトだっていうことと同じでね。暴論のように聞こえるかも知れないけど吹奏楽コンクールで東海大会出場経験のある者がいっているのだから決して嘘じゃないよ。そういう産業構造ともいうべきものがあるってことさ。文化は庶民から自然発生的に生まれるものだよ、押しつけで生まれるもんじゃない。だから高望みなんかしないで
民度に合わせて楽器生産の都市でいいんだよ。そのほうがいさぎいいっていうもんだよ。それがいやだっていうのは街全体がコンプレックスを持っているとしか思えないよね。外国人を連れてきてピアノコンクールを開いて「これで皆様、音楽の街でございます」だなんていうのは外国人を使った日本のテレビコマーシャルにそっくりで、正にコンプレックスそのものだっちゅうの。無駄な税金使われるのも勘弁して欲しいよね」

ないないづくしの町
 ①都市の顔である中心地街がない②歴史的建造物がない③浜松市民にやる気がない

問題点
 ①経済界主導型の都市である

浜松城があるじゃん、やらまいか精神だってあるし・・・
 
「えーっ、あれって歴史的建造物って思ってるの・・・実物、見たことあるの?自慢出来るの、あれ?なんだか浜松のひとって思いこみだけで生きてる感じがするな。
スペインなんか世界歴史遺産に登録されている建物や景観の数が世界一だし、そのうえ歴史的建造物を誰でも泊まれるホテルにしたパラドールが全国に89ヶ所もあるんだぜ。日本なんか歴史遺産なんて奈良と京都にしかないし、泊まれる城なんてないしね。街作りにとって大切な「歴史の中で連綿と生きている実感」なんか得ようはずもないっての。それに、やらまいか精神なんだけど、あれはやる気がないひとに向かって「とにかくやろうじゃないか」っていう掛け声でしょ。ビジョンがある訳じゃないところが危なげだし、無責任そうだし賭事っぽいし、とにかく取りかかろうっていう「掛け声」であって精神なんて呼べるものじゃないよ。浜松祭りに「やら舞い歌」っていうのがあるけど、祭りの三日間以外に聞いたことないし、第一、そんな精神があるなら浜松祭りの舞台である中心街がさびれることなんて起こり得ないでしょうよ。一生懸命に取り組んでいる人間に対しては「ごくろうさん」なんだよ、もたもたしてるから「やい、やらまいか」になるんだよ。「音楽の都」もそうだけど浜松市民は自分たちに都合のいい解釈をしすぎるよ。そういうの「合理化」っていうんだぜ。ところでさ、浜松市のシンボルってなんだか知ってる?知らないの・・・きっと、そういうこと、考えたこともないんだろうね、浜松市民てさ。なんかさ、情けなくない?」

※やい・・・「おい」と呼びかける意味の遠州弁、始めて聞くと「おどける」つまり驚く。
浜松市のシンボルは汚れを放置している佐鳴湖に決まってるでしょ
「えーっ、どうしてえー」
えーって、他に何かあるの。どうして浜松市民って真実の姿を見ようとしないんだ?汚れ度3年連続全国ワーストワンの佐鳴湖が浜松のシンボルに決まってるでしょ。臭い物に蓋っていうか、都合の悪い物は目に見えないんだろうね。昔から浜松市民は佐鳴湖を必要不可欠なものとは思っていない。だから憩いの場にもしない。市民が行かないんだから遊歩道なんて作らない。あそこは昔から市民の汚水の流し場なんだよ。綺麗にしようとか、あそこで憩いを取ろうとかっていう発想はないの。ないからそのままにしてられるの。でしょ?花の消費量でも全国最下位クラスだし・・・浜松市民が今、行きたい所は最近出来た大型ショッピンク゜モールなんだよ。すごいよ、平日でも朝から1日中、交通渋滞だよ。欲しい・喰いたい・・・それだけだよ。他の精神的欲求はないの。だから佐鳴湖はそのまんま放置するの。佐鳴湖の汚染っていう問題を無視して音楽と花の都を目指っていう精神構造は普通は理解できるものじゃないよね。浜松市民がよくいう「やらまいか」だ精神なんてどこに見あたらないし・・・。でもね、それには理由があるんだ」
「なに、その理由って?」
「つまりさ、佐鳴湖の汚れと中心街の放置はリンクしてるんだよ。効率の悪いものは放置するっていうう点でね。あれ、なんだか怪訝な顔してるね、じゃ、もうちょっと突っ込んでみようか」

※平成16年12月31付け産経新聞のコラム「ティータイム」に「佐鳴湖を浜松のシンボルに」という同趣旨の内容が産経新聞浜松支局長・木下順夫氏によって掲載されました。木下氏は日本一汚い湖を抱えながら花のまちを都市づくりの目標に掲げるのは「自己矛盾」していると鋭く指摘し、その汚名を市民総がかりで返上するべきだと提案しています。出来ることならば氏の記事が浜松市民のこころに波紋を描く貴重な一石であることを期待したいと思います。

中心地街がさびれていることと経済界主導型というのはリンクしている

 「ズバッといえば浜松は「豊田市化」しているということだよ。郊外に大型店が出来れば売れるものな~に。
わからない? 車に決まってるでしょ。だから中心地街に公的資金の注入をするのを市の建設委員会は反対したってもっぱらの噂だよ。裏がありそうで怖い話だね、誰かが儲かって誰かが利用されて、そして自然が破壊されて行く・・・。他の都市では高齢者が暮らすのに便利だということで都市中心部回帰が始まっているというのに浜松は逆行してる。浜松は進んでいるようで実は遅れてるんだよ。郊外の巨大なスーパーを見ただけで黒船が来た時のように驚いて思考停止してしまっているんだ。田舎もんが都会へ始めて出てきたようなもんさ。とにかく浜松は東京より10年遅れているド田舎だってことだ。これから人心掌握に長けている銀正月と手下のネオコン、そして君みたいに思考停止した住民とのコラボレーションが始まるんだよ。これは実はこれから先、ますます貧富の差が生まれることに繋がることなんだけどね。なぜって庶民は金を使わされるんだからさ。どういうことかっていうと、労働者は労働力を搾取されたうえに賃金も消費することで搾取されてる訳でしょ。それって二重の搾取じゃん。だから労働者なんて会社から見りゃ奴隷と同じなんだよ。もっとも、消費がなければ国の経済は成り立たない訳だけどね、アメリカという国の存在と同じで必要悪っていうか・・・。だからこそ、企みは巧妙に隠されるという訳だよ。分かっちゃいるけど認められないっていうジレンマを持ちつつ労働者は生きるってわけさ。ストレス溜まるよなあ。挙げ句の果てに粗大ゴミになって、あとは惚け老人の一生・・・。ケアセンターに行ったらそんな老人、うじゃうじゃいるぜ。そういうサイクルにはまっちゃうと思ったら元気もなくなって街作りどころじゃないわな。何しろ自殺者が年間30,000以上いるって国だからな。10年もしない内に浜松市の人口の半分がいなくなるんだぜ。病院なんかもすごいよ、暗い顔した病人で溢れてるよ」

 
※労働者のジレンマについては拙文「スペインのコオロギ」をご参照ください。

 ※Yahoo NEWS軽自動車は「地域の足」 郡部での普及は3割

 
軽自動車の郡部での普及率は約3割で、「地域の足」として欠かせない存在-。日本自動車工業会(自工会)がこのほどまとめた「軽自動車の使用実態調査」で、こんな結果が分かった。
 自工会が都市部以外の郡部を対象に実施した初めての調査によると、「5万人未満の郡部」における、人口100人当たりの軽自動車保有台数は29・7台。「30万-100万人の市」が14・3台、「100万人以上の市」が5・8台なのに比べ、よく利用されている実態が分かる。
 また軽自動車のうち、商用車を除く「軽乗用車」が「5万人未満の郡部」でどのように利用されているかを聞いたところ、利用者の約6割が既婚女性で、約4割が買い物が主な用途と答えた。
 自工会は「低価格、維持費の安さ、車体が小さく小回りが利くことなどで、特に郡部では軽自動車の利便性が発揮されている。鉄道・バスの公共交通機関が整備されていないことも利用者が多い背景にある」(軽自動車調査分科会)と分析している。(共同通信)

中心地街が活性化しないことと浜松市民にやる気がないのもリンクしている
「えーっ、なにそれ。問題はひとつってこと?」
「かも知れんね。これは平成16年7月11日づけの静岡新聞の風紋というコラムに載っているし、当サイトでも気紛れ日記で2ヶ月も前にブーイングを覚悟で書いてるけど
浜松っ子は浜松祭り以外はだんまりで自分の住む地域の街作りには関心がないっていうことを指摘してるんだよ。だから浜松市中心地街の活性化はされないっていうことなの。これは当事者である中心地街の商店主に確認しているので間違ってはいないはずだし、間違っているとしたら活性化のための研究会なり準備委員会なりがとっくに設立されていていいはずでしょ。そんな動きは聞いたことないよね。中心地商店街なんて相変わらず何の工夫もされてないよ。トランジットモールとかいう交通制限の試みも上からの一方的な押しつけで失敗してるし。市も街作りの基本を知らなさ過ぎるよな。それに商店街の経営者達も皆、歳取っちゃってて、そのうえ子供たちも受け継ぎたくないっていってるらしいよ。どうしてそんなに老いも若きもやる気が失せてしまってるのか。もったいないことだね。事実を指摘するような記事が新聞に載り始めたということは素晴らしいことなんだけど、浜松市民って浜名湖のアサリみたいで本当のことをいわれると口閉じて敵視するからなぁ、海面を撫でる一吹きの風で終わるんだろうな。ちっともやらまいかじゃないんだよな」

 
※浜松市在中、ASK Incの古山氏もご自身のサイトの「出放題00」で浜松市の街作りは「共通の土俵がない」「共有するイメージがない」および「街に明るい未来が有れば街に元気が出る」と指摘。また「明るい未来は自分たちの手で」と提案されています。

市民ひとりひとりが問題意識を持って自己実現と街作りに関心を持ち、力を合わせて行動すること
「これが出来ていないし、これからも出来ないだろうから浜松はいつまで経っても駄目なんだよ。みんな浜名湖のアサリだもの。
自己実現しよう、生活して楽しい街にしよう、同じ考え持ってるひとと友達になって一緒に活動しようなんて思うひと、いないから 
「それって、まんまCafé Chulapasのコンセプトじゃない。ふーん、だからお店にお客さんが来ないんだ、」
「ま、そういうことだね。宣伝不足もあるけどね。だけど子供があとを継ぎたくないっていう問題は同じだよ」
「無理もないわよ。お客さんが来なけりゃ楽しいも何なにも始まらないわ」
「まず親が楽しくやるってことが大切なんだね。
魅力ある街作りは魅力ある人作りからだっていう訳だ」
「それが街の活性化の基本かもね」
「そう、アサリは止めて泳ぎ出せっちゅうの」
「静男さんてひょっとしてタケシさん?」
「はっ?」

2004.7.11記

この記事は続きます

浜松市に弦楽合奏団設立
「静男さん、お久しぶり。ねえねえ、このあいだの新聞に来年の1月に浜松に弦楽合奏団が発足するって載ってたわよ。浜松市が音楽の都に近づく兆しじゃないのかしら、これって」
「う、うん。そう思うか、浜子さんは」
「え、どういうこと?そう思うかって・・・」
「確かに浜松には弦楽器による音楽というものが今まで皆無に等しかったんだ。だってヤマハもカワイもギター以外の弦楽器は今までまったく作っていなかったからね」
「別に地元で作ってなくたって関係ないじゃない、弦楽器なんて世界中にメーカーがある訳なんだからぁ」
「まあね、でもここは他メーカーの車で通勤する従業員の駐車場が遠く離れた場所に追いやられたり、自社生産の車や楽器を買ったり売ったりするノルマが社員に課せられる町だぜ」
「どういうことなの、それって?」

「つまり、浜松じゃ
儲からない楽器なんか使って音楽なんかすると冷たい目で見られる町だってことだよ」
「ええっ。信じらんない、そんなこと」
「変な町だよな、でもホントだよ。
管楽器以外はあまり盛んじゃないんだ浜松は。最近、ヤマハがバイオリンの制作・販売を始めたんだけどね」
「ははあーん、そんだもんで新しく弦楽合奏団を発足させようって訳なんだ」
※そんだもんで・・・それだからの意味を表す遠州弁。
「そういう読みもあるね。もっとも弦楽器が入ってこそのオーケストラだけどね」
「じゃ、素晴らしい事じゃないの。どこに問題があるっていうの?」
「どうしてそうやって浜松市民はいつも考えようとしないんだろう。考えてみればいいじゃん、弦楽合奏団ができたからって音楽の都になるかどうか」
「ま、確かに時間はかかるわよね。目に見えて変わったりするものなんかないわよ」
「ピンとがボケてるよ、そんな当たり前のこというのは」
「え、どういうこと?」

「この前さ、ウチに出入りしている庭屋さんから聞いた話だけど
浜松には富裕層がいないんだって」
「突然なんの話?声を落としたりして」
「富裕層がいないってことは労働者の町ってことだ。つまり
働くだけで疲れちまう人間ばっかりの町だっていうんだ彼は。それに花は貰うもので買うものじゃないって浜松の人間は思ってるから浜松は花の町にはならないともいってたよ。庭屋さんていうのは色んな地域の家庭に入って行くんだから、その話には真実味があるよ。花にしても楽器にしても心が求めなけりゃ身近に置くことはないんだよ、そうでしょ。君に聞きたいと思うんだけど、浜松がなぜ音楽の都にならなくちゃいけないの?」
「それは地元に大手の楽器会社が2つもあるからでしょう?」
「そうかな、なぜそんな必然性があるのかな。それって生産都市が持ってるコンプレックスに過ぎないんじゃないの?コンプレックスだけじゃ文化を創る原動力にはならないよ」
「話が難しいよコンプレックスとか・・・コスプレなら詳しいけど」
「変なことに詳しいんだね。コスプレいやコンプレックスの話は前回触れたから繰り返さないけど、音楽家はすべからく自分たちが何か特別で高尚なことをやっているって思ってる姿勢も問題があるね。モーツァルトのオペラなんか訳してみなさいよ、ろくなこといってないよ。ベートーベンだってI love youなんて曲作ってるし・・・。それに音楽家の野望っていうものがあるけど、気がついていないのは自分たちだけだし、そんなものに浜松市民はつきあっていられないし。だいたい音楽家っていうのは
クラシックっていう借り物の音楽しかやってないしね、自分の音楽が作れないような能なしに浜松を音楽の町にする力なんてないでしょ。俺達が与えてやるんだなどという思い上がった姿勢や、名声や金儲けという音楽家の野望を捨ててあちこちの街角で弦楽四重奏でも始めたり、さまざまなコラボレーションを始めて音楽の可能性を追求するような活動を、まず自分たちが始めればいいかも知れないけど、そこまでやって街作りをなんて思う音楽家はいないね。知ってる?ピアニストなんてピアノしか弾けないんだぜ。あれっ、どうしたの横向いちゃって」

「・・・・静男さんの話、聞いてると時々、絶望的になるのよね」
「ホントのこといってるだけなのに何で絶望するの、
絶望から出発すればいいんだよ」
「音楽文化は市民が作れっていう訳ね」
「そうだよ、音楽家だけが文化を創ったり担ったりする訳じゃないんだよ。音楽なんてリコーダー1本でもできるし、楽器がなくったっても出来るんだよ、音楽を愛する気持があればね」
「そうかあ、私にゃあないわ。音楽を愛する気持とか花を愛する気持とかないから。そういう風には育ってないってゆうか・・・。ってゆうか
愛するってゆえば男でしょ
「うわーっ、どうして今の若い女は慎みがなくなっちゃったんだろう、ぶよぶよしたヘソとか平気で出して歩くし、高校生なんかもぶっといフトモモだして歩いてるし、コンビニじゃパンツ丸出しで男あさりとかするし・・・露出狂かお前ら。男と女のあいだの愛だけが愛じゃないでしょうが。ヨンだかペだか知らないけど反日教育国家の若者に血道をあげる中年女性なんかにも浜松を音楽の町、花の町にする気持なんかある訳ねえよなー。だって自分のことしか考えてないんだもんなー」
「あったりっー」
「だめだこりゃ」
「静男さんて、いかりやさん?」
「だっふんだ」

                                                             004.12.19記
当サイト「気紛れ日記」の「左肩にがついいている」浜松市街作りに関するコメントもぜひお読みください。