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考える広場自衛隊とシビリアンコントロールシビリアンコントロール(文民統制)が改めて問われている。自衛隊海外派遣部隊の日報を巡る問題、自衛官による国会議員への暴言…。この国で文民統制は機能しているのだろうか。 <シビリアンコントロール(文民統制)> 軍事に対する政治の優位を規定し、軍の暴走や政治介入を防ぐための仕組み。自衛隊法は、自衛隊の最高指揮監督権は内閣を代表して首相が有する(7条)、防衛相は自衛隊の隊務を統括する(8条)と定めている。また憲法66条は、首相と国務大臣は文民でなければならないと規定している。
◆議論の上権限委譲を 参院議員・外務副大臣 佐藤正久さん自衛隊の南スーダン、イラク派遣部隊の日報問題は、文民統制に関わりかねない問題だと考えています。防衛相が探すよう指示したのに、それが伝わらなかった。統制を受ける対象である事務方の対応は不十分だったと言わざるを得ません。ただ、統制を受ける隊員が実力をもって政治の意思をねじ曲げたというようなレベルの問題ではありません。文民統制の根幹に抵触するとは考えていません。 防衛相の指示は曖昧だったかもしれません。しかし指示を受けた側も指示が曖昧だと思えば確認しなければいけない。そのキャッチボールができていれば違う形になっていたはずです。 意図的に隠蔽(いんぺい)したという批判がありますが、そうではないと思います。指示が曖昧だった上に探し方が悪かった、紙だけでなくデータも行政文書にあたるという法律の知識がなかった。結果、大臣への報告が遅くなったということだと思います。 しかし、防衛省は組織として大丈夫なのかという疑念は持たれても仕方がないと思います。横の連携やコミュニケーションが不足しています。ガバナンス(統治)に問題があり、再発防止に向け、しっかり取り組んでほしい。現場ももっと法律に関心を持ってほしいと思います。 小西(洋之)議員に対する自衛官の暴言も文民統制の点から問題視されました。確かに言動には問題があり、イメージだけで言っている点も気になります。しかし、組織としてではなく、一個人としての言動であり、文民統制とは違う話だと思います。(訓戒という)処分も、過去の処分の例、政治に対する問題発言への処分例と比較して適切だったと思います。 文民統制の枠の中で、現場への権限委譲も場合によっては必要になります。例えば、海外で国際貢献活動をしていて、活動地域が危険な状況に変わった場合、活動を一時的に休止する判断は現場に任せてもいいでしょう。活動中断、撤収となれば判断するのは防衛相や首相です。弾道ミサイルを迎撃する際も個別に防衛相の指示を待っていては国民の命を守れないケースも出てくるでしょう。 何をどこまで現場に判断させるのか。それは事前に国会や内閣、国家安全保障会議などで議論した上で決めておいて、防衛相が命令を出す。これなら文民統制に反しないと思います。 (聞き手・越智俊至) <さとう・まさひさ> 1960年、福島県生まれ。防衛大学校卒。元陸上自衛官。自衛隊在職中、イラク先遣隊長、復興業務支援隊長などを務めた。2007年から参院議員。17年から外務副大臣。自民党。
◆現場は任務遂行のみ 漫画家・藤原さとしさん子どものころから絵を描くのが好きで漫画家に憧れてました。高校卒業の直前、ある漫画賞に投稿した作品が駄目で、迷わず自衛隊に入りました。昔、自衛官から話を聞く機会があり、普通の会社ではできないことがやれそうだと、もともと興味があったからです。 任期一期、二年でやめましたが、入ってよかったと今でも思います。同じ釜の飯を食った体験は何ものにも代えがたく、仲間とは今でも付き合いがある。思い出すのは、訓練以外の場面。ばかなことをやったり、話したり。あの時、あいつが盛大によだれを流しながら寝ていた、そのよだれを皆でじーっと見ていたなあ、なんて(笑い)。 当時は今より、いろんな年齢、経験の人たちが集まっていました。でも、自分の人生に活を入れたいと思っている点は同じで。自衛隊は連帯責任の世界。誰かがへまをすると皆でそれを補う。最初は怒られるからやっていましたが、最後には自然とそうなった。一緒に苦労してここまでやって来たんだから頑張ろうぜと。一種の共同体です。 十代でしたし、国防とは何かなんて深く考えてなかった。そんなことを考える間もないくらい、やることがあった。だから、「シビリアンコントロール」という言葉も縁遠い。国会議員をどなった自衛官が問題になりましたが、それを一般化する気になれません。二十四万人も自衛官がいれば、いろんな人がいるだろう、としか。 憲法上の位置づけも、ぴんと来ない。安保法制の論議がありましたが、現場の自衛官は「賛成、反対のどっちも、(自衛官ではないので)戦場には行かないし」と思っていたのでは。自衛官を主人公にした「ライジングサン」の中で、自衛官に最も必要なものは「理不尽への耐性」と描きました。今も自衛官をしている仲間たちは「任務だと言われたら、やるよ。そのためにいるんだから」と思っている。それが現場に立つ者の誇りです。 自衛隊のイメージは昔とは比べものにならないくらい良くなっている。でも、自衛官が早い人だと五十三歳で定年を迎えることをご存じですか? 彼らは第二の人生への不安を抱えながら任務に就いている。給与も決して高くはない。せめて定年を六十歳にできないのかなと思う。国民の皆さんには、そんな自衛官に寄り添ってほしいと思います。 (聞き手・大森雅弥) <ふじわら・さとし> 1974年、大阪府生まれ。自衛隊を舞台にした「ライジングサン」(全15巻、双葉社)がヒット。続編の「ライジングサンR」の連載が9月から、「漫画アクション」で開始。
◆最後は国民が止める 同志社大教授・武蔵勝宏さん米国の政治学者サミュエル・ハンチントンは、軍人は軍事のプロフェッショナルとして軍事問題だけに特化すべきであると指摘しています。政治はシビリアン(文民)が行い、軍人は政治に関わってはいけない。これがシビリアンコントロールの大原則です。 戦前の日本では軍人が政治にも関わり、それがクーデターや戦争につながりました。その反省から、自衛官が政治家と接触することは訓令で禁じられていました。日本の文民統制はかなり有効に機能していました。ところが、この訓令は一九九七年に橋本龍太郎首相の判断で廃止されました。 文民統制の一つの形として文官統制という仕組みもありました。防衛省内で、背広組といわれる文官が、制服組の自衛官をチェック、統制する仕組みです。しかし、二〇一五年の防衛省設置法改正で、文官統制もなくなりました。政府は両者の統合・一体化と言いますが、事実上の制服組強化です。 文民統制は法に基づく制度ですが、立法過程でも考えることができます。その視点から一五年の安全保障関連法を巡る動きをみるとき、誰の意見が反映されたのかという点が重要です。 新しい安保法制には従来、制服組が要求していたものが随所に入っています。集団的自衛権はもとより、任務遂行型の武器使用とか駆け付け警護などがそれです。自衛隊を随時、海外派遣できる国際平和支援法も自衛隊がかねて言ってきたこと。国民のためのようにみえて、実は自衛隊のニーズに沿う法整備だったのではないでしょうか。 国会審議で、野党が違憲だから絶対反対というのは分からなくはありません。しかし、重要な政策に関しては、できるだけ合意点を見つけようと努力することも必要です。一方、与党は野党や国民の意見を聞く気がなかった。政治の側が文民統制を台無しにしてしまいました。 今は、権力が集中しすぎてブレーキがかからない状況です。官僚は忖度(そんたく)し、防衛省の背広組や野党は弱体化しています。となると、最後は国民がブレーキをかけるしかありません。 この法律の運用にあたっては情報公開と国民の合意が必要です。自衛隊を海外に派遣しようとするのなら、その是非を判断するために十分な情報を国民に公開しなければなりません。 (聞き手・越智俊至) <むさし・かつひろ> 1961年、徳島県生まれ。神戸大卒。専門は立法政策過程論。博士(法学、国際公共政策)。著書に『冷戦後日本のシビリアン・コントロールの研究』(成文堂)など。 |
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