2話
ティースと重蔵は互いの名前を交換すると、2人で揃って歩き出した。
通りを外れ、細い道を抜けるように歩く。そうやって歩いていると、徐々に寂れた雰囲気が漂いだした。貧民街。迷宮都市の暗い部分がそろそろ見えかかるというぐらいの場所。
そこに1つのあばら家があった。
迷宮都市ラッケルブレルでは基本、レンガで家は造られる。実際、貧民街でも家屋はレンガで出来ている。
ただ、そのあばら家は違う。木材で立てられているのだ。焼ければ崩れ落ちてしまうもので作るということ。それは周辺の家屋より貧しいことを意味している。
そんなあばら家が、完全に廃屋とは思われないのは、その周囲が非常に綺麗に掃除されているからだろう。ゴミが似合いそうなのに一切無く、雑草すら綺麗に引っこ抜かれている。それはそのあばら家をどれだけしっかりと管理しているかを充分に物語っていた。
重蔵とティースは2人で揃って、そのあばら家に向かう。見慣れたティースは当然にしても、薄汚れた家を前に、重蔵の顔に驚きも嫌悪も無い。それ以上に心を占めるものがあるのだろう。
入り口の前、そこには奇妙なモノがあった。
入り口部分に板が打ち込まれていたのだ。それは2本の板の上を渡すように、2本の板が乗っていた。交わる部分で釘が打たれているのか、ピクリとも動かない。周囲の家屋には無いため思いっきり浮いており、一見すると非常に違和感が強いものだ。
「あれ、私が作ったんですよ」
ティースの指が入り口の板に向けられる。それを目に、重蔵はそのボロい木を組み合わせたものが何かを考え、ようやく気が付く。
「……もしや、あれは鳥居……ですか?」
板で作った。ぼろい。
そういった外見的な特徴を取り除けば、確かに鳥居に似てなくもない。いや、鳥居と聞かされて、そういった目で見れば確かに鳥居だ。それ以外の何ものでもない。
「そうです。鳥居です! このはなのさくや様にお聞きになって、作りました!」
えっへん。音を付けるならそんな音が最も相応しいような、そんな表情をするティースから目を逸らし、重蔵は険しい顔でそれを眺める。
何か怒らせたかなと、ティースは不安げに重蔵を眺めてから、ぽんと手を打った。
「そんな緊張しなくても大丈夫ですよ。佐々木さん」
重蔵の目が鳥居から離れて、ティースの元へと向かう。
表情は鋼の如く。されど重蔵の内心を困惑が襲っていた。
何故、ティースという少女は、重蔵の内心を理解できたのか。重蔵が15年ぶりに見る日本の面影に、己の最大の望みが叶うのではないかと、不安と希望で押しつぶされようとしているのが。
重蔵はこの世界に来た頃から、己の心を完全に隠し、たった一つの目的に向かって進んできた。その鋼の心は決して誰にも読ませなかった。賢者、大魔法使い、王族。相手の心を読むすべに長けたどんな相手をしても、かつての目的は違えど狙いを同じにした存在たちにしても、重蔵は読めない男と呼ばれてきたのだ。
それなのに、何故、こんな人生経験が足りなそうな娘に読まれたのか。
心を読んだ? たまたまか?
そんな疑問が脳裏に浮かぶが、答えは当然出ない。いや、ティースの明るい笑顔には答えに繋がりかねないものは、一切浮かんでいないからだ。
「でも鳥居を知ってるってことは、本当に佐々木さんはこのはなのさくや様と同じ世界から来られたんですね!」
「え、ええ……」
天真爛漫なティースを前に、一瞬だけ、重蔵の心に痛みが走る。
今まで失ってきたと思った痛み。それが走ったことにわずかな困惑を抱きながらも、それ以上の炎が心の中で暴れ始めるのを感じていた。
重蔵は呼吸を繰り返し、心を鋼の如くする。例え黒い炎といえども、簡単には溶かすことのできない心に変えたのだ。
それに謝るべきはこの中にいる方に対してだ。重蔵はそう思い、中を見据えるように視線を送る。そんな重蔵をどう思ったのか。ティースは明るく声をかけた。
「では、行きましょうか。あっと、入り口ではご面倒かもしれませんが、靴を脱いでくださいね」
◆ ◆ ◆
「戻りました! このはなのさくや様!」
自らのたった1人の神官が戻ってき、そしてその元気な声が飛んでくる。
奥の存在は微笑む。あの元気の良い、太陽のごとき笑顔が瞬時に頭に明確に浮かんだためだ。
それからふと頭を傾げた。
このはなのさくや。
その名前は聞いた奥の存在は違和感を覚える。いや、自分の名前なのだから違和感は無い。その理由を考えた奥の存在――このはなのさくやはようやく違和感の正体を掴む。単にティースがその名前で呼ぶというのが違和感の元なのだ。
かつてティースには自らを呼ぶときは、佐久夜で良いと言ったことがあったのだ。それに対して、ティースは自らの神の名前をそんな短縮して呼ぶことは出来ないと言い切った。結局、1日という長い時間の討論を得て、通常時は佐久夜。そして誰か来たときや、外などの礼儀を守るべき時はフルネームで呼ぶという結論に達したのだ。
それからするとフルネームで呼ばれるということは――
「お客様がこのはなのさくや様にお会いしたいとのことです!」
◆ ◆ ◆
ティースが奥に声をかけて数十秒。入り口の土間で待つ2人のもとに、静々と奥から1人の少女が姿を見せた。
長く艶やかな黒髪、清涼とした湖を思わせる黒眼。肌の色は黄色。ティースに負けず劣らずというほどの美貌だが、その美貌は神秘的なものを内包していた。
白衣に緋袴のように見えるよう形を整えた衣装――ただし僅かにぼろい――を纏っている。
年齢は非常に幼い。10歳ほどだろうか。しかしながらその美しい顔の上に浮かんでいる表情、そして瞳に浮かぶ知性は決して子供のものではない。
飲み込まれんばかりの深い色を湛えた瞳が、重蔵を正面から射抜いた。
「お帰りなさい、ティース。そしてようこそ、お客人」
「ただいま戻りました。そしてこちらがこのはなのさくや様にお会いしたいとおっしゃっていた、佐々木重蔵さんです」
はぁ、と荒い息を1つついた重蔵が、奥から現れた少女に問いかける。
「ぉ……」緊張感からか言葉にならない。数度呼吸を繰り返し、重蔵は再び口を開く。「ぉお名前は漢字ではこのようにお書きになるのでしょうか?」
重蔵の中空に立てられた人差し指は、見えざる文字を虚空に描く。
書かれた文字は『木花之佐久夜姫』だ。
それが読み取れた少女は僅かに目を細くしてから、1つ、大きく頷いた。
「その通りです。それは私の名。それを知るということは、あなたは日の本の者ですか?」
その答えを聞き、重蔵が驚愕の表情を作る。それから全身が瘧でも走ったかのように震えだした。
「大丈――」
ティースの声を振り払うように、重蔵はばっと後ろに飛び退き、そしてその勢いを殺さないような速度で、大地に平伏した。そして額が大地に打ち付けられる痛々しい音が響いた。
「伏して! 伏して、お願い申し上げます!」
顔は伏せているためのどのような表情を浮かべているかは分からない。しかしながら重蔵の血を吐かんばかりの叫びには強い思いが含まれていた。必死という言葉を通り越し、強い意志によって空気が動いているのではとティースが感じるほど。
視界の隅で、自らの神である佐久夜が顔を歪める。おや、と思ってティースが視線を動かしたときには、いつもの優しげなものに戻っていたが。
それでも佐久夜の表情はティースの見間違いではないという確信があった。
あれは――。
ティースが佐久夜の表情が、記憶にある何かと一致するような気がして、共に暮らした10年間を思い出そうとするが、それを破るように重蔵の叫びが再び聞こえる。
「何卒、何卒! 私を元の世界、日本に戻して頂きたくお願い申しあげます! 木花之佐久夜姫様、何卒、お願いいたします!」
再び額と大地がぶつかる、がつんという音がした。
「……私たちが守護せし日の本の者よ。まずは頭を上げ、入ってきなさい」
「何卒。何卒――」
佐久夜の言葉が聞こえないように、繰り返す重蔵。それを悲痛な顔で見つめてから、佐久夜は表情を硬く冷たくさせる。ティースが今まで滅多に見たことの無いそんな表情だ。
「日の本の者よ。もう一度言います。頭を上げなさい」
「――はっ」
恐る恐ると、重蔵が頭を上げる。額は大地に勢い良く打ち付けたため、真っ赤になっていた。そして極度の興奮状態にあるのか、呼吸音は荒く浅い。
「詳しい話を聞きたいと思います。中にお入りなさい」
「はっ!」
2人は靴を脱いで中に上がる。ミシミシ、キシキシというような音を立てるあばら家だ。しかしながら掃除は非常に行き届いており、汚いというわけではない。
清浄。そんな言葉が相応しい。
そして暗いせいかは不明だが、微妙に厳かさもあるようだった。
このあばら家で最も広い部屋――10畳ぐらいだろうか、入って直ぐそこに部屋に正座した者達は重蔵の話を聞く。
15年前。
佐々木重蔵はこの世界に飛ばされた。どうして飛ばされたのか、なんでなのかはさっぱり分からない。それからただひたすらに元の世界――日本に戻ろうと行動をしてきたのだという。
要点だけを言ってしまえばそれだけの話だ。ただ、時折言葉を濁したりするところに、重蔵の旅の過酷さが物語られていた。それに15年前であればまだ世界法則の壊れてなかった時代、言葉の壁だってあったのは間違いが無い。今までと違う生活環境。それはどれだけ重蔵を苦しめたか。
そしてなにより重蔵を苦しめたのは――
「……私には子供がいるんです。幼馴染だった妻はもともと体が弱く、出産の折に……」
重蔵の瞳に浮かび上がるものがあった。
「妻には約束したのです。私たちの息子は……俺が……育てると。そして1年後、この世界に来ていました……。もうあれから15年です……。恐らくは私の両親が面倒を見てくれてるとは思います……が……」
涙が堰を切ったようにあふれ出した。ティースと佐久夜、側にいる2人は知らないことだが、重蔵はこの15年間、決して人前で泣いたことは無い。悔しかったからだ。涙を流すということが。己の大切なものを想って何かをするというのが、この世界に何かを与えるというのがたまらなく嫌だったからだ。
しかしながらもはや涙を止めるすべを重蔵は持っていなかった。
「15年。……長すぎる時間です。今では息子は……16歳です。息子には今更父親面は出来なくても良いのです……たった1年間しか面倒を見なかった男なんか、父親と呼ばれるには相応しくないのですから! それでも言いたいんです! 木花之佐久夜姫様! 私は言いたいんです! 子供に! 愛していると! 決して捨てたんじゃないと! 息子が殴りたいというのなら、好きなだけ殴らせてやりたい! 息子が何かで苦しんでいるなら直ぐに救ってやりたい! お願いします! 私を元の日本に戻してください……!」
顔をうつむかせ、ボロボロと涙を床にこぼす重蔵。
重蔵という鋼を思わせる男は今ではどこにもいなかった。そこにいたのは、愛する子をその手に抱けない父親だった。
佐久夜とティースは黙ってその光景を見つめていた。そしてポツリとティースが問いかける。
「……可能なんですか? 佐久夜様」
思わず客がいるのに、親しい名で呼びかけるほど、ティースは重蔵に思うところがあったのだろう。
「可能……だとは思われます」
「……本当ですか!」
ばっと涙を拭いながら重蔵が佐久夜に顔を向ける。
「……この身では無理ですが、信仰が集まった状態。私がこの世界に来た頃の力を取り戻せば、何とかなると思われます」
「――おお!」感極まったように重蔵が震える。「ならば私も全てを投げ打ってでも――」
「――ただ、その前に1つだけ質問が」
すっと佐久夜は静かに重蔵を見据えて、口にする。
「佐々木重蔵。あなたに聞きたいのです。この世界に対してあなたはどのような感情を抱いていますか?」
重蔵が一瞬だけ口ごもる。それから即座に口を開いた。
「それは……素晴らしい……世界かと……」
それに対しての佐久夜の答えは苦笑いだ。
「言葉を飾ったり、偽ったりする必要はありません。あなたの素直なものを吐露しなさい」
隠したところで意味はない。重蔵はそう直感する。目の前の少女は外見だけが少女なのだ。中身はまるで違う。下手すれば重蔵よりも人生経験をつんだ存在だ。それを理解した重蔵は真実から遠いことを言うのを止める。
すっと重蔵は息を吸い込む。そして吐き出した。
「――憎い!」
ぐわっと部屋が揺れ、狭くなったようだった。
「憎い、憎い、憎い、憎い。この世界の全てが憎い。俺をこんな世界に呼び出したこの世界が憎い! 子供と引き離したこの世界が憎い! 憎い! 憎い! 憎い!」
重蔵の口から憎悪の炎が見えるかのようだった。周囲が暗くなったように思えたのはティースの勘違いではないだろう。
「喜んでいる奴が憎い! 怒っている奴が憎い! 悲しそうにしている奴が憎い! 楽しそうにしている奴が憎い! 全てが憎い! 生を満喫している奴が憎くて憎くてたまらない! 死んだ奴が――この世界から逃げていく奴が憎すぎて許せない!」
1つ憎いという言葉を口にするたび、ざわざわと重蔵の体の下で何かが蠢いているようにも思えた。その蠢くものは限界まで達し、重蔵の体を食い破――
――パン。
1つ、佐久夜の手が合わさる。
そこより生じた音が清浄な空気を周囲に巻き起こす。それに触れた重蔵の体が一瞬だけ振るえ、そしてその憎悪を流しさった。いや、中に収めたという方が正解だろうか。
もはやそのどこにも蠢く影も、歪むような気配も無い。
夢から覚めたようなぼんやりとした顔を重蔵は見せ、それから自分がどこにいるのか、誰を相手にしているのかを即座に思い出す。
「――っ! 無様なところをお見せしました!」
土下座した重蔵の額が床とぶつかり、ガツンと音を立てた。
「……良いのです。尋ねたのは私ですから」
重蔵を外に出し、佐久夜はティースと話を始める。
「……彼をどう見ましたか?」
「……凄く強そうな人だなって」
佐久夜は微笑む。しかしながらどこか寂しげな笑い方だった。
「そうですか。それ以外には?」
「なんというか……可哀想というか……」
「それはこの世界に一人で、ですか? 子供が可哀想で、ですか?」
「うーん。それもありますが、それとは違うよな……。だって佐久夜様もある意味お一人だったのですから」
神と人は違うと思うような。そんな言葉を決して佐久夜は口には出さない。
ティースという少女の凄いところは、時折、神すらも人のように扱うことだからだ。確かにそれを不快だと思う神もいるかもしれない。しかしながら佐久夜はそれを非常に好意的に思っていた。
「では、どうして?」
「最初は怖いって思ったんですよ。でも会って、佐久夜様との話を横で聞いていると、なんとなく怖いっていう中に可哀想って感じがあるような……えっと、そんなのがしてきたんです。うーん。えっとなんて言えば良いのか……」
心の中に浮かんだものを形にし、口にすることは難しい。
湖面に浮かんでいるものを掬い取れないような、そんなもどかしさをティースが抱いているのが充分に理解できたのだろう。佐久夜は優しく微笑む。そしてティースが何を言いたいのか、そこまで読みきった佐久夜の瞳には、感心と満足げなものがあった。
――ほんと、この娘は優れた才覚を持つ。
佐久夜は言葉には出さないが、自らのたった一人の巫女――いやこの世界風に言うなら神官を褒め称える。
「本当にティースは重要なところを掴むのが上手いですね」
そして佐久夜は浮かんでいた笑顔を一瞬で消し――
「あれは『鬼』です」
――その可愛らしい顔には険しいものが浮かんでいた。
「鬼……ですか?」
その険しさに押されるように、ティースは恐る恐る尋ねる。
佐久夜という神は、険しい表情を滅多に浮かべることのない神だ。ティースも他の神までは詳しくは知らないが、神々は顕現している影響なのか、人などと同じように普通に喜怒哀楽を表に出す。
それに対して佐久夜は自らが徐々に消えていくという状況にあってなお、険しい顔をしたことがないのだ。ティースの記憶にある中で本気で険しい顔をしたのは、つい最近であればティースが自らの体を使った方が良いかと尋ねたときぐらいだ。
『鬼』
そんな自らの神が険しい顔をする言葉。
聞いたこともない名称だが、佐久夜の世界の言葉だろうと当たりを取ってそれ以上問いかけない。ティースの神はティースがわかってないと知ったら直ぐに細かく教えてくれるからだ。そして事実そうであった。
「鬼とは色々な意味がありますが、この場合は強い怨恨を持った者が人を止めた末に行き着くモノ。人にあらざるおぞましき存在です」
「えっ?!」
重蔵は外から見れば、どうやっても人にしか見えなかった。それが人ではないというのだろうか。そんな混乱がティースを襲う。
「彼はまだ人なのでしょう。ですが『鬼』になりつつあります。先ほども見たと思いますが……彼はこの世界を憎悪し、全てを憤怒し、それを杖に歩き続けて来たのです。その長期に渡る憎悪は心を包み、心より漏れ出たおぞましい気配は身を包みつつあります。彼が放つ威圧は――敵意を強めた邪なものです」
『鬼』は強い。
オーガや角の生えた巨人という存在はこの世界にはいる。しかしながら佐久夜の言う『鬼』はそれらとは違い、人――定命の生き物の力を超えたという意味でだ。つまりは怨念によって人を逸脱した『鬼』になりつつ、そして生きてきたから重蔵は強い。
もし仮に彼が完全に『鬼』となれば、その力は憎悪に比例する。そしてその憤怒はこの世界全てに向けられるだろう。いうなら重蔵は世界の敵になりかねない存在――巨大な爆弾だ。それも火がついており、いつどこで爆発するか分からない類の。
もしかすると今日、明日にも爆発するかもしれないのだ。
そして佐久夜が見るところ、重蔵が『鬼』となれば神々が相手にならなければならないクラスのものへと成り果てるだろう。無論、これも今現在の強さによって変動はするだろうが。
仮に重蔵がこの世界を放浪する中で、力を得てきていたら……。
佐久夜は自らの想像に身震いをする。それから真剣な面持ちで佐久夜を見つめる、ティースをそれとなく観察する。
その中にあって、この娘は――。
気づいて無いというよりも……。
そこでかすかに佐久夜は微笑を浮かべた。それはティースを褒め称えるべく浮かべたものだ。
「ティースが可哀想と言ったのは、彼が気を許したから、鬼の内面を見れた上での感想でしょうね。心の優しき娘です」
憎悪と憤怒によって成りつつある『鬼』をして、可哀想と言い切れるその性根。それは佐久夜をして心地良いものがあった。
「い、いえ、そんなことは決してないです。そんな気がするっていう程度の、根拠もない言葉ですから。ほんとです! そんな内面まで見たなんて! それに『鬼』とか凄い人だとは……まるで思っていませんでしたから!」
ティースは顔を真っ赤にすると、慌てて手をバタつかせる。
自分に思い当たる点がないのに褒められることほど恥ずかしいことは滅多にない。そういわんばかりの行動だ。そんな行動を取る自らの神官に、佐久夜は非常に好意的な視線を送った。
それから緩みかけていた頬を再び硬くする。
「ただ、問題は彼は鬼になりつつあります。鬼は害悪を撒き散らすもの。私の今のこの身に鬼を静めるだけの力はありません。先の拍手が効果を発したのは、彼が完全に鬼となってないから。もし完全に鬼となれば止める方法は無く、そしてその憎悪はこの世界の者――あなたに最初に向かうでしょう」
鬼に人の常識は通じない。例え仲良くしていても、あなたが殺される可能性は高い。
そういって佐久夜は言葉を閉めた。そしてティースの不思議そうな表情に気づき、佐久夜もまた不思議そうな表情をとった。
何か分からないことでもあるのだろうか。そんな疑問が佐久夜の胸中に起こったのだ。
「……だからこそ重蔵さんを鬼になる前に救うんですよね?」
「…………」
絶句。
佐久夜は絶句する。
自らが思い、警戒していたのは、重蔵を招き入れることで鬼と変わった彼によってティースが殺されること。それに対してティースが思うことは鬼となる前、人であるうちに助ける方法を見つけること。
絶句から破顔へと佐久夜の表情が変化する。
いまだ、この娘――ティースを、10年の付き合いがあってなお、低く見ていたことを悟って。
「…………あなたは…………」毀れるように佐久夜は言葉を漏らし、首を振って正面から強くティースを見つめる。「あなたはもしかするとこの世界で最高のみ――神官の素質を持つのかもしれません」
「うえ?! な、なんでですか!」
どうしてそんなに褒められるの。
そんな困惑を思いっきり顔に出すティースに、佐久夜は微笑む。
「……的を射るという言葉がありますが、あなたの場合は真理を射るというのが正しいのかもしれません。本当に私どころか大神に仕えるのが良いかも知れない神官ですね」
「わたし――」
突如、険しい顔を浮かびかけたティースに手を差し出し、言わんとする言葉を止めさせる。
「分かってます。ティース。あなたの信仰を私は嬉しく思っています。あなたは私の最高の神官ですよ」
「ありがとうございます!」
歓喜し、ペコリと頭を下げようとするティースを佐久夜は止める。
なぜならティースが頭を下げるなら、佐久夜だって自らの最高の神官に頭を下げなくてはならないから。そして頭を下げればティースが再び頭を下げるという、いつまでも終わらない光景が始めるだろうと知っているからだ。
「これぐらいにしましょう。彼が待ちくたびれてしまいますから」
「そうでしたね。重蔵さんがお待ちですものね」
「では、彼を招きましょうか」
「はい。これで重蔵さんも佐久夜様に仕える者ですね! 後輩です!」
そんなティースの明るい声に佐久夜は微笑を浮かべた。
主人公がかっこよく泣けたり、土下座できてたら良いんですけど。