1話
始まりは真円を描く太陽が最も高くに昇ろうとする頃だった。
その下にはあったのは分厚く頑丈な城壁に面した、巨大な門だった。一度に何十人以上もの人間が、手を繋いで通れるほどの大きさを持つほどの。
横幅が桁外れならば縦幅も桁外れだ。そして城壁の厚さも。
もはや威圧感というものを通り越し、驚嘆しかそこには残らない。そんな巨大な城壁が、広大な敷地を囲んでいた。
カルミヤ大陸、ゴルドラ王国、その一都市。
『ラッケルブレル』。
生と死の狭間に無限の富が眠る。そう言われ、多くの者達を呼び集めるだけの魅力を放つ都市。そしてそれは呼び寄せたぶんだけ数が減っていくということを同意語。
事実、どこかと交戦中とか、疫病がはやっているとかの理由が無いにも関わらず、その都市の死者の数は王国内でも群を抜いている。何故ならば――
――『迷宮都市』。
巨大な迷宮を3つ、その都市の中に内包していたからだ。
混沌の渦によって生み出されたその迷宮では、混沌がモンスターの形を取り、それを殺すことで等価となるものを落とす。
魔法の武器や防具、秘薬、黄金、様々な物品――。
一攫千金を目指す者達、力を欲する者達、名を広めることを目的とする者達、そういった欲望を持った者達が、大陸中が集まるところ。
迷宮都市ラッケルブレル。
人はその都市を――そう呼んだ。
そんな分厚い市門を抜け、一人の男が日差しの中、歩を進めた。
この都市を一直線に通り抜けるはずの、主なる道路は当然喧騒が満ちている。市門脇の壁沿いに並ぶ無数のテント。そしてその中に並べられた数多くの物品。魔法の物品だって全然珍しくは無い。いやラッケルブレルであれば魔法の物品はいくらでも流通している。
道路わきでは多くの者達が声を上げて、道行くものたちに呼びかけていた。
活気に溢れんばかりのその世界は、恐らく大陸でも有数の熱気に満ちているだろう。
誰もが目を奪われ、好奇心を強く刺激されることとなるのは間違いが無い光景。特に初めて訪れたものならば確実にそうなるだろう。
しかしながら何事にも例外というものはある。
市門における2時間にも及ぶ拘束時間があったためか、はたまたは容赦なく照りつける太陽のためか。
男の歩運びはまっすぐ前を向いた、わき目を振らないものだった。
男は身長は180センチほど。人間の男という点から考えればかなりの身長ではある。しかしながら人以外の様々な種族の姿が見えるこの都市にあっては、さほど高いということは無い。高いというのは2メートル後半を超えてこそ、ようやく高いというのだ。
着ているものはさして大したものではない。
薄汚れた皮鎧。日差しから顔を隠している、日に焼けたフード付きのマント。腰のボロい皮製のリュックサックは小さくしぼんでおり、中に大した物があるようには思われない。腰には剣すら帯びていない。
外見からは旅人――それも貧しい旅人と判断するのが最も妥当な線だろう。そんなためか、男に声をかける者は非常に少ない。
しかしながら、そんな中、一つだけ目を引くようなものがあった。それは背負った奇怪なものだ。
剣なのだろうか。
確かに剣の柄のようなものが伸びてはいるし、皮で作ったような鞘――最後にクエスチョンマークが付くが――に納まっている。ただ、それは正方形に限りなく近いのだ。男の背中から左右が飛び出すほど。やたら幅広のそれは、タワーシールドを背負っていると言っても良い。その外見からはそれがどのような外見をしており、どのように使用するのか推測すら立たなかった。
どこかの地方で伝わる余り知られない特殊武器――そんな想像が精一杯だろう。
活気を切り裂くように歩く男は、被っていた日除けのフードを外し、中空を睨む。睨んだ先には何も無い。透き通るような青天が広がるばかりだ。しかし、目には見えない敵がいるような、そんな鋭い視線を送った。
その瞬間、決して止まないはずの喧騒が、一瞬だけ小さくなった。
それはまるで男の外見に惹かれるように。そして男の雰囲気に押しつぶされるように。
男は黒眼、黒髪。黄色というべき肌の色。あまりこの辺では見ない人種のものだ。
鋭い眼差しに、一文字に引き締められた唇。硬く、鋼のような顔立ちは今までの生きてきた過酷な日常が、厳しさというものを焼き付けたようだった。
年齢的に30は過ぎているだろう。
顔立ちは決して悪くない。美醜という面で見るなら、トータル的に判断すれば美形に所属する者だ。
しかしながらその程度の美形ならばこの都市には無数にいる。決して周囲の音が小さくなるほどの感銘を与えるものではない。
ただ、身に纏った雰囲気。それが違ったのだ。いや、別格とも言っても良いだろう。
王や、高位の貴族という生まれながらにして特別な存在がかもし出す雰囲気。
歴戦の戦士や人間をはるかに超えるような生物が持つ、上位者としての雰囲気。
そういったものとは違いながらも、そういったものに似ている雰囲気。それを男は持っていたのだ。
男の視線が揺れる。
周囲を見渡したのだ。
周囲で男を見ていた者たちが慌てて目を伏せた。そう。その場にいた殆どの者達が――。男の視線と絡まるのが失礼であるとでも言うかのように、無数の集まっていた視線が周囲に散っていく。
ごくりと誰かが喉を鳴らしたのが聞こえたような、そんな緊張感がその場にはあった。
男の表情に変化は無い。
特別に心を動かされるようなものは無く、そして塵芥に動かされることは無い。その表情からはそうとしか取れなかった。再び、男はフードを被る。それから、再び前を見据えて歩き始めた。
男が歩き出すと、遅れて喧騒が戻ってきた。抑圧された空気が、ゆっくりと元に戻っていくように。無論、その中でも最も話題になったのは男のことだ。
「……あれは?」
「いや、今までこの都市では見たことが無いぞ」
「分からんが、一級の戦士だな」
「どう見てもな」
「しかし、剣を帯びてはいなかったようだが?」
「魔法による顕現を行う者だっている。そういう手合いじゃないか?」
「……声をかけなくても良かったのか?」
「……すまん。正直、飲まれた」
「ああ、実は俺もだ。……逃がした魚はでかいなぁ」
「……なら追って声をかけるか?」
「勘弁してくれよ。あの男の前に出たらきっと何も話せなくなるさ」
「違いない。あの見渡した時の目を見たか? ぞっとしたぞ。ああ、もっと上の人が来ていてくれたらなぁ」
「しかしほんと、何者何だか――」
無数のざわめきが口々に男の話を、噂を起こす。
しかしながら既に男はその場からは充分に離れている。聞こえてもいないし、聞こえたとしても男は興味すら示さなかっただろう。そう。その程度では男の興味を引くには不十分すぎるのだ。
男は道路を黙々と歩く。
どれだけ市門から離れたか。巨大であるために、後ろを振り返れば直ぐ目に入るが、距離的にはかなり遠ざかっただろう。
そんな中、道路の脇で一人の少女が三人の男に囲まれていた。あまり良い雰囲気ではないが、それでも即座に不味い事態に発展する可能性は非常に少ない。それは流石に周囲に無数の目があるためだ。
少女は年齢的にもさほどではない。10代半ばぐらいだろうか。顔立ちは非常に美しく、幼さの中に将来の大輪の花が透けて見えた。その金の髪は日差しを浴び、綺麗に輝いている。碧眼は宝石を思わせるきらめきを持っていた。
服装は神官衣のようだが、純白というよりは日差しに焼け、僅かに茶色ぽくなっていた。いや、もしかすると元々そういう色なのかもしれないが、袖の部分などにホツレがあることを考えればその線は消えるだろう。
少女は月の輝きではなく、太陽の輝きを思わせるそんな美しい顔に怒りとも、悔しさとも知れないものを浮かべていた。それでなお、美しさを失わないのだから大したものだった。
そんな美しい幼さをいまだ持つ少女が、男に絡まれている。
男であれば色々な意味で庇護欲に駆られる所だが、それは普通の男であればだ。
その男は気にも留めずに、その脇を歩いていく。面倒ごとが厄介だからとか、3人の男が怖いからとか、そんな理由ではない。
興味が無い。その一言に全てが要約されるだろう。
しかし――
「――――――!」
ピタリと足を止めた。
もし男をずっと注目している者がいたら、そのフードの下の表情の変化に驚愕したかもしれない。
大きく目を開き、口もまた呆れるほど大きく開けたその顔に。
男は慌ててぐるっと振り返った。鋼を思わせた男が、この都市に入って初めて人間となった瞬間だ。
男が驚愕した原因――それは一人の少女が言った神の名前。それを再び聞こうと思って。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「では行ってまいります!」
ティース・エクセールは自らの神殿の奥に声をかける。
神殿はボロく、非常に小さい。雨漏れしないのが不思議なほどだ。
この神殿はちゃんとした職人が作ったものではなく、ティースが友人の協力を得て作ったものだ。当然、理由は金がないからである。しかし、そんなあばら家といっても良い程度のものだが、10年も暮らしていけば少しばかりの自慢の種ともなる。
「――気をつけて行ってきて下さいね」
奥からはまだ幼い少女のものと思われる声が返ってきた。その声に満面の笑顔を浮かべると、声を返し、ふんと自分に活を入れティースは歩き出す。
巨大な都市を抜けるように歩き、やがて目的地の一部である広い通りに出た。
広い通りは多くの声に満ちている。商売人も多いが、それに匹敵するほど多いのは、自らの信仰する神に仕えることを勧誘する神官たちだ。
自らの信仰する神はこんなことが出来る。こんな祝福を与えてくれる。そんなメリットを口々に叫び、様々な者達の目を集める。
ティースはそんな活気に満ちた空気に、ふぅと小さなため息をついてからきょろきょろと通りを眺めながら歩いた。やがて人のいないちょうど良いと思う場所を見つけると、その場所に立つと声を張り上げた。
「うちの神様を信仰しませんかー!」
その世界では、10年前に1つの大きな出来事があった。
それは超越領域15席による『世界法則の破壊』。
世界法則――それは読んで字の如し、世界をかたちどる法則だ。地球という星のある世界であれば、熱力学法則などだ。それが破壊されるということなのか。それは語るまでも無いだろう。
結果、この世界にあっては今まで起こったことの無かった幾つもの出来事が起こる。言語の世界共通化、魔法による死者の復活、混沌の具現、悪魔や天使の出現。
大小を数えれば無数に起こった出来事の中で、最も大きかったのは何か? もしそう尋ねられれば、誰もが口を揃えて1つのことを言うだろう。
――神の顕現。
神という話の中でしか存在しなかった高位存在が、様々なものたちの前に次々と姿を見せたのだ。
治癒の神、戦争の神、守護の神、旅の神、商売の神、水の神、山の神、種族の神……。様々な神話で語り継がれる無数の神々が、それぞれの得意な分野をもって。
現れた神たちの力はまさに神と呼ぶべきもので、想像を絶するものであった。基本的に数十世紀にわたる寿命を持ち、成長していく最強の種族たるドラゴンですら、容易に凌ぐ力を持つ存在が多かった。
だが、完全無欠に思われた神々であったが、たった二つだけ弱点が存在していたのだ。
それは信仰を受けなければ弱体し、そして消えてしまうということ。
そして神の行使する力は無限ではなく、信仰心を使って行うということ。
この2つの弱点だ。分かりやすく言うなら、様々な存在の信仰がマジックポイントで、それを使って神は魔法――奇跡を行使するということだ。神のマジックポイントは通常の手段では回復せずに、信仰を受けるしかない。そしてマジックポイントが無くなれば、神は消滅する。
それらを知っていた神は、こぞって様々な種族に自らを信仰する様に働きかけた。
力で、叡智で、奇跡で、そして守護などを起こすことで。自らの信者を増やしていったのだ。
人に多く信仰される神こそが巨大な力を持つ。そして信仰さえあれば、人が神になることすら出来る。そうやって10年の時の間に主神と呼ばれる神が幾人かけ落とされ、メリットのある神が主神に取って代わった。それだけではない。信仰を得るに至った存在――定命の存在が新たな神への階段を昇ったりもしたのだ。
そんな中、ティースの神は非常に小さな神だ。
まるで名前を聞かない神であるために、信仰する者は殆どいない。せいぜいティースの知り合いが片手間に信仰してくれるぐらいだろう。勿論、本気ではなく、ティースの神からという程度で。
神官だってティースぐらいだ。その結果、ティースの神は、奇跡というものが起こせない。それだけの信仰心を集めることが出来ないためだ。信仰という名のマジックポイントは常時、空であり、ティースの神は緩慢な消滅の道を歩んでいる。
そしてそれをどうにかしようとしても奇跡が起こせないのでは話にならない。
特にこの迷宮都市では致命的だ。
ありとあらゆる存在は、見返りを求める。
信仰心というものは実のところ、無限のものではない。ならば高く買ってくれるものに売りたいと思うのは当然だろう。農村で雨を降らせてくれる神と、何もしてくれない神。どちらを信仰すると言えば簡単に理解してくれるだろう。
迷宮都市に来るものならば、この傾向はより強い。
様々なものを求め、危険を承知で来るのだ。何の見返りも無い神を信仰するような者は、決してこんな都市にはこないだろう。そして何より混沌の力が強い迷宮内では、治癒の魔法を使うのだって祝福を与えてくれる神の力に左右される。力の無い神を信仰する神官の治癒魔法は階層が深くなると効果を発揮しないのだ。
ではそんな神を何故、ティースは信仰するのか。
それはその神こそがティースを助けてくれたからにならない。
そう。幼子だったティースを救ってくれたのはその神なのだから。
「……ふぅ」
ティースは額に滲んだ汗を袖で拭う。
あれから3時間以上声を張り上げて道行くものに声をかけたが、歩を止める者は殆どがいなかった。そしてそれはいつもの光景である。
迷宮を潜ることを目的とした者に、力なき神を欲するものはいない。だからこそ、ティースが声を張り上げたとしても、興味を持ってくれるものはいないのだ。
ティースの美貌に引かれる者はいる。ただ、ティースの信仰する神を聞けば直ぐに離れていく。メリットの無い神を信仰するほど馬鹿なことは無いのだから。
勿論、ティースだってそれぐらいは知っている。
それでも彼女にはこうやって声を上げて呼びかけるしかないのだ。
もし、彼女がもっと別の何かを持っていれば別の手段が取れたかもしれない。だが、コネクションも金銭も、権力も――力というものを一切持たない少女ではこの辺りが限界だった。もしティースの神が強い力を持っていれば、それの神官であるティースも魔法を行使できたかもしれない。しかしティースの神が力が無い以上、ティースに神官として魔法を行使する力は無い。
「ふぅ」
通り過ぎていく者たちを目に、ティースはため息をもう一度付く。
このままではどうしようもない。ティースの神を信仰してくれる者が現れる可能性は非常に低い。それは事実、ティースも良く分かっている。いまのままではゆっくりと自らの神が消えていくことを目にするしかない。
唯一彼女にあるのは、そして取引の代価として支払えるのはたった一つだ。
体である。
ティースの美貌はこの都市でもかなり目を引くクラスだ。ならば体を使えば、ある程度の信仰を一時的に集めることも出来よう。実際、そういう目的での娼婦や男娼を抱える愛欲を司る神というのはいるのだから。
「……ふぅ」
いざとなれば初めてを売り飛ばしたって良いとは思っている。それは自らの神が望んではいないとは知ってはいるが。それでもティースは自らの神に消えては欲しくは無かった。
母のようであり、姉のようであり、妹のようである自らの神を。
「おい、またこんなところで、やってるのか?」
そんな男の声に我を取り戻し、ティースは慌てて伏せ始めていた顔を上げる。
ティースを取り囲むように動いてくるのは、ニヤニヤと笑う男が3人。首から下げた聖印は戦神たるディヴァーマーサを意味するもの。かの神に仕える男達であり、ティースをよくからかってくる男達だ。
「何か用ですか」
今日も来たのか。
そんな思いを抱きながらの、ティースの敵意を一部混ぜ込んだ、冷たい声に男達が嫌な笑いを浮かべる。弱者をいたぶる強者のものの。
「またこんなところで信者を集めているのかよ」
「そうですか、何か?」
ゲラゲラ。そういう笑い声を男達は上げる。
「こんなところで頑張っていたとしても誰も止まってくれないって」
「それよか、もっと目立つ方法でも考えれば良いんじゃねぇか?」
「そうだな。素っ裸でやれば集まってくるぞ」
「協力してやろうか? うん?」
男達のニヤニヤという笑い。漂ってくる臭いに、酒精が入っていないのが、更にティースを不快に思わせる。
ぎりっと歯軋りがティースの口で起こった。
ディヴァーマーサはこの国の戦神であり、そういった祝福や奇跡を与えてくれるために、この都市の中でも多くの者達が信仰している。
信仰するものが迷宮に入り、偉業を成し遂げる。そうすれば他の者達も、そんな人を憧れ、同じ神を信仰するようになる。そうやって数が増えれば神の力もまた増大し、より迷宮探索が容易になる。そうやってグルグルと回っていくのだ。
Win-Winの関係である。
それからすれば信者のいない神を信仰するティースなんかは、ある意味狂人の類だろう。
しかし、だからといってお前達にそんなことを言われる筋合いは無い。
そんな思いを胸に、ティースは目を鋭くさせて睨む。
少女の眼光を浴びても男達にあざけるような空気は消えない。
当たり前だ。神の力が無いということは、その神官もまた力が無いということ。神の奇跡を行使する魔法を使えない神官なぞ、恐ろしいものか。まだ男達の方が魔法を使えるというものだ。さらには体格だって違う。
ティースは身長160センチに届かない程度しかないのだ。腕だってほっそりとしたもの。負ける要員というものが一切無い。
「まったく、あんなどこの神とも知れない神を信仰してメリットがあるのか?」
「だよな。お前さんもうちの神を信仰したらどうなんだ?」
「ほんとだよ。権能すら持っていない、カスみたいな神なんか捨てちまえよ」
カッとティースの頭が熱を持つ。
こんなことを言われて、自分の最も大切な方を侮辱させて許せるというのか。
確かに、こんなふうに馬鹿にされることはさほど珍しくは無い。ティースの友人だって、何であんな神を信仰するのかと聞いてくるほどだった。力の無い神というのはそんな存在なのだ。
ティースはずっと、ずっと我慢してきた。
自らの神が信仰することをやめて、別の神を信仰したらと遠回りにいってきた事だってある。それでもティースは命を助けてくれた自らの神を尊敬し、敬ってきたのだ。
それはメリットを考えてではない。
純粋な意味での信仰だ。
お前達のようにメリットのみを考える。そんなのは信仰ではない。信仰というのは心から来るものだ!
ぎぃ、とティースはその両の目に力を込めて男達を睨み、そして自らの人生を大きく変えることとなる言葉を口にする。
もし、このタイミングでなければ、こんなことは起こらなかっただろう。もし名前を言わなければもっと違った運命が待っていただろう。もし、ティースがここに来なかったら、そして頑張って呼びかけていなければこんなことにはならなかっただろう。
いや、どこかでそれは起こったのかもしれない。早いか、遅いかの違いはあったものの。
組み合うべく作り出された歯車が、単にかみ合っただけなのだから。
運命という言葉はこの時の、この瞬間のために生まれたのかもしれない。ここで遭遇する2人を後日、そう思う。
ティースは叫ぶ。
自らの神を馬鹿にされて我慢できるだろうか。その強い思いを込めて。凛とした綺麗な声が周囲に響く。
「このはなのさくや様を馬鹿にしないで!」
しかしながらその3人からすればその名前は侮蔑の対象だ。
笑い声が上がる。
力ない神、それに対して自らの信仰する強大な力を持つ神。
その圧倒的な差を思って。
ただ、それは自分達の後ろに一人の男が来たことで変わる。
「――申し訳ない。もう一度、その神の名前を聞かせてもらえないでしょうか?」
丁寧で落ち着いた男の声。
男達の顔に最初に浮かんだのはにやけた笑いだ。良くありがちな、正義の味方を想像したのだ。そして振り返り、その顔は一気に凍りつく。
そこに立った男。
それは鋼。
それは王。
それは上位者。
つまりは――絶対者。男達では逆立ちしても勝てないような、そんな男がいたのだ。誰だって怯える。そしてそれが最も正しい行動なのだから。
「――ひっ」
男の一人から掠れたような声が口から漏れた。
その声に反応し、初めて男の視線が動く。その場にいる者の中で視界に入っていたのはティース一人。男たちなんかは今まで視界にすら入ってなかったそう言わんばかりに。
「……邪魔だ」
静かに深い声が響く。その静けさがより一層恐怖をかもし出す。
もしこの場にこのままいたら、どうなるのだろうか。そんな恐ろしい想像が浮かんでしまうほど。
勿論、ここは都市の主となる道路の脇だ。無謀なことはしないだろうと、男たちの頭の冷静な部分は声を上げてはいる。自分たちが実際そうだったのだから。
だが、獅子を、いや獅子王を前にそんな言葉は意味を成すだろうか。そんなことをしているのならば、少しでも離れ、安全な場所に帰るべきだ。
理性よりも感情。それが男たちを支配し、慌てて走り出す。転がんばかりの姿勢が、男たちの恐怖を物語っていた。
残ったのは2人。
ティースと後から来た男だ。
ティースはごくりと喉を鳴らした。
例え敵意が無いとしても男たちですら怯えるような、剣を思わせる男を前にしてしまえば、まだ若い少女では荷が重過ぎる。
「――申し訳ありません。もう一度、神のお名前を聞かせていただけますか?」
ティースの表情をどう受け止めたのか、男は引きつったような顔で歯をむき出しにする。愛想笑い。ティースはあとでそれがそうだったと知るがこの時間においては、ティースを更に怖がらせるだけだった。
今だ、何も言わない少女に対してどう思ったか。
男は――
「……あぁ、遅れました。私の名前は佐々木重蔵と言います」
自らの名前を告げる。それから、すっ、と男――重蔵はティースに頭を下げた。自らの半分ほどの年齢の少女に向けるものではない。自分よりも上位の相手に向ける、非常に丁寧なものだった。
「何卒、もう一度。あなたの信じられる神のお名前を聞かせてはもらえないでしょうか?」
これは一人の日本人と、一柱の日本という異邦の地の神、そしてその神に仕えるその世界の一人の少女の物語である。
タイトルとかあらすじって難しいですね。