昨年夏、フランス外人部隊の精鋭、第2落下傘連隊に所属した結城健司伍長の除隊に立ち会うべく、作家の藤野眞功とカメラマンの横田徹は、南仏オバーニュへと飛んだ。結城健司はなぜ平和な日本を離れ、戦場へと向かったのか? そこでどんな体験をしたのか?「平和ボケ」読者諸兄におくる一発!
文:藤野眞功 写真:横田 徹
1 遺書
パリのシャルル・ド・ゴール空港からマルセイユまではTGVで約3時間。マルセイユからオバーニュまでは列車で30分ほどだ。
オバーニュの空は青く、太陽は菓子パン「エトランゼ」そっくりの白い山を照らしている。しかし、タクシーは、あっという間に正門ゲート前の駐車場に着いた。
「お疲れさまでした」
7年に及ぶフランス外人部隊での生活を終えたばかりの男にかける言葉のバリエーションは、それほど多くない。車は「フランス外人部隊本部」の敷地を出て、オバーニュ駅へと走り出した。
「なにを撮影したいのか。どんな景色の場所に行きたいか。なるべく具体的に教えてください。希望に沿えるような場所に案内しますから」
タクシーに乗るなり、結城健司(34歳)は言った。まだ除隊して5分も経っていないのに、どこまでも気を遣う青年だった。
「外人部隊はオバーニュに始まり、オバーニュに終わるのですよね?」
「そうですね。フランス各地の募集所にやってきた志願者は、オバーニュの本部に集められ、3週間の選抜試験を受けます。体力測定と適正検査、それから身元調査の意味も含めた尋問のような面接(ゲシュタポと呼ばれる)を経て正式採用されると、今度はカステルノダリの駐屯地で部隊兵として4カ月の訓練です」
約5カ月の訓練を乗り切った新兵たちは、ふたたびオバーニュの本部に戻り、正式に配属部隊が決まる。そして軍人として契約の延長を行わない場合には、最低契約期間が満了する5年後にふたたびオバーニュへ戻り、今日の結城と同じく正門ゲート脇の通用口から一般社会に復帰するのだ。
だからこそ、僕らはまずオバーニュで撮影したいと考えた。基地の中以外でも、他に思い出の場所は沢山あるだろう。
「街には、ほとんど思い入れはないです。自分がオバーニュに移動する場合は、たいていバスなので。思い入れのある街といったら、マルセイユですかね。コルシカ島に戻るときにはマルセイユから船に乗るので、出航まで自由時間がもらえます」




