0.王太子殿下に跪かれ、パニックです
わたしの目の前で、それはそれは美しい貴公子が跪いていた。
――傲慢不遜で知られている、あの王太子殿下がだ。
まったく予想していなかった行動に、言葉が出てこなくなる。今まで十六年生きてきたけど、これほどまでに驚くことは、
立ち尽くすしかないわたしに、ヴィクトール様は王族の方だけが持つ瞳、オッドアイを緩めて言った。
「魔術による身体強化、尚且つ相手の急所を的確に狙い定めるその技術……どれをとっても、素晴らしい蹴りでした。さすがの俺も、あの蹴りを避けることはできません。ああ、今思い返して見ても美しかった……絹のように美しい白銀の髪がなびき、氷のように鋭いあなた様の瞳が俺のことを凛と見つめていて……惚れ惚れいたしました」
「……えっと……王太子、でん、か?」
何を言われているのか正直よく分からない。分からないけれど、とんでもない展開になっていることは分かった。
わたしは公爵家の娘で、身分だけ見たらかなり高い位置にいるけれど。でも、ヴィクトール様が頭を下げるほどの人間じゃない。
それに本当ならわたしは、ヴィクトール様にひたいを床にこすりつけてでも謝らなくてははずだったのだ。
だってわたし……敵だと勘違いして、ヴィクトール様を沈めてしまったのだから……!!
だけれど、ヴィクトール様の話を聞いていて思う。どうやらそれが、ヴィクトール様が跪いている理由なのだと。
それでも分からないのだ。だってあの出来事が、人一人の人格をガラッと変えてしまうほど大それたことだったなんて想像もしていなかったのだから。
……もしかして、
頭を強く打ち付けたはずだからあり得ない話じゃない。でもそうなると、わたしの罪はさらに重たくなる。それは困るのだ。わたしだけが不敬罪で殺されるならまだしも、家が取り潰されることだけはやめてもらいたい。
そう考えていたせいか、体から血の気が引いていった。
そんなわたしとは打って変わり、ヴィクトール様はどこかうっとりした表情をしてわたしの手を取ってくる。
ひいっ。
内心悲鳴がこぼれてしまったのは許してほしい。声に出さないよう努力した点を、むしろ褒めてほしいくらいだ。
それなのに、ヴィクトール様はわたしの手のひらにキスをしてくる。ぶわりと、熱が一気に込み上げてくるのが分かった。
待ちましょう……何がどうなっているの、ねえ!?
顔が赤くなっている自覚がある。寒いやら暑いやら、わけが分からない。全力で手を引き抜こうとしたが、ビクともしなかった。どれだけ力が込められているんだ、と叫びたくなる。
ヴィクトール様は、わたしを離すことはせず懇願するような眼差しでわたしを見てくる。
「ルミナリエ様」
「ひゃいっ!?」
美しい声で名前を呼ばれ、変な声が出た。心臓がどくどく鳴ってうるさい。背中から嫌な汗が出てきた。できることなら、この場から一刻も早く立ち去りたい。だって、わたしの中の警鐘がガンガン鳴り響いてますからね……!
だけれど、王太子殿下からは逃げられないみたいだ。彼の目を見たとき、わたしはそれを悟った。
捕食者の目。
捕まえた獲物を離さない、絶対強者の目。
跪かれているのはわたしのはずなのに、おかしいな……やっぱり立場、逆ではないかしら……。
そんなふうに現実逃避をしていると、ヴィクトール様は嬉しそうに言う。
「どうか俺の妃になってくださいませんか?」
ルミナリエ・ラーナ・ベルナフィス。ベルナフィス公爵家長女、十六歳。
――なぜか分かりませんがわたし、蹴り飛ばした王太子殿下に、求婚されてしまったようです。