現実の海とフィクションの浮き輪



 私が高一の時の性教育のせいで性嫌悪になったことは書いてますが、中学生の時は、BLを読んでウハウハしていました。


 楽しみ方は人それぞれですが、私は単純に「エロい!」「やばい!」「最高!」と思っていました。毎日のようにBLサイトにアクセスしていました。BLには全年齢もあればエロいのもありましたが、私は「18歳以下閲覧禁止」をガン無視してエロばっかり見てました。


 こうして女子向けエロコンテンツをゲヘゲヘ楽しんでいた女子が、あっさりと性嫌悪の海に落ちたわけです。ですがギリギリのところで踏みとどまれたのはBLが浮き輪になってくれたからです。「エロをウハウハ楽しんだ中学時代の記憶」になんとか助けられました。

 もちろん浮き輪なので助けてくれるわけじゃありませんが、ひとまず溺れないでいられました。



 私が学んだ性は二極化していました。

一つはBLの娯楽的エロ。

もう一つは性教育の嫌悪を植え付けるもの。



「セックスはコミュニケーション」だの「愛情表現」だの「お互いを思いやる」だの、そういう情報は皆無でした。セックスレスがなんでいけないのかも知りませんでした。

 だってしないことはいいことですから。セックスを求めない男は加害者じゃない、聖人じゃないか。なんでいちいち問題視するんですかと。そういう思考です。

 一人で楽しむ娯楽と、そして嫌悪だけ与えられる。



 こうやって十代を性嫌悪の海に突き通しておいて、彼ら彼女らは二十歳過ぎれば「どうして出てこないんだ!」と岬から(つまり安全地帯から)叫ぶ。でもライフセーバーなんか派遣しないし、なぜか浮き輪(フィクションエロ)を「こんな物に頼るから泳げなくなる」とか言って取り上げようとする。なくなったら溺れ死ぬのにね。

 そして最後は水死体に「なんで泳げないんだ! 今の若者はこれだから! 浮き輪なんか使うから軟弱になるんだ!」とか騒ぐんでしょうよ。



 もし「BLと性教育しか情報がなくて、結局性嫌悪になりました」なんてことが世間に知れ渡ったらどうなるか。

 確実にBLの方が「悪影響だ、現実を見れなくなる、非現実的な情報だ」などと叩かれたでしょう。でも性嫌悪の原因を作ったのは教育の方ですけど。現実の方ですけど。そしてライフセーバーはどこにもいないから、浮き輪にしがみつく以外に生存する方法がないんですが。



 現実の海に突き落として、助けはフィクションだけってどういうことですか。

 それしか助けがない状況なのに、溺れる犬を突くような真似して悦に浸るとか何がしたいわけ?


 現実を改革する気ないなら死んでしまえ。






 

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