自分を大切にしていなかった件



「自傷行為の裏にて」で、私は自傷行為をほぼしたことがないと書きました。ですが今考えると「物を壊して暴れる」のも「殺してやろうかと思う」のも自傷行為の一種だったんじゃないかと。

 


 ですが当時はそのことに気づいていなかったので「自傷してない私は自分を大切にできているんだ!」と思っていました。


自分を大切にできていると思った根拠はこんなもんです

・自分の体を傷つけていないから、自分を大事にしてる

・物に当たり散らしているから、私は強い

・男子を殴る、侮辱したいと思っている私は被害者じゃない、加害者だ。つまり勝ち組なんだ。勝ち組に自分を置けるんだから私は強いし自分を大事にしている。



 自分を大事にしたかったら相手を大事にしなきゃいけない。そういう発想はありませんでした。人生の大半をいじめられて過ごした結果、「自分を大切にする=敵を圧倒する」という発想になってしまいました。


 性嫌悪以降、その敵は男子になりました。圧倒してやる、ぶっ殺すという発想ができる私は、男子に搾取されないんだ。だから私は自分を大事にできているんだって考えです。



 いうまでもなく自分を大事になんかしてません。

 私がリスカではなく物に当たることを選んだのは、自分に合っていただけに過ぎません。切り傷系の痛みが大の苦手だったし、物を投げるのは簡単なことですから。

 つまり私は「自傷をしていない」のではなく「自分に合った自傷行為を選んで行っていた」わけです。



 他害行為を含めた自傷をしている時点で、自分を大切になんかしていません。

でも私は全く気づいていなかった。



 なんども書いてますが、女の子はとにかく自分を大切にすることを教えられます。その仮想敵は男であることが多いです。

 ですがそこで言われる「自分を大切にね」は「貞操や母体を守ってね、守らないのは女の価値を下げるよ」って意味が結構強いです。「人を傷つけることは自傷行為になるよ」という意味なんて含まれていないです。

「いや含まれてるよ。私はそう思ってるから」って意見もあるでしょうが、私はそう解釈できなかったです。


 そうなるのは、人々がどこかで「女の子が他人を傷つけることよりも、ふしだらになることの方が嫌だ」って思ってるからだろうなと。女の子が男の子を殴るのはまあしょうがないけど、貞操を失うのは許せない! ってことだろうよ。


 だからこそ「私は搾取なんかされねえ! むしろ搾取するぞ! ほらみろ自分を大切にできてるぞ!」なんて発想になるわけよ。



ともかくここで書いときたいのは

「加害・他害は自傷行為の一種」ってことです。


 


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