「平和的な性」の功罪


 お久しぶりです。少しマシになったので、また書き散らしていきますね。



 中学生だか高校生だか忘れましたが、家にあった婦人雑誌を読んだことがあります。そこに「戦う性ではなく、産んで育てる性の発想で物事を考えよう。今までは戦って奪い取るって考え方だったけど、仲良くして、育てていこうって女性の考え方でやって行こう」って書いてありました。


当時の私の反応は以下の通りです。

1、男ってクソじゃねえか! 戦いばっかりだ! 生物としておかしいんだ! ぶっ殺してやる! そうすれば平和になるんだ! 

2、女っていうほど平和的か?

3、きんもち悪いいいいい!!!!!!


1と2が思いっきり矛盾していますね。1は男性嫌悪に取り憑かれて攻撃的になった私、2はまだ冷静な私、3は感覚的な私の反応です。キモかったです。

「男は攻撃的な生き物だ! 殺さなきゃいけない!(←あんたの方がよっぽど物騒やんけ)」と「これ、なんか変だな」が混在していました。常にこの二つの人格がバトルしていました。



 そして今になって思うのが以下です。

4、性差別! セクハラ!

5、マーガレット・サッチャー!



 4ですが、当時の私は今よりアホだったので「優しそうな女がキラキラ笑顔で性差別・セクハラ発言するケース」を思いつきもしませんでした。でも「産んで育てる性」なんてことを男性議員が言ったらどうなるかわかるだろう。明らかに問題発言なのに、なんで掲載するんだ馬鹿か。

 5ですが、ググってください。何が言いたいかわかります。



さてここからが本題です。


 現在DV男に対しては「治療すべきだ」と言う声が上がり始めている。治療プログラムもある。

 DVを可視化しなかった時代から、可視化し糾弾する時代、そして治療しようとする時代に突入している。



 それと同じように、「女のDV」が今可視化され始めています。これに対して私は少し希望を感じています。

 ですが危機感もあります。なぜなら「糾弾」が今ひとつ弱い気がするから。

 この「責められなさ」に対して「平和的な産む性」と言うクソ理論が影響している気がするのだ。

(女は平和的って、男は論理的並みにクソだよな。生物学で男女論を語る奴ほど信用できないものはないぞ)



「まさか平和的な生き物が暴力するわけないよね」「やるんだとしたらよっぽどの事があったんだよね」「旦那が家事しないからでしょどうせ」「情けねえな、やり返せよ」「大した事ないだろ」「男が悪い」というセカンドDVもある。



 DV男のケースにもそれはもちろんあるが、決定的に違うのは「許さない勢力」の大きさだろう。DV男を許さない勢力・世論・仕組みはしっかりとあるのに(あって当たり前じゃ)、DV女にはほとんどない気がするのだ。

 



 はっきり言って、私は「許さない勢力」と「糾弾」がなかったらDV女問題は永遠に進展しないと思うのだ。

 社会が「DV女許すまじ! 最低だ! 死ね!」と叫ぶ段階がないと、「治療しよう」という段階に進まない気がするのである。

 特に被害者となる男性が危機意識を持ち、加害者となる女性が自分の加害性についてしっかり自覚しなきゃどうにもならない。

 残念ながら二つとも達成できているとはとても言えない。ここで連載していて痛感する。男性陣は呑気だし、女性陣は自分の加害性に鈍感な人が多すぎる。



 DV男問題は「男は暴力的な生き物」という社会的思い込みのおかげでここまでこれたんじゃないかと思う。あとは騎士道精神・ヒーロー願望・女は守るべき論も後押ししただろう。

 DV女問題にはそれらの後押しマシンが一つも存在しない。ボコられる男は情けない雑魚で同性すら味方になってくれない。暴力女は誰も止めない。



 でも希望がないわけじゃないので、ここで少しでもジタバタしようと思います。

「糾弾されない」という地獄から抜け出すために。







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