ポポサウルスはその後どう扱われているのか2600万年周期の大絶滅。具体的にはいつのこと? 「ネメシス騒動」「科学1001の常識」

August 13, 2015

恐竜はなぜ「花に追われなかった」か? 「最新恐竜事典」「最新恐竜学レポート」など

4022220090最新恐竜事典―分類・生態・謎・情報収集
金子 隆一
朝日新聞社 1996-05

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4896916301最新恐竜学レポート
金子 隆一
洋泉社 2002-05

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恐竜は花によってその座を追われた、というもっともらしい仮説がある。

 最近は恐竜の絶滅要因といえば隕石の衝突とそれに先立つ気候変動の組み合わせというのがもはや定説のようにして言われている。私が子供のころ見ていた図鑑ではまだそこまで定説化が進んでいなかったのだろうか、けっこういろんな説が並べて紹介されていたものだった。今思えばそれらのうちどれほどがまともに信じられているものだったのかはよくわからないのだが。

 その並んでいる仮説の中にも、花をつける植物、つまり被子植物が恐竜の絶滅の引き金となった、というものがよく挙がっていた。恐竜のうち植物食恐竜はもともとマツやイチョウのような裸子植物を食べていたのだが、中生代の終わりごろになってこういった裸子植物に対して花をつける植物、被子植物が勢力を伸ばし始めた。もちろんこの言い回しは非常に不正確で、裸子植物も花をつける。ただ、被子植物ほどには美しくなく、目立たない花である。

 この被子植物がどうして恐竜を絶滅に追いやったのかといえば、この被子植物に含まれているアルカロイドが問題だったというのだ。アルカロイドはいろんな種類があるけれど、植物が持っている毒成分となっていることの多い元素のグループである。これが恐竜にとっては有毒で、それによって植物食の恐竜がまず滅んでそれからそれを捕食する肉食恐竜も滅んだ、というものだ。あるいは、このアルカロイドのせいで便秘になった、などという説明がついてくることもあった。

 どっかうさんくさいというか、「そんなことで?」という感覚がぬぐえない仮説ではある。恐竜以外に幅広い生物がこのとき絶滅した、ということとも整合性がよくない。

 とはいえ、被子植物といえば私たちにとって非常になじみのある植物で、それが恐竜を追いやったというのはなんとなく「らしく」見える。かつてよく図鑑に載っていた絶滅仮説の中には哺乳類が卵を食べてしまった、というやはりこれもそれで絶滅ってのはありえるのかと疑問を抱きたくなる説がよく載っていたものなのだが、古いもの(恐竜・裸子植物)を新しいもの(哺乳類・被子植物)を対立させるという構造は見通しがつきやすい物語なのであろう、きっと。特に今の人類は哺乳類であり、その人類が主に食べ物としているもののうち植物は主に被子植物なことを考えれば、自分たちもその栄養源も「滅ぼした側」にいるわけだし。

 こういう説をもう少しもっともらしく発展させたものが「花に追われた恐竜」というドキュメントである。これは20年ほど前に、NHKスペシャルが放映した科学番組のコンセプトになるテーマだったらしい。らしい、というのは私もこれを直接見ていないので番組としてあまりいろんなことを言うことはできないのだ。

 ただ知っているのは、この番組が恐竜ファンの間で非常に評判が悪かったらしい、ということである。恐竜などを専門とする科学ライターの金子隆一氏は自分が編著をしている「最新恐竜事典」(朝日新聞社,1996)という本の中でこのドキュメンタリーを徹底的に批判しているし、その数年後に出たこちらは本人の単著、「最新恐竜学レポート」(洋泉社、2002)でも批判的にとりあげている。放送から10年近くたっても題材にするくらいなのだからよほど許しがたかったということが想像される。このほかにも「科学朝日」という当時朝日新聞社から刊行されていた雑誌でも金子氏は批判的な記事を掲載しており、それに対して番組サイドからの反論などもあったようなのだが、私は未読である。

 このころ、NHKでは生命の進化を追う連作ドキュメントを放映していたらしく、「花に追われた恐竜」もそのひとつだった。この一連のドキュメンタリーは書籍にもなっており、「生命の進化」というシリーズのカラー本として出版されている。このドキュメンタリーの中で恐竜と被子植物との関係についての論じ方が上に紹介したような昔の図鑑でのそれと違う点は、花を「恐竜全体の直接の原因」としてあげているわけではない、ということである。いや正確に言うと、花をつける植物が出現した結果竜脚類はジュラ紀末を最期にほぼ絶滅したとしている。でもむろん竜脚類だけが恐竜だけではないわけで、ジュラ紀の末を生き延びた角竜やカモハシ竜は白亜紀になっても反映したが、もともと裸子植物を好む恐竜にとってはあまり適した環境ではなく、結局隕石衝突によってとどめをさされて絶滅した、とこういう少し間接的な形によってである。

 もっともらしいし、いかにもあってよさそうに見える展開に思える。物語としてそれっぽいからといってそれが事実と合致するとは限らない。「最新恐竜学レポート」の中では、この「花に追われた恐竜」ではこの番組に「協力」した古生物学者が放映後、自分の同僚の学者にあれはいい番組だったとほめてられてしまったというエピソードを紹介している。協力した学者がほめられたんだったらいいじゃないか、といってはいけない。その人物は、協力を求められたもののそんなシナリオはありえないと説明したというのだ。その後NHKからその人物への連絡は途絶え、名前だけはちゃっかり使われていたという意味での「協力」だったそうである。どうもNHKのモラルが問われる話のように見える。
 それはそれでいいのだけれど(よくないが)、ここでの問題は、専門外の学者の人は普通に納得した、ということだ。トンデモ話というと、「なんもものを知らない人を狡猾な人or本人は正しいと思っている人が騙す」という構造が頭に浮かびやすいが、ここではそういう姿ではないのだ。

 それにしても、上の展開のどこがおかしいのか。以下、上の金子氏の関わった二冊の本をベースにして紹介してみる。番組そのものについては見ることができないので、ここではNHK側の資料としては批判の中での引用・紹介とドキュメントを書籍化した「生命 40億年はるかな旅 3」をテキストとして参照することにする。

4140801735花に追われた恐竜 大空への挑戦者 (NHKサイエンススペシャル 生命40億年はるかな旅)
NHK取材班
日本放送出版協会 1994-09

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 例えばNHKのドキュメントが「花に追われた恐竜」というストーリーを組み立てるにあたって使っている題材の一つに、カモハシ恐竜の化石がある。カモハシ恐竜エドモントサウルスの化石がアラスカから発見されている。白亜紀は今に比べて気候の変動がおだやかだった時代だったけれど、それでも高緯度地帯は住みやすくない。そんなところにエドモントサウルスが暮らしていたのはなぜか?もっと暖かいところで暮らそうにも、そこに住まざるをえなかった、というのだ。それは針葉樹林が当時すでに高緯度地帯にしか繁茂していなかったからだ、と。そう、被子植物に追われて、そんなによくない居住環境に住まないといけなくなった、と。

 いっぽう、もう少し緯度の低いアメリカのワイオミング州から見つかったカモハシ恐竜のハドロサウルスの腹の中からは針葉樹が発見された、という。そこには被子植物がたくさんあるはずなのになぜわざわざ乏しい針葉樹を食べたかといえば被子植物を食べられなかったからだ、という。これらの話は、ドキュメントを書籍化した「生命 40億年はるかな旅 3」でもこの話が紹介されている。
 
 しかし、「最新恐竜事典」の執筆者の一人、本多氏によれば、このハドロサウルスの化石と同時に見つかった針葉樹、咀嚼や消化の痕跡がない、と説明する。また、別にこの針葉樹だけがエドモントサウルスと同時に見つかっているわけでもない。炭化した木片や魚の化石も同時に産出しているのだ。

 確かにそれはおかしな話だ。そもそも、エドモントサウルスを初めとする進化したカモハシ恐竜の特徴は、植物を食いまくることに特化した歯の構造である。デンタルバッテリーという次から次へと生えてくる歯を持ち、すりへることもものともせず植物を食べつくしていける、そんな恐竜がカモハシ恐竜なのだ。ということは咀嚼のあとがないはずはない。また、植物食の恐竜の胃になんで魚が見つかるのかという話だし、炭化した木片もおかしい。火を使う恐竜なんて聞いたことがない、人間じゃあるまいし。

 そんなわけで、本多氏は、これらの同時に見つかったものは死後堆積物として流れ込んできたものではないかと推測している。さらに本多氏によると、「花に追われた恐竜」の番組では、アラスカの地層で見つかっている植物のうち、90%が裸子植物であるとしていた、という。これがアラスカに住んでいた恐竜が裸子植物のために北へと追いやられたことの傍証のひとつというわけだ。
 しかし、ここで問題なのは、カモハシ恐竜の分布中心はあくまで北米中西部、ということである。これは本多氏の指摘していることでもあるが、それとともに恐竜図鑑などで白亜紀後期の恐竜を当たればだれでもよくわかることだ。そして、そこでは被子植物のほうが優勢だった。上の話でも登場するワイオミング州の白亜紀後期地層の調査では、被子植物は地表の12%を占有しており、種の数では61%を閉めていたという。そこでの恐竜の胃の中に少ないはずの針葉樹が産出した、というNHKが採用した発見がどうもマユツバということは上にも紹介したとおり。

 そもそも、アラスカで恐竜化石が見つかったからといって、その恐竜がアラスカにしか住んでいなかったのか?という問題もある。例えば、フィリップ・カリーはカモハシ恐竜や角竜は「渡り」をしていたのではないかという意見を示している。夏になるとアラスカでも被子植物が爆発的に繁茂するから、それを求めて移動していたのではないのかというのだ。このフィリップ・カリーは書籍板でも名前が登場する恐竜学者である。

 本多氏はさらに恐竜こそが被子植物を繁栄させた、という可能性さえ紹介している。これは恐竜温血説でも有名なロバート・ベッカーによる説なのだそうだが、角竜やカモハシ恐竜といった恐竜は、その口の構造からして地面に生えているいわゆる下草を食べていたと考えられる。そして彼らの体は大型だから、そんな下草は一気に食べつくされてしまう。このようにしてどんどん食われていくとなると、植物が生き残るためには世代交代が早くないといけない。そして被子植物は世代交代が早いのだ。焼畑式にどんどん草を食べつくしていく恐竜のおかげで、被子植物はより優勢になれたのではないか、ということだ。つまりはNHKの「花に追われた恐竜」はかなり偏った材料の拾いかたをしていたということだ。

 シナリオの材料が間違っているのみならず、論理性すら破綻している、と金子氏は指摘する。「最新恐竜事典」のなかで、金子氏はでこの番組を次のようにかいつまんで紹介している。

「ジュラ紀を通じて地上は巨大な針葉樹の森に覆われ、巨大なカミナリ竜たちはそれを主食としていた。だが、今から一億一〇〇〇万年前、白亜紀の中頃に、突然花をつけるタイプの新しい植物、「被子植物」が出現する。この植物は昆虫と密接な関係を結ぶことによって旺盛な繁殖力を持ち、たちまち針葉樹を駆逐してしまったため、食料のなくなったカミナリ竜は、今から一億三〇〇〇万年前、ジュラ紀の終わりとともに滅亡してしまった。
 そのカミナリ竜と入れ代わるように登場したエドモントサウルスのようなカモハシ恐竜たちは、すでに北極にしか残っていない針葉樹を食べるため、北極に大挙して移動した。一方、角竜だけは被子植物を食べることができたが、彼らも被子植物と密接な関係を結ぶことができず、しだいに生態系の中からスポイルされ、隕石の衝突によって絶滅した(p208)」

 これではなんというか、まともに相手にするのもあほくさい、という気分になってしまうのは私だけではないだろう。

 ただ、これだけを紹介して終わってしまうのでは不公平である。というのも、このドキュメントを書籍化した本のほうを読んで気づくことは上で紹介されているようなこともそれなりに織り込まれているということだ。書籍板については存在が紹介される程度であまり金子氏の批判でも言及されてないのだが、これについては別に金子氏が隠蔽しようとしたとかというよりは影響の強いTV番組のほうを優先したのだろう、と思いたい。放映後何度か再放送もされているそうだし。

 書籍のほうでは、たとえば、角竜やカモハシ竜などが花と共進化したことについて言及されている。上で本多氏が言及していた、被子植物の繁殖の早さについても述べられている。また、巨大竜脚類がいなくなったことについてもあくまで「北アメリカから」いなくなっただけだ、という表現になっている。アルゼンチンなど、他の地域では白亜紀になっても竜脚類が繁栄していたことについても触れたうえで、そういう地方では白亜紀になっても裸子植物が多く見つかっている、という。なるほど、それならつじつまがあう?のだろうか。

 では、本多氏や金子氏はかみ合わない批判をしたということなのか? このあたりについては私はなんともいえない。この書籍版は1994年に出版されている。書籍版が出てから何年かたって出た書籍のなかでも言及しているわけで(「最新恐竜事典」は1996年、「最新恐竜学レポート」は2002年の発行である)、それなりにこれらの番組側の「修正」が妥当じゃないとしている理由があるのではないか、と思うが断定はできない。

 ただ、そのことを込みにしてもこのドキュメンタリー本が信用できそうか?というとちょっとあやしい。あくまで上の金子氏などの指摘を念頭においたら、ということを前提としてだが、なにしろ文章にちぐはぐさが目立つのだ。

 たとえば、この本では花が登場した時期を1億2500万年前の白亜紀前期ということになっている。一方、北アメリカ大陸から竜脚類が消えたのは「白亜紀に入ると間もなく」という記述になっている。そして少し後で花と竜脚類の衰退を結びつける話題で出てくる地層は白亜紀中期。つまり、時間が入れ違っているという「論理的矛盾」が解消されているのだ。

 あるいは、カモハシ竜や角竜があらたな植物、被子植物と手を組んだことについても確かに触れられてはいる。なのだけれど、じゃあそれらの恐竜の大繁栄はそのおかげじゃないかといえばそうは話が続かない。「しかし、」と哺乳類や昆虫などと被子植物の関係を強調していき、恐竜はそれからはじき出された、という語り口になっているのだ。生態系なんてのは偶然やいろんな要因が関わってくることだから、そういうこともあっていいのかもしれない。

 でもそれならである。そもそもの話として恐竜の多様性がもっともはなばなしく、多く産出するのは白亜紀後期ではなかったか。それと「敗者としての恐竜」はどう折り合いがつくのか。

 おそらくだが、私を含めて恐竜についてちょっと興味を持ったことのある人なら図鑑を眺めているうちに、たいていはさまざまな種類の恐竜が出現したのは白亜紀後期であることになんとなく気づくと思う。もちろんそれは「図鑑を作る上での都合」などで否定しようとおもえばできる「素朴な疑問」である。でもそうなると、花に追われた上で隕石にとどめをさされたというのなら、恐竜の多様性が白亜紀に被子植物が出現してから坂を転がるように小さくなっていったというデータがあるとナルホドと思えるわけだが、そういう資料はこの書籍板を含めて見たことがない。私もそこまで熱心に恐竜についての本を読んでいるわけではないけれど、そういう話は見たことがない。
 例えば恐竜が白亜紀末に一気に絶滅したわけではないという説がある。これは原因は隕石か、気象変動や火山爆発など少し時間のかかる内因か、と言うような話でよく引かれる話でいっけん「白亜紀を通じてゆっくり」もそれの延長にあるかのように見える。でも、こちらには一応論拠として、実際にアメリカのとある地層では見つかる恐竜の属の数が白亜紀の最後の期区分(マーストリヒト期)にはその前の期区分(カンパニア期)に比べて少なくなっている、などといった話があるから、一緒にはできないというわけだ。

 さて、この「花に追われた恐竜」が企画された意図はなんとなく想像がつく。最初の方でも書いたように、人間は哺乳類であり、外を見渡して目に入る植物、利用する植物はだいたい被子植物である。それらが「手を組んで」環境を作り変えてしまったことによって、旧来の地球の勢力分布図を壊してしまった、というのはいかにももっともらしいストーリーといえる。

 宇宙物理学者で疑似科学批判でも知られる池内了氏はこの番組での説をあくまで最近唱えられた新しい異見であると留保をつけながらも「興味深い仮説」にエッセイの中で紹介していたことがある。文章を読む限り、池内氏が惹かれたのも、生物によって生態系が作り変えられてしまったというところのようだ。

 このあたりのことは、エコロジーのような視点からは「採用したい」エピソードなのだろうとは思う。これは例えば、ちょっと前には「同じ種同士で殺し合いをするのは人間だけ」などという話をする人がいたのに似ている。ベースになっている思想の部分は私も割と同意するタイプの人間ではあるのだが、だからといって自然を物語で刈り込んでいいかというとそれは違う話になってくるわけで。

  こういう話をうけると、例えばマスコミキライな人の中には、「事実をそのまま並べればいい」と主張したがる向きがある。いかにも「論理性」「客観性」を重視した主張に見えるけれど、事実を羅列しただけのもの、というのが存在できるのか、そんなものが番組として視聴に値するのか、という話でもあるので正直あまり同意しない。物語じたいは否定しがたいところがある。このブログだってたんたんと本や雑学の紹介をしているわけではない、「解釈」「物語」の入ったそれなんだし。

 だから問題はそこに危険が伴うということを忘れてはいけないということであったり、物語に事実が従属してはいけないということであったりするわけで、結局一般論としての目標にまとまりすぎだといわれるとそれはそうなんだけど。


semiwide38 at 21:29│Comments(0)未分類 

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