<CASE 2>9条でノーベル平和賞騒ぎを自作自演
未明の記事
「憲法9条で日本国民がノーベル平和賞を受賞するかもしれない」と、2014年10月、安倍政権まで巻き込んで大騒ぎになった。その発端は、ある1本のネットニュース記事だった。
筆者は、両親の世話をするため、2013年秋に東京近郊から出雲へUターンした。夜がまだ明けきらない2014年10月4日未明、目が覚めて、書斎のパソコンのスイッチを入れた。ヤフーニュースを表示すると、ひとつの見出しに引っかかるものがあった。
〈ノーベル平和賞予測、「憲法9条保持する日本国民」浮上〉
直感で、何かおかしい、と思った。
朝日新聞デジタル配信の記事で、以下のようなものだった。
10日にノルウェー・オスロで発表される2014年のノーベル平和賞の受賞予測に、「憲法9条を保持する日本国民」が浮上した。受賞予測を毎年発表している民間研究機関、オスロ国際平和研究所(PRIO)が3日、ウェブサイト上の予測リストを更新し、それまで「欄外」だった「憲法9条」がトップに躍り出た。受賞への期待が高まりそうだ。
受賞予測リストは、(1)フランシスコ・ローマ法王(2)エドワード・スノーデン氏(3)「ノーバヤ・ガゼータ」(ロシアの新聞)(4)ドニ・ムクウェゲ氏(コンゴ民主共和国の医師)(5)マララ・ユスフザイ氏(パキスタン出身の女性の教育の権利提唱者)が挙がっていたが、3日付でリストが更新され、フランシスコ法王が「憲法9条」に差し替わった。他の4候補は順位が入れ替わっただけだった。(以下、略)
いくつもの不審点
これを一読して、つくづく変な記事だなと思った。問題点をはっきりさせるためにPRIOをヤフー(英語版)で検索した。
研究所の名前は’ The Peace Research Institute Oslo’とあり、日本語にすればオスロ平和研究所となる。朝日が「国際」を入れたのは、研究所に箔をつけるための印象操作なのか。「所長もPRIOも、ノルウェー・ノーベル研究所およびノーベル委員会とはなんの公式な関係もありません」とし、平和賞予測は所長ハープウィケン個人によるものであることが、ウェブサイトに明記されている。
サイトによると、平和賞の順位を最初に予測しアップロードしたのは、2014年2月1日のノミネート締め切り直前だったという。そして、PRIOは、平和賞発表のわずか1週間前になって順位予測を更新した。
ノーベル平和賞はたくさんの候補のなかから8か月以上をかけてじっくり選考される。それなのに、「受賞予測を毎年発表している民間研究機関」が、トップの予測だけを直前になって差し替えるのはあまりにも不自然だ。
トップ候補とランク外候補を差し替える合理的理由としてありえるのは、「憲法9条を保持する日本国民」をめぐりよほど世界的な評価を得るニュースがあり、かつ、フランシスコ・ローマ法王に何かスキャンダルでもあった場合に限られるだろう。しかし、そのようなニュースは聞いたことがない。
「憲法9条を保持する日本国民」がノミネートされたのは2014年4月とされるが、平和賞発表1週間前のこの時点になってトップをはずし、そこへ「憲法9条を保持する日本国民」をはめ込んだということは、誰かの強力なロビー活動(説得工作)があったからと考えるのが自然だ。
そういうことをするのは日本の護憲派活動家しか考えられない。
G-searchデータベースサービスで10月3日と4日のノーベル平和賞記事を検索すると、日本の新聞各紙やNHKが4日にこの予測を伝えているが、3日の時点で情報を得ていたのは朝日新聞と共同通信の2社だけだったことがわかる。時事通信は3日に関連記事を配信していない。その他のメディアは共同の記事配信を受けて、記事を削ったり、逆にふくらませたりして伝えている。
朝日、共同とも、平和賞予測の第一報はロンドン発の記事となっている。PRIO所長がロンドンの両支局に「平和賞予測を更新し『憲法9条を保持する日本国民』をトップにしました」とわざわざ伝えたか、ロビー活動を成功させた護憲派の日本人活動家が、朝日と共同のロンドン支局に情報をたれ込み記事にさせたかのどちらかと考えられる。
ただ、朝日の4日朝刊は、第2社会面にわずか325字の短い記事が載っただけだった。3日に配信した共同の記事は607字あるが、「同所長は毎年の予想で5候補前後を挙げているが“的中率”は高くない。昨年までの10年間で予想が当たったのは、温暖化対策を訴えて2007年に受賞したゴア元米副大統領しかいない」と、わざわざ否定的なトーンで書いている。
日本のマスメディアでノーベル各賞を取材するのは、ふつうロンドン支局だ。朝日、共同のロンドン特派員はいずれも、オスロ平和研究所(PRIO)の予測など当てにならないことを承知で、原稿を東京に送ったと思われる。
護憲派の誰かがPRIO所長ハープウィケンに、「憲法9条を保持する日本国民」を予測候補のトップにするよう強力に働きかけ、平和賞発表の1週間前という絶妙のタイミングで、朝日と共同に記事を書かせたと推測できる。そのねらいは、あくまで、日本の主権者をあざむく国内向けの護憲プロパガンダだろう。
筆者がヤフーニュースで読んだ朝日新聞デジタルの記事は、ロンドン特派員の記事より長く、「受賞への期待が高まりそうだ」などと予測に信頼性があるかのような文章を付け加えている。その記事に記者の署名はなく、「朝日新聞社」とあった。
日本国内では、この記事以後、話が雪だるま式に膨らんでいった。
ノミネートが容易な平和賞
この年10月9日の読売新聞(ロンドン発)によると、イギリスの各種ブックメーカー(賭け屋)は、1位にローマ法王フランシスコ、2位にアフリカ中部コンゴの紛争下で性暴力を受ける女性を治療してきた医師ムクウェゲをあげていた。読売は「日本国民」についてふれていないが、もちろん現地では相手にもされていなかったようだ。
平和賞は、世界の大学教授や専門家、過去のノーベル賞受賞者などの推薦があれば誰でも簡単にノミネートできる。2014年のノーベル平和賞候補には、個人231,団体47の計278件がノミネートされた。科学分野のノーベル賞とちがい、平和賞のノミネート自体に大きな意味はない。
駒澤大学名誉教授の西修によると、世界の少なくとも159か国の憲法に平和条項とみなすことのできる規定がある。護憲派のロビイストも、よほどの国際オンチでないかぎり、「憲法9条を保持する日本国民」が平和賞を受賞できる可能性はないと知っていたはずだ。だから、PRIO所長に交渉し、せめて受賞者予測のトップにしてもらったのだろう。
朝日新聞や東京新聞によると、「憲法9条にノーベル賞を」と思いついたのは、神奈川県座間市の主婦・鷹巣直美で、2013年1月、ノーベル委員会にメールを送った。5月に署名サイトを立ち上げると、5日間で約1500人の署名が集まった。この取り組みを相模原市の「九条の会」などに報告したところ協力者が次々に現れ、8月には「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会が発足した。実行委は翌年2月1日までに43人の推薦人を集め、推薦状に約2万5000人の署名を添えてノーベル委員会に送った。「世界各国に平和憲法を広めるために、日本国憲法、特に第9条を保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください」などとしていた。
ニュースの独り歩き
朝日新聞デジタルの2014年10月4日未明の記事は、もくろみ通り、日本のマスメディアのほとんどが飛びつき、独り歩きをはじめた。たとえば、共同通信社加盟の山陰中央新報は、10月7日、〈9条“急浮上”護憲派活気〉という大見出しで、特集記事を載せた。
護憲派は「世界が注目していることの表われ」と期待を込め、改憲を視野に入れる安倍政権は「受賞となれば政権への影響は計り知れない」と警戒していることを伝えた。護憲派メディアだけでなく、産経新聞、フジテレビの夕方のスーパーニュース(当時)まで関連ネタをあつかった。
そして、日本人全体が受賞対象になっているかのような報道が行われた。10月10日、毎日新聞電子版はこう伝えた。
〈安倍晋三首相は10日午前、閣議の前の写真撮影の際、ノーベル平和賞に憲法9条を有力視する予想があることに関連し、「(平和賞は)結構、政治的なんだよね」と述べた。9条が受賞すれば憲法改正論議に影響を与えかねず、憲法改正を目指す首相にとっても平和賞の行方は気になるようだ。石破茂地方創生担当相が「9条がノーベル賞取ったら、誰がもらうのか」と隣に座る首相に語りかけたのに、首相が語った〉
総体としての日本人
だが、総体としての日本人は関係ない。英語では’Japanese people who conserve Article 9’となっており、「9条を保持する日本の人びと」と訳すのが適当だろう。’Japanese people’には、辞書によっては総体としての日本人という意味もあるが、ここでは当てはまらない。事実、PRIO所長もサイトの予測説明記事で’ the Japanese people working for conserving Article 9 in the Japanese constitution,(日本国憲法9条の保持に努めている日本の人びと)としており、明らかに護憲派のことを指している。日本には、9条の保持に努めていない人びともたくさんいる。日本人全体が受賞対象になっているかのような報道は、護憲派がそのように誘導したからだ。
日本国憲法前文には、「こゝに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とある。だが、現実には、明治憲法の全面改定という形式を取り、明治憲法第73条の改正条項でおこなわれた。つまり、主権者である国民は、現憲法の制定時に主権を直接行使したことはなく、改正に伴う国民投票も一度として行われてはいない。
したがって、万一、ノーベル平和賞が9条がらみで授与されたとしても、総体としての日本国民は受賞資格に欠ける。
既存メディアの劣化
日本の各メディア内には護憲運動にクールな記者がいる一方で護憲に熱心な一大勢力があり、その勢力が政治的意図をもって話をふくらませた。日本共産党などが組織している各地の「九条の会」をはじめ一般の護憲派勢力が、それに便乗した。
メディアとして冷静に、PRIOとはなにか、予測に信頼性はあるか、ノーベル平和賞のノミネートはどのようにおこなわれるかなどを調べた上で報道すれば、あのような空騒ぎになるはずはなかった。
「一犬虚に吠え万犬これに和す」という言葉がある。誰かがいい加減なことを言い出し多くの者がよく確かめずにそれを言いふらす、という意味だ。ここでも、既存メディアの劣化が露呈した。
日本のメディアで例外的に、本質の一端を言い当てていたのが、10月13日の 東スポWebだった。〈実態は倒閣運動? 憲法9条ノーベル平和賞闘争〉の見出しでこう伝えた。〈最初は大した広がりはなかったが、共産党系や左派系の市民グループがバックについて署名活動を展開すると同時に、朝日新聞や東京新聞が紙面に取り上げるなどして広がっていった。実態はノーベル賞の名を借りた安倍政権の倒閣運動で、受賞は安倍首相には屈辱的。官邸側もピリピリしていた(永田町関係者)〉
所長の苦しい言い訳
ノーベル平和賞は、結局、パキスタン出身のマララ・ユスフザイらが受賞した。
読売新聞のロンドン特派員は、発表後の2014年12月16日、PRIO所長ハープウィケンに直接取材して、「所長が勘違いしていた」とし、電子版と本紙に次のような記事を載せた。
〈所長は、有力候補としたのは「日本国民ではない。『9条を保持する日本国民』という名の団体が推薦されたと理解してきた」と述べた。推薦運動をおこなった市民団体の石垣義昭共同代表によると、推薦したのはあくまでも日本国民全体だった。所長はまた、「ある地域の人々が(全体で)何らかの責任を負う存在となることはあり得ない」と語り、国民全体への授与は不可能との見方を示した。〉
読売はさらに、ノーベル賞委員会のゲイル・ルンデスタッド事務局長も「国民全体への授与は困難」との認識を強く示唆した、としている。
「9条を保持する日本国民」という名の団体が推薦されたと理解してきた、というのは、所長の苦しい言い訳だろう。護憲派活動家の工作を受け軽率に「予測」したことが、日本国内で大騒ぎになり困惑したのではないか。
筆者は、所長に「日本人に頼まれたのか?」「なぜ、1位候補だけを差し替える不自然な更新をしたのか?」などと問い合わせのメールを送ったが、返信は来なかった。
護憲派の自作自演
9条と平和賞を結びつけようとしたのは空騒ぎだった。PRIO所長に働きかけた人物と騒ぎの発端を作った朝日新聞デジタルの編集セクションは、示し合わせていた可能性がある。そうではないとしても、どちらもおなじ護憲派であり、大きくみれば護憲派のあうんの呼吸による自作自演だった。あのときも、日本社会は軽い集団ヒステリーの症状を呈していた。
翌2015年10月にも、護憲派のメディアと活動家らは「九条の会をノーベル平和賞の候補に」と運動をし、ノミネートされた。だが、九条の会は全国に約8000もあり、日本共産党系、非日本共産党系など政治的な系統もばらばらなうえ、自衛隊、日米安保条約、アメリカの核の傘などの問題で見解が統一されているわけでもない。「憲法9条擁護」の一点だけが共通で、活動の目的や内容から団体として定義することさえむずかしい。案の定、受賞はしなかった。
日中韓米の護憲カルテット
「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会が2016年5月発表したところによると、今度は「戦争放棄を定める憲法9条を保持している日本国民」がノミネートされた。
平和賞は実態のある団体に与えられるもので、すでに述べたように「日本国民」は授賞の対象とはなり得ないとされる。実行委は、受賞の成否を度外視し、またも護憲と反安倍政権運動の一環として活動を展開したとみられる。当然、受賞はしなかった。
「9条にノーベル平和賞を」という運動の背後に、日中韓米の護憲カルテットができているようだ。これは慰安婦問題の構図とよく似ている。
実行委共同代表のひとり石垣義昭は私立中学・高校の元教師で、平和教育に熱心な日教組の活動家だったとされる。現在も、安保法制の廃止運動などに力を入れている。
2014年8月15日には、「平和憲法を守る活動を続けるすべての日本人」が、「マレーシア第二次世界大戦歴史研究会」主催の第1回「アジア平和賞」に選ばれ、それを報道したのが、中国国営の新華社通信だった。この賞を、実行委の共同代表である石垣らふたりが代表して受け取った。
同研究会は、2013年7月25日、安倍首相に対して改憲政策の中止と大戦被害者への謝罪を求めるデモを、クアラルンプールにある在マレーシア日本大使館の前でおこなうなど、学術団体ではなく政治団体だ。
この受賞ニュースを、2週間遅れで報道したしんぶん赤旗をのぞき、日本のメディアはまったく伝えなかった。新華社が報道するのは不自然で、賞や研究会の背後に中国政府が存在しているようだ。中国にとって、日本国内で9条をめぐる対立や論争がつづくことは政治的・軍事的にメリットがある。
運動発案者の鷹巣直美について、朝日新聞や東京新聞などは「二人の子どもを持つ主婦」とだけ伝えたが、社会活動家の顔も持つ。2013年5月には、「平和をつくる会」の名で「難民・移住労働者問題キリスト教連絡会(難キ連)」と共催の難民支援チャリティコンサートを開催した。当時、難キ連の所在地だった東京都新宿区西早稲田の住所には「在日外国人の人権委員会」など約10の在日コリアン系組織があり、鷹巣の韓国コネクションをうかがわせる。
韓国には、2014年秋に「日本平和憲法9条ノーベル平和賞推薦韓国委員会」という組織が結成され、ネット署名活動などをつづけていまに至る。賛同者には、元首相や元国会議長、学者、文化人ら約50人が名を連ねている。
韓国では、ノーベル賞をめぐって同胞の受賞を求める熾烈な運動がおこなわれている。韓国の政治家や識者が、外国人特に日本人のノーベル賞受賞に協力するのは異例中の異例だ。韓国にとっても9条の受賞は、中国と同様、政治的・軍事的なメリットがあると、韓国の一部では考えられている。
中央日報日本語版(2014年12月19日)によると、 韓国内で署名運動を推進してきたイ・ブヨン元「開かれたウリ党」議長は、「村山富市元首相や小沢一郎・生活の党代表などが今年9月に『韓国で推進すればどうか』と提案してきて推進することになった」と説明した 。
また、東アジア近現代史を専門とする米コネチカット大学教授アレクシス・ダデンなども、この運動で韓国と手を結び熱心に支援しているとされる。
日本の実行委は、第2回ノミネート挑戦以降、ネットでの賛同署名に日英中韓の四か国語で対応している。これも、日中韓米カルテットの存在を示すものだ。
平和主義という名前の孤立主義
9条がらみで平和賞が授賞されない理由をまとめると、以下の4点になる。
- 9条1項の戦争放棄は、1928年のパリ不戦条約にルーツを持ち、多くの国の憲法にも取り入れられているため、日本国憲法だけのものではない。
- 9条2項では戦力不保持が規定されているが、現実には戦力である自衛隊が存在し国際法上の軍隊とみなされている。
- 授賞の対象となる個人・団体の定義がむずかしい。
- コソボ紛争の例にみるように、国際平和運動体も条件つきで武力介入(人道介入)を容認しており(CASE 3参照)、日本の護憲派が言う〈9条の理念〉が絶対平和主義だとすれば相容れない。
慶大教授の細谷雄一は、著書『歴史認識とは何か 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』(新潮選書)でこう指摘している。
「戦前の日本が、軍国主義という名前の孤立主義に陥ったとすれば、戦後の日本はむしろ平和主義という名前の孤立主義に陥っているというべきではないか。たとえば、平和主義と戦争放棄の理念を、一九二八年の不戦条約や、一九四五年の国連憲章二条四項を参照することなく、あたかも憲法九条のみに存在する尊い日本固有の精神であるかのように錯覚し、ノーベル平和賞を要求することは、本書で見てきたような日本の歴史に少しでも思いをいたすならば、美しいふるまいとは言えないだろう。また、自国以外の安全保障にまったく関心を示さない利己的な姿勢は、下手をすれば国際主義の精神の否定と見られる怖れもある」
この「平和主義という名前の孤立主義」との指摘は重い。言葉を変えれば、ガラパゴス化した平和主義だ。
パリ不戦条約の提案者のひとりである米国務長官フランク・ケロッグは、放棄すべき「国際紛争解決のための戦争」とは「自衛戦争および制裁戦争をのぞいた戦争、つまり侵略戦争」とした。この解釈は国際的にも受け入れられた。
しかし、朝日をはじめ護憲派が、「9条の理念とは何か」「護憲論とは何か」を厳密に定義づけしようとした形跡はうかがえない。定義しようとすれば論理が破綻するので、できなかったのだろう。
9条1項に戦争放棄の規定はあるが、自衛戦争を容認するのか、2項にある戦力の不保持を(日本は自衛隊を持ちながら)他国に求めるのか――などを曖昧にしたまま、非論理的な護憲運動を世界に向けて展開しようとして挫折したのが、このノーベル平和賞騒ぎだったと言えよう。その中心には朝日新聞がいた。