<CASE 3>9条記事を組織的に捏造・隠蔽
1本のメール
2010年の元旦、東京近郊に住んでいたころ、自宅書斎のパソコンを開くと、見慣れない日本人男性の名で1通のメールがとどいていた。かなり長文で、そこに書いてある「アメリカの知人の話」はちょっと驚くべき内容だった。「直接会って話をしたい」とあるので承知した。
喫茶店で顔を合わせると、アメリカの知人というのは、「アメリカ9条の会(Article 9 society USA)」の創設者チャールズ・M・オーバビー だという。日本にも、オーバビーの活動に触発され、全国各地に「九条の会」が作られ、2013年1月の時点で7528団体にのぼっている。いまでは8000を超しているかもしれない。いわゆる護憲の牙城ネットワークとされ、創設者オーバビーは日本の会員らにとってカリスマのような存在らしい。
突然メールをしてきた人物はオーバビーに頼まれて筆者に接触しただけなので、単に仲介者と呼んでおく。民間会社に勤めアメリカに駐在していたとき、オーバビーと知り合ったそうだ。
朝日朝刊
話は、1999年5月16日までさかのぼる。筆者が朝日新聞の朝刊を開いて何気なく読んでいると、1面左側中央あたりに、目にとまる1本の記事があった。オランダ・ハーグ発の特派員記事として次のように伝えていた。
見出し:憲法9条、各国は見習え ハーグ平和市民会議 「10原則」冒頭に
【ハーグ(オランダ)15日=山本敦子、深津弘、斎賀孝治】非政府組織(NGO)の呼びかけで、百カ国以上の約一万人が参加して開かれていた「ハーグ平和市民会議」は最終日の十五日、「公正な国際秩序のための基本十原則」を行動目標として設け、第一項に「日本の憲法九条を見習い、各国議会は自国政府に戦争をさせないための決議をすべきだ」との文言を盛り込んだ。日本国憲法の理念が世界の平和運動の共通の旗印として初めて前面に掲げられた。
会議はこの基本十原則を含む「二十一世紀の平和と正義のための課題」(ハーグ・アジェンダ)を採択、アナン国連事務総長に手渡し、四日間の日程を終えた。アジェンダは十八日からの政府間会議と十一月の国連総会に提出される。(以下、略。東京本社14版)
これを読んですぐに、何かおかしいと感じた。ヨーロッパはそのころ、旧ユーゴスラビアなどで紛争が相次ぎ、特定の民族の皆殺し(民族浄化)や集団レイプも報告され、NATO(北大西洋条約機構)が「人道介入」としてバルカン半島のコソボを空爆しているさなかだった。「人道的介入」と呼ばれることもある。ハーグの会議が平和団体主催とはいえ、戦争や武力行使、戦力を放棄したいわゆる絶対平和主義の9条を、この状況で採択文書に盛り込んだりするだろうか。「十原則」とありながら、朝日の記事にはなぜか9項目しか書かれていないことにも気づいた。
国連にない文書
筆者はそのころ、ベルリンのアネッテ嬢を取材助手として個人的に雇い、ドイツの「心の戦後処理」について資料を集めながら取材を進めていた。そのアネッテに、オランダ・ハーグでの平和会議でおかしな文書が採択されたと日本の新聞が報道しているが、じっさいはどうだったのか、ちょっと調べて欲しいと頼んだ。
アネッテは早速、国連の英文ウェブサイトを調べてくれ、「ご指摘の基本十原則という文書はどこにも見つかりません」と英文メールを送ってきた。朝日はやってくれたな! と直感し、「どうも日本国内の問題みたい。以後は自分で調べるから、ドイツ国内の取材にもどって」と返信メールを送った。
国連の膨大な英文サイトをチェックすると、ハーグ会議の採択文書はあったが、記事にある「公正な国際秩序のための基本十原則」は載っていなかった。つまり、朝日は虚偽を報道したことになる。もし、記事内容が事実なら、1面トップで大々的に報じるところだろう。
ハーグ会議への日本からの参加者を調べ、京都の立命館大学国際平和ミュージアムに電話し、ファクスで英文の「公正な国際秩序のための基本十原則」を送ってもらった。
テキストの第1項はこうだった。
1 各国議会は、日本の9条のように、自国の政府が戦争に走るのを禁止する決議を採択すべきだ(Every Parliament should adopt a resolution prohibiting their government from going to war, like the Japanese article number nine)
ここには「日本の9条のように(like the Japanese article number nine)」とあるだけで、「憲法(constitution)」という文言がない。いかにも素人の文章で、国連の正式な採択文書となるべきレベルではなかった。
また、朝日が載せなかったのは、第5項とすぐにわかった。そこには、こう記されている。
「世界は人道的な危機の傍観者でいることはできない。あらゆる外交手段をつくしてもだめな場合にかぎり武力を行使すべきで、その際も国連の権威のもとでなされるべきである」
つまり、武力行使を条件つきで容認しており、絶対平和主義とは相容れない。
「9条の世界化」
そこでいきさつを調べると、まず1993年、朝日は憲法記念日の社説で「めざせ、9条の地球化」として世界に平和憲法の理念を広めることを提言していた。1991年の湾岸戦争をきっかけに、日本国内で「自衛隊を活用し軍事面でも国際貢献しなければならない」との声が高まったことへの対抗策として主張された。
そして、朝日をオピニオンリーダーとする護憲派は、日本国内での憲法改正の動きをけん制するため、1999年のハーグ会議で「9条の世界化」、つまり9条の絶対平和主義の理念を世界に広めることをアピールの柱とする方針を決めた。約400人の大代表団をハーグに送り込み、全体会議では、社会民主党党首の土井たか子が「9条の理念」についてスピーチした。そして、採択文書に憲法9条の理念を盛り込むよう、代表団幹部らが水面下で主催者に働きかけた。
参加したピースボートのメンバーらは、浴衣を着込み、会場のあちこちで『河内音頭』の曲にあわせ『9条音頭』を踊って、各国参加者らの目を引いたという。
社説、コラムの沈黙
朝日の東京本社で、ハーグの代表団や朝日記者らと緊密な連絡をとっていたのは、社会部記者の本多雅和らだったことがわかった。
ハーグ会議の記事は、朝刊の締め切りが一番早い12版を長野県立図書館でチェックすると、欧州総局ブリュッセル駐在・山本敦子の名前で第2面に掲載され、埼玉県などで発行された13版では、同じ記者名で第3面に移っている。いずれの記事も「十原則」のすべてが載っている。最終の14版では第1面に掲載され、山本敦子、長崎支局記者・深津弘、広島支局記者・斎賀孝治の3人連名になっていて、「十原則」のうち第5項だけが削除されていた。
海外から送稿された記事の掲載面(ページ)を締め切りのちがう版ごとに移したり、記事を短くしたりすることはよくあり、その作業は東京本社でおこなう。
一方、朝日のおなじ朝刊の社説は、ハーグ会議について書いたが、一面記事とちがい「公正な国際秩序のための基本十原則」にはまったく触れず、「したたかに、しなやかに」という意味不明の見出しをつけている。社説の記事は12版から14版までまったくおなじだった。
本来なら、「9条の世界化」が実現したわけだから、発案者の論説委員室が社説で積極的に取り上げるはずのところだ。それにふれていないのは、社長直属で社説などを担当し編集局からは独立した論説委員室が、虚偽報道(虚報)を避けたためだろう。朝日の東京本社内では、すでに5月15日夜の時点で、ハーグ発の記事は虚報との認識が広まっていたことになる。虚報とは、捏造と誤報をふくむ言葉だ。
「9条の世界化」が成功すれば護憲派の快挙であり、朝日は社説でくり返し大々的に書くべきはずだが、憲法記念日、憲法公布の記念日で憲法をテーマとして取り上げても、ハーグ会議について言及したことは一度もない。さらに、論説委員が執筆する一面のコラム『天声人語』などでも世界化の快挙が紹介されたケースはない。
それにもかかわらず、朝日の編集局は虚報を掲載しつづけた。会議閉幕から3日後の5月19日朝刊に、おなじ3人の記者名による解説記事が載った。「日本にとって最大の成果は、アジェンダの基本十原則に、平和憲法の理念が盛り込まれたことだ」とある。
締め切りがちがう3つの版でこの解説記事を読み比べると、リード(前書き)に「今後の活動目標となるハーグ・アジェンダには日本の平和憲法の理念が盛り込まれた」という一文が、12版にはないのに13版で挿入され、14版もそのままとなっている。これも東京本社編集局サイドで加筆されたのだろう。
朝日新聞の関係者によると、当時、編集局の各部長による部長会がほぼ毎日開かれ、紙面の検証や編集方針が話し合われていた。ハーグ会議の前後にも部長会が開かれ、とうぜん「9条の世界化」の件が議題になったと思われる。虚報と知らなければ朝日にとって大きな成果であり、護憲キャンペーンで取り上げるのが自然だが、そうした記事はない。
朝日は、この件で訂正記事を出したことはない。
掲載前にハーグ会議の原稿の内容が虚偽だと本社編集局側で認識し、論説委員室もそれを知っていた。つまり、組織的な虚報がおこなわれ、箝口令によって組織ぐるみで隠蔽したことになる。
その後も、東京社会部記者・本田雅和が、2001年4月13日朝刊で「オランダ・ハーグで99年5月に開かれた平和市民会議で、決議文の中に『各国は日本国憲法9条を見習うべきだ』と明記された。それから2年。……」と解説記事を書くなど虚報をつづけた。
二重の虚報
朝日のくだんの記事は、ヨーロッパで人道介入が敢行されている現実とまるで食い違う見え見えの虚報だから、近いうちにどこかの週刊誌かなにかで真実が暴かれるだろう、と様子をみていた。だが、時間が経ってもそういう報道はなかった。ならば自分でスクープするか、と決心した。
筆者は、読売新聞を早期定年退職し、1999年からフリーのジャーナリストとなっていた。インターネットを利用した有料ウェブマガジン(電子雑誌)を自分で創刊することを目指し、あるIT専門家と組んで準備を進めていた。その創刊記念スクープとして、朝日の虚報を打ち出すことにした。
国連の公式ウェブサイトは、非常に規模が大きい。そのなかから、改めてハーグ採択文書「二十一世紀の平和と正義のための課題」(ハーグ・アジェンダ)を探し出した。サイトによると、会議閉会式で演説したバングラデシュ首相シェーク・ハシナから国連事務総長コフィ・アナンに「1999年5月17日付け書簡」として手渡され、のちに国連総会の公式文書となった(文書No. A/54/98)。
この文書は1999年10月の国連総会で、6つの委員会のうち法務をあつかう第6委員会において、12、18、19、20日の計4回取り上げられた。しかし、もともと日本の憲法についてはいっさい言及されておらず、国連でも9条は議論の対象とはならなかった。
朝日の虚報とは逆に、国連の公式文書となったハーグ採択文書では、地域紛争があいつぐ現実を直視し、「人道介入のため国連常備軍を創設する」「侵略、大虐殺に対しては、一国による軍事介入を多国間防衛に置き換える」ことなどを課題として掲げ、国際平和運動体としては画期的な武力行使支持の方針を打ち出した。ここでは、集団安全保障を明確に支持している。
だが、朝日新聞は、ポイントとなる公式文書の新方針の内容について、一連の記事でもまったくふれていない。新方針が、戦争や武力行使を禁じた9条とは相容れないため、情報操作がおこなわれたとみられる。9条が採択文書に入ったと虚偽を伝え、武力行使支持方針が採択文書に入った事実を伝えなかったという点で、二重の虚報だった。
最高責任者からのメール
筆者は、2001年6月、ハーグ会議を主催した法人『平和のためのハーグ・アピール』に英文メールを送りいくつかの質問をした。それに対し、6月22日に最高責任者で女性理事長のコーラ・ワイス(在ジュネーブ)本人から返信が来て、次の点を確認した。
▼「公正な国際秩序のための基本十原則」は、主催者側広報担当が、会議での軍縮分野での討議に参加した人びとの気持ち(feelings)をまとめた非公式の要約(unofficial summary)である。
▼「基本十原則」は主催者発行のニュースレター『ピース・マターズ(PEACE MATTERS)』の編集部員のひとりが執筆した。
▼「基本十原則」が閉会式でアナン国連事務総長に手渡された事実はない。
理事長ワイスは、さらに、こんなコメントをつけた。「この(憲法9条)問題は日本に関連しているためふかい関心があるのかも知れませんが、『平和のためのハーグ・アピール』にとっては、現時点では重要な問題ではありません」
筆者は東京から札幌へ飛び、ハーグ日本代表団の中核メンバーのひとりだった北海学園大学法学部助教授・君島東彦の研究室を訪れ直接取材すると、こう明言し、虚報であることを確認した。
「(基本十原則は)アジェンダとは別に会議をとりまとめたものとして受けとめた。最初からそう認識していました。国連に行ったアジェンダとは関係ない」
ハーグ会議最終日の記者会見で、会期中に討議した内容が紹介され、「9条」についても言及されたという。
マジックによる平和
ハーグ会議の公式サイトやそのリンク先サイトからNGO(非政府組織)、NPO(非営利組織)などのメールアドレスをひろい出し、14か国にわたる約50の個人または団体に英文メールを送り、「基本十原則」を知っているか、日本国憲法9条の理念や内容を知っているか問い合わせた。
その結果、「基本十原則」の存在を知っていると答えたのはあるドイツ人女性運動の会議代表ひとりだけで、その女性も9条の正確な意味は知らなかった。
ハーグに本部のある国連系の大規模NGO『国連ハーグ国際モデル』(THIMUN)のマリア・ボウスマさんは「基本十原則は公式文書の一部ではなく、公式サイトにも載っていないので、わたしが聞いたかぎり誰も知りません」とし、こんなコメントを送ってきた。
「わたしは東洋の民主主義を調べたことはなく、日本の憲法については知りません。ただ、誰も戦争や紛争を拒否するだけですますことはできません。多くの国際紛争の前で目をつぶることになるからです。平和をアピールするだけで世界がマジックのように平和になるなどとわたしは思いません」
共同、道新も会議を取材
ハーグ会議は、朝日新聞のほか共同通信記者(記者名不詳)と北海道新聞の記者・藤島誠哉も取材していたため、3社と日本代表団幹部で虚報を談合した疑いが強かった。共同通信加盟の山陰中央新報では3面に2段、道新では第1社会面に4段の見出しで掲載されていた。だが、記事は短く続報もなく、共同と道新が積極的に加担した様子はうかがえない。やはり、虚報は朝日と護憲派幹部の主導によるものと考えるのが自然だ。
一方、まったく非公式の「メモ」のような文書を、朝日、共同、道新の記者が採択文書と勘違いして報道した可能性は、0.01%くらいは残されているかもしれない。国際会議で何が採択されたかは、記者にとって最重要テーマであり、それを確認もしないで複数のメディアがそろって記事にするなど、筆者の経験からは考えられない。君島助教授も「基本十原則と採択文書は無関係」と明言していた。それをプロの新聞記者らがまちがえるとは思えない。だが、会議を筆者が現地で取材していない以上、絶対にないとは言い切れなかった。したがって、「捏造」という言葉は避けることにした。ただ、ミスによる誤報でも虚偽報道であり、「虚報」という言葉を使うことにした。
筆者は、ハーグ会議事務局から、採択文書「ハーグ・アジェンダ」の英語正文を郵送してもらった。そこには、ワイス理事長の回答メール通り、「公正な国際秩序のための基本十原則」とのタイトルの文書はなく、もちろん、9条に関するくだりもない。
ハーグ・アジェンダの日本語全訳は、日本代表団の中核メンバーだった早稲田大学教授・浦田賢治の研究室ウェブサイトに掲載されていた。ここにも「基本十原則」はなかった。浦田は、虚偽の報道をすることに反対の立場だったのかもしれない。
関係者の話を総合すると、「公正な国際秩序のための基本十原則」は、5月14日付けの報道用資料(メディアリリース)に載り、さらに会議最終日の15日朝、会議場に山積みにされたニュースレターに、メディアリリースの文章がそっくりそのまま記事として掲載された。
朝日などは、それを「採択文書のひとつ」として虚偽の報道をしたとみられる。
ハーグ会議への参加料は、出身国の経済力や成人、未成年によって額がちがった。日本人はひとりあたり100~150ドル程度も払ったという。
ある日本人参加者は、「基本十原則」に9条が盛り込まれたことについて、「400人以上、あわせて5百万円から6百万円もの参加料を払って会議に貢献した日本代表団に、主催者側が特別の配慮をしたようだ」と説明する。
1999年8月6日の広島平和宣言で、広島市長・秋葉忠利は、「日本国憲法に凝縮された『新しい』世界の考え方」にふれ「今年五月に開かれたハーグの平和会議で世界の平和を愛する人々が高らかに宣言したように……」と述べた。秋葉もハーグ会議に参加していた。
朝日新聞では、社説やコラムが沈黙を守る一方で、特に大阪、名古屋、広島などの地方版で、しばらくのあいだ、くり返しハーグ会議の「報告会」などが報道された。それは一線の記者らが元の記事は虚報と知らなかったためとみられる。
土井たか子の喧伝と沈黙
護憲派のシンボルとされていた社民党党首・土井たか子は、党全国幹事長会議や週刊『アエラ』1999年6月21日号、『週刊金曜日』6月25日号などでも「9条の世界化」を喧伝している。
2001年5月3日の憲法記念日に、都内の日比谷公会堂で護憲派が一堂に会し憲法集会を開いた。その様子を筆者は現地で取材したが、なぜか土井はハーグ会議にはふれなかった。これに対し、つづいて演壇に立った共産党委員長・志位和夫は「ハーグの99年の世界平和会議では、各国の議会が9条を議決しようという呼びかけがありました」と明確に語った。
社民党は、2000年6月の総選挙に際し発表された選挙公約でも、ハーグ会議での成果については一切ふれなかった。共産党が、国会の憲法論議やこの総選挙、憲法集会などで、くり返し「9条の世界化」をアピールしたのとは対照的だった。
2000年春を境に、土井たか子と社民党はハーグでの“快挙”について口を閉ざすようになった。密かに虚報の事実を知り、党内に箝口令を敷いたのではないか。
国会で共産党が言及
日本共産党の山口富男衆議院議員は、2000年11月30日の衆議院憲法調査会(当時)で、前年のハーグ平和会議で9条についての決議がおこなわれ、アメリカでも9条の理念を広げる運動が展開されていることに言及し、「世界には9条を学ぶべきであるとの動きがある」と述べた。
日本共産党は、全国各地に数多くの「九条の会」を創設するなど護憲派のなかでも大きな勢力だが、この虚報問題については蚊帳の外に置かれていて、舞台裏を何も知らなかったようだ。
虚報スクープ
おそらく日本初の有料ウェブマガジン『RABタイムリー』は、2001年6月26日、満を持して「朝日 憲法9条で虚報」とスクープを放った。ハーグ会議から2年かかった。この記事について、週刊文春は、2001年7月5日号で「たった一人でスクープした」と3ページにわたって伝えた。
このあと、代表団の幹部だった憲法学者など関係者数人に当たったが、「ノーコメント」「ノーコメントと言ったことも書くな」と箝口令が敷かれていた。
月刊THEMIS(テーミス)2001年9月号も、RABタイムリーの後追い報道をした。その際、朝日広報室(現・広報部)は正式にこう回答した。
「ハーグ平和市民会議の主催者のコーラ・ワイス氏は日本ハーグ平和アピール運動事務局の問い合わせに対し、『十原則は最終日の記者会見で読み上げられ、国連事務総長に渡した最終文書にも含まれていた』と認めています」
この正式回答のポイントは、「国連サイトに『十原則』が採択文書として載っています」とはしていないことだ。誰でも、いま、国連サイトにアクセスし1999年5月17日以後の文書を調べれば、9条にふれた文書などないことはすぐにわかる。
ワイスはここで、かつて筆者にメールで答えたこととまったくちがう発言をしていることになる。筆者は、ワイスのメールを現在でも証拠として某所に保管している。ワイスは日本の朝日・護憲派に丸め込まれたか、朝日が勝手にコメントを捏造したかのふたつにひとつとなる。なお、ワイスは、ハーグ会議から10年後、日本に姿を現し豹変ぶりを示すことになる。
万に一つの偶然
そしてときが経ち、仲介者の話となる。彼がアメリカへ行ったとき、「アメリカ9条の会」創設者オーバビーと会って、こんな話を聞かされたというのだ。
「1999年、ハーグ会議閉会直後より、日本の平和運動とりわけ憲法第9条護持の運動家によって、閉会総会で『公正な国際秩序のための基本十原則』文書が正式に採択され、日本国憲法第9条がこの基本原則の1番目に引用されている、と喧伝しているが、これは事実とちがう。その事実とはちがうということをザ・デーリーヨミウリにKISA氏が書いているのを自分は読んだことがある」
仲介者によると、オーバビーは平和会議の期間中ずっと会場にいて、英語でのやりとりや、日本人記者がどんな取材をしていたか、護憲派幹部がどう動いていたかなど会議の裏表をほぼ知る立場にあった。そして「そんな正式決議は一切無かった。実態はユーゴの若者グループが原稿を書いて、それが5月15日付けの会議レポート『HAP’99 Conference Bulletin』のフロントページに印刷、公表されていただけである」と述べたという。
「公正な国際秩序のための基本十原則」を書いたのは誰かということについて、この発言はコーラ・ワイスの筆者宛のメールでの説明とは微妙に食いちがう。それはかえって、非公式の重要ではない記録メモ程度の文書だったことを物語っている。ワイスは会議全体の責任者だったから、現場の状況はむしろオーバビーのほうがよく知っていたのではないか。
仲介者は、「KISAというのは、日本語でジャーナリストを意味するKISHA(記者)ではないか」と最初は取り合わなかった。それでも、オーバビーが「日本におけるまちがった喧伝のされ方を知るにつけ、あなたからも直接、KISA氏に事実関係を確認してわたしに教えてほしい」と熱心に語った。そのため、仲介者は日本に帰国してからKISAを探して接触し、いきさつを聞いてオーバビーに報告することを約束したという。
仲介者は、国立国会図書館で読売新聞発行の英字紙ザ・デーリーヨミウリ(現ジャパン・ニューズ)の古い記事を探したが見つからなかった。筆者は、すでに読売新聞とはまったく関係ないし、9条虚報のスクープが英文に翻訳転載された話など聞いたことがない。ふつう、そういう社外の人間が書いた記事は英字紙には載らない。オーバビーがどこでそれを読んだか、思いあたるふしがない。たまたま来日していたときに、まったくの偶然でその記事を目にしたらしい。
仲介者はあきらめず、読売新聞英字新聞部に電話して用件を話すと、スタッフの女性がたまたまKISAのことを知っていた。筆者の知り合いがそのセクションに当時いたとは意外で、これもまったくの偶然だった。
万に一つの偶然が起きたことになる。0.01%の確率だ。天網恢々疎にして漏らさず、ということなのだろうか。
チャールズ・M・オーバビーは、朝鮮戦争当時、アメリカ軍パイロットでB29爆撃機を操縦していた。オハイオ大学名誉教授で博士でもある。1981年に広島平和記念資料館を訪れて原爆の悲惨さに衝撃を受け、憲法9条の理念に感銘を受けたとされる。1991年の湾岸戦争をきっかけに「アメリカ9条の会」をアメリカで創設した。その著書『地球憲法第九条 対訳』( 國弘正雄他訳)は、たちばな出版から刊行されている。
やはり捏造
9条をめぐりそれ以上の権威はないオーバビーが「採択された事実はない」「護憲派が嘘を喧伝している」と断言しているのだからまちがいない。取材記者らのミスによる誤報の線は完全に消え、「記事の捏造」という言葉こそふさわしいとわかった。朝日などをふくむ護憲派代表団の幹部は、オーバビーが日本語を解さず日本代表団一般メンバーのほとんども英語がよくわからないことを幸いとして、捏造を談合したのだろう。
いまの時点でふり返ると、山本敦子名で書かれた記事は、東京本社で作成した可能性が捨てきれないように思える。特派員の記事を本社の記者がゴーストライターとなって書くことはたまにある。深津、斎賀両記者の名が14版の記事にだけ載っているのも不自然で、ふたりを捏造に巻き込み“共犯者”にして口止めする目的から、東京本社で勝手に入れた可能性があるのではないか。
仲介者によると、「オーバビー氏は日本の護憲派幹部に、その(記事捏造の)件で苦言を呈した」という。ここで言う護憲派には、朝日などのメディアもとうぜんふくまれるとみられる。
招かれなかったオーバビー
千葉市の幕張メッセで、2009年5月、アメリカ、オランダ、イラクなどからの参加者もふくめ、初の「9条世界会議」が開かれた。ハーグ平和会議で「9条の世界化」が挫折したリベンジとして企画されたらしい。しかし、特に海外からの参加者が、9条の文言とりわけ戦力放棄と交戦権の否認を規定した2項の正確な意味、それと矛盾して自衛隊という戦力が日本に存在している現実を、理解していたかははなはだ疑わしい。
朝日もこの会議にふかくかかわっていたようだ。9条世界会議に、9条のカリスマであるオーバビーはなぜか招待されなかった。その代わりハーグ平和市民会議を主催したコーラ・ワイスが、スペシャルゲストとして招かれた。
ワイスは、月刊THEMISに対する朝日広報室のコメントから推測すれば、朝日・護憲派幹部に丸め込まれたということなのだろう。あるいは、広報室のコメントは捏造で、その後、説得して丸め込み世界会議に招いたのか。舞台裏でどんな取引がおこなわれたのだろう。平和運動のダーティーさをうかがわせるエピソードではある。
「9条世界会議にオーバビー氏が招かれなかったのは、苦言を呈したからではないかと思う」と仲介者は語った。オーバビーが、もし、世界会議の席上、ハーグ会議と9条をめぐる真実を暴露すれば記事の捏造が公になってしまう。護憲派の幹部と朝日はそれを恐れ、オーバビーを招待しなかったのではないか。
朝日の記事データベースを検索すると、紙面であれほどもてはやされていたオーバビーは、読者投稿欄『声』などをのぞき、2000年9月7日朝刊社会面連載「雪解けの兆しの中で…北朝鮮の今」で名前が出てきたのを最後に、いまに至るまで紙面から完全に消えている。その連載記事を書いたのは、本田雅和、竹内幸史となっている。本田は、東京本社で9条記事の捏造に直接かかわった記者のひとりだ。
その最後の記事は、筆者が『RABタイムリー』で「9条虚報」をスクープした2001年6月26日より前のことで、そのころはまだ、オーバビーは捏造の事実を知らず朝日との関係が良好だったことがわかる。
オーバビーの失意?
筆者は、オーバビーに直接、事情を聞こうとメールを送ったが、返信は来なかった。彼は、なぜ、ハーグ平和会議からずいぶん時間が経った時点で、仲介者にKISAと接触するよう頼んだのだろう。
ここからは推測だが、オーバビーはあるとき、幕張メッセで「9条世界会議」が開かれたのを知った。だが、それに自分ではなくコーラ・ワイスが招かれたことから、日本の護憲派幹部や朝日に改めて疑念を抱いたのではないだろうか。
オーバビーは、絶対平和主義の普及をライフワークとし、日本の護憲運動に強く共感していた。GHQ最高司令官マッカーサーは、軍人として戦争の残酷さを体験し戦争のない世界を夢見て、日本国憲法に戦争放棄・戦力不保持の条項を入れさせたとされる。同様にオーバビーも、元軍人として絶対平和主義の理想を追い求めたと思われる。
しかし、護憲派は9条を守ることだけを自己目的化させ、オーバビーの描いた公正な平和運動から逸脱し、記事の捏造までしてしまった。だから、彼は失望したのではないだろうか。
ジャーナリズムへの冒涜
ハーグ平和会議で護憲派幹部らは、「9条の世界化」を狙い猛烈なロビー活動をしたが、ヨーロッパで人道介入という名の武力行使が行われている現実から、相手にされなかった。しかし、世界化に失敗すれば、日本の護憲運動そのものが国際社会や国際平和運動体から否定されたことになり、その致命的な挫折を公にはできない。
正式な採択文書に入れさせるのは無理とみて、最初から記事を捏造する意図で討議メモの執筆者に働きかけ9条の文言を入れさせたのだろうか。あるいは、たまたまあった討議メモを苦肉の策として悪用し記事を捏造したのか。筆者は、前者のほうが可能性は高いとみる。いずれにせよ、朝日と護憲派幹部は、手ぶらで日本には帰れないと焦ったのだろう。
「平和主義擁護のためなら、何でも許される」という独善的なイデオロギーを実践したのだった。それは、ガラパゴス化した平和主義の破綻を意味する。
朝日新聞の記事捏造は、編集局幹部の判断というより、社長直属の論説委員室などもからんでいることから、社のトップが決断した可能性が高い。隠蔽にかかわった幹部は、少なくとも数十人と推測される。
日本のメディア史では、やはり朝日による日本共産党幹部・伊藤律架空会見記の捏造事件などがある。会見記を捏造した記者は「特ダネ意識からやった」と供述しており、新聞社が組織として関与したものではなかった。朝日のサンゴ事件や他メディアの記事捏造も、すべて一部の記者によるものだった。
朝日新聞の慰安婦虚報をめぐっては、四半世紀前の記事もいま進行中の裁判などで問題にされている。9条記事捏造は、それからみれば比較的新しい。かつて朝日カメラマンがサンゴに傷をつけ自作自演で報道したのは、メディアとしての道義に反し、社長の辞任に至った。だが、日本や日本人に直接影響を与えたわけではない。
9条の記事捏造は、憲法を制定しなおすか一部を改正する際、発議する国会議員や、国民投票で主権を行使する有権者をあざむく行為だ。
組織としての記事捏造と隠蔽がこれだけ明白なケースは、日本の一般紙・通信社メディアの歴史でも前代未聞だ。そんなことが許されるだろうか。憲法21条で保障された〈表現の自由〉を逸脱し、〈自由の濫用〉を禁じた憲法12条に違反する、ジャーナリズムへの冒涜だ。メディア報道のあり方は、〈表現の自由〉のもと、法律で規定されてはいないから朝日に法的責任は問えない。だが、その分、捏造事件の時効もない。
中央教育審議会は、2016年末、文部科学大臣に答申し、小中学校での主権者教育に新聞を活用するよう推奨した。しかし、会社ぐるみで記事を捏造するような新聞を教育の現場で活かすわけにはいかない。
重大な立場に立つ朝日
憲法改正をめぐっては、2017年の憲法記念日に、安倍晋三首相が9条の1項と2項をのこし自衛隊の存在を明記する案を提示して以来、改憲派と護憲派のあいだで激しい駆け引きがおこなわれている。朝日の9条記事捏造事件は19年前の出来事とは言え、いまこそホットなエピソードと言っていいだろう。
朝日新聞には、道義的責任と説明責任があり、重大な立場に立たされることになるだろう。