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オーバーロード:後編 作者:丸山くがね
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日々-2

 ジルクニフに館を案内されてから3日が経過した。

 その間に本館内の家具の設置、シモベの秘密裏の配置、本館内の魔法的防御網の形成、ナザリックからメイドの受け入れ、レイから借り受けた騎士達による館の警備など無数の事柄が完了していった。

 つまりは3日間で問題なく辺境侯の館として活動できる準備が整ったと言うことだ。



 アインズは自室でゆっくりとイスにもたれかかる。軋む音が一切しない総革張りのイスに。

 伸ばした足は足置き台に乗せ、心からリラックスした姿勢を取った。

 このアインズのお気に入りのイスはジルクニフから提供されたものではなく、ナザリックから運んで来たものである。それもアインズが選抜した上で。

 皮は黒色で派手なところは一切無い、現在のイスになるまで色々とあった。

 最初にセバスが選んだイスはハイ・ベヒモスの金皮製イスだったのだが、あまりにも室内の雰囲気に合わないということで交換させたのだ。

 アインズは室内を見渡し、その静かな装飾に満足げな笑みを浮かべる。


「やはり落ち着く」


 ナザリック内のアインズの自室もいうほど派手ではないが、それでも絨毯が目に痛いような気がする。そういったものが一切無いこの部屋はアインズとしても寛ぎの場であった。


「セバスがあまり良い顔をしないが、こればかりは了解してもらうしかない」


 セバスだけではない。この部屋を見た守護者全員が不満げな表情を露わにし、ナザリックの支配者たるアインズはもっと良い部屋にすべきだと言ってきた。この場合のもっと良いとはアインズ的な美的感覚からすれば派手な部屋だ。

 それをアインズは己の一存で通した結果が、現在のこの部屋だ。

 アインズが決定したことに守護者が異を唱えるはずが無い。即座に了解の意を示し頭を垂れたが、そこに完全に納得した気配は無かった。


「しかし、この世界の美的感覚はちょっと変じゃないか?」


 飾り立てれば良いというわけではないだろうとアインズは考えるが、本当に変なのは実はアインズだという可能性だってある。

 同じ日本人の意見が聞きたいものだ。そんなことをぼんやりと考えていると、部屋がノックされる。

 アインズは声をあげ、入室の許可を与える。

 部屋に入ってきたのはセバスだった。


「アノック殿がお見えです」

「アノック? 誰だったか?」


 アインズは思い出そうとするが名前に思い当たるものがない。というよりこの世界では文字が読めないやら、名前が長いやらで半分以上記憶することを諦めている。

 恐らくはアインズが覚えている名前は出会った数の半分も行かないぐらいだろう。


「帝国4騎士のお1人、『激風』ニンブル・アーク・ディル・アノック殿です」

「ああ、そんな奴もいたな」


 アインズは戦場であった姿を思い出そうとし、ぼんやりとした形ぐらいは記憶から呼び覚ます。


「それで何をしに来たんだ? また贈り物か?」


 先日からこの館にやたらと贈り物が届く。幾多もの貴族達からの戦勝祝いという名目の贈呈品だ。小さいものではネックレスなどから、大きいものでは人間大の彫像まで。本当に様々だ。

 平民であれば驚くようなものばかりなのだろうが、美術品の価値が全く把握できない男であるアインズは、それらの全ての管理をセバスに一任してしまっている。そのために贈られてきているのは知ってはいるが、どんな物が贈られているかはさっぱり知らない。

 価値のあるものがあるのであれば、自分の部屋に置かれるだろうと思ってる程度だ。

 そして部屋を飾るものが増えてないということは大したものは無いのだろうと、漠然と考えているアインズに対し、セバスは頭を振った。


「いえ、おそらくはメイドの紹介と帝都の案内でしょう」

「そうか!」


 アインズは喜色を込めて返答する。

 帝都の散策はアインズが待ち望んでいた行いだ。

 この世界に来てから2ヶ月以上の時間が経過しているが、その間に都市を散策したことは一度も無かった。未知の世界、未知の文化。そういった事柄に好奇心を刺激されながらも、安全のためやタイミングが悪く一度も叶わなかったのだが、それがようやく叶う瞬間が近づいてきている。

 もしこれ以上待たされるのであれば、ジルクニフから釘を刺されていたとはいえ、こっそり見学に行こうかという企みを企てていた矢先のことだ。アインズの機嫌は急上昇で良くなる。

 しかし直ぐに表情を歪めた。


「……喜んでいる時ぐらいは精神を平静なものにしないでくれても良いだろうに……。まぁ良い。ここまで呼べ」

「畏まりました。それと共に連れているメイドはどういたしましょうか?」

「ああ、そうだったな……。玄関で待たせておけ。メイドたちにはすべきことがある」

「承りました。ではアノック殿をお呼びします」

「うむ、頼んだ」


 セバスが部屋を出ると、アインズは机を指でリズミカルに叩き始める。

 子供がピクニックに行くのを楽しむような気持ちと、そんな自分を恥ずかしく思う気持ち。二つの間で揺すられながら。

 やがてセバスがニンブルを連れて戻ってくる。

 扉を開け、入ってきた2人にアインズは機嫌よく声をかける。

 それに対して返礼をしようとしたニンブルが、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。


「どうかされたかな、アノック殿」

「い、いえ、そのお顔は一体どうされたのですか、辺境侯」


 ああ、とアインズは朗らかに笑う。

 アインズは立ち上がり、ニンブルの元まで歩むと、手を差し出す。


「握手をしようじゃないか」


 ニンブルが戸惑ったような素振りを見せるが、アインズはそれを無視して更に手を突き出す。そこまでされては仕方がないと、ニンブルも手を伸ばす。互いの手が握手という形を取ると思われた瞬間、ニンブルの表情が大きく歪む。


「うわ!」


 悲鳴と共に手を離すと、ニンブルは数歩後退をした。その顔は強い驚きに引きつり、目は大きく見開かれていた。

 それもそのはずだろう。手と触れ合うと思いきや、そのまま肉の中に手が入り込んで、骨を触ったのだから。


「い、いまのは」

「つまらん幻術だよ」


 アインズは手をピラピラと振りながら、答えを述べる。


「実際はこの手は肉も皮も無い。それはこの顔だって同じこと」


 アインズは顔に手を当てる。

 その顔は肉も皮もついた普通の顔だ。しかし手は顔の中に半分入り込むような形を取る。


「街に出るのにちょうど良いと思ったんだがな」

「な、なるほど。そのお顔はそう言うことでしたか。失礼しました、辺境侯。取り乱してしまいまして」

「いや、気にすることはないさ。ただ分かってくれたと思うが、触られると問題が発生してしまう程度の幻術だ。その辺りも理解した上での案内を頼む」

「畏まりました。決して辺境侯の使っていただいた幻術を無駄にするような行いはしないと約束させていただきます。しかし見事なものです。そのさえない風貌であれば決して目立つようなことは無いでしょう」

「……そうか。そう言ってくれると……この顔を選んだ自分の考えが間違ってなかったと安堵できるよ」


 アインズは憮然とした気持ちで、その顔――の下の骨の素顔――を撫でながらニンブルの顔を眺める。

 イケメンだ。

 というよりもこの世界の容姿の平均値は非常に高い。帝都でパレードをした際、何気なしに人々を見渡したが、元の世界ではテレビに出れそうな人間を多く見かけた。

 それと比較して考えれば、アインズの作った幻影の容姿はかなり下の位置になり、ニンブルの評価も悪意の無い正当なものだ。

 しかし帝都探索において重要なのは目立たないこと。それが目的だったのだから、選択に間違いは無い。いや、目立つような風貌を作る方が愚かなのだ。

 そんな思いで心を癒し、アインズはニンブルに語りかける。


「ではメイドたちを紹介してくれるかな?」





 エントランスホールにはメイドたちが並んでいた。ジルクニフの言葉を聞いた貴族達が、アインズと親しくなるために送り込んできたメイドたちだけあって、若く綺麗な者たちが揃っていた。

 レイより借り受けた騎士達が、アインズという強大な力をもつ人物を前にしながらも、面付きヘルムの下から視線を投げかけるほどの女性達である。

 そんな者たちのことを一人一人眺めたアインズの感想は非常に簡素なものだった。


「なるほど、なるほど」


 それで終わりである。

 仮にアインズに性欲などが働いていれば、もっと別の不埒なことを考えたかも知れない。しかしそういった感情がほとんど無いアインズからすればその場に並んだ14人のメイドは単なる従業員だ。しっかりと仕事をこなしてくれればそれで構わない。

 そして選ばれたということはその辺の仕事はしっかり行う人材が選ばれたはずだ。ならばアインズから言うことは何もない。

 とはいえ――


「さて、アノック殿」

「はっ! どうされました、辺境侯」

「面白い見せ物を見せよう。楽しんでくれると嬉しいのだがね」


 アインズは笑う。

 その笑顔を目にしたニンブルが得体の知れない悪寒に襲われるたように身震いする姿を、アインズは微かに嘲笑した。

 視線を動かし、レイから借りた騎士達にも向ける。

 アインズの仮面の下の顔を幻影と知らない騎士達。その動きや雰囲気に、昨日まで無かった微かな気の緩みを感じ取れた。

 例えあれだけの虐殺を行った人物だとはいえ、凡庸な顔を見てしまえば恐怖も和らぐのだろう。


 それが勘違いだと知って貰わねばな。

 アインズは呟き、明るい笑顔を浮かべた。


「一応、念を押させて貰おうと思ってね」


 アインズはメイド達に向き直る。

 メイド達も何が起こるのかと、表情には浮かべないが瞳の奥にほんの少しの怯えを浮かべている。そんな姿にアインズはより笑みを強くし――


「《マス・ドミネイト・パースン/集団人間種支配》」


 ――魔法が放たれる。

 目標はアインズの眼前に立つ14人のメイド。

 魔法は即座に効力を発揮し、その14人のメイドの意識を完全に支配する。瞳にあった光は失われ、自由意志を喪失したメイド達はもはやアインズの完全な支配下だ。


「さて始めようか。この中で私のことを調べ、情報を流せと言われたものは手を上げよ」


 ばっとメイド達の手が上がる。

 その光景にアインズは嘲笑を浮かべる。それとはまさに対照的にニンブルはその光景に表情を凍りつかせる。そして戦闘メイドの幾人かが敵意をその瞳に宿していた。


「フールーダより聞いたのだが、魅了に対する対策というのはあっても、支配ドミネイト人形化マリオネットに対する対策は僅かしか無いようだな。ジルクニフが着用しているネックレス……だったか? あれは別らしいが……。そういった精神作用に関する魔法の一部を喪失しているとの話だが……良い勉強になっただろ?」


 ニンブルは言葉無く、アインズを見つめている。その瞳にある感情を察知したアインズは笑みを濃くした。


「おやおや顔色が悪いぞ、アノック殿。調子が悪いなら何処かで休むか?」

「め、滅相もございません」

「ちなみにこの手の魔法は切れた後、自分が何をしていたか覚えている。だから魅了などの精神操作による情報収集が用いられないわけだ。口封じできない相手にかけたりした場合、厄介ごとになるからな。だが……」


 目を細め笑みを浮かべるアインズが言外に匂わせた意味を悟り、ニンブルが荒い息で呼吸を繰り返す。


「ニンブルにも理解してもらったことだ。では始めよう。上げなかった者は列から離れてあちらに行け」


 メイド達が3人、列から離れてアインズの指さす場所に向かって歩く。


「11人か。これは多い数なのかな? それと聞いておくべきことが一つだけあったな、アノック殿」

「はっ!」

「……そんな大きな声で返事しなくても聞こえているとも、そうだろ?」

「お、おっしゃるとおりです、辺境侯。失礼いたしました」


 怯え、微かに身を震わせているニンブルにアインズは優しく問いかける。


「では聞かせてくれ。帝国の一般的なルールとして、貴族というのはメイドに情報収集を命じて送り込むものなのかね? まるでスパイを送り込むように」

「そ。そのようなことは決してありません、辺境侯。そ、そして皇帝陛下も貴族達がメイドに情報収集を命じさせているとは思ってもいなかったはずです!」


 少しずつ声の大きさが上がっていくニンブルに、アインズは冷徹な視線を向ける。


「だが、これが結果だ」

「あ、ぁ……。お、ま、お待ち下さい、辺境侯! お怒りはごもっともですが何とぞ、何とぞ、お怒りをお鎮め下さい。辺境侯に対して働いた無礼、必ずや謝罪させます! 平に、平にお許し下さい!」


 跪き、祈りを捧げるようなポーズを取るニンブルから、アインズは興味を失ったように視線をそらせる。

 瞬時にニンブルの表情が凍り付いた。

 カッツェ平野の大虐殺を己の目でしっかりと見たニンブルに取って、これほど恐ろしいことはない。アインズの怒りがどの程度かによって、あの地獄は帝国の頭上に落ちてくる。

 それがはっきりと想像できるニンブルは必死に謝罪し、少しでもアインズの怒りを和らげるしか道はなかった。


「私も知りませんでした! 陛下も同じのはずです! 一部の愚かな貴族たちのしでかしたこと! 何とぞお許し下さい!」

「ああ、了解した」


 ニンブルはアインズが何を言ったか理解できなかった。それほどまでに軽く聞こえたのだ。


「変な顔をするな。一応、確認はするが別に関係ない者まで罰を与えようと言う気は無い」


 安堵を浮かべつつあったニンブルを視界の外に追い出し、アインズはいまだボンヤリと手を挙げたメイド達に命じる。


「では手を上げたものにこれから命じる。お前達に私の館での情報収集を命じた者の前で、このように言うがいい。『お前が私の足元に平伏して、慈悲を願わないのであれば、これがお前の運命だ』。それが終わったのならば、自らの喉をナイフで切り裂け。ソリュシャン!」

「はい、アインズ様」

「人数分、ナイフを用意せよ。特別なものを準備する必要は無い。ただ、よく切れる物が良いな」

「畏まりました。至急ご用意いたします」

「よし、行け」


 アインズの命が下されると、即座にソリュシャンが歩き出す。

 残った者たちの表情は二極化している。至極当然の命令だと思っているナザリック勢と、顔色悪く硬直している帝国臣民という具合だ。

 アインズはニンブルに冷たい視線を向ける。

 それに打たれたように、ニンブルが身を震わせた。アインズは苦笑いを浮かべると、軽い口調で問いかける。


「何か問題があるかね? 勿論、帝国の法で家に潜り込んだスパイをどのように扱うと言うのが決まっているならそれに従うが……」

「そこまでの細かな場合はございませんが、関係する帝国法をもって裁くことは可能かと思われます」


 慌てて知識を動員して答えたニンブルは、どうすれば最も相手の貴族に罰を与える手段となるか必死に頭を働かせる。最も重罰になるように手を尽くさなければ、アインズの怒りは収まらないだろうと判断して。


「ではその場合は相手の貴族に損害賠償でも請求するのかね」


 その質問に答えようとニンブルが口を開きかける。だが決して言葉は出なかった。ニンブルの視線の先で、アインズのにこやかな雰囲気が一気に変わり、歯をむき出しに敵意を露わにしていたために。


「舐めるなよ、人間」


 低い威圧を込めた声に、広い室内の空気が一気に下がったようだった。


「こちらに喧嘩を売ってきたんだぞ? ナザリック大地下墳墓の支配者である私に。その愚考がどのような結果になるか、存分に味あわせたいところだが、それをこの程度で抑えてやろうと言っているんだ。それともそれすらも理解できないのか?」


 誰も答えられないような重圧の中、ニンブルは必死に掠れるような声で答える。


「い、いえ、滅相もございません」

「ジルクニフに伝えておいてくれ。幾人かの貴族が数日内に消えることになるかもしれないが許してほしいとな」

「か、畏まりました。必ずお伝えします」

「アインズ様。お持ちしました」


 ソリュシャンが戻ってくるがその手にナイフは無かった。しかしソリュシャンの正体を知っているアインズは、ソリュシャンが何処にナイフを収めているのか瞬時に悟る。


「よろしい。なら渡してやれ」

「畏まりました」


 ソリュシャンはメイドたちの前に立つと一人一人、手渡しでナイフを渡していく。見ればまるでその手の中から湧き出すように、ナイフが姿を現していた。

 手品のような光景だが、そこには種も仕掛けも無い。スライムであるソリュシャンはその体内にナイフをしまってきただけだ。

 全員にナイフを渡し終えたソリュシャンが、アインズの方に向き直り頭を垂れる。

 アインズは鷹揚に頷き、エントランスにいる全ての者、特に騎士達に視線を送る。青ざめた顔で恐怖を必死に堪えている者達の上に、アインズが幻影の顔を晒したときにあった軽んじた空気はなかった。

 十分に恐怖を教えてやった。

 自らの特殊能力を使用せずに、口と行動だけで刻み込んだ己の手腕に満足しつつ、最後の命令を下した。


「行け。そしてお前達に愚かな命令を下した主人に、私を不快に思わせた結果を示して来い」


 ◆


 エントランスホールからアインズはソリュシャンを供だって自室へと向かう。帝都内を見学するのに、いつもの格好ではあまりに目立つ。そのために用意しておいた服へと着替えようというのだ。

 別段、衣服の形状があまりに違うということは無いので、アインズ一人で部屋に戻っても問題ない。

 しかし、上に立つ者がそのようなことができるはずが無い。


 アインズはいつも疑問に思うのだが、誰かを伴うのが何故か当たり前なのだ。


 後ろに誰かがついて回るというのは慣れないうちは奇妙な感じがしたものであり、不満をセバスにも述べたことがある。

 しかしそういうものだと言われてしまえば、それ以上強い態度に出ることも出来なかった。

 アインズの上層階級の知識である漫画やテレビでは、言われてみればそうだった気もしたし、かつての仲間達の作り出したNPCにその程度のことでは強く出れなかったためもあって。


 普段であればアインズの後ろにはセバスが控えるが、今に限っては残ったメイドたちを別館に連れて行く仕事があった。そのため残った戦闘メイドからソリュシャンを選んで、アインズは同行させた。

 つまりは単なる偶然でソリュシャンを選んだのだが、その選択肢は正しかったとアインズは考え、後ろに控えるソリュシャンに問いかける。


「なんだ、ソリュシャン。言いたいことがあるなら言っても構わないぞ」


 僅かに後ろでソリュシャンが動揺したのだろう。規則正しかった足音が大きく狂う。

 無言の状態で数歩互いに歩き、それから意を決したようにソリュシャンがアインズに尋ねてきた。


「素晴らしいメッセージではありましたが、アインズ様に逆らった愚かさを後悔させるのであれば、私達にご命令いただければ即座に」

「……あれはあくまでも脅しでしかない」


 アインズは足を止めるとソリュシャンに向き直る。

 不思議そうな表情をしたソリュシャンに苦笑いを浮かべつつ――眼窟の中に浮かんだ赤い揺らめきが変化する程度だが――説明をする。


「お前は仮にメイドの誰かがナイフを持った状態で、私に会いにきた場合、問題無く通すのか?」

「そのようなことは決して……」


 言葉を切り、理解した素振りを示すソリュシャンにアインズは続けて説明する。


「そういうことだ。ナイフの回収など何らかの対処をされるだろう。だがナイフが無ければ私の命令を実行できなくなる。そうなると魔法で操られ、思考力の低下した者は直線的な行動を取りがちだ。この場合はどうにかしてナイフを手に入れようとするのだろうな。そうやっているうちに時間の経過による魔法効果の解除だ」


 アインズは肩をすくめる。

 魔法の持続時間を延長するスキルもあるが、今回はそれを使ってはいない。


「効果時間が経過し、魔法が解かれたメイドは主人に自分が何をされたか真剣に話すだろう。それを聞いた主人はどのような態度に出る? どうだ? 良い脅しになっただろ」

「仰られるとおりです」


 本気で脅しをかけるなら、やはり送り出したメイドが確実に自害する方がより良い脅しにはなっただろう。その手段も命令次第で簡単に行える。しかし、単に命令されただけのメイドに死ねと命令するほどアインズも冷酷ではない。


 確かに上から命じられただけのメイドを哀れむ気持ちが無いとは言い切れない。しかしそれは非常に些少だ。

 愚かな主人に仕えた不運を恨めば良い。

 その程度の思いで簡単に塗りつぶせる。

 蟻に親近感を覚える人間がいないように、人間に親近感を覚えるアンデッドはいない。

 アインズが覚える人間への親近感は、あくまでも鈴木悟という人物の残滓だ。そしてその残滓が最も執着するのはナザリックのことであり、人間のことではない。


 そしてアインズは人を苦しめて喜ぶという趣味は無い。

 道を歩いていて少し離れたところにいる蟻を、わざわざ踏み潰しに行くようなことはしないし、進路上にいても気が向けば歩幅を変えて助けることもあるだろう。

 ただ、踏み潰す必要があったり、歩幅を変えるのが面倒な時、踏み潰すことに哀れみや戸惑いを感じないというだけだ。

 この場合であれば、結果として脅しの効果があれば良いのだから。メイドの命に関してはさほど興味が無かった。助かろうが死のうが、魔法をかけて送り出した時点でアインズの目的は達成している。


 脅しをかけるならもっと別の魔法を使って他の手段もあったが、それを取らなかったのはもう一つだけメイドを送り出した理由があったからだ。


「そして、送り出したメイドの中に、暗殺者などの武器を忍ばせるのが得意な者がいた場合はあれで死んでくれるだろうよ。つまりは送り返したメイドの運命を見るだけで、どんな奴を送ってきたのか理解できる。ソリュシャン、場合によっては働いてもらうぞ」

「畏まりました」


 敬意を込めて頭を下げたソリュシャンを一瞥し、アインズは数日かけて考えた対策が完璧だったと自画自賛する。


 それとソリュシャンには言わなかったがもう一つだけ理由があった。

 それは帝国の法律をどの程度まで自分に適用してくるつもりかという探りだ。

 アインズは帝国の法律の下、貴族位をもらっている。ならば貴族としてのアインズに譲歩を要求してくる可能性だって当然ある。勿論、それを受け入れる受け入れないはあるだろうが、そのギリギリのラインを探って。

 だからこそニンブルに法律の件を尋ねた上で、意志をごり押ししてみた。つまりあれはアインズからすればこちらの意思をどの程度強引に押し通せるかという戦いであった。

 結果――


 的外れであり、これ以上は心配性の類だな。


 アインズは自分の考えが大きく外れていたことに苦笑を送る。

 帝国にアインズを法律で縛ろうという意志はないと判断しても良いのかもしれない。


 メイドを泳がせるという考えもあったのだが、それは対処するのが面倒になる可能性もあるため、今回は破棄して入り口で一網打尽にした。中に入り込んだメイドは他のメイドたちの運命を――結果はどうあれ――目にしている以上、恐怖から裏切ったりは出来ないだろう。


 アインズは鼻で笑うと、再び歩き出す。

 既にアインズの興味に先ほど送り出したメイドのことは無かった。あるのはこれからの帝都散策だけであった。


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