明日のわたしに還る

明日のわたしに還る

INTERVIEW

小川彩佳さん「わたしの立ち還る場所は、いつも心の奥底に」

  • テレビ朝日 アナウンサー
  • Ayaka Ogawa
  • 2018.2.28

 緊張と不安と重責と。混沌とした感情に押しつぶされそうになっている真っ最中、仕事机が揺れた。2011年、小川彩佳さんがテレビ朝日に入社して4年目。『報道ステーション』3代目サブキャスターになるというプレス発表の日、東日本大震災が起きた。

文 大平一枝 / 写真 馬場磨貴

守りに入ろうとしかけたとき
言外に滲むものの存在に気づいた

 「大変なときに担当になってしまったと思いました。東日本で起きていることの重大さに震え、自分がまさに見えないところに向かっていく感覚がありました」

 そこから小川彩佳さんのアナウンサー人生は、一変する。担当は『報道ステーション』(以下『報ステ』)1本。情報を正確にわかりやすく伝えることが第一。意見を表明することが仕事ではないアナウンサーの自分が、この番組でそのときどきで何ができるか。伝えながら、考えながら、迷い、反省し、眠れぬ夜を重ね自問自答、試行錯誤の日々が続いた。

 「生放送は一度放った言葉は二度と戻りません。やり直しがきかず、つねにワンチャンスのみ。カメラの向こうにはいろんな世代の方、主義主張の方がいる。自分の言った一言が誰かを傷つけることもあるというリスクを背負っている。そう思うとこわくなって、無難にその場をやり過ごそう、万人受けすることを言おうと傾きかけたこともありました。でも、画面は正直です。目の動きひとつに、そういう心の姿勢は滲(にじ)んで出てしまう。なにより、自分にうそをついたことがずっと後悔として残る。そういう苦しい時期もありました」

 自分を曲げずに何を伝えられるか。道に迷い、守りにはいろうとしかけていた自分の心に風穴を開けたのが、傍らのメインキャスター古舘伊知郎氏の姿だった。彼は番組を卒業するまで5年間、震災と原発にこだわり、報道をし続けた。

 「原発問題の報道のときは非難もたくさんありました。しかし、古舘さんはぶれずにこだわり続けられた。言葉以外にも、表情で訴えていました。私は古舘さんの姿勢から、強い気持ちがあれば、言外に滲むものが必ずあり、それは視聴者にも伝わるということを気付かされました。私は、テレビの前の方々と番組をつなぐ“鎹(かすがい)”のような存在になりたい。視聴者のみなさんやニュースの当事者に寄り添いたい。ひとりの人間として、言葉、あるいは言外に滲むものに、”この人もこんな風に思っているのかな“と視聴者の方に感じていただくことで、少しでも誰かの救いになったり、共感していただくことで、ひとりじゃないと思ってもらえたら……。そういう思いでとりくんでいこう、そのために最良の言葉をつねに探し、紡いでいく努力をしようと思うようになりました」

 古舘さんから富川悠太キャスターに変わり、今年で7年目になる。昼過ぎに局に入り、打ち合わせが始まる。76分の生放送を終え、深夜遅くに帰宅。「切り替えがへた」(小川さん)で、かつては後悔や反省であれほど眠れなかった夜も、今はすんなり眠りにつけるようになったと笑う。

 「家でお酒を飲みながらオンエアをチェックします。とことん反省したら“ハイ。反省しました!”と声に出して言って、それでおしまいにします。どんなささいなニュースも怠らないように、万全を期して準備をし、心を尽くして伝えようと決めてから、落ち込み方の回復が早くなりました。あれだけ考えぬいた。できることはやったのだから、と」

 そんなふうに、オフタイムに緊張がほどけるようになったのは、最近のこと。自分のなだめ方、励まし方、気持ちの立て直し方を感得するのにかかった歳月の長さに、画面では華やかに見える彼女の、歩んできた道の険しさを思う。

 番組の現場に同じ立場やキャリアの人間はいない。ほぼ全員が年上の、ほとんどが男性。間違いなく彼女は、ひとりだった。自分で気づき、昨日の傷は自分で繕い、修正して、前に向かうしかない。

 どんなに水を向けても彼女の口からは聞けなかったが、報ステに限らずおそらく生放送の報道現場は、だれもが自分にいっぱいいっぱいで、そんなに優しくはない。

ロックは人生に欠かせないBGM

 朝番組を担当し不規則な生活をしていた頃は、夜に収録が入ったり夕方の打ち合わせがあったりと始終眠く、休日は寝て終わるような生活で、からだが仕事のペースになかなか慣れなかった。

 今は規則正しいリズムで出勤し、土日は取材など仕事がない日は完全に休める。とは言え夜型生活になるので「これはいかんと」(小川さん)ジムなど朝活を試みたり、いろいろ試したこともあった。

 「ちょっと朝活は無理があるので辞めましたが(笑)、遅めのランチで友だちと会ったり、仕事が終わった帰宅後は、オンエアチェックの後映画を1本見てリラックスしたりするという自分のペースができています。わたし、映画が大好きなんです。戦争とSF以外はなんでも見ます」

 緊張する仕事の前には必ず『サウンド・オブ・ミュージック』と決めている。幼い頃から家族で何度も見た、気持ちが明るくなる作品だ。不安で潰れそうなときは主人公のマリアが『アイ・ハブ・コンフィデンス』という楽曲を歌い踊るシーンを見る。

 「見えないものに向かっていくときの不安感が自分と重なります。物心つかないころから見せられたことで細胞に刷り込まれているからか、よし、と気合が入るんです。私にとってはお守りのような存在の映画ですね」

 中学時代から好きだったスタンリー・キューブリックの監督作品や、旧ユーゴスラビアの動乱を描いた『アンダーグラウンド』も繰り返し見ている。彼女なりの心の繕い方には荒療治もある。

 「切り替えが多少うまくなったと言いましたが、それでも仕事とプライベートを切り離そうとしても完全には切り離せないお仕事。そこは抗(あらが)いがたいところでもあります。内省して落ち込んで、もうどうしようもない日は、“とことん落ち込んでしまおう”と決めてしまいます。立ち直れない日は無理に切り替えず、没頭できる『アンダーグラウンド』や、主人公が失敗ばかりする映画を見るんです。『ミート・ザ・ペアレンツ』とか。とことん落ちるところまで落ちて開き直る。これが意外にスッキリするんですよ」

 もうひとつ彼女の人生に欠かせないもの、それが音楽だ。ロックが好きで、気持ちを奮い立たせたいときはクラッシュなどのパンクやミューズ。鬱々(うつうつ)とする日は、あえてザ・スミスにひたる。
 「音楽の力は大きいですね。その時の気分に合う音楽に身を委ねているうちに、日常の瑣末なことは忘れてしまったり。楽しくリラックスしたいときは大好きなアラバマ・シェイクス、冒険的な気分のときはチューン・ヤーズ、しっとりと浸りたいときはボン・イヴェールやシガー・ロスなど憂いを帯びたロック……。音楽は私の人生に欠かせないBGMですね」

「私には土台がない」

 やりたいと思う取材に行かせてもらえないことが長く続いた。なぜなんだろう。悶々と思い悩んだ末に、気づいた。
 ──私には、土台がないからだ。

 日々コツコツ調べ、学び、積んだ取材経験が土台になる。
 「私にはそれがなかった。そう気づいて間もない去年、番組のトランプ取材の企画と合わせ、彼がツイッターを通してどのように社会にアピールしていったのかを追う特集を組むことになりました。スタッフがツイートを読み込み分析し、私は、それをもとに選挙参謀や支持者にインタビューをします。そこで自分も、スタッフの調査に加わり、『土台』を一緒に作ろう。本当の意味での『取材』をしなければならないと思いたちました」

 小川さんは、直後にあった年末年始休暇にトランプの3万4千件のツイートすべてを読んだ。すると彼の思想のベースや変遷、疑問も課題も浮かび上がってきた。そこからの自分なりの分析を書き起こした。

 「休み明けにスタッフに伝えたときあたりから、ちょっとチームの空気が変わってきました。そのとき初めて、戦力としてみてもらえたのかなと思いました。以来、少しずつ、やってみない? と言われることや、やってみたいと自信を持って言えることが増えました」

 とくにテレビで言うほどのことではないが、積み重ねたものがやがて企画の種になることはいくらでもある。やらせてもらえないのではない。土台は自分で作るもの。そこから種を探し、育て、花にするのも自分だ。

 ひとりで奮闘し続ける苦労について尋ねると、彼女は大きく首を振った。
 「私ひとりの力などたかが知れています。自分には技巧もなにもありません。それほどの力はないとわかっています。ただ、こんな人間でも、コツコツ一生懸命やれば必ず伝わると教えてくださった方がいる。今の自分はその方の言葉に支えられています」と、語りだした。

 それは11年前。入社してすぐ担当になった政治討論番組で、田原総一朗さんから授けられた。
 彼女が初めて取材した報道、痴漢冤罪(えんざい)事件でのこと。現場に足を運び、判決文や関連本を読み、痴漢冤罪を実証するのは「悪魔の証明」と呼ばれるほどに難しいものと知る中で、どれだけ屈辱的だったか、家族はどれほど苦しい思いをしたか。想像をめぐらし、思いを深めていたときに、スタジオに本人が登場した。その瞬間、感情があふれ、なにも話せないほど大号泣してしまった。冷静沈着でいなければならないアナウンサーが、カメラの前で感情をむき出しにしてしまった。誰にも言われなくても自分が一番この言葉にうちのめされていた。──アナウンサー失格。

「素直になることを怖がらないで」

 取り返しのつかない生放送終了後、控室に戻ろうとトボトボ歩いていると、田原総一朗さんがこう声をかけた。
 「素直になることを怖がらないで。それが一番伝わるんだよ」

 田原さんは、政治家や財界人が討論を繰り広げる場で、「小川さん、どう」と突然10秒くらいの意見を求めた。
 取り繕ったような言葉や、どこかに書いてあったような意見を述べると、容赦なく「そんなこと聞いてるんじゃないんだよ!」と放送中に叱責(しっせき)した。
 逆に、「自分はこう思う」と必死に言葉をつなぐと、どんなにつたなくしどろもどろであっても最後まで真剣に耳を傾けた。

 小川さんは述懐する。
 「真実に迫ろうと意見を戦わせる戦場である番組『サンデープロジェクト』のスタジオで、私は田原さんから、画面は正直であるということ、そして“心からの言葉でないと、人の心に届けることができない”ということを学び続けました」

 素直になることを怖がらないで。迷ったら今も、その言葉にかえる。
「私の立ち還る場所、原点です」

家庭を持ちながら、仕事を人生の柱に、が理想

 恵まれた環境に見えるが、実際はたくさんのことと戦っている。ひとつ言葉を発すると、その何十倍もの否定意見と肯定意見が寄せられる。好奇心によるバッシングもある。

 だが自分を見失わず、11年前の先達の言葉を今も宝物のように心の中で磨き、苔をつけることなく転がり続ける。そんなに素直にまっすぐ頑張れるのはなぜなんだろう。
 もし、そうみてくださっているとするなら、と前置きをし、彼女は言葉を紡いだ。

 「子どもの頃からどんなときも、コツコツ懸命にしてきたことに裏切られたことがなかった。努力は裏切らない。その自負が今につながっています。これまでもそうだったしなって思える。そしていつも身近な人の小さな言葉に救われてきました。家族だったり友達だったり仕事仲間だったり、今は視聴者だったり。必ず見てくれる人がいる。大きな評価がなくてもいいのです。むしろ表面的な評価は次につながらないことが多い。そのときの努力と次の努力が点と点となり、線となってつながってきた。周囲の見方で、私はそうじゃないと思うこともありますが、本質を理解してくれる人がいればそれでいい。がんばれます」

 結婚もしたいし子どもも欲しいと目を輝かせる。同時に、仕事は人生の柱。「知ることが人生の可能性を広げることになるので」(小川さん)、仕事はずっと続けていきたいと力強く言い切る。
  「とってもちいさなことなんですがたとえば、自分で稼いだお金は自分の自由になります。“だから、働くということは自分の自由を作るということ”。尊敬する女性の先輩がそう言っていたのも、印象深く覚えています。わたしもずっとそうでありたい。自分の人生を自分の足で立ち、切り開いていきたいのです」

 取材終了の時間が来た。
 「お子さんがいらっしゃるんですか? いいなあ。いつも男性の中で仕事をしているので今日はカメラマンさんもみんな女性で、新鮮な気持ちで楽しかったです」
 そう言って、頭を深々と下げ、局の玄関口まで送ってくれた。道中、取材に立ち合った広報部の男性社員が、そっと彼女に話しかけていた。
 「入社のころ、頼りないなんて言ってごめんな」
 いえ、私なんてまだまだですと笑う彼女に、彼はいった。
 「あの頃、頼りないお嬢さんと思った君がこんなにしっかりした思いで仕事と向き合っていたとは。今日は僕の方が学んだ。感慨深いよ」

 ああ、彼女はこういう評価の中からスタートしたのだなとわかった。それは彼女だけじゃない。きっと日本中の新人女性社員の多くが同じ経験をしているはずだ。
 小川さんは、努力という小石を積み上げながら、頭をあっちにぶつけ、こっちにぶつけ、悩み、迷いながら、自力で強くなっていった。そういうまっすぐな強さが、言外ににじみ出ている。だから、毎晩清々しい。

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