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一面

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 一九四五(昭和二十)年八月九日に長崎市に二発目の原爆を投下した米軍が、三発目の原爆を日本に投下する具体的な計画を立てていたことが、米軍の公文書から裏付けられた。長崎と同型の爆弾をすぐに製造し、予定を早めて十七日以降に標的に投下するという内容。(8月10日 朝刊) 記事全文へ

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長崎に原爆を投下した翌日の8月10日時点で、米軍が次の原爆投下を計画していたことを示す文書

 

※記事は中日新聞一面と一致しないことがあります。

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