サマータイムに賛成多数という風潮、さっぱりワケがわからない

本当にやれば、大混乱確実なのに…
長谷川 幸洋 プロフィール

サマータイムで痛い目に遭った話

環境省によれば、1980年から2007年まで総理府や内閣府などが実施した計9回の世論調査で、いずれも賛成が反対を上回っていた。とくに2000年代に入ってからは、賛成と反対が5対3くらいの割合になっている(https://www.env.go.jp/earth/ondanka/summertime/attach/pamph.pdf)。

そんなに賛成の人が多かったとは、私には意外だった。政府の資料が宣伝するように、地球温暖化対策とか「省エネルギーに役立つ」と言われると、納得する人が多いのかもしれない。あるいは「夕方の時間を活用できるのはいいこと」と思うのか。

たしかに、仕事が早く終われば、明るい時間を余暇や家事に活用できる。その結果、個人消費も伸びる可能性がある。ある試算によれば、外出が盛んになって娯楽や外食支出が増え、年7000億円の経済効果があるという(https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080201261&g=smm)。

だが「ちょっと待てよ」と言いたい。時間を1時間早めるのは簡単ではない。ありとあらゆる時間が早くなるのだから、交通機関はもちろん学校や金融機関、各種コンピューターに至るまでシステムを全部、切り替えなければならない。

そんな膨大な作業を東京五輪・パラリンピックのために断行するのか。それくらいなら、競技の開始時間を1時間早くすればすむ話ではないか。

 

私が否定的なのは、実はサマータイムで痛い目に遭った経験があるからだ。私はサマータイムを実施している米国と欧州で暮らした経験がある。恥を忍んで白状すると、最初の米国での失敗はなんだったか、もう忘れたが、2度目の欧州は忘れられない。

暮らしていたブリュッセルからパリまで家族旅行で初夏の朝、駅に出かけたところ、待てど暮らせど列車が来ない。ホームはガランとして、私たち以外はだれもいない。「おかしいな」と思って時刻表を見直して、ようやく気が付いた。

「そうだ、今日からサマータイムだったんだ!」。列車は1時間前に出発していたのである。午前9時に来るはずの列車は、昨日までの時計なら午前8時に来ていたからだ。私は時計を直し忘れていた。

サマータイムというのは、その日から「今日の午前9時は昨日の午前8時」という話である。列車の発着時刻を含めて社会全体が1時間早くなってしまうと、自分も時計の針を進めておかない限り、自分はなにもかも「1時間出遅れる」のだ。