こんにちは。
コツメの母さん。です。
今日、ピヨ姐とピヨ姐が小さかった頃の話をしていました。
ピヨ姐は赤ちゃんの頃から非常に育てやすく、そして非常に育てにくい子でした。
幼い頃、 スーパーやお店で
「これ買ってー!うわぁぁぁぁん!」
と泣き叫んだり、公共の場でいなくなってしまったり騒いだりはしない子どもで、
家にいるときもおとなしく、集中して遊ぶ子でした。
そういうところは楽でしたが、とても困ることがありました。
それがマイルールです。
ピヨ姐にはたくさんのマイルールがあったのです。
ピヨ姐は2歳くらいのころ、しろくまちゃんのほっとけーきの本がだいすきでした。
「読んでー。」
というので
「しろくまちゃんのほっとけーき」と言ってからお話を読み始めると
「ちがうちがう!!!」
と言います。
ピヨ姐は表紙に書いてある作者の名前と出版社の名前も読まないと怒るのです。
この場合「しろくまちゃんのほっとけーき わかやまけん、こぐま社」です。
なのでピヨ姐が初めて読めるようになった漢字は「社」でした。
他の本でもたとえば「はらぺこあおむし」だったら
「この絵本をいもうとのクリスターに」
というところから読まなければいけませんでした。
そして数あるこだわりの中で面倒だったのが「順番」です。
家族で車に乗るときにピヨ姐は
「一番パパ、二番ピヨちゃん、三番ママ」と言います。これは車に乗る順番でした。
降りるときも「一番ピヨちゃん、二番ママ、三番パパ。」
その順番はピヨ姐次第なのですが、急いでいる時や面倒な時などもちゃんとその通りにしなければわんわん泣き叫ぶという…。
泣き始めるとうるさいので
「きっと今だけのことだから。」
と、つい言うことをきいていたのでした。
ある日そんなピヨ姐と私は歩いてスーパーマーケットへ買い物に行き、当時住んでいたマンションに帰ってきたときのことです。
マンションの入り口には10段くらいの階段があり、階段をのぼってエントランスに入るつくりになっていました。
するとピヨ姐が
「階段の一番はママ。二番ピヨちゃん。」
と言ったのです。
マンションは急な坂道の途中に建っていて、車通りは少ないのですがもし車がくると危ないのです。
まだピヨも2歳と小さく、もし私がのぼってしまった後でピヨがのぼって来ず、急に道路にとびだしたりしたらと思うと心配でした。
なので
「ピヨちゃん、危ないからピヨちゃん一番でママ二番にしてもらえる?」
と言ったのです。
当然がんこなピヨ姐はいやだいやだと言い出し、しまいにはわんわん泣き出して道路にあおむけに倒れてしまいました。
車が来たら危ないので私は
「ピヨちゃん、立って!」
と言ってピヨ姐の片腕を掴んで起こしたのです。
すると
「いったああああああああい。うわーーーーーーーーん。」
とピヨ姐がさらに大声で泣き始めました。
「え?そんなに強くつかんでないのに。」
と思ったのですが、ピヨ姐の腕がだらんとしています。
家に連れて帰り、「腕をあげてごらん」と言っても痛くてあげられません。
肩がはずれちゃったのかなと思ったのですが、どうも肘のようでした。
だらんとしていると痛くないようなのですが、静かで元気がありません。
あわてて整形外科へ行くことにしました。
初めてのことだったのでとても心配でどきどきしました。
診察は先生とピヨが向かい合い、ピヨ姐の肘を先生が片方の手で挟むと
もみもみ、きゅぅ
ともみました。(元に戻すのを整復というらしいです。)
「手をあげてみて。」
先生が言うと、ピヨ姐は何事もなかったようにすぅっと手をあげました。
一瞬で治りました。
あんなに痛がって泣いていたのに。
本当にびっくりしました。
ピヨ姐はうれしそうに先生に向かってその手でバイバイと手を振りました。
ピヨ姐のような症状を
肘内障(ちゅうないしょう)というそうです。
肘の脱臼で
多くは 5歳以下の子どもにみられるそう。
もしこういった症状がでたら、本人が静かにしていても「明日病院へ連れて行こう。」ではなく、速やかに整形外科を受診してくださいね。
時間がたつとよくないのです。
ちなみに約8年後、コツメちゃん(2歳)も肘内障をやってしまいました。
北海道函館の朝、市場で。
コツメの父さんが
「コツメちゃん、こっちだよ。」
と手をつないで軽く引っ張った瞬間
コツメの顔が能面になりました。
それまでコツメちゃんは落ち着きなくあっちやこっちへ動いていたのにぴたりと動きがとまりました。
別人のようになったコツメ。
私はすぐに
『はずれたな…』
と思いました。
そして函館の病院へ行き、
もみもみ、きゅぅ。
してもらいまた元気なコツメになりました。
子どもの肘はぬけやすいので注意です。
年齢的に幼稚園や保育園でも起きやすいようですよ。
肘内障はすぐに整形外科へ行ってね。
コツメの母さん。でした!