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結論から言うと「んなことどこにも書いてませんけど」になってしまうのだが、そこで終わったらつまんない。何がどうなって誤解が広まってしまったのか、調べられる範囲で検証してみたぞ。 ******************** >今回の発端 Yahooに載ってたこの記事。 「恋愛工学が明かす激動の恋愛市場とは?――非モテ男子の失われた性欲の行方」 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141017-00000511-cakes-life "藤沢 はい、そうだと思っています。ただし、こうした意見を聞くときに、我々は次のような事実をいつも心に留めておく必要があります。約5000年前のエジプトの遺跡から見つかった粘土板でできた書簡に、「最近の若者はけしからん。俺が若い頃は…」という意味の象形文字が書いてあり、それがトルコのアンカラにあるアナトリア博物館に所蔵されているそうなんですよ。" なんなんスかね…こういう「日記にでも書いてろ」的な文で食ってける仕事って…。 他でもこの「古代エジプト人が"最近の若者はけしからん"と言った」という俗説(?)、何故か結構出回っていて、色んなところでちょくちょく見かけるんですよ。 ただ、この藤沢なる人がまことしやかに言う話では、「5000年前」、「アナトリア博物館」と、寝ぼけて適当なこと言っただけにしては妙に具体的。どこかに話の出所があるはずです。 というわけで―― 探しに行ってみたぞ!★ ■出所その1 柳田國男の「木綿以前の事」 →元ネタと推測されるものアリ まず出所の一つは、どうも柳田國男らしい。 以下が該当部分の引用だ。 先年日本に来られた英国のセイス老教授から自分は聴いた。かつて埃及(エジプト)の古跡発掘において、中期王朝の一書役の手録が出てきた。今からざっと四千年前とかのものである。その一節を訳してみると、こんな意味のことが書いてあった。曰くこの頃の若い者は才智にまかせて、軽佻の風を悦び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするのは嘆かわしいことだ云々と、是と全然同じ事を四千年後の先輩もまだ言っているのである。 エジプトマニアなら、「中期王朝の一書役」というキーワードでピンとくるだろう。 古代エジプト中王国時代は紀元前2055年ごろから1650年ごろ。つまり今から約4000~3500年前くらいの間の出来事だ。 そして中王国時代といえば、教訓文学というジャンルが多く誕生した年代。その名のとおり、先達から後輩あるいは息子や生徒たちへの「教訓」を延々と記した文章で、内容を超絶ザックリ三行でまとめるなら「ちゃんと勉強しろ 先輩を敬え さもないとロクな人生にならん」という感じである。柳田の主張している内容に近い。 この文章だけではどのテキストを指しているのか分からないが、「古人の質実剛健なる流儀をないがしろにする」という記述から推測するに、恐らく「イプエルの訓戒」ではないかと思う。現存するライデン博物館所蔵のパピルスが筆記されたのは新王国時代だが、内容自体は中王国時代の終わりから第二中間期に成立したものと推測されている。 第二中間期とは、ヒクソスの侵入によってエジプトが混乱に陥り、一時期、複数の王朝が同時平行的に成立した時代のこと。その時代にかつての王朝の秩序が失われ、「資格の無いものが玉座に座り、貴族たちはぼろをまとい、農民が財宝の所有者となり墓は暴かれている…」と嘆きの言葉が続く。 第二中間期はいわば戦国時代であり、それまでとは異なる下克上が横行していた。よってイプエルの訓戒における「才智にまかせて軽佻の風を悦び」とは、農民出身であっても才知があればのし上がれたことを指している。 もしここで柳田の書いている「中期王朝の一書役の手録」が「イプエルの訓戒」のことであるならば、それは若者批判の内容ではない。老人が、下克上の乱世で出世街道に乗れなかったことを嘆き、過去を懐かしみながら秩序回復を願っているのである。 ■出所その2 アナトリア博物館のガイド起源の話 →おそらくガセ だが、教訓文学を記したパピルスで有名なものは、トルコのアナトリア博物館にはない。「イプエルの訓戒」もライデン博物館所蔵以外にまとまったテキストはない。調べていくと、どうやらもう一つ、噂の出所があるようなのだ。 以下、個人の旅行記にあった記載。 http://4travel.jp/travelogue/10053657 アナトリア博物館にも 、古代エジプトへ宛てた粘土板の書簡が保管されている そして上記を元にしたと思われるツイッターも。 https://twitter.com/naitomea8/status/37777546321862656 実は紀元前3000年から「最近の若いもんわ・・・」と言われているらしい。(アナトリア博物館にある、ヒッタイトから古代エジプトに送られた粘土板より) まずツッコミどころとして、ヒッタイトとエジプトがやりとりしてたのは新王国時代なので紀元前3000年じゃない。そんな時代にヒッタイトまだ影も形もない(笑) ヒッタイトと古代エジプトの間で交わされた書簡があるとすれば、紀元前1200年くらいのことだ。どうやらこのツイッターの人は、年代を上記柳田國男の記述のものを混ぜてしまったらしい… 根も葉もないウワサとはそうやって作られるものなのだなあ、としみじみ。 で、「ヒッタイトからエジプトに送られた」というのも、おそらく間違い。ヒッタイトの本拠地はアナトリアにあったが、エジプトに送られたのならエジプトで見つかっているはずで、アナトリアにあるはずがない。エジプトの送るつもりで未発送のまま忘れられていた文書なら可能性もあるが。(あるいは写しとして一部残しておいたという可能性も無くは無いが…) 逆にエジプトからヒッタイトに送られた書簡は、確かにアナトリア博物館にある。 たとえば、ラメセス2世の王妃ネフェルトイリからハットゥシリ3世の王妃プドゥヘパに送られた青銅製のタブレットが有名である。 http://en.wikipedia.org/wiki/File:Hattusa_Bronze_Tablet_Cuneiform.JPG ラメセス2世とハットゥシリ3世といえば、すぐにカデシュの戦いが思い浮かぶだろう。 この戦いはエジプトとヒッタイトという当時の古代世界における大国同士がぶつかった大きな戦争であり、その後、世界最古の平和条約と言われるシリアにおける国境線の確定と相互不可侵、外敵に対する共同防衛の取り決めがなされ、エジプトとヒッタイト双方に同じ文章の条文が保管された。なお、この条約は、エジプトとトルコの双方に現存している。 アナトリア博物館の青銅タブレットは、その友好関係のあった時代に、エジプト王妃とヒッタイト王妃とが贈り物をしあっていた証拠である。 (内容→ 献辞と贈り物の内容。 http://www.atamanhotel.com/hattusilis-a141.html) だが、そこには、「近頃の若者は…」なんていう言葉は出てこない。ていうか大国同士の正式な国交文書にそんな文章を入れる余地はない。 ちなみに、エジプト-ヒッタイト間のやりとりは、当時の国際用語だったアッカド語(楔形文字)で書かれている。エジプト王妃に楔形文字は書けないので、書記に代筆させたものだろう。アッカド語を操れる書記は限られていただろうし、エジプトからヒッタイトまでの長距離を輸送するには非常に手間がかかり、やりとりされるすべてが、国際的な公的文書だ。 よって、アナトリア博物館所蔵のエジプト・ヒッタイト間の書簡の中に「最近の若者はなってない」という文章がある、というのはガセだろう。 ガイドが指したという粘土板の書簡が何だったのかは、これだけだと分からない。アナトリア博物館にはヒッタイトの首都ボガズキョイで見つかった粘土板が沢山おさめられているので、その中のいずれかだろうか。 なお、ヒッタイトはその後、友好条約が締結されてから100年も経たないうちに滅亡することになる。 というわけで、冒頭の記事の中で言われている「約5000年前のエジプトの遺跡から見つかった粘土板」という発言は、この2系統の「ウワサ」を脳内ミックスして生み出したものと推測できる。 ■プラトンが言っていたこと →曲解すれば若者批判 さらにもう一つ、よく言われる「プラトンの若者批判」。 これについては、既に調べてくれている人がいるのでこちら参照。 プラトンが「国家」第八巻で若者批判とも読めることを書いている、という。 http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/03/post_f3fd.html ただ、読めば分かるとおり、「最近の若い者は…」とは言っていないし、「わしの若い頃は…」とも言っていない。若者は増長してロクでもないことすっから、気をつけないとアカンで。という内容である。そして若者に対してと同じように年寄りにも批判をくれている。都合のいいとこだけ切り取ってはいけない。 ■他にも色んな説が! と、ここで終われればよかったのだが、ググってみるとなにやら色んな説があるではないか。 <<どっかの知恵袋1>> http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213472717 メソポタミアはシュメール文明の遺物(粘土板)にそのようなものがあるそうです。 今から3000年以上前のピラミッドの石室を発掘中、壁に職人が書いたと思われるヒエログリフ(古代エジプトの文字)の落書きが発見され、それを解読してみると「近頃の若い者は…」といった文章だったというものです。 出典は確認していませんが、1980年代に新聞(全国紙)で読んだ記憶があります。 「今の若い者は…」 <<どっかの知恵袋2>> 出典は「シュメール文明の遺跡から出土した粘土板の記述」で良いと思います。 ちょっ。おま。 片っ端からツッコみどころ満載なんだが、ピラミッドの石室に書いてあったっていうのは明らかにガセだろう。そんなの書く場所ねーし今から3000年前だともうピラミッドなんて作ってないぞ(笑) これはすぐ違うなと分かる。 めんどくさいのがシュメールのほうで、それらしい記述がどこかにあった可能性を否定できない。 楔形文字の記された粘土板は出土数が多く、その内容も多岐に渡る。おおまかなジャンルは以下のとおり。手紙や文学など、若者批判を書く余地のあるジャンルもいくつか存在する。 ただ、手紙など私的なジャンルが現れてくるのは、上の表を見て分かるとおり、最大限早く見積もって紀元前2600年あたりからなので、どっかの知恵袋にかかれているように「シュメールの文明のほうが古いからエジプトより先」などという単純な話は成り立たない。(それ以前は私的文書がほとんど無い。筆記法や語彙が発達しておらず、日常的な文章は書けなかったとも。) 「存在しない」ことを完全に証明するためには、今あるすべての粘土板を洗う必要があるが、未解読のものや解読結果が一般に出版されていないようなものも多数ある現状それは無理。また、数が多いので、曲解すれば「近頃の若者は…」になるものも、おそらくどこかにはあると思う。 これだけ多くの「近頃の若者は…と大昔の人は言った」説が出回っている原因は、 拡大解釈すればそのように読めなくも無い多くのテキストを、解釈によってそのように読んでいるから である。 何しろプラトンの「国家」の記述でさえ、「近頃の若者は…」に解釈し直されてしまうくらいなのだ。そりゃあ世の中、若い者批判する古代人ばかりにもなりますよって。 ■結論 というわけで、一部元ネタらしきものもあったが、古代エジプト人は「近頃の若い者は・・・」とは言ってない。 柳田國男が書いた話の元になったと思われる「イプエルの訓戒」は、若者批判ではなく「最近の世の中は・・・」という世の中批判である。 つーかプラトンだって、若者にも年寄りにも文句言ってるんだから世間一般に対するグチだよねこれ。 世の中には、沢山の「xxには近頃の若い者は…という愚痴が書かれている」という俗説が出回っている。それは裏を返せば、 誰かがそれを望んでいるから という証拠でもある。思うにそれは、今現在、若者を批判し続けている人々自身に他ならない。 "私は若い者を批判しているが、自分が老いたからではない。若さを疎ましがっているわけではない。これは昔から繰り返されてきたことなのだ。先人たちに習っただけのことなのだ。" そんな言い訳が聞こえてくるようである。でもその「先人たち」は、空想の中にしか存在しない。(笑) 人間そう変わるもんじゃないので、古代にも若者に文句つけるお年寄りはいたんだろうけど、文書として残ってるかどうかは話が別。おそらく、「昔の人だって若者を批判していたはずだ」→「人類の始まりからそうに違いない」→「エジプトやメソポタミアの文書に書かれている」というふうに飛躍していった結果、このような誤解に結びついたのではないだろうか。 まあなんだ、これも都市伝説の一種なのかもしれないね…。 **************** ■追加情報 星新一 掲示板のほうにいただいた情報。アシモフの雑学コレクション(星新一編訳)に、以下のような記載があるという。 紀元前2800年ごろの、古代アッシリアの粘土板にある文。 「世も末だ。未来は明るくない。賄賂や不正の横行は、目にあまる」 某知恵袋で言われていた「紀元前2800年 アッシリアの粘土板」というのは、どうやらここが出所らしい。だが、この内容からするに、アッシリアの粘土板は若者批判はしていない。 粘土板の内容は世の中への愚痴であり、ソクラテスが子供に文句をいい、プラトンが若者を批判している。 これらが記憶の中でごっちゃになった結果、プラトンの若者批判がアッシリアのものになってしまったのかもしれない。まあこれも、ソースを辿っていくとガセでしたってことだな。 なお、どのウワサもシュメールとアッシリアをごっちゃにしているが、地域が近いだけで全然別物、言語も民族違うので、一緒くたにしないように、あとアッシリアをシュメールと勝手に脳内置換しないようお願いします! **************** [おまけ] なんか引用文が分かりづらいってご意見貰ったんですが、本来のPC用のページでは、blockquoteタグ使って背景色も変えてるんだぜ…。たぶんスマホから見てる人用のページでは、ブログの仕様でタグが省かれてるんだと思う。PCで見ると↓こういうデザインのページなのです。 ******************** [おまけその2] 昔の人は「近頃の若い者は」って言わないのではなく言えないのでは?(寿命的に) という推測 http://55096962.at.webry.info/201701/article_14.html |
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