山小人(ドワーフ)の姫君 作:Menschsein
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プルトン・アインザックはかつて無いほどに緊張をしていた。まさか自分の執務室に、アダマンタイト級冒険者が二チーム同時にいるなど、想像だにしていなかった事だ。
「無事に、吸血鬼《ヴァンパイア》を倒せて何よりだった。それに、エ・ランテルにまた戻ってきてくれて嬉しいよ」とアインザックは、モモンと固い握手を交わした。
「私とナーベだけでは危ないところでした。前回の切り札はホニョペニョコに使ってしまいましたし……。蒼の薔薇との共同作戦でなかったら私とナーベは今頃この世にはいなかったでしょうね……」とモモンは静かに語る。
アインザックはモモンの語り口調から、自分には想像も出来ないような死闘が繰り広げられたことを察した。そして、「それほどの敵であったか……」とアインザックは天井を眺めながらしみじみと言った。それと同時に、自分の判断は間違ってはいなかったことに対して安堵もした。凶悪な吸血鬼《ヴァンパイア》は討伐され、そしてアダマンタイト級冒険者モモンは、このエ・ランテルに戻ってきてくれた。
「これで、私の旅の目的は終わりました」とモモンは重々しく口を開いた。彼のその言葉には、その旅で常人には想像も出来ないような多くの困難や苦悩があり、そしてその全てを乗り越えてきた男の貫禄を、アインザックは感じる。
「そ、それで…… 旅の目的を終えたモモン君はどうするのかね?」とアインザックは尋ねずには要られない。もはや、”漆黒の英雄”はこのエ・ランテルにとって欠かすことのできない存在であるのは明白だ。
「しばらくはエ・ランテルに留まることにした。新しい目標も出来たしな」
「それは助かる!」とその言葉を聞いてアインザックは身を乗り出してモモンに握手を求める。そして、握手をしながら、「その新しい目標とはなんなのだい?」とアインザックは素知らぬ顔で尋ねる。もちろん、アインザックの耳には、冒険者組合の受付嬢に対して求婚《プロポーズ》をしたとの情報も届いている。だが、それは知らない顔をしてやるのが礼儀であろう。本人から直接話があるまでは。
モモン君の新しい目標は、家庭を築きたいという願いだろう……。命をすり減らしながら冒険者を続けた者によくあることだ。事実、アインザックだってそうだった。アインザック自身、ある時ふっと張りつめた糸が緩み、安全な生活というものに対する憧れを抱いた。そして、気づいたら恋に落ち、結婚をして冒険者を引退していた。冒険者の力量としては、自分とモモン君は比較するだけでも失礼な話だ。しかし、長く冒険者として務めていたアインザックには、長く過酷な冒険を続けてきたモモンの気持ちは分かるつもりだ。そろそろ、腰を落ち着かせてもいいかも知れない…… 冒険者を長くし、生き残ってきた漢《おとこ》がある日ふと思う心境。
冒険者組合長として、盛大にアダマンタイト級冒険者の結婚を祝わねばならない。それに結婚する相手は冒険者組合の受付嬢。自分の直轄の部下だ。二人の馴れ初めの話などを、アインザックはしなければならないだろう。カルネ村からの“森の賢王”に匹敵する凶悪な魔物の討伐依頼。だが、そこですれ違ってしまった二人。だが、そのすれ違いから恋が始まった……。
モモン君ほどの英雄ともなると、行動の全てが吟遊詩人《バード》が語るような物語になってしまうな、とアインザックはしみじみと思う。
「実は、文字を学ぼうと思ってな」とモモンは言う。
「は?」と思わずアインザックは予想外の答えにアインザックは一瞬戸惑う。
「実はこの国の文字が俺は読めなくてな」と恥ずかしそうに兜の上にモモンは恥ずかしそうに片手を置いた。
この国では珍しい黒髪。きっと異国では違う文字を使っていたのであろうとアインザックは納得をする。そして、アダマンタイト級冒険者で、英雄として人々の尊敬を集めながらも、慢心することなくひた向きに前進していく。改めて、モモンという人間の器の大きさにアインザックは圧倒させられる。
「そうか…… 家庭教師でも探すのかい? そういったことであれば、私の伝手を頼ってくれてかまわないよ」とアインザックは言う。なんなら受付嬢に特別の休暇を与えて、モモンと静かな環境で文字の勉強をしながらゆっくり愛を育んでもらっても構わないとさえアインザックは思う。そしてそのまま寿退社ということになっても良い。そうなれば、モモンは末永くエ・ランテルに留まってくれるだろう。
「実はその件で蒼の薔薇にエ・ランテルまで足を運んでもらったのだ。なんでも魔導王が、エ・ランテルに第四防壁を建設する計画を立てているらしい…… そして、その第四防壁と第三防壁の土地の一部に学園区を建設するらしいのだ」とモモンは語る。
「新しい防壁を? それはむしろ敵から身を守るためではなく、エ・ランテルの住人を閉じ込める檻を造るような印象があるな」とアインザックは難しい顔をする。圧倒的な力を持つ魔導王が支配するこの地に対して攻撃を仕掛けてくるようなことは考えにくい。
防壁というのは、外から侵入を防ぐ目的と、内から脱出をさせない目的と、両方の意味を持つ。むしろ、第四防壁は、エ・ランテルに残った住人をどこにも逃がさないようにしようと魔導王が考えているようにアインザックには思えた。
「だが、防壁の建設によって雇用が生まれることは確かだ。冒険者にも依頼という形で、防壁建設に携わってもらうようだ。私も、人々に学びの場を提供するという意味では、多少なりとも魔導王に賛同できるのだ」
「なるほど…… それで、防壁建設の応援として、蒼の薔薇もエ・ランテルに?」とアインザックは疑問に思いながらも尋ねる。蒼の薔薇はアダマンタイト級冒険者だ。防壁を建設するというような、土木作業に近いことをするとは考えられない。土木作業などは、雇う費用を考えたら銀プレートあたりが限界だろう。依頼料も高額なアダマンタイト級冒険者に土木作業をさせるというのは、冒険者組合長として首を傾げざるを得ない。
「いや、そうではない。その魔導王が建設する学園の、冒険者養成を行う部門の講師をしてもらうことになった」とモモンは言う。
「講師として働くということは、冒険者を引退するということか? し、しかし、蒼の薔薇も王国のアダマンタイト級冒険者としてまだまだ現役じゃないか? 王国に三チームしかないアダマンタイト級冒険者だぞ? あっ、いや私が口をはさむことではないが……」と、先ほどからモモンとアインザックのやり取りを聞いている蒼の薔薇に遠慮して、アインザックは口を紡ぐ。
「…… 女教師と女子学生も有り……」
「小さい子、たくさん……」
「童貞も多そうだしな」
「このように、蒼の薔薇のチームの総意ですから」とラキュースが貴族らしく微笑む。
「そっ、そうであれば私は異論はないのだが…… イビルアイ殿はどうなのだ?」と、先ほどからソファーに落ち着き無く座っていて、自分の意見を表明していないイビルアイにアインザックは話を振る。
アインザックも、イビルアイが第五位階魔法を使いこなす凄腕の魔術詠唱者《マジック・キャスター》であるということは知っている。王都を拠点としいる蒼の薔薇であり、エ・ランテルの冒険者組合長としては管轄外ではあるが、一人でも多くの優秀な人間には冒険者としてまだ活躍して欲しいというのがアインザックの心境であった。蒼の薔薇のメンバーであれば、チームが解散したとしても引く手数多であることは間違いが無い。
「ん? あぁ…… すまない。話を聞いていなかった。どうも、尻尾を着けたままソファーに座るのは慣れてなくてな。私に話しかけないでくれ。折角もう少しで達せそうであったのに……」と、イビルアイは悪びれもなくアインザックに不満を言い放つ。多少の殺気を交えて。
「そうですか…… すまなかったな」とアインザックはイビルアイの殺気を浴びて萎縮する。
「蒼の薔薇が講師を務めるとあれば、ネームバリューも十分だし、エ・ランテルの冒険者の質も向上するだろう。まぁそれは王国や帝国から学びに来た冒険者でも同じだろうがな。あと、魔術詠唱者の育成には、帝国のフールーダ・パラダインが担当してくれることになったそうだ」
「それは本当ですか? 魔導王はかの魔術詠唱者《マジック・キャスター》にどんな見返りを用意したのですか!?」とアインザックは自分の耳を疑う。帝国に永く仕えてきた帝国の英雄的存在が、エ・ランテルで教鞭を執る。さすがに信頼すべきモモンの話とはいえ、アインザックにはにわかに信じがたい。
「交渉は、私とナーベが行ったのだがね。なぁ、ナーベ?」
「ええ。交渉と言っても、指輪を外すだけでしたが」とナーベは淡淡と答える。
短い答えだが、それでアインザックは全て納得が言った。“美姫”と讃えられるナーベの美貌と、魔導王の暗躍。それが答えだ。アインザックの脳裏で全てが繋がる。
モモンとナーベは、二人だけでチームを組んでいるし、当然二人は
帝国に永く仕えたフールーダは帝国での地位を約束されている。地位も、金もあるだろう。そのフールーダが動くとすれば、女。それも帝国でも考えられぬほどの絶世の美女。それは、まさしく“美姫”ナーベであろう。
変だなとは思っていたのだ、とアインザックは振り返る。受付嬢にモモンが求婚をしたという噂を聞いて、メンバーに“美姫”がいながら何故? と直感的に思った。ナーベは、モモンに対してただならぬ想いを持っているのは一目瞭然であった。それなのに、モモンは容姿でみれば中の上が良いところの受付嬢に求婚をしたのか。
考えられる答えは唯一つ。魔導王が、フールーダとの交渉に失敗したら、エ・ランテルの住人を殺すなどと言ったのであろう。
そこまで思い至った瞬間、自然とアインザックの目から涙が零れる。ナーベという存在を自分は誤解していた。ナーベは、普段はだれをも見下したような態度であった。しかし、それは外見上だけの話であったのだ! アインザック自身も見誤っていた。ナーベは、フールーダの女となるという条件を飲んで、フールーダを説得したのだろう。モモンと結ばれる指輪を外して……。
モモン君も、大事な仲間を実年齢二百歳以上という妖怪染みた存在に渡すということ。自分の身を切り刻むような思いであったに違いない……。
二人は、誰にも悟られぬように、必死にこのエ・ランテルを魔導王の手から守ってくれている。感謝を言い尽くしても足りぬほどの感謝だった。アインザックは、気付いたらモモンとナーベの手を取り、号泣しながら「私が出来ることなら何でも協力しよう。なんでも遠慮せずに言ってくれ!」と言っていた。
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魔導王が支配するエ・ランテル及び諸外国に対して、ある一つの知らせが発せられた。それは、ナザリック学園設立の知らせだ。種別を問わず
メイド養成:シクスス
冒険者育成:アダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”
農民養成:ドライアド、ピニスン・ポール・ペルリア
薬師育成:エ・ランテル最高の薬師リィジー・バレアレ
魔術詠唱者育成:バハルス帝国主席宮廷魔法使いフールーダ・パラダイン
傭兵者育成:カルネ村、エンリ・エモット将軍配下のゴブリン軍団
その知らせに世界が揺れる……。
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〜Epilogue〜
ブレイン・アングラウスは、走る。
――リ・ブルムラシュールを訪問していたラナー第三王女が、山小人《ドワーフ》の反乱により安否不明――
その情報を携えて……。
リ・エスティーゼ王国の冒険者組合から、王都最奥部のロ・レンテ城へ。既に顔なじみとなった衛兵達は顔パスでブレインを通す。ブレインは、ロ・レンテ城を守る十二もの円筒形の巨大な塔の一つへと休まずに駆ける。
そして、その円筒形の塔の一つの部屋をノックもせず、ドアを乱暴に開いた。
「クライム! 大変だ!」
しかし、その部屋は薄暗く、部屋は綺麗に整頓されている。そして、あるはずの彼の荷物も無い。
ラナー王女安否不明の情報と同時に、王城内で起きた盗難事件で王宮はますます騒然となる。
――ガゼフ・ストロノーフの遺体と共に厳重に保管されていた王国に伝わる四つの秘宝が何者かによって盗まれた――
その知らせを聞いたブレインは、「そうか……」と、腑に落ちたようにひと事言っただけであった。
そしてブレインは、円筒形の巨大な塔の屋上へと登る。既に、夕陽が地平線に沈もうとしていた。
ブレインは、クライムが向かったと思われるリ・ブルムラシュールの方向を向いて、言った。
「クライム君…… 君ならきっとラナー王女を救い出せる。あれだけの覚悟がある君だ。どんな死地だって君なら乗り越えることができる。信じて待っているぞ……」
ブレイン・アングラウスは、沈み行く太陽を眺め続けた。