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2018-08-08

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・寒いくらいの青森から東京に戻ってきたら、
 東京も涼しくなっていて驚きました。
 このまま、まさか、秋になるんじゃないでしょうね?

 いやぁ。青森のねぶた、興奮しました。
 太鼓の山車がどんつくどんつくと大音量でやってきて、
 眩しいくらいに輝くねぶたがうねるように現れる。
 笛を吹いたり鉦を鳴らしたりのお囃子がきて、
 花笠かぶった跳人たちが踊り歩く。
 ねぶたが目の前に来たときには怪獣のようにも見えます。
 なんだかわけのわからない涙が出てきてしまって、
 案内してくれた方や家人に「早すぎる」と言われました。
 これはですね、ぼくがまだ5歳くらいのとき、
 鉄橋を渡るときに汽車が鳴らす警笛で、
 おしっこを漏らしてしまった経験によく似てます。
 「うわぁっ」という興奮と感動なのです。
 それに、大人だからこそわかっている、
 「みんなのこころが揃ってて、みんな歓んでいる」
 ということを知るうれしさが重なるのです。
 ねぶたの色と光の乱舞は、人間という生きものが、
 内臓ぜんぶをぶちまけているような凄みがあります。
 こんなにすごいものだということは、やっぱり、
 その場で、見て感じないとわからないものでした。

 「やりたくてやってる」ことの凄みと歓びを、
 こういう祭はつくづく教えてくれます。
 すべてを「損だ得だ」で考えるような世の中は、
 それほど昔からあったものではありません。
 やりたいからやる、やらずにいられないから必死になる。
 「生きるって、そういうことだろう?」と、
 地域全体が問いかけているようでもありました。

 老いも若きも、男も女も、晴れがましい顔して、
 それぞれに「こっちを見ろ、いっしょにやろうぜ」と、
 見物のぼくらに誘いかけてるようでした。
 表現することへの欲望は、めしを食うことよりも強い
 …のかもしれないなぁと、ふと思いました。
 世の中では若い人がいないとか少子化とか言われますが、
 ねぶたの祭には、若い人だらけ、子どもだらけでした。
 どうなっているんだろう、青森っていう街は?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
古民芸や古織物などにも出合えて、女房殿もご機嫌でした。


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