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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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会談-3


 ナザリック大地下墳墓から離れること1キロ以上。

 草原の中に小さな1つのテントがあった。いや、小さいとは言っても、人間3人ぐらいであればその身の内に収めることのできるサイズだ。

 そしてそんなテントの入り口はわずかに開いている。ほんの少し――亀裂のような隙間からは1人の男が双眼鏡を使って遠くの地、ナザリックをじっと眺めていた。そのまるで動かない姿は置物か、人形のようにも勘違いしてしまうほどだ。わずかに肩の辺りが上下していなければ、実際にそう思ってもおかしくはなかった。

 長く細い呼吸を繰り返しながら、男は真剣な面持ちでナザリックを眺める。そんな男に天幕の中から声がかかった。


「どうだ?」


 その声は男を人間に返したようだった。凝った肩を数度回し、男は中に声をかける。


「……いやあれから動きはないな」


 男の位置から見えるのはナザリックの壁でしかないが、その辺りで動くものは一切ない。そんな男の返答を聞き、先ほどとは違う男の声がテントの中からした。


「なら報告の必要はなしか」

「そうだな。今のところ、必要は無しだ」

「……正門監視はあっちのチームの仕事だ。ミス無くやっていることを祈るだけだな」


 テントにいる彼ら3人が何者なのか。

 それを一言で言い表すならば、帝国に所属する隠密だ。

 第2位階魔法を行使できる魔法使いでありながら、野外での隠密行動などのスキルを有するレンジャー。そんな2つのスキルを同時に持つ、帝国の中でも非常に優秀な野外活動を主とする隠密たちだ。それも最精鋭という言葉が相応しい、下手な騎士程度であれば瞬殺するだけの実力者でもある。

 そんな彼らがこの場所――ナザリック大地下墳墓の監視に3名。

 ――いや、それだけではない。


 すべてを知覚できるものならば、ナザリックの周辺にも同じような構成で監視しているものたちが他にもいることに気づくだろう。そんな彼らの総数は4チームであり、計12人にも達する。

 たった12名と考えるかもしれないが、この人数は彼らのようなエキスパートの総数の3/5に値した。

 帝国の800万を超える人口に対して、それだけしかいない彼らをこれだけの人数動員するということが、帝国にとってナザリック大地下墳墓の監視という行為がどれほどの意味を持つのか、それを言うまでもないだろう。

 実際、ここまでの警戒は常識では考えられないほどであり、恐らくは鮮血帝の統治になってからの警戒レベルでも最上位クラスだ。


 そんな彼らだが、草原にテントを立てていれば目立つのではないかという疑問は当然生まれるだろう。しかしながら、レンジャーとしてのスキルを持つ者がそんな愚かな失態をするであろうか?

 まるで目立ってはいないというのが答えだ。


 これは魔法の力によって生じた結果である。

 このテントは『溶け込みの天幕<カモフラージュ・テント>』と呼ばれるマジックアイテムであり、傍から見ると草原に溶け込んでいるようにしか見えないのだ。



 答え終わると、疲れた目を指で解し、男は再び双眼鏡を目に当てる。

 すると――


「動きがあったぞ」


 監視をしていた男の声が若干低くなる。そこにあるのは当然警戒の感情。

 男の双眼鏡の小さな視界の中、ナザリック大地下墳墓からゆっくりと空に舞い上がる影があった。男たちまでかなりの距離があるために、影は小さく感じられるが、実際は遥かに大きいだろう。

 翼をはためかせ、その長い尻尾が鞭のようにしなる。上昇の速度に対して、翼のはためきは小さく回数が少ない。なんらかの魔法的な種族能力によるものだろう。


「いつものワイバーンか?」

「いや……それとは全然違う気がする」


 男は記憶にあるワイバーンと上空に上がっていく影を比べる。ナザリックを監視していると、時折、ワイバーンのような影が空中に飛び上がり、周辺を監視するように飛び回ることは数度あった。しかし今回飛び出したのは、幾度か見たワイバーンとは異なる姿をしている。

 いや、確かにナザリックから幾度か飛び出したワイバーンも、男の記憶にあるものとは少し違ったのは事実だ。だが、今回のは完全に違い、ワイバーンとは全然似ていなかった。


 男がワイバーンを始めてみたのは、帝国南方に位置する山脈が多くある国が最初だ。

 その国は飼いならしたワイバーンによる空中騎兵隊を組織している。そしてそんな国のある場所を監視するために送り込まれた時に、ワイバーンの姿を見たのだ。

 そのときのワイバーンの姿は長い尻尾は蠍のようであり、前足はそのまま翼のようになっていた。ドラゴンにも似た姿だったのを良く覚えている。


 しかし、今回飛び立ったのは翼の生えた蛇という生き物がぴったりな姿をしていたのだ。

 では、あれはなんという生き物なのか。

 男の記憶の中のモンスター知識という棚をひっくり返すが、答えを導き出すことは出来ない。一気に上昇していく蛇は高度3キロほどにも達しただろうか。その辺りで平行に移動を開始する。


「一応、静かにしておくか」

「ああ。そうしよう。それと《メッセージ/伝言》を使って警告を送った方がいいかもしれないな」


 これだけ高さがあれば発見される可能性は無いとは思うが、相手は未知のモンスターだ。絶対という言葉は存在しない。

 男はそういうと、出口を閉め、テントの中で他の仲間達と息を殺す。そんな中――


 ゲロゲロゲロロ~♪


 男は目を白黒させながら周囲を伺う。テントの中には当然、仲間の2人の姿。

 その両者とも驚いたような表情をしているところを考えれば、蛙の鳴き声は2人のどちらかのお遊びではないのだろう。

 男の耳にはテントの外から静かな草原を風が走りすぎていく音が聞こえる。どれほど耳を澄まして聞こえるのはそれだけだ。男は重い沈黙が支配したテントの中、押さえ込んだ声で問いかける。


「……今、蛙の鳴き声が聞こえなかったか?」

「……あ、あぁ」


 同じように静かな声が返ってきた。他の仲間たちも周囲の音を聞き取ろうと、聞き耳に集中している。


 もし、これが沼地であれば別段不思議とも思わなかった。しかしながらここは草原であり、蛙がいて良い場所ではない。いや、確かに一部の蛙がいるのは事実だが、それはどちらかといえばモンスターと呼ばれるものである。

 カモフラージュ・テントは視覚による発見に対しては非常に優れた力を有しているが、聴覚や嗅覚までは誤魔化す力は持っていない。そのために動物系のモンスター――魔獣に代表されるようなモンスターには効果が薄い場合がある。それにモンスターには特殊な感知能力を持つ者だっている。ドラゴン・センスや生命感知のような特殊なものだ。


 先ほどの蛇だって特殊な感知能力があったりしたら嫌だからこそ、用心をしてテントの中に潜んだのだ。


 蛇が飛び立つと同時の出来事。

 これは偶然か、はたまたは不幸な遭遇か。ただ、どちらにせよ非常事態ではある。

 男たちはモンスターが接近しているのかと判断し、おのおのの武器に手を這わせる。しかしモンスターの正体が判別できないため、撤退か交戦かを選ぶのが難しい。

 できればたまたまであり、戦闘になるようなことを避けられたら良いと3人とも考える。ただ、戦闘に入るにしても、撤退するにしても準備は必要だ。


「《クィック・マーチ/早足》」


 第1位階魔法の発動。これによって3人の移動速度は一気に上昇する。正確に言えば20%の上昇である。

 続けて同じ位階の《カモフラージュ/溶け込み》。これによって視覚での発見は多少難しくなったはずだ。《インヴィジビリティ/透明化》の方が効果的にも思えるが、草原という場所を考えるならばこちらの方が正解だ。


「《メッセージ/伝言》で連絡を」

「わかった――何?」

「どうした?」

「《メッセージ/伝言》が発動しない……?」


 《メッセージ/伝言》が発動しない理由はいくつか考えられる。金属の部屋のような場所に閉じこもる時や、魔法的な防御手段を講じられる時、そして相手が死んでいるときなどだ。

 ただ、どの場合でも非常事態である。なぜなら《メッセージ/伝言》を送る相手は、それが来ると知っているのだから届かないような場所に閉じこもるはずが無い。

 3人の男達は互いの引きつった顔を見合わせる。

 答えは1つぐらいだろうから。


「不味い! 直ぐに撤収するぞ!」


 慌てふためき、彼らが行動を取ろうとするよりも早く――


 ゲロゲロゲロゲログワァグワァグワァ♪


 ――再び、蛙の鳴き声。

 瞬間、信じられないような眠気が男たちの身に降りかかってきた。

 第2位階魔法まで使える男たちは、これほどの睡魔は魔法によって生み出されたものだと瞬時に悟る。第1位階魔法である《スリープ/睡眠》によく似た睡眠欲であったがために。しかしながらそれを悟ったところですべてが遅すぎる。

 武器を足に突き立てようとする意識すら持たないのだ。

 男たち3人が崩れ落ちるようにテントの床に転がる。そして心地良い寝息を立てるのであった。

 男達が眠りに付いて直ぐ、テントの入り口部分が揺らぐ。ただ、そこを見ても誰もいない。入り口の向こうに広がるのは先ほどと変わらない草原の景色のみだ。風の悪戯だろう。そう思ってもおかしくは無い――入り口部分が誰かの重みを受けて沈んだりしなければ。




 ナザリック大地下墳墓を飛び立った蛇のようなモンスター――それはケツァルコアトルという名前を持つ。そんなモンスターの背には2人の姿があった。

 1人はケツァルコアトルというペットの主人であるアウラ・ディベイ・フィオーラだ。流れ行く風をその身に受けながらも、太陽を浴び燦燦と輝く金髪は一切乱れたりはしない。いや、流れ行く風もその身に受けていないというべきか。

 それは魔法的に産み出した鞍に乗っているために、蛇がどのような動きをしようがその身は安定性を保ち、風圧を受けることは無いためだ。


 そしてもう1人の影。

 アウラの後方――そこには同じような鞍に乗った蛙のようなモンスターがいた。

 ツヴェーク・プリーストロード。

 直立したピンク色の蛙が煌びやかで装飾過多な杖を持ち、見事な神官衣を纏っているというモンスターだ。そう表現すると可愛らしく弱いイメージを持つかもしれないが、実際はもっと強くおぞましい。痩せた蛙をモチーフに歪ませ、それに邪悪をトッピングしましたといわんばかりの姿をしているのだから。さらにたった6つしか魔法は使えないとはいえ、神官系第10位階魔法までを行使する70レベル以上という位置に存在する強大なモンスターである。


「アウラ様。すべて寝かしつけたという話です」


 蛙のような口からもれ出たのは、やたらと流暢かつ渋い男の声である。なんというか外見とのあまりのギャップに、苦笑が起こっても仕方が無いような、そんな感じであった。しかしアウラからすれば慣れた声だ。


「ふーん」


 ――軽く頷く程度の。ツヴェーク・プリーストロードは言葉を続ける。


「現在エイトエッジアサシンが捕縛を開始しております。ツヴェーク・シンガーソングライターに何か新たなご命令はございますか?」

「睡眠の呪歌の効果はどれぐらい?」

「耐性、能力によって変動しますが最短で30秒ですが、たいした実力者でもないようなので数分は持つかと思われます。あっと、もしくは攻撃を一回受けるまでです」

「そっかー」


 うんうんとアウラは頷く。それだけあればエイトエッジアサシンであれば問題なく捕縛できるだろう。とりあえずは自らの主人からの命令は完了したと判断しても良い。


「じゃぁ、バード達は即座に撤収。5匹しか今はいないんだから直ぐに帰って、安全な湖でも入っていて。エイトエッジアサシンは回収してナザリックへ……人数の方が多いか」

「はい。監視者の数は計12人です。しかしながらエイトエッジアサシンであれば問題なく運べると思われます。一応、聞いてみますか?」

「うん。お願い」

「はい」


 ゲロゲロとツヴェーク・プリーストロードは低い鳴き声を上げる。蛙に似たツヴェーク族は特殊な会話方法を持ち、数キロであれば《メッセージ/伝言》を使っているかのように連絡を取り合うことが出来るという能力を持っている。ユグドラシルではツヴェーク族の住居に乗り込むときは、全てを相手にしなくてはならない覚悟をすべきといわれる所以だ。

 その能力でツヴェーク・シンガーソングライターと連絡を取った、ツヴェーク・プリーストロードは満足そうにアウラを見る。


「問題ないとのことです」

「みたいだね」


 アウラの視力はかなり下にいる小さな点を完全に捉えている。エイトエッジアサシンがナザリックにぐるぐる巻きにされた何かを運んでいく影を。

 その複数の手を上手く使って同時に3体運んでいるのも見て取れた。


「じゃぁ、撤収に入ろうか。行こう、ケツァルコアトル」


 蛇は長い首をもたげ、アウラを見つめると、主人の意を受け下降を開始する。かなり急な角度での下降だが、やはりアウラもツヴェーク・プリーストロードの体勢も崩れたりはしない。逆にその急激な下降による景色の変化をアウラは楽しんでいるぐらいだ。


「テントの回収は行わないのですか?」

「アインズ様いわく、回収しない方が何が起こったか不明で怖いだろうだって。しかしあの程度の上手く隠れていたとか思っていたのかなぁ?」


 ツヴェーク・プリーストロードは主人の言葉を受け、チラリとテントのあるだろう方角を見る。探知系のスキルは所持していないが、基本的な能力値の高さを生かしさえすればなんとか、草原の一箇所に変なものがあると分かる。


「……距離があれば大丈夫と思ったのでしょう」

「まぁ、そっか。遠隔視の鏡<ミラー・オブ・リモート・ビューイング>で常時周辺を監視しているなんて思わないか」


 コキュートス配下が常時、ナザリック大地下墳墓周辺は警戒している。知性を持った群体<インテリジェント・スウォーム>を主に、時折恐怖公が協力して。それ以外にも占術などの魔法を使っての探知だって行っている。遠隔視の鏡<ミラー・オブ・リモート・ビューイング>による警戒もその一環だ。

 元々、彼らの存在は来たときから感知しており、テントを作る姿も静かにコキュートスの配下が監視していた。すべて収穫の時期が来るまで、放置していただけだったのだ。

 その真剣に監視する姿を物笑いの種にするために。


 地表が近くなり、アウラはケツァルコアトルにログハウスに向かうように指示する。風を切って翼の生えた蛇が走る。

 やがてログハウス付近。アインズに回収するように命じられた馬と馬車の元に、ケツァルコアトルは羽のような軽さで舞い降りた。

 巨大な蛇が現れれば、馬が怯えたり、興奮したりしてもおかしくは無い。しかし、馬は平然としたもので、まるでケツァルコアトルが親しい存在であるかのような態度を見せる。


「えっと、ケツァルコアトルをナザリックに戻し次第、展開している隠密のとばりは解除しちゃって」

「畏まりました、直ぐに連絡をさせていただきます」

「それと馬車の移動は――」


 そこまで言った段階でアウラは言葉を止める。門が音を立てて開き、中からは戦闘メイドの1人、エントマが出てきたからだ。そしてその後ろにはナザリック・オールド・ガーダーたちの姿があった。

 格子状の門であれば、ナザリックの地表部は覗ける。しかし、エントマの姿もオールド・ガーダーの姿も隙間からは伺えなかった。まるで地から沸いたように、突然と姿を現したのだ。


「アウラ様」

「ん? 馬車の回収を手伝ってくれるの?」

「はい」


 表情を動かさずエントマが同意する。いや、エントマに表情を動かすのは無理なのだが。

 ただ、何処と無く、アウラから逃げたいような素振りを感じさせるのは気のせいではないだろう。


「あなたには効果ないでしょ?」

「……強制的に友好的にさせられる匂いは嫌いです」

「ごめんね。馬ぐらいあたしのスキルでもどうにかなるとは思うんだけど、自信ないしね」


 ビーストテイマーとして最高の腕を持つアウラが、本気で自信がない筈が無い。結局本音はテイムするのが面倒くさいからだろう。

 そう思ったエントマの雰囲気に微妙に呆れたものが漂い、それを敏感に察知したアウラは苦笑いを浮かべる。


「えっと、じゃ、早速回収を始めようか!」


 やけに威勢の良い声をかけてアウラはシモベたちに命令を下す。その後ろをエントマの『逃げたな、こいつ』という雰囲気が追うのだった。


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