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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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諸国-4


 ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。帝国の若き皇帝にして、鮮血帝と恐れられる人物の執務室。幾人もの人間が並ぶ、静寂の中、たんたんと仕事が進むべき場所だった。

 普段であれば。


「くはははは!」


 その日、機嫌の良い笑いが室内に木霊した。そのような笑いを浮かべられる人間はこの部屋にはたった1人しかいない。部屋の主人、その人のみである。

 ジルクニフの笑い声を受け、幾人かが互いの顔を伺う。


 誰が問いかけるか、を。


 突然、ジルクニフが笑い出した理由についてはおおよその予測は立つ。このように突然ジルクニフが感情を顕わにするということは珍しいことではない。そしてそういうときは必ず『ある』理由があった。

 ただ、その笑い声を挙げた理由については誰も質問が出来ない。

 この部屋にいる者たちは皆優秀であり、帝国の首脳部に近い者達ばかりだ。しかしながらそれでも帝国に激震を数度起こした、かの鮮血帝相手の質問はどうしても気後れしてしまう。これがもしも政治のことであれば口を開いただろう。だが、もしこれがジルクニフの個人的なことであった場合、不快を買うかもしれないと思ってしまうのだ。


 そんな彼らが最後に視線を向けたのは、ローブを纏った老人――帝国主席魔法使いフールーダ・パラダインへだ。

 その視線を受け、仕方が無いという顔でフールーダは機嫌の良さそうなジルクニフに問いかける。


「どうされました? 皇帝陛下」

「おお、じい」ジルクニフは目の端に浮かんだ涙を拭う。「今、《メッセージ/伝言》が届いたのだがな。ワーカーは誰一人として戻ってきてないようだ」


 それは笑う話なんだろうかと、その場にいた全員が思うが、ジルクニフは違ったようだった。


「いやいや、やはりナザリック大地下墳墓に潜むアインズ・ウール・ゴウンなる魔法使いは桁が違うな。じい以上の魔法使いの線は充分にありだな。おっとその前に一応、確認しておくべきだな。おい。私は最高レベルの冒険者を突っ込ませろと命じたはずだが、冒険者でなくワーカーを動かした理由は切捨てが容易のためだったな?」


 その件に関して動いた中央情報省所属の者が一歩前に出る。


「はい。ワーカーは冒険者と違い、その後ろに――」

「――それぐらいで良い」


 長くなりそうだった話をジルクニフは手を上げ、止めさせる。


「では次の質問だ。雇ったワーカーどもはそれなりの力量を持っていたんだろうな?」

「はい。ご命令どおり、ワーカーたちは帝都でも指折りの者が揃えさせていただきました。冒険者でいうならAクラスに匹敵するかと」

「つまりはそいつらが全滅――ああ、歓迎されているかもしれんか。こいつは厄介ごとだな?」

「確実にそうです。Aクラスの冒険者に匹敵するワーカーの壊滅は、長期的に見ると帝国内の治安に関わってくる可能性があります」


 帝国では騎士が巡回し、人間の生活圏までさ迷い出てくるモンスターを狩っているが、厄介なモンスターは冒険者やワーカーに任せている。そのため歴戦のワーカーの壊滅は非常に頭の痛い問題になりかねない。


「ならその辺の対策を考えておけ」

「はっ」


 帝国内の治安に関する者達が数人、頭を下げる。


「さて、それでは対処しなくてはならない相手はアインズ・ウール・ゴウンだな。じい、占術の結果はどうなった?」

「それが何らかの防御手段が施されているのか。内部の情報は一切手に入りませんでした」

「ほう。金属で覆っているのか? それとも魔法的な防御手段をとっているのか?」

「不明でございます」

「ふむ……念のために聞くが、弟子が可愛いから無理をさせなかった? なんてことはないだろうな?」


 イスに座っているジルクニフが立っているフールーダに問いかける。顔は微笑を浮かべているのだが、瞳はまるで笑っていない。冷たさと黒いもののみがそこにはある。横でジルクニフの顔を見ている者達が、喉を鳴らしてしまうほどの威圧感があった。

 しかし、そんな重圧のある瞳もフールーダには決して通用しない。


「そのようなことはございません。何が重要かは私も分かっております。未知の魔法使いに対する情報。それがどれだけ大切であり、帝国に利を成すか。それを考えれば、ほんの数人の弟子の命ぐらい容易く支払えます」


 ころっとジルクニフの表情が明るく、親しみのあるものへ変わる。


「だろうな。じいがその程度の簡単な計算が出来ない筈が無い。とするとどうしたら内部の情報を集められる?」

「魔法的手段では不可能ですな。第3位階魔法では無理でしたので」

「より上位の魔法ではどうだ?」

「使用できるものがいません。私も占術系の情報収集魔法は収めておりませんので」

「ふむふむ。ならば内部に諜報員を送り込める……訳が無いな」


 使用する技術が違うといっても、歴戦のワーカーが誰も帰ってこないようなところに潜り込めるはずが無いだろう。


「ならばどうするかな?」


 そしてジルクニフは心の底から楽しそうに笑う。それを見ていたほぼ全員が厄介ごとの予感を覚え、キリキリと胃から伝わってくる痛みを感じていた。前回、ジルクニフがこの表情を浮かべたときは、抵抗貴族の何人かの家の断絶だ。それも無から有罪足りうる罪を作り出しての。


「行くぞ」


 全員が一瞬だけ呆ける。ジルクニフの発言の真意が掴めなかったために。それが不満だったのか、ジルクニフはもう少し細かく説明する。


「ナザリックに私自ら行って、アインズ・ウール・ゴウンに会うしかないだろ?」

「危険です! ワーカーが戻ってこないような場所に行かれるのは危険としか言いようがありません!」


 即座に反対したのは当然だ。ワーカーが1人も戻らないような危険地帯に帝国の最重要人物を送れるはずが無い。しかしそんな反対意見をジルクニフは鼻で笑い飛ばす。


「未知の存在がそこにいる。それだけで問題ではないか。それにワーカーを雇った人間の大元が私だと、向こうがその情報を手に入れるまでにどれだけの時間が必要だ?」

「幾つもの壁をかませておりますので、通常の手段では到達は不可能かと」

「じい。魔法でどうにか出来るだろ?」

「魔法は万能のように見えるかもしれませんが、ある程度の決まったものであり、ありとあらゆることが出来るわけではありません。しかしながら支配や魅了といった精神系の魔法を使い、占術などの情報収集系魔法までを駆使するば、もしかしたら届くかもしれませんな」

「フールーダ殿には失礼ですが、そのような手段での情報収集も警戒して行っております」


 中央情報省の者が即座に否定する。帝国は魔法も国家の重要な戦略の1つである考え、力を大きく入れている。そのため魔法の重要性は充分に知っている。だからこそ、ありとあらゆる工作時には魔法に関しての警戒は怠らない。

 ただ、帝国の最も力ある魔法使い――人類最高レベルの魔法使いであるフールーダからすると疑問は残る。


「それはせいぜい第3位階程度の情報収集系魔法に対する警戒では? より高位の魔法への警戒までしているとは私は思えないのだが……? 他にも新たな魔法が開発されている可能性だってあるのだから」


 第3位階以上の魔法を使いこなせる人間は少なく、そして知られている魔法の数も減っていく。第5位階魔法や第6位階魔法に至っては、どんな魔法があるか知っている者は殆どいないだろう。

 それに元々この世界に流れている魔法の大半はかの8欲王が流したものであり、ある都市から流れてくるものだ。そしてそれを元に様々なところで新しい魔法が開発されている。

 そういった未知の魔法に対する備えまで完璧に出来ているはずが無い。フールーダはそう確信しているのだ。


 しかし、フールーダの考えは想像を元にしているのも事実。他国と諜報戦を行っている者達からすると、笑ってしまうようなものだ。空想に怯えていては何も出来ないと。


「そのようなことはありません。その辺りまでしっかりと考えて行っています」

「……ならば私のところまではたどり着かないと?」

「恐らくは」

「それは非常に好都合ではないか。まさに私自ら危険に飛び込む価値があるというもの。それに向こうは羊皮紙を渡してきたのだぞ? 無論、私の元まで届くと思っての行為かはしらないがな? それでもその後でワーカーが侵入したのだ、確実にこれが帝国の返事だと思うだろう。だからこそそれが違うということを示さなくてはならない。勝手にやった部下がいるんだとな」

「しかしながら、その考えが通るような常識のある相手でしょうか?」


 ジルクニフの言っていることが通じるのは、ある程度の理性を持ち、打算などが出来る相手のみだ。言葉の意味が通じないような相手にそんなことを言っても無駄だろう。


「さぁな。どうにせよ、こちらの第一手は防がれたんだ。第二手に出るしかないだろ?」

「ですが……」


 いまだ言い募る配下に、ジルクニフは歯をむき出しにする。


「危険か?」

「は……い、いえ……」


 ジルクニフの浮かべた表情は笑みからはかなり遠い。苛立ちと興奮。様々なものがそこにはあった。そんな中、最も大きいものは好敵手を前にした、貪欲な獣のような感情。


「私の人生で危険でなかったことなんか1つも無かった。伯父を殺した時も、兄弟を殺した時もだ。一手、誤れば私が殺されていただろう。しかし、私は全てに打ち勝ってきた。今度もだ。私は負けない」


 ジルクニフは室内にいる全ての者を見渡す。その堂々たる姿はまさに皇帝のものだった。 


「一手防がれて理解できた。ゴウンなる魔法使いは敵に回すには危険な存在だとな。ならば……味方に引き込むしかあるまい? 何を代価にしようがな? 土地、異性、権力、地位、金。欲しいものはくれてやれば良い。じいに匹敵する魔法使いならどれだけでも価値はある。それに王国に渡すわけにもいかないだろ?」

「か、畏まりました」

「さて、ナザリックに向かうルートは3つ作って、それぞれを内密にそれぞれの勢力に流せ」

「釣りをされるのですか?」

「そうだ。どのルートの私が襲われるか、チェックしろ。近衛隊の中でも指折りに指示を出せ。それとじい」

「はい」

「ナザリックに向かう人間、じいの弟子を数名選伐しろ。それとじいにも当然来て貰うからな?」

「畏まりました、皇帝陛下」

「それと確認だが、あれを持っていけば精神操作は受け付けないのだろうな?」


 ジルクニフの言うアレというのが、帝国に代々伝わる至高の宝物であるマジックアイテムだと瞬時に誰もが悟る。


「無論でございます。あれは精神に影響を与える一切に対する守りを与えるアイテム。それを魔法で破ることは出来ません」

「精神を操作された後で、アレを着用した場合は?」

「精神操作を破り、元の状態にもどることとなります」

「なるほど。ならば分かったな? 私が戻ってきた時に、アレを着用してなければ、その時は」

「残す弟子たちに伝えておきます」

「よし。では直ぐに準備を始めろ。少しでも早くナザリックに到着するよう行動するんだ」





 周囲を高い壁に守られた敷地があった。騎士たちが複数で巡回に当たるその地は、帝国の中でも最秘奥の地。

 帝国魔法省だ。

 騎士達に与えられる魔法の武器や防具の生産。新たな魔法の開発。作物等の生産性への魔法実験などを行う、主席魔法使いフールーダ・パラダインを頭に置いたこの敷地は、帝国の魔法の真髄が詰まった場所でもある。

 幾つもの建物が並び、その1つ1つが壁で仕切られている。

 上空を見れば、飛行生物に乗った皇帝直轄の近衛隊の1つ『ロイアル・エア・ガード』の姿や、それに共だって警戒に当たっている高位魔法使いの飛行する姿があった。


 そんな帝国魔法省の最も奥に1つの塔がある。

 そこにはこの帝国魔法省に所属している人数からすると、非常に少ない魔法使い達が出入りをしていた。

 第3位階の魔法まで使いこなせるかなり腕の立つ魔法使い、もしくはそれなりの理由を得たごく一部の魔法使いしか入れない塔なのだ。


 フールーダは自らの直属の弟子数人を引き連れ、その中に入る。

 フールーダに気が付いた魔法使いたちの礼の中を抜けるように進んでいく。


 時折、警戒に当たっている騎士の姿があった。

 全身の身を包むのは魔法の全身鎧であり、利き手とは逆の手には魔法の盾を着用し、腰から下げたのは魔法の武器。背中の帝国の紋章が入った真紅のマントも当然魔法のものである。

 確かに鎧にも剣にも掛かっている魔法の力は弱いが、それでもこれだけの武装を帝国とは言え、普通の騎士が出来るものではない。そして何より単なる騎士が、帝国の重要機関の1つであるここに配属されるわけが無いのだ。

 そう。

 彼らこそ皇帝直轄の近衛隊の1つ『ロイアル・アース・ガード』に所属する騎士たちの雄姿である。


 通路を抜けると、すり鉢状になった空間に出た。その上部にフールーダは出てきたのだ。

 フールーダの到着を発見した、その場で忙しそうに働いていた魔法使いたちの中で最も地位の高い者が、慌ててフールーダの前に駆け寄る。

 その駆け寄った男の魔法使いが何者か、フールーダはその蓄えられた知識から瞬時に答えを導く。自らが指導した30人の弟子の1人であり、この場所の副責任者だ。


「問題は?」

「なにもございません、師よ」


 深々と頭を下げた弟子の言葉に、もう1つの意味が含まれていることを瞬時に理解し、フールーダは微妙な表情を浮かべた。


「自然発生にも繋がってはいないか」

「はい。最下級のアンデッド、スケルトンの存在発生にはいまだ繋がってはおりません。現在は単なる死体を配置することで、ゾンビの発生に繋がるかの実験を行うところです」

「ふむふむ」


 フールーダは自らの長い髭をしごき、眼下に広がる光景を見つめる。

 そこには十数体からなるスケルトンたちがいた。それが一斉に畑作業を行っているのだ。鍬を持ち上げ、振り下ろす。その動作が左右のどのスケルトンを見ても狂ってない。横から見たら重なって1体のスケルトンしかいないのではと思わせるものだ。

 あまりにも調和の取れたその光景は、ある意味マスゲームにも似たところがあった。


 これが帝国が内密に進めている、大型プロジェクトの正体だ。

 それは『アンデッドによる労働力問題の解決』である。

 アンデッドは飲食も睡眠も不要とし、疲労することもない。いわば完全なる労働力だ。確かに知性が無いため、命令されたこと以上のことは出来ないし複雑なことも出来ない。しかしながら傍で細かく命令をしていれば解決する問題でもある。


 仮にアンデッドを農地に放って命令を遂行させれば、どれだけのメリットになるかは想像の範疇を超えているのが理解できるだろう。人件費の削減による物品の単価の低下、農場や畑の大型化、危険な作業における効率化などだ。それはまさに夢のプロジェクトだといっても良い。

 しかしそんな完璧にも見えるプロジェクトを大々的に行えない理由も当然ある。


 それは反対勢力の存在だ。特に神官を筆頭とした勢力である。

 生を憎む死の具現であるアンデッドを、そのように使うことを許さないというもの。魂を汚す行為であると反対するもの達だ。

 それにアンデッドの基礎の肉体となるものでも問題が生じる。たとえ、罪人の死体を利用したからといっても、刑が執行された時に罪は綺麗に拭われており、それ以上は冒涜であるという意見を持つ彼らを説得するのは困難だ。

 もしこれが食糧問題が常時あって、餓死していく人間が多いともなれば説得には繋がったかもしれない。しかし、帝国の食糧事情は非常に良く、労働力という面で問題が出たためしが無いのだ。

 結局このプロジェクトの裏にあるのは、強兵に繋がった問題である。そのために神官たちはプロジェクトに反対しているわけだ。


 それにアンデッドの労働力が一般的になった場合の人間の労働者が解雇されるのではという不安や、アンデッドが本当にいつまでも言うことを聞いているのかという不安。さらにはアンデッドが無数にいることによって、生と死のバランスが崩れ、より巨大な力を持つアンデッドが自然発生しないかという不安もまたあった。


 現在この地で行われているのは最後の不安の解消である。スケルトンたちを一定数集めることで、アンデッドが自然発生しないかという実験を行っているのだ。


「根本的な理由はいまだわからずか」

「はっ、申し訳ありません、師よ」


 何故、アンデッドが自然に発生するのか。その根本となる理由の追求は将来的に重要な意味を持つ。



 カッツェ平野という地がある。

 最強のアンデッドの一角、一切の魔法を無効とするスケリトル・ドラゴンすら出現するとされる場所だ。その地は帝国と王国の戦争の主戦場として使われることが多いためか、アンデッドの出現率が非常に高い。

 将来的に帝国があの辺りを支配することになった場合、アンデッドが頻繁に出現するような地を領内に収めたくは無い。そのためどのようなプロセスを得て、アンデッドが出現しているのかという理由を知ることは、統治の役に立つのは間違いが無い事実だ。もしかしたらアンデッドを二度と出現しないようにすることができるかもしれないのだから。



「そうか。分かった」


 自らの師からの叱咤が無いことに安堵した副責任者が、再び頭を下げる。

 フールーダは再び歩き出す。すり鉢状になった部屋を大きく回りこむように。入ってきた扉の向かいにあった、扉の前まで来る。扉の前で守っていた騎士が押し開いた扉を、フールーダは入り込む。

 扉の先は入ってきた時と同じような通路がある。だが、先ほどの通路とは違い、人の気配が無い。良く見れば、なんとなく薄汚れたような感じがあった。

 フールーダは弟子を連れて、その通路を歩く。ほんの少し歩いた先に下へと伸びる階段があった。


 下への螺旋階段は長い。

 コツリコツリという複数の靴の音がどれだけの時間響いたか。さほどの長さではないのだろう。せいぜい地下7階ほどか。しかしそれとは思えないほど空気が重く沈んだものへと変わっていく。

 これは決して地下に来ただけの物とは思えない。

 その証拠に、フールーダを含んだ全員の顔に緊張から来る硬さがあったからだ。


 最下層。

 そこはちょっとした広間になっており、重く大きい鉄の扉が1つだけあった。

 その場にいるものの表情は硬く、険しい。戦闘態勢に入りつつあるといっても良いだけの緊迫感があった。

 フールーダの硬い声が、全員に警告を発する。


「決して油断するな」


 いつも聞かされる注意に対して、同行していた魔法使いたちが一斉に深く頷く。

 フールーダの警告は、この場所に来るたびに繰り返されていることだ。そのため同行している魔法使いからすれば、もはや耳にタコができているだろう。しかし、そんな警告でもこの奥にいるものを知っていて、表情を緩めることができる者はいなかった。

 この奥にいるのは究極のアンデッド兵。スケリトル・ドラゴンを凌駕する存在なのだから。


 幾人が一斉に守りの魔法をかけ始める。純粋な物理防御系の魔法のみならず、精神を守護する魔法をかける。充分な準備時間が経過し、フールーダが自らの弟子たちの顔を見渡す。


 それから1つ頷くと、扉開封のキーワードを唱えた。


 ゴウンという音と共に、ゆっくりと重い扉が開いて行く。

 真っ暗な室内からは冷気のようなものが流れ出し、幾人かの魔法使い達が寒そうに肩をすくめる。

ごくりと誰かの唾を飲み込む音が、大きく響いた。それほどの緊張感と静寂がその場にはあった。


「行くぞ」


 フールーダの言葉に反応し、魔法使い達は大きく頷く。魔法の明かりが複数灯り、室内の闇を追い払う。逃げた闇は光の外にわだかまりより濃くなった、そんな感じさえした。

 フールーダを先頭に、一行は歩を進める。


 冷気を抜けるように歩くことほんの少し。さほど広く無い部屋であるということもあり、最奥が見えてくる。そこにあったのは1つの巨大な墓標だ。いや、目を引くのはそれではない。墓標に鎖で雁字搦めにされた、磔となった者だ。

 それは全身を親指よりも太い鎖で縛られていた。更には巨大な鉄の球体によって動きを拘束されている。どんな存在でも指一本でも動くことすら不可能な、そんな状況にあった。

 しかし、一行の中にはその太い鎖を見てもまだ不安を残す者もいる。その存在なら容易く砕いて、自由を得るのではないかと。


 その存在の外見は黒色の全身鎧を着た騎士という感じだった。しかし、あまりにも違いすぎる。まず目を引くのがその体躯の巨大さだろう。身長は2メートルをゆうに超えている。

 そして次に目を引く黒色の鎧は、血管でも走っているかのような紋様が描かれ、暴力の具現したような棘があちらこちらから突き出していた。

 兜は悪魔の角を生やし、顔の部分は開いている。そこにあるのは腐り落ちかけた人のそれ。ぽっかりと空いた眼窩の中には生者への憎しみと殺戮への期待が煌々と赤く灯っていた。

 そんなアンデッドが生者に対する怨念を周囲に巻き散らかしている。


 自然発生したアンデッドの中では伝説級の存在。

 あまりにも伝説すぎて、どんな賢者でもこの存在を知る者はいないだろう。このデス・ナイトと呼ばれる存在を。


 デス・ナイトの瞳に宿る赤い光が瞬くように動き、その場に来た魔法使いを嘗め回すように動く。いや、光の瞬きからはそれが見渡しているというのは理解できないだろう、常識であれば。しかしながら魔法使い達の体を震わす怖気のようなものが、それを感じさせるのだ。

 ここまで同行した者はフールーダの弟子の中でも高位の存在である。いうなら第3位階魔法の行使すら出来る者たちだ。しかし、そんな彼らをして、自らの歯がカチカチと音を立てるのを止めることが出来なかった。


「――心を強く持て。弱きものは死を迎えるぞ」


 フールーダの警告の声。

 しかし精神系の守りの魔法をかけてなお、湧き上がる恐怖は止められない。それでも逃げずに耐えれるのは魔法の守りのお陰だろう。

 ゆっくりとフールーダがデス・ナイトに近づく。それに反応し、デス・ナイトが四肢に力を込めた。己の前に立つ、愚かな生者を抹殺しようと。

 ギャリッという、鎖が大きな悲鳴でも上げるように軋む音を立てるが、デス・ナイトの体はびくともせずに僅かに動く程度だった。それはどれだけ鎖でしっかりと縛られているのか、そしてどれだけデス・ナイトを警戒しているのがが分かるほどだった。

 フールーダが手をデス・ナイトに突きつける。

 魔法の明かりが闇を追い払う場所にあって、フールーダの魔法の詠唱が響く。《サモン・アンデッド・6th/第6位階死者召喚》を改良して作った、フールーダのオリジナルスペルである。


「――服従せよ」


 フールーダの声。それに対するデス・ナイトの瞳に宿るものは、相変わらずの生者への憎悪だ。


「……いまだ支配できず、か」


 フールーダのその声には口惜しさがあった。5年経ってなお、このアンデッドを支配できないと知って。



 カッツェ平野では先も述べたようにアンデッドが頻繁に出現する。基本的にはスケルトンやゾンビという低級のアンデッドだが、生者を憎むアンデッドは両国にとっての敵であるため、王国と帝国が互いに兵を出し合って――王国は冒険者をだが――カッツェ平野の討伐を繰り返しているのだ。

 その中、帝国の騎士の中隊がこの伝説級のアンデッドを発見したのだ。

 討伐を開始して数十秒。

 参加した騎士たちの表情が引きつった。その圧倒的な強さに。そして数十人もの騎士を殺されたところで、対処の術なしと判断。撤退を開始したのだ。無論、そんな化け物をそのままにしておくわけにいかない。帝国内部で討論が繰り返された結果、フールーダ率いる高弟たちが動員されることとなったのだ。

 フールーダ達が勝てたのは単純にデス・ナイトに飛行する術がなかったためである。上空からの一方的な攻撃を数度繰り返すことで、デス・ナイトの動きを弱めたのだ。そしてその圧倒的な強さに引かれたフールーダはデス・ナイトを捕縛。

 そして現在ここで縛りつけ、幾つもの魔法、幾つものマジックアイテム、幾つもの手段。通常のアンデッドなら支配できるありとあらゆる手段を使ってフールーダはデス・ナイトを支配しようとしているのだ。



「惜しい……これを支配できれば、私はかの魔法使いを超えた、最強の魔法使いとなれるものを」


 かの13英雄、死者使いのリグリット・ベルスー・カウラウ。それを遥かに凌ぐと。


「師は既にかの魔法使いを凌駕していると思いますが?」

「全くです。13英雄なぞ過去の存在。現在を生きる師には勝てません」

「私も師は既に13英雄を超えているとは思いますが、ただ、師がデス・ナイトを支配できれば、帝国は最大の力を得るでしょうな」

「個では群には勝てないといいますが、それは個の力が弱いだけ。このデス・ナイトは最強級の個でありますがゆえ」

「しかし師ですら支配できないとなると……このデス・ナイト。一体どれほどの力を持つというのか」


 慰めのようにも聞こえる弟子たちの声だが、これは別に慰めではない。事実も多く含まれている。

 まず、フールーダであればガゼフと同格のアンデッドを支配することはできる。無論、一体が限界だろうが。しかしながらこのデス・ナイトを支配することはいまだ出来ない。ならば単純に考えれば、このアンデッドはガゼフよりも上だという結論に達する。

 しかし、それは単純な考え方であって、魔法によるアンデッド支配はもっと複雑なシステムからなる。

 基本的にアンデッドの支配や破壊は神の力を借りた神官の領域である。神の力でなるところを無理矢理に魔法の力で代用しようとしているのだから色々と食い違いが生まれるだろう。

 実のところ、単純な理論でよいのであれば、フールーダはこのデス・ナイトを支配できてもおかしくないはずなのだ。


「うむ。……されど強さというものはじゃんけんのような関係。我々魔法使いであればデス・ナイトに勝てるだろうが、それより弱いスケリトル・ドラゴンは勝てない。そう考えると、このデス・ナイトは一体、どの程度の強さを持つと計算されるのか」

「データのようなものがあれば早いのですが」

「冒険者どものランク分けですか? あれも基本となる数値は大雑把なものだとか」

「ですが……未知の怪物を除けば、あの数値は充分に役立つ領域かと」

「デス・ナイトのような伝説級の存在に関しては、あまりにも役に立たないがな」

「デス・ナイトなどのモンスターを無数に記載した秘伝書。あれには乗ってないので?」

「さてな」フールーダは髭をしごく。「かのエリュエンティウには完全なるものがあるのやもしれんが、流れるのは不完全な代物のみよ」


 何か疑問を持ったらしい、弟子の1人が隣の弟子に問いかける。その声は小さいものだが、部屋自体が静寂の塊。以外に大きい音となって聞こえた。


「エリュエンティウとは一体どういう意味なのですか?」

「都市の名前だろ?」

「それは知っています。しかし奇怪な名だと思いまして」

「ああ……確か一度調べたことがあったが、あの辺りの古語で『世界の中心にある――』」


 雑談をし始めた弟子に警告を送るという意味で、フールーダは杖で床を叩く。ここは伝説級のアンデッドのいる危険な場所、決して心を緩めてよい場所ではない。

 その警告を充分に理解したのだろう。即座に沈黙によって、室内は満たされる。あるのはただ、デス・ナイトが鎖を断ち切ろうと蠢く音だけだ。


「行くぞ」

「はい」


 複数の同意の声を受け、デス・ナイトの前からフールーダは歩き出す。流石のフールーダも入ってくる時と、出て行くときの足の速度を一定にすることは出来ない。どうしてもかのデス・ナイトの前から去る時は、足早になってしまう。それは弟子も同じことなのだが。


 フールーダは闇の中、歩きながら先ほどの弟子の話を思い出す。

『エリュエンティウ』。

 かの8欲王が作り上げた国の首都にして、最後にたった1つ残った都市。そして桁の違う魔法の武具を装着した、30人の都市守護者なる人物達が守る都市でもある。

 あの地にあるとされる8欲王の残したマジックアイテムであれば、自らの魔法技術もより進歩するのだろうとフールーダは思いをはせる。決して誰も手に入れることは無く、唯一13英雄のみが幾つか持ち出すことを許可されたという超級のマジックアイテム。


 13英雄。かつての英雄。フールーダであれば肩を並べられる存在のはずなのに、彼らは許可を許され、そして自分は許されない。

 フールーダの心に黒い炎が揺らめく。


 フールーダは慌てて、その炎を消そうと己を慰めることを考える。自分の今の地位、そして築いたもの。それらは決して13英雄に劣るものではない。いや、帝国の魔法使いの中では、フールーダの地位は13英雄を越えるだろう。

 だが、一度湧き上がった黒い炎――嫉妬は消えたりはしない。


 この嫉妬は才覚や能力に対するものではない。魔法の深遠を覗き込むチャンスを得ているということに対するものだ。

 フールーダは最高位の魔法使いである。それは誰もが認めることであり、人間の魔法使いとしては、彼に並べるものはかつての13英雄ぐらいだろう。しかしながら、デス・ナイトの使役は不可能であり、全部で10位階まである魔法は第6位階までしか使うことはできない。

 そういった状況が魔法の深遠には今だ遠いということを、フールーダに味あわせる。

 フールーダも良い年だ。第6位階魔法の1つをかけることで時間の経過を操作し、老化を遅らせているがそれでもゆっくりと死に近づいている。

 そう。

 フールーダは魔法の深遠を覗くことなく死ぬのだ。

 もし優れた先達がいれば、ここまでもっと早く来れたかもしれない。しかしながらフールーダの前には誰もおらず、自ら道を作るしかなかった。


 フールーダは近くにいる弟子達をさりげなく見渡す。

 フールーダという人物が作った道を進んできている者達を。


 浮かぶのは嫉妬だ。

 自分が、この場にいるどの者よりも才覚を持つ自分が、弟子達のレベルに到達できたのは、幾つの時だったか。いや、考えるまでもない。確実にこの弟子達よりも上の年齢だ。教える者が、先を歩み導く者がいるのといないのではどれだけ違うのか。

 何故、自分には師がいないのか。

 フールーダはいつもの思いをもう1つの思いで押しつぶす。

 いいじゃないか。自分は先達として歴史に名を残す。自分の後を通って魔法使いとして大成す者はすべて私のおかげなのだから。


 弟子こそが私の宝だ。もしこの中で1人でも私より上に昇れる者がいたら、それは私のお陰だ。

 そう慰めながら、フールーダは自らの弟子の1人、今はもはやいなくなった弟子に思いを寄せる。

 あの少女ならば、一体、どの位階まで上り詰められたか。


「――アルシェ・イーブ・リリッツ・フルトか」


 優秀な娘だった。あの若さで第2位階魔法を収め、第3位階魔法まで足をかけていた。あのまま行けば、フールーダの領域まで何時かは到達した可能性もあっただろう。結局、彼女はなんらかの都合でフールーダの弟子をやめてしまったのだが……。

 あの時はなんと愚かなと、失望するだけだった。


「惜しいことをしたか」


 もしかすると自分は大きな鳥を手放してしまったのかもしれない。

 あの娘が今、どこにいるのか。少しばかり探してみようかという気も起こる。もし第3位階魔法まで使えるのであれば、それなりの地位を約束与えても良いだろう。

 とは言っても、今しなくてはならない仕事が終わってからだ。


 フールーダは合言葉を唱え、重い扉を開く。

 そして外に出ると、周囲の弟子と同じように数度、呼吸を繰り返した。デス・ナイトの気配が強く残る室内では、空気が重く、呼吸しても空気が肺にしっかりと入っていかないような気分に襲われるのだ。

 後ろで扉が閉まっていく音を耳にしながら、フールーダは周囲の弟子達に向き直る。


「それでは明日、私はナザリックなる地に行くことになっている」ぐるりとフールーダは弟子達を見渡す。「どのような人物が待ち、どのような結果が待つかはまるで不明だ。命の危険もあろう。しかしながらそこに同行する者を数名選ぶ」

「その役目、私に」

「いえ。私を!」


 即座に幾人かの声が上がった。


 ふむ――。


 フールーダは見渡す。その幾人かの瞳に宿るもの。それは野望である。


 弟子は幾人もいるが、フールーダの後継という称されるものはいない。主席魔法使いという地位は皇帝から与えれるものであるため、皇帝の覚えの良い仕事をこなそうという者も多い。しかしながら、高弟たちが本当に望むものは、フールーダの呪文書であり、装備。つまりは魔法使いとして最も優れているという称号だ。

 そのため、フールーダの横に立ち、盗めるものは全て盗もうというのだろう。


 ――心地良い。


 フールーダは内心で静かに笑う。魔法使いたるものそうでなければいけないと。危険だからと尻込みしていては、魔法の深遠には決して到達できない。

 魔法とは英知の塊であり、危険極まりないもの。しかし、人の力を超越した技術でもあるのだ。それを修める者が何ゆえ危険を恐れるのか。


「かの地、ナザリックにはガゼフと同格、もしくはそれを凌ぐアンデッドを使役するものが居を構えているという。もし真実そうであれば、叡智を交換し合うのも良いな」


 デス・ナイトを支配する。

 その言葉はそのナザリックの主人がアンデッドを使役するというのなら、惹かれるだろう提案だとフールーダは考える。

 そして、もし仮に――皇帝との話であったが、本当に自分よりも優れた魔法使いであれば、それはどれだけ心弾む会談となるか。もしかしたらデス・ナイトを支配する技を持っているかもしれない。そうだとしたら、どれだけのものを支払えば教えてくれるか。

 期待、不安、興味。いろいろなもの混ぜ込み、フールーダは年甲斐も無く感じる興奮を、その顔に紅潮という形で表す。


「……師に匹敵するだけの叡智を持つ者が、いまだ地に埋もれていたのは考えにくいですが」

「全くです。占術を行ったものが数人、意識を失ったというそうですが……その魔法使いによる結界とは言い切れませんがゆえ」

「……私はナザリックにいる者が、私を超えていたらこれほど喜ばしいことはないがな」


 遠くを見るような眼をしたフールーダに、弟子達は何も言わなかった。最高位として誰も並ぶ者がいない――伝説以外では――魔法使いの気持ちを、理解できるものなんかいるはずがないのだから。





 そしてフールーダはこの数日後、願いを叶えられることとなる。


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