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【芸能・社会】

津川雅彦さん死去 78歳心不全 愛妻・朝丘雪路さん追うように

2018年8月8日 紙面から

映画「次郎長三国志」について話すマキノ雅彦(津川雅彦)監督=2008年9月11日、名古屋市中区の名古屋観光ホテルで

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 映画「マルサの女」「ひとひらの雪」など、二枚目から悪役まで幅広い役柄で存在感を示した俳優の津川雅彦(つがわ・まさひこ、本名・加藤雅彦=かとう・まさひこ)さんが4日、心不全のため亡くなった。78歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は女優で長女の真由子(44)。

 今年4月27日に女優、歌手などマルチに活躍した妻・朝丘雪路さんを82歳で亡くしたばかり。わずか3カ月半で後を追うように天に召された。

 5年前にアルツハイマー型認知症を発症した朝丘さんを看病した津川さんは、5月20日の会見で「すべてに感謝しています。娘を産んでくれたことも、家を売ってくれたことも、僕より先に死んでくれたことも含めて、もう感謝だらけですよ」と告白していた。

 「先に死んでくれた」というのは、病の妻を残して自分が先にはいけないとの思いだった。

 津川さん自身が鼻に酸素吸入器のチューブをつけての会見で、その姿は痛々しかった。昨秋、肺炎を患い、会見場には車イスで姿を見せていた。

 これまで18回入院、13回手術したこともテレビ番組で明かし、体調を気遣う取材陣に「大丈夫じゃないよね。こんな格好で大丈夫なんてウソになる」と話していた。

◆見る者引き込む「間」の演技

◇評伝 

 におい立つ男の色気と押し引き自在の語り、見る者を引き込む間合い。4日死去した俳優津川雅彦さんには、華や風格に加えて、演技に確かな技術があった。生前、伊丹十三監督の映画「あげまん」(1990年)が、自身の演技の「最高潮」だったと語っていた。

 80~90年代、伊丹監督の作品9本に出演した津川さん。芸能一家に生まれ、幼少から演技経験を積んだが、伊丹作品はせりふも長く「監督の注文が多すぎてついていけない」と苦しんだ。

 87年の「マルサの女」で国税の査察部捜査官を演じた時、せりふの速度を上げてと言われ、速めると「ニュアンスをなくさずに」。税金逃れを責める場面では「このせりふで相手のネクタイを触って、締め直して」。うまく演じたと思った瞬間に「『あの税金…』の『ぜ』の時につかむ」。矢継ぎ早に注文が飛んだ。

 88年の「マルサの女2」では車を運転しながらせりふを覚えた。2週間かけて「臓腑」にたたき込み、撮影に臨んだ。これらの過程で演技に開眼したという。

 「せりふなんて演技の初歩。芝居は間合いが全てで、せりふを言った後に息を吸うと観客も一緒に息をつく。この間に観客が集中する」。極意をそう語った。

 そして「その“間”や気配を自在に操ることができたのが『あげまん』だ」と述懐した。銀行の支店長に就任し、行員たちに演説する場面。カメラが移動しながら撮り、津川さんは行員数十人の間を歩き、見え隠れしながら長いせりふを言う。

 「このせりふの時に見えて、このせりふの時は見えなくていいと歩数を計算した。本番でも余裕があって、今出た、今隠れた、うまくいっていると考えながらできた。芝居の神様が降りてきたかなと思いました」

 その後、渡辺淳一さん原作の文芸作品やジェームス三木さん脚本のNHK大河ドラマの常連に。好色な中年男や老練な権力者などを存在感たっぷりに演じ、押しも押されもせぬ演技派となった。

 間合いを操り、言葉だけでは伝え切れない人間の奥底を表現した津川さん。演技とは何か、人を楽しませることとは何かを体現した、役者の中の役者だった。

<津川雅彦(つがわ・まさひこ=本名・加藤雅彦)> 1940(昭和15)年1月2日生まれ、京都市出身。祖父が牧野省三監督、叔父はマキノ雅弘監督、父・沢村国太郎、母・マキノ智子という芸能一家に生まれ、幼少のころから子役として数本の映画に出演。56年の日活映画「狂った果実」で本格的に銀幕デビュー。これをきっかけに日活の看板役者になった。「マルサの女」など伊丹十三監督作品には欠かせない俳優に。主な出演作はテレビは「独眼竜政宗」「相棒シリーズ」、映画は「ひとひらの雪」など。「マキノ雅彦」名で監督も務め、「寝ずの番」などを発表した。06年紫綬褒章、14年旭日小綬章。11年に亡くなった俳優長門裕之さんは実兄。

 

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