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大阪市が目指す教育改革は「最先端から2周遅れ」のヒドい改革だ

「政令都市最下位」の焦りもわかるが…

政令都市2年連続最下位の大阪市

先日、大阪市の吉村洋文市長が、学力テストに具体的な数値目標を設定して、その目標達成度合いに応じて、教員のボーナス支給額や学校に配分する予算額を増減させる考えを表明した。

この数値目標は学校ごとに、前年比で正答率をX%上げるというものになるとも表明されている。

たしかに大阪市の学力テストの成績は2年連続で政令都市の中で最下位であり、市長が抜本的な改革が必要だと焦るのも理解できる。

また、国際学力調査を用いた研究によると、教員の給与を何らかの方法で教育成果と連動させることが、学力の向上に結び付くことも示されている。

しかし、改革は常に良い結果をもたらすわけではなく、そのやり方によっては改悪になることは過去数十年の日本の経験からも明らかであろう。

吉村洋文・大阪市長 〔PHOTO〕gettyimages

先に結論を言えば、残念ながら、大阪市が乗り出そうとしている抜本的な改革は間違っている。

給与連動型の人事評価のような外発的動機付けが、教員個々人が持つ内発的動機付けにどのような影響を及ぼしてしまうのか全く考慮していない時点ですでに論外であるが、この根本的な問題を脇に置いて、議論を技術的なものに絞ったとしても二つの大きな誤りをこの改革は孕んでしまっている。

大阪市が導入しようとしている教育政策が2周遅れの酷いものである──私がそう考える理由を説明していきたい。

 

学力を過剰に重視することは間違い

大阪市の教育政策が誤っている第一の理由として、学力を過剰に重視している点が挙げられる。

大阪市が公表している「人事評価制度運用の手引き」によると、現在大阪市で行われている教育関連の人事評価制度では「自校の『運営に関する計画』に掲げる目標を踏まえ、授業力※に関する目標(管理職は学力に関する目標)と、校務分掌など自らが担う役割に応じた目標の2個を必ず設定します」、とされており、既に学力に力点を置いた人事評価が為されていることがうかがえる。

この現行の人事評価制度にさらに学力テストの結果を反映させるのであれば、学力に対して過剰に焦点を当てすぎていると評価せざるを得ない。

学力への焦点が過剰だと判断する理由は、前回執筆した「高学力だけでは不十分な時代に求められる『教育とスキル』は何か」という記事の中で、詳しく解説している。

改めて要約すると、①たしかにSTEM系を中心に高学力に対するリターンは高い、②しかし、機械化が進む現代において、機械にとって代わられづらいのは、高いソーシャルスキルが要求される職である、③学力とソーシャルスキルには相互補完関係が存在するので、両方を高めていく必要がある、という3点になる。

そして、プリンシパル=エージェント問題が存在する複数の目標を持つ組織において、特定の目標のみを測定し、それに基づいて人事評価を実施すると、組織の構成員はその特定の目標ばかりを重視するようになり、他の目標の達成度合いが悪化することは、直観的にも理解できるであろう。

これを学校という組織に当てはめると、学力のみを測定し、それに基づいて人事評価を実施すると、教員は学力ばかりを重視するようになり、ソーシャルスキルや非認知能力などの他の目標が実現されなくなる、ということになる。

つまり、学力以外のスキルにも焦点を当てなければならない時代に、教員の人事評価において、それについてはあまり言及せず学力に主に焦点を当てることは、21世紀に為されるべき教育政策ではない。

これが、大阪市の教育政策議論が2周遅れであると私が判断する第一の理由である。