山小人(ドワーフ)の姫君   作:Menschsein
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豊穣と供物 4

 都市エ・ランテルの大通りを軽快なステップで歩く男。街の誰もがその姿を知っている。アダマンタイト金属製の漆黒の全身鎧《フルプレート》に身を包んだ男。

 その姿を見れば、エ・ランテルの住民は誰もが立ち止まり会釈をする。

 

 「皆さん。Guten Morgen(おはようございます)」と、すれ違う人々に気さくに挨拶を男は交わしている。

 

 漆黒の英雄は、立ち止まり、街の中を歩いている女性に目を留める。重そうな袋を背負ってよろよろと道を歩いていた。

 

Auf Wiedersehen (ごきげんよう) Schöne Tochter(美しきお嬢さん)」と、声を掛ける。

 

「あ、こんにちはモモン様。街のご巡回ですか?」と、三十を過ぎたばかりと思われる女性は、額に汗を浮かべながら漆黒の英雄に挨拶をする。「よいしょ」という声と共に、背負っていた袋を地面に置いた。十キロ以上の重量がありそうであった。

 

Das ist richtig(まさしく)! しかし、私は、それよりも重大な使命を見つけてしまいました。それは、あなたの荷物を運ぶことです。あなたのような方が重い荷物を背負って歩いているのを、私は見過ごせません。私がその荷物を運びましょう」と強引にその女性の荷物を軽く左手で持ち上げ、易々と左肩の上に乗せた。

 

「そんな! この街の英雄であるモモン様にそんなことをさせるわけにはいきません」

 

「英雄だからこそですよ、Schöne Tochter(美しきお嬢さん)。私はエ・ランテルの建物や城壁を守りたいわけではありません。エ・ランテルに住む人々を守りたいのです。みんなの笑顔を守りたいのです! 私は重い荷物を持って、苦しそうな顔をしているあなたの顔など見たくはありません。あなたには、重い荷物ではなく、こちらの方が似合います」

 いつの間に出したのだろう。見事なガントレットの人差し指と中指の間には、一輪の花があった。薄紫の花弁の中に、小さな白い花が咲いていた。

 そして、漆黒の英雄は地面に右膝を突いて、その花を女性に差し出している。騎士物語に出てきそうな一幕であった。

 

「これは、スターチス?」と女性は呟く。

 

「ええ。花言葉は、永遠に変わらぬ心。そして、変わらぬ誓い。どうか私の決意をお受け取りください」

 

「そ、そんな…… モモン様。私は既に夫のいる身でございます」

 その女性は、真っ赤に染めた頬を、恥ずかしそうに両手で必死に隠している。

 

「そんな仮初めのことなど…… 憂う心配などございませんよ。誰しもが平等に迎える死に比べれば、すべてのものは曖昧で不確かなものでしょう?」

 

「あぁ。モモン様……」

 

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「モモン様、組合長が二階でお待ちです」とギルドの受付が、モモンが冒険者組合に入ってくるなり声をかけた。

 それもそのはずである。組合長とモモンの約束の時間は既に過ぎていた。普段から時間などに正確なモモンである。モモンが、約束の時間に遅れてくるのが初めてのように思われた。

 

「すまないな。ちょっとした試練があってな…… 情欲の渦とはかくも激しいものなのか……」と漆黒の英雄は呟く。

 

「え? 何か、エ・ランテルで問題でも発生しているのでしょうか? まさか…… 魔導王が!?」と受付嬢は大きな声を上げる。

 それを、冒険者組合で暇そうにしていた他の冒険者達も聞いて、その視線をモモンに集める。

 

「そんなに騒がなくて結構です。騒がしいのは私の心だけで十分でしょう」

 

「あ、モモン様。失礼しました。無駄に人々の不安を駆り立てるようなことを言うのは、受付嬢として相応しくないですよね……。大声を出して申し訳ございません。前も、モモン様にカルネ村の件で多大な迷惑を掛けてしまいましたし」

 

「――よい」

 

「え?」

 

「良いと言った」漆黒の英雄は、受付台に両手を置いた。「失態は誰にでもあることだ。あなたのつまらない失態を私は許そう」

 

「――モモン様。ありがとうございます」

 

「しかし、だ。失態は償われなければならない。あなたは、このエ・ランテルの冒険者組合の受付、依頼主と冒険者の安全を守らねばならない存在だ。それがこのままにしていてはな……」

 受付嬢の表情が強ばる。ただでさえ、魔導王によって支配されているというエ・ランテルの状況だ。小さな噂が、大きな不安を呼ぶということも十分に考えられる。

 それに、アダマンタイト級の冒険者であるモモンさんに迷惑を掛けてしまったこともある。カルネ村のエンリという村娘からの情報では、相手は森の賢王に匹敵するほどのモンスター。それほど強大な力を有したモンスターが村や町を襲ったら、多大な被害が出ていただろう。モモンさんのお陰で事なきを得たようだが、多くの人命を危険にさらした失態であったのは明白だ。

 

(その失態を償うなんて…… 給料一年分でもきっと足りないわよね……)

 

「あの時の失敗を真摯に反省し、教訓として胸に刻み、毎日誠実に依頼主様の案件依頼を聴いて――」

 

「――答える必要はない。結果でそれを私に見せてくれ」

 そう言うと、漆黒の英雄は受付台にドスンと花鉢を置いた。

 

「ピンクの胡蝶蘭《ファレノプシス》?」と受付嬢は首を傾げる。

 

「この花を受け取って欲しい。殺伐とした冒険者組合の建物も、これで少しは和やかになるだろう。もっとも…… あなたが受付台に立っている時点で、芍薬の花が一輪咲き誇っているようなものですがね」

 

「まぁ。モモン様ったら」

 自分自身が花に喩えられて嬉しく思わない女性はいない。受付嬢は贈られた胡蝶蘭の花弁と同じほど、頬を染める。

 

「それでは、Auf Wiedersehen(さようなら)。これ以上、アインザック殿を待たせるわけにはいかないのでね」

 

「あ、はい。組合長は、二階でモモン様をお待ちです」と冒険者組合の建物の奥へと入っていく漆黒の英雄に、受付嬢は声をかけた。

 

 漆黒の英雄が二階に上がってから暫く、この贈り物を何処に飾ろうかと思案する。見事に咲いている胡蝶蘭も見事であるが、その花が植えられている鉢も、綺麗な細工が施されている白い陶磁器だ。鉢を買うだけでも、給料半年分が飛んでしまいそうなほどだ。

 

 それにしても、どうしてピンクの胡蝶蘭《ファレノプシス》なのだろう? と受付嬢は思案する。冒険者に縁《ゆかり》のある植物といえば、七竈《ナナカマド》だ。七竈の実は、魔除けの効果のあるアイテムを作る際の材料となることは有名だ。また、七竈の名前が示すとおり、七竈は燃えにくく、七度(かまど)に入れても灰にならないと言われている。それから転じて、冒険者の命の安全を祈願する験担ぎの植物となっている。

 秋に七竈の実が成ればその実を、冒険者はお互いの安全を祈願して贈り合うという習慣もある。また、ギルドの受付でも秋にはそれを拾って来て、依頼を受注した冒険者に渡すという、季節もののサービスを毎年行っている。

 だが、先ほど漆黒の英雄が贈ってきたピンクの胡蝶蘭《ファレノプシス》は、冒険者とあまり縁が深い植物のようには思えない。むしろ、恋人に贈る花という印象が強い。

 

(ピンクの胡蝶蘭《ファレノプシス》は…… 確か…… あなたを愛してます…… え? モモン様が私を?)

 

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 ・

 

「おお、モモン君!」

 

 組合長アインザックが部屋に入ってきたモモンを歓迎する。だが、彼の目の下には大きな隈が出来ており、体からも疲れがにじみ出ている。

 

「待たせたな。組合長」と、漆黒の英雄は軽く頭を下げる。

 

「いや、忙しい君だ。ここに足を運んでくれるだけでも嬉しいよ。さあさあ、座ってくれ」

 

ソファーに座ると、アインズは早速、本題を切り出す。

 

「実はな…… 君に名指しの依頼があるのだ。アダマンタイト級冒険者チーム、“蒼の薔薇”からだ。君が追っていた吸血鬼《ヴァンパイヤ》の残りの一匹と思われる存在が発見された。例の“国堕とし”と外見が一致しているらしい……。“蒼の薔薇”のチームと共同で討伐に当たって欲しいということだ。場所は、都市リ・ブルムラシュールの真東のアゼルリシア山脈。この依頼、受けるかい? 報酬は――」

 

「――報酬の話は良いです。奴を倒すことこそ、私の旅の目的。そして、一族の悲願。長く辛かった訓練、過酷な旅路、背中を見せて逃げ出したくなるような強敵、苦楽を共にした仲間の死…… その全てを越えて私はいまここに立っている。この鍛え上げられた二本の剣で乗り越えてきたのです! 今すぐにでもそこへ向かって、吸血鬼《ヴァンパイヤ》を倒したい。いざ、アゼルリシア山脈!」

 

 そう言いながら漆黒の英雄はソファーから立ち上がった。今すぐにでも出発してしまいそうな勢いであった。

 

(やはり、エ・ランテルを発つか…… モモン君を引き止めることなど、このエ・ランテルでは誰もできはしない。出来るのは、またモモン君がこの街に戻ってくることを祈ることだけだな)

 

「しかし…… 私がエ・ランテルを離れてしまって良いのか。いま、このエ・ランテルは、邪悪にして不死、強大な魔術詠唱者《マジック・キャスター》であるアインズ・ウール・ゴウン魔導王が支配している。そして…… その配下達の力も侮ることができない。そんな中、私がこの都市を離れてしまったら、この都市の住人は一体どうなるというのか! いつ魔導王の魔の手が忍び寄ってくるとも分からず、恐怖に脅えながら暮らすこととなってしまう…………。

 吸血鬼《ヴァンパイヤ》の討伐…… Gehen(行くべきか) oder Nichtgehen(、行かざるべきか) , das ist hier(それが) die Frage.(問題だ)!」

 

「そ、そうなのだ。それが問題だと、私も思うのだよ」とアインザックは言う。それと同時に、いつも礼儀正しく冷静沈着なモモン君だが、今日はやけに暑苦しいというか、熱血漢のように感じる。

 

(モモン君といえど、長年追っていた最後の吸血鬼《ヴァンパイヤ》が見つかったとあれば、血が滾《たぎ》るのかな?)

 

「とにかく、依頼を受けるかどうか、熟考したい。少し時間をくれ」と漆黒の英雄は口を開き、アインザックに右手を差し出す。

 

「ああ、分かった」とアインザックは漆黒の英雄と固い握手をかわした。

 

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「おい、さっきから彼女、どうしたんだ? ずっと上の空のようだが?」

 

「どうやら、モモンさんがあの受付嬢に花を贈ってプロポーズをしたらしいぜ」

 

「え? まじか。あの漆黒の英雄がか?」

 

「そうだ……。そういえば、お前、あの受付嬢狙ってたんだったな…… ご愁傷様」

 

「結構良い感触で、今度一緒に飯を食う約束をやっと取り付けることができたんだがな……。相手があの英雄だとな…… 諦める以外にないな。ってか、他のやつに持っていかれたら悔しいが、モモンさんなら逆に祝福してやりたい気持ちになるな」

 

「そうだな……。見ろよあの顔。吟遊詩人《バード》が語るような物語に登場する、王子様に告白された平民の娘って、きっとあんな顔になるんだろうな……」

 

「心ここにあらずって感じの顔だな……。それにしても、モモンさんは美姫ナーベとできてるのかと思っていたがな」

 

「あぁ。それに関しては、いつも連れているナーベさんは、今日はこの場にはいなかったらしい。考えられる線は二つだな。一つは、ナーベさんと別行動中だから、ハメを外してるって線だ。英雄、色を好むっていうだろ? それに、組合長のように、冒険者としては優秀でも、家庭の中では意外と女の尻に敷かれているやつが多いって聞くしな。 そして、もう一つの線は――」

 

「——モモンさんとナーベさんが破局したって線だな? 原因は、モモンさんがあの受付嬢に恋をしたから……。逆に、ナーベさんがチャンスってことか?」

 

「お前、立ち直り早いな……」

 

 後日、エ・ランテルで、冒険者の男達の多くが、顔や手に青痣を付けているという報告がなされた。だが、都市長も冒険者組合長も、事件性はないと判断し、それについての詳しい調査がなされることはなかったのであった。








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