山小人(ドワーフ)の姫君 作:Menschsein
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帝都アーウィンタールの中心にある皇帝の宮殿の迎賓室。皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、来客を黙って待っていた。決済しなければならない案件が書かれた羊皮紙が執務室の机には金字塔《ピラミッド》のように積み重なっているが、帝国内の諸問題が細事に思えるようなほど、重要な来客であった。その来客者とは、人類という種を滅亡させかねないアンデッド——アインズ・ウール・ゴウンである。
「やあ、親愛なるアインズ殿。久しぶりと言ってもよいね。会いたかったよ」とジルクニフは、迎賓室に入ってきたアインズに対して熱い抱擁をする。あくまで友好な同盟国で有り続けているというアピールであった。
「ナザリック以来だな。すまないな。急に会談などを申し込んでしまって」とアインズが答える。
「いや、我が帝国の親愛なるアインズ・ウール・ゴウン魔導王からの要請ともあれば、どんなに忙しい案件があっても優先するのは道理さ。今日はアインズ殿のために全ての予定をキャンセルしたしね。だから、ゆっくりと魔導国と帝国の将来について語り合おう」と言って、ジルクニフはアインズをソファーへと誘導する。通常であれば、王国はもちろんスレイン法国の使者であっても、この国を統治する皇帝として上座にジルクニフは座る。だが、今回はアインズを上座へと誘導する。
「ジルクニフ殿。忙しいところすまないな」と言って、ソファーに座ったアインズ。アインズが座るのを見届けてからジルクニフは、自らもアインズの対面に腰掛ける。
ジルクニフは頭をフル回転させる。まずは、序盤の入り方としては完璧だな。前回の会談は帝国側に非があり、それを謝罪するという形であった。だが今回は違う。アインズ側からの要請があり、ジルクニフはその要望に応じたという形となった。この会談の場を設定したという時点で、帝国は一つ、魔導王国に対して貸しが一つできたというものだ。
「そういえば、帝国内で暴れている夜盗が、川に架かっている橋を焼き落としたという報告が挙がってきているが、道中に影響はなかったかい?」とジルクニフは心配そうな顔で言う。
「あぁ、問題なかったとも。我が僕《しもべ》を呼び出して、馬車ごと持ち上げて川を渡らせたからな」
「さすがアインズ殿だ」とジルクニフは表向きは感心したような様子を装いながら内心では憤る。ナザリックから馬車で帝都まで向かわせて時間稼ぎをするという策略は成功したという報告はロウネ・ヴァミリネンから届いていた。まさかそんな策が成功するなど、それを考えたジルクニフ自身思ってもみなかった。人類種を滅亡させかねない存在だ。対策を考える時間は多ければ多いほど良い。
だが、街道の橋を夜盗の仕業と見せかけて焼き落とし、迂回させて帝都への到着を遅れせようしたが、それは失敗した。想定よりも早く魔導王は帝都に到着することとなった。
(帝国側がわざと橋を焼き落としたという確証を得ているのか? それともそんなことは足止めにすらならないという威嚇か? あるいはその両方か?)
「いや、川の水深が浅かったからそうしただけだ。水深が深い川だったら、馬車をその場に置いて、他の手段で帝都まで行くことになっていたよ。ジルクニフ殿から送ってもらった馬車を置き捨てることにならなくて幸運だったと思う」と、アインズは答える。
何が幸運だ。それに既に、帝都までドラゴンで乗り付けておいて「他の手段」などと言ってくるあたり、帝都を攻める手段がいくらでもあると暗喩しているのに近い。そもそも、ドラゴンで乗り付けるという移動手段やカッツェ平原で軍団を転移させる魔法を帝国に見せつけておきながら、馬車でゆったりと移動してきている。
(帝国など、いつでも滅ぼせるのだぞ、と言っているに等しい。舐めやがって)
「それで、今回はどういった話なのかな? ロウネ・ヴァミリネンからは、
ロウネ・ヴァミリネンは、
「それは我が領土に関してだ」とアインズは口を開く。
「何かエ・ランテルで問題でもあったのかい? 私の力など君に比べたら微々たるものかも知れないが、私にできることがあれば力になろう」とジルクニフは親身にアインズに相談に乗ろうと、前屈みとなってアインズの話を熱心に聞こうとする姿勢をとる。
「城塞都市エ・ランテルの問題というより、エ・ランテルの周辺は、現在誰の影響下なのかな?」
「それは当然、君の
「……」
アインズは沈黙していた。
(スレイン法国のように、人間種を守るとか、どんな建前でも良い。死を司る王であるがゆえに、人間同士が勝手に争いをして死をまき散らすのを調停するとか、そんな建前で、ずっとエ・ランテルの中に籠もって、調整者を気取ってもらえれば助かるのだがな。そうすれば、人間の間での戦争が勃発しない限り、奴は、以前のようにナザリックとかいう墓に眠ったアンデッドと変わらない。不可侵の地域が、エ・ランテルか墓所かという違いでしかなくなる。そうすれば、少なくとも人類は生き残れる)
「私の言葉の選び方が悪かったようだな。率直に言うと、エ・ランテル近郊は、だれの領土なのかな?」
(ちっ、気付いたか……)
「先の戦争で、エ・ランテルはアインズ・ウール・ゴウン魔導王領となった。それは間違いないよ。ただ、エ・ランテル近郊か……。それは、王国の領土のままだったと記憶しているけれど、念の為に締結した条約で確認しよう」とジルクニフは机に置いてあった呼び鈴を鳴らし、執事に指示をする。
執事は緊張した様子ながらも、皇帝からの指示を受け取る。
ちなみに、あえて執事を待機させていたのは、ナザリックのメイド達の美しい容姿を見たジルクニフが、帝国にあれほど美しいメイドを揃えることは不可能であると認めたからである。あえて年老いた執事に任せることで、アインズから帝国の皇帝とあろうものが、容姿の劣るメイドしか揃えられないのか? などと舐められるのを防ぐ目的があったからだ。会談の相手は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王。万全を尽くして対峙するに足る人物である。
「条約の文書が来るまでに別件の話になるのだが、帝国魔法学院で、メイドを養成する学部を設置する気は無いか? いや、思いつきで聞いてみただけなのだが……」とアインズが何気なく口を開いた。
「——は?」何を言われたか理解できなかった。「す、すまない。少し聞き取れなかったようだ。先ほどの条約の文言を思い出そうとしていてね……。も、もう一度聞かせてもらえるかな?」
「帝国魔法学院で、メイドを養成する学科を設置する気は無いか?」
ジルクニフは自らの耳が狂っていないことを確認できた。そして、まったく意図が理解できない質問であった。
(メイドの養成学校? 俺が『鮮血帝』と呼ばれている由縁を知らないのか? メイドを養成する学科を設立したとしても、その就職先がどこにある? 国内の貴族の多くは粛清した。そんな学科を設立したとしても、雇う貴族がほとんど残っていないのだから、以前ならともかく、現状でそんな学科を設立する意味など帝国にとっては皆無だ——。
もしかして、貴族を粛清した程度で、俺が『鮮血』という呼び名で呼ばれているのが、気にくわないのか? 王国兵を虐殺した自分こそが『鮮血』という名を冠するに相応しいと思っているのか? 血に飢えた化け物め!)
「メ、メイドの学科を設立する予定などは無いな。それより、君に相応しい名前を思い付いたよ。アインズ鮮血王、というのはどうかね? 私は鮮血帝などと呼ばれていたが、『鮮血』などというのは、君にこそ相応しいと思うのだがね?」
「ははは。魔導王という名前だけで、私はお腹一杯だよ。鮮血王など、そんな呼び名、勘弁してくれ……。帝国でもメイド学科を設立しないのであれば、エ・ランテルで設立することとしよう」
「メ、メイドの養成をかね?」とジルクニフは自分の耳を疑いたくなる。今回の会談において予想されるアインズからの要求を様々な角度から想定し、あらゆる状況に対応できるようにシミュレーションしてきた。しかし、メイドの養成学校などというのは完全に予想外である。アインズの意図がまったく読めない。
「そうだ……。だが考えてみればメイド養成学校だけでは寂しいな。そうだ、帝国を真似て、魔法も学ぶことができる学校を作るとしよう。その際は、帝国魔法学院の指導方法などのノウハウを教えて貰えると嬉しいのだが、どうだろう?」
その瞬間、ジルクニフの中で一本の線が繋がった。その線とは、フールーダ・パラダインの裏切りであった。
(爺の裏切りをこのように利用してくるとは……。メイドを養成などというふざけた名目の学科ではあるが、その学科の帝国内での設立の可能性をジルクニフ自身が先ほど否定した。エ・ランテルでそれの学校を設立することに反対の意を唱えることなどできない。
それに、帝国の魔法学院の類似の学校も併設するだと? ノウハウの提供……。爺の裏切りが確実な以上、それを断ったとしても爺が帝国から離脱することを免れることは難しい。帝国魔法省最高責任者、そして主席宮廷魔法使いのパラダインの離脱。それを考えただけでも、頭が痛くなる問題だ。化け物め……)
ジルクニフ自身、フールーダ・パラダインの裏切りを見越していた。しかし、そこには盲点があった。それは、第六位階魔法を使えるという、帝国軍の最高戦力としてのフールーダ・パラダインしかジルクニフは考えていなかった。フールーダ・パラダインが裏切ったのであれば、戦場へと出陣させず、帝国軍の背後からフールーダ・パラダインの魔法が飛んでくるというリスクを避ければ良い。帝都辺りで、魔法の実験に精を出すなどして、飼い殺しにできると考えていた。
(まさか、爺を戦力としてではなく、魔術詠唱者《マジック・キャスター》の養成者として利用してくるとはな……)
「駄目だろうか? 無理にとは言わないさ」とアインズは骸骨の奥の真っ赤な目を細めながらジルクニフに尋ねる。
(俺が断ったとしても、フールーダ・パラダインを失うという結果は変わらない。それが分かっている癖に、敢えて俺に聞いてくるなど、腹立たしい奴だ! だが、この場に於いては、少しでも有利な条件を引き出すことに徹するべきだな)
「ノウハウの提供とは言うが、それは帝国が長い時間をかけて積み上げてきたものだ。いわば帝国の財産だと言える。それを他国に渡すというのは躊躇わずにはいられないな。友好的な魔導王国にだとしても、それは簡単には首を縦に振ることはできないよ。分かってくれ、親愛なるアインズ殿」とジルクニフは自身に有利な条件を引き出すべく思案する。
帝国にもっとも利益となるのはなんだ? 闇妖精《ダークエルフ》の土地の開放と自治を約束させることか? そうすれば、アウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレの両名に恩を帝国が売ることが出来、あわよくば帝国の陣営へと引き入れることができる。
「それならば…… 留学制度を完備させて、帝国からの留学生を全面的に受け入れるというのはどうだろう? 帝国の人材育成の強化にも繋がるのではないか?」
ふ、ふざけるなよ! とジルクニフはアインズに対してありとあらゆる罵声を浴びせたかった。
(帝国から優秀な人材を引き抜いて、自らの手駒とする気か? デミウルゴスという悪魔が精神操作を行えるのは明白! 何が帝国の人材育成の強化だ! 弱体化でしかないではないか!)
そんなふざけた提案は、さっさと蹴りたい。しかし、ジルクニフが予想していたロウネ・ヴァミリネンに対する精神操作の痕跡は見られなかった。ロウネ・ヴァミリネンに、ジルクニフ自らが肌身離さず身に着けているネックレスを付けさせても、異常は見られなかった。帝国の魔術詠唱者《マジック・キャスター》に調べさせても答えは同じであった。ロウネ・ヴァミリネンに精神操作などをアインズが行ったという証拠を帝国は上げることができない。どうせ、洗脳・魅了する気だろ? と突っぱねることが不可能だ。
ロウネを連絡係と任命した際、見せつけられたデミウルゴスの強制の能力。その印象が強すぎたせいで、ロウネが洗脳されている前提でアインズ対策を練っていた。ロウネが知っている帝国の、機密に含まれる情報までアインズに流出している前提で対策を考えた—— が、蓋を開けてみれば、ロウネに対して質問された事項といえば、帝国への道中の馬車で、しかも雑談のレベルの情報。思考誘導されていたのは、むしろ自分達であった。
ジルクニフの予想だにしない一手を打ってくる。圧倒的な力を持ちながらも、アインズ・ウール・ゴウンは力のみで行動するタイプの存在ではない。しかも、策略に関してまでも俺よりも上手だな……。
ジルクニフは、猫に命を弄ばれている鼠のように自分自身を感じていたのであった。