8月に咲く
レディエマハミルトン【イングリッシュローズ】
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8月のレディエマハミルトン
イングリッシュローズの中でも、比較的暑さには強い方。
わが家では南向きの最前列が、エマの鉢植えの置き場所です。
よく返り咲くバラです。
春の花に比べての違いは、
「花持ち」夏は2日間くらいでしょうか。
あまりの暑さにパッと開いて、パッと終了。
逆に春と変わらないのは、
「香り」猛暑でもフルーツ香は健在です。
特に朝はふんだんに香ります。
病気や害虫に強く、繰り返し咲き、コンパクトに育つので、
育ててみると人気がある薔薇だということが納得できます。
わが家は鉢植えバラが中心なのですが、
このバラはかなり鉢植え向き、狭い庭にも便利なバラです。
わが家の夏の育レポ
鉢植え | 8号、2重鉢、1階の南側が置き場所 |
水やり | 朝たっぷり、鉢底から流れるくらい |
肥料 | 8月は上旬までに置き肥を |
薬剤 | 黒星病予防のため、1か月に1回散布 |
この時期は、株元に雑草が生えていたりするのでキレイにしてあげましょう。
バラの種類は数々あれど。人の名前をつけられたバラはたくさんあります。
「有名人に捧げられた」とか、バラを擬人化して名づけられたバラ、作出した人や家族の名前のバラなど様々です。
ひとつの名前のバラから、
どんな雰囲気の人かなと想い、バラに重ねて想像するのも楽しいかもしれません。
美しく奔放で情熱的な女性「レディエマハミルトン」
ジョージ・ラムニーの描いた肖像画
「エマ・ハミルトン」Emma, Lady Hamilton
バラマニアからするとバラの名前としてのほうが知られていますが、
どんな女性だったのか気になったので改めて紹介します。
イギリスの英雄ホレーショ・ネルソン(Horatio Nelson)提督の愛人として知られています。
チェシャー州の貧しい家庭に生まれ、幸せとは言い難い若い頃の生い立ち。
家政婦などをして働きながら貴族のパーティで踊りを披露することもありました。
そしてその美貌ゆえに、貴族の目にとまることになりチャールズ・グレビル(Charles Greville)の愛人になることとなりました。
グレビルの友人、画家のジョージ・ロムニー(George Romney)もエマの虜となり、
エマの肖像画を60以上描きました。
その後グレビルはギャンブルなどの借金をつくり、お金持ちの女性との結婚を成立させるため、邪魔者になったエマを叔父のウィリアム・ハミルトン(William Hamilton)ナポリ駐在大使に紹介します。
エマの美しさをすっかり気にいったウィリアムは、語学、ダンス、など社交会の教育をさせ、淑女に仕立てあげました。
その後2人は結婚。ウィリアム60才、エマ26才と年齢差がかなりありました。
その2人の前に現れたのがホレイショ・ネルソン。彼は35才。まだ偉大な名声を得るまえのことでした。
1798年にネルソンがナイル戦で、フランス海軍に打撃を与える勝利をし、ナポリに寄った際、エマに再会。
5年ぶりにあったネルソンは、戦いで片目と片腕を無くし体も傷ついていました。ナポリの邸宅では大歓迎され、エマに看病してもらうのでした。
そしてネルソンとエマは恋に堕ちます。
高齢であったハミルトンは、ネルソンを尊敬していたこともあり2人の関係を許します。そして3人の奇妙な共同生活が始まります。
1800年にイギリスへの召還になったネルソンは、ナポリ大使を引退した72才のハミルトンとエマと一緒に帰国します。
英雄ネルソンは国民に大歓迎されました。
帰国後、ネルソンの妻はエマと別れてほしいと迫りましたが、聞き入れることなくロンドンのハミルトン家で再び同居。
貴族の間では、愛人の存在は普通だったのですが、愛人と住むことをするのはあまりなく珍しいことだったようです。
大英雄とセレブの恋愛沙汰として、マスコミなどで関係を報道され一大スキャンダルとして世間の注目を集めました。
その後、妊娠中のエマをおいて任務に戻るネルソン。
翌年の1801年、エマとネルソンの間に長女が誕生。「ホレイシャ」と名付けられました。
ネルソンは家族が静かに住めるよう、ウインブルドン郊外にあたるマートン・プレイスに古い家を買いハミルトン夫妻、ホレイシャ、エマの母と移動します。
この不思議な生活は庶民の関心を呼び、新聞に彼らの動向やエマのファッション、家の内装やディナーのメニューまで掲載されることとなりました。
1803年、夫のウィリアムが亡くなりました。
2人目を妊娠中のエマを残してネルソンは再び海戦へと戻ります。生まれた子供はわずか数週間で亡くなり、孤独なエマはギャンブルと酒に溺れ多額の借金をつくることになります。
そしてネルソンは戦死。
亡き夫が残したささやかな遺産も食いつぶし借金だらけのエマ。
ネルソンの遺産は兄のウイリアム(のちの初代ネルソン伯爵)に遺贈しており、エマとホレイシャを扶養するはずだったのですが、親子は無視されエマは債権者監獄に入れられました。
のちにエマはフランスに逃げ、酒に溺れ困窮したまま病気になりフランスのカレーで50才で死亡します。
絵画モデルになるほどの美貌の持ち主。
美しさと奔放な魅力で男性を翻弄し、上流階級に昇りつめたエマ。
その最後はあまりにも儚い結末でした。
もしかしたら、
彼女の美しさが、波乱万丈の人生にしてしまったのかもしれませんね。
8月のレディエマハミルトンの花は、そんな彼女の面影が感じられる趣です。