NHK世論調査 サマータイム導入「賛成」51%「反対」12%

08.07 05:53 NHK NEWS

NHKの世論調査で、東京オリンピック・パラリンピックの暑さ対策として夏に生活時間を早める「サマータイム」の導入について聞いたところ、「賛成」が51%、「反対」が12%、「どちらともいえない」が29%でした。

NHKは今月3日から3日間、全国の18歳以上の男女を対象にコンピューターで無作為に発生させた固定電話と携帯電話の番号に電話をかける「RDD」という方法で世論調査を行いました。

調査の対象となったのは2162人で、56%にあたる1205人から回答を得ました。

日銀が大規模金融緩和策を一部修正したことを「大いに評価する」が6%、「ある程度評価する」が32%、「あまり評価しない」が35%、「全く評価しない」が8%でした。

オウム真理教の一連の事件で13人の死刑囚全員に刑が執行されました。死刑制度について聞いたところ「存続すべき」が58%、「廃止すべき」が7%、「どちらともいえない」が29%でした。

来年4月から外国人材の受け入れを拡大する政府の方針に「賛成」が31%、「反対」が21%、「どちらともいえない」が41%でした。

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岐阜 下呂で41度 あすも各地で猛暑日の予想

08.06 18:04 NHK NEWS

東日本と西日本を中心にきょうも気温が上がり、岐阜県下呂市金山で41度ちょうどを観測し、国内2位の記録に並ぶなど各地で危険な暑さとなりました。あすも東海や西日本を中心に35度以上の猛暑日が予想されていて引き続き熱中症に警戒してください。

気象庁によりますと、6日も東日本と西日本を中心に広い範囲で晴れて気温がぐんぐん上がりました。

日中の最高気温は、岐阜県下呂市金山で41度ちょうどと先月23日に埼玉県熊谷市で観測された41度1分に次ぐ国内2位の記録に並びました。

また、岐阜県多治見市で40度4分、名古屋市で39度4分と東海地方の各地で39度を超える猛烈な暑さとなったほか、山梨県甲州市で38度4分、広島市で37度3分、高松市で37度2分、岡山市で37度ちょうど、大阪市で36度5分、東京・青梅市で35度8分などと猛暑日になりました。

7日は、関東などでは暑さは和らぐものの西日本や東海を中心に猛烈な暑さが続く見込みで、日中の最高気温は熊本市と山口市で37度、大阪市と広島市、高知市で36度、名古屋市と岐阜市、岡山市で35度などと予想されています。

各地で連日の猛暑となり、熱中症とみられる症状で病院に搬送され、死亡する人も相次いでいます。引き続き熱中症に警戒が必要です。日中の運動は控えるほか、室内ではためらわずに冷房を使い、こまめに水分を補給して塩分も不足しないようにしてください。

特に豪雨の被災地では、環境の変化や疲れで熱中症の危険性が高まっているため、十分な対策をとってください。

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「メタボ健診」実施率51% 目標とは大きな開き

08.06 16:11 NHK NEWS

生活習慣病の予防につなげるため、10年前に始まったいわゆる「メタボ健診」は、2016年度の実施率が51%でした。厚生労働省は70%を目標にしていて、実施率向上の取り組みが課題となります。

生活習慣病の予防につなげようと、いわゆる「メタボ健診」は、10年前に公的医療保険に加入する40歳から74歳を対象に導入され、厚生労働省は2023年度末までに実施率を70%以上にすることを目標にしています。

厚生労働省によりますと、2016年度の実施率は51.4%で、初めて50%を超えた前の年度から1.3ポイント上昇したものの、目標の70%とは大きな開きがあります。

種類別では、大企業のサラリーマンなどが加入する健康保険組合は75%に上っている一方で、自営業者などが加入する国民健康保険は37%にとどまっています。

このため、自営業者や会社を退職した人など、みずから医療機関に行って健診を受ける必要のある人たちへの働きかけなど、実施率向上の取り組みが課題となります。

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「要援護者」情報生かされず 運用の改善検討 岡山 倉敷

08.06 16:08 NHK NEWS

先月の西日本豪雨で、岡山県倉敷市真備町で死亡した人のうち34人は、災害時に避難の支援が必要な「要援護者」として警察や消防、民生委員などに情報が伝えられていましたが、実際には、多くの人が避難の呼びかけや手助けをされていなかったことがわかりました。倉敷市は、「情報を十分に活用できなかった」として、運用の改善を検討しています。

先月の豪雨で町の面積の3割が水につかった倉敷市真備町では、高齢者や体が不自由な人など51人が死亡しました。

倉敷市によりますと、このうち34人は、災害時に避難の手助けが必要な「要援護者」として、住所や電話番号といった情報を警察や消防、それに地域の民生委員や自主防災組織に事前に提供することに同意していたということです。

しかし、警察や消防は殺到する通報への対応に追われ、要援護者の情報を活用することはなかったということです。

また、民生委員や自主防災組織は、可能な範囲で避難を支援することになっていましたが、NHKが亡くなった要援護者のうち氏名を確認できた24人について、担当の民生委員などに取材したところ、このうち21人は避難の呼びかけや手助けをされていなかったことがわかりました。

多くの民生委員は「自分の身を守るのに精いっぱいで、とても避難の手助けまではできなかった」と証言し、中には「担当する要援護者が堤防が決壊した川の対岸に住んでいて、声をかけに行くのは不可能だった」と話す人もいました。

こうした状況について倉敷市は「要援護者の情報を十分に活用できなかった」としています。

真備町の民生委員の中には1人で50人ほどを担当する人もいることから、倉敷市は負担軽減のため、自主防災組織がない地区に対して結成を促すなど運用の改善を検討しています。

倉敷市危機管理監「避難支援の在り方 改善を検討」

岡山県倉敷市の河野裕危機管理監は「避難を支援する仕組みが機能しなかったことが、多くの要援護者が亡くなるという結果につながったと考えている」と述べたうえで、要援護者の情報に基づく避難支援の在り方について改善を検討していることを明らかにしました。

具体的には、1人の民生委員が50人ほどの要援護者を担当しているケースがあることを踏まえ、自主防災組織の結成を促し、住民どうしで避難の呼びかけや手助けができる態勢を整えたいとしています。

また、現在は年齢や要介護度などに基づいて一律に選定している要援護者の基準についても見直しを進め、本当に手助けが必要な人にきちんと支援が届く仕組みを検討するとしています。

民生委員「どうしたらよかったか今もわからない」

今回の記録的な豪雨で、倉敷市真備町では避難の際に助けが必要な「要援護者」の人たちが相次いで亡くなりました。

真備町有井で民生委員を務める浅野静子さん(68)は、毎年、倉敷市から担当地区に住む「要援護者」の名前や住所などが書かれたリストを受け取っていました。

要援護者は1人暮らしの高齢者や、要介護3以上で移動が不自由な人などが対象で、浅野さんが担当する地区には42人いました。

浅野さんはふだん、それぞれの自宅を回って体調に変化はないか確認していたほか、災害時には自分の安全を確保したうえで、可能なかぎり避難を呼びかけたり安否を確認したりする役割を担っていました。

浅野さんは先月6日の夕方に、市から避難準備情報が出たことを受けて、避難所に指定されている小学校に向かいましたが、この段階では避難者は1人もいなかったということです。

その後、雨が強まり倉敷市から避難指示が出され、浅野さんは要援護者の人たちに直接、避難を呼びかけようとしました。

ところが、要援護者の多くは川を挟んだ対岸の地域に住んでいて、川の水位が橋の高さまで上がっていたため向かうことができませんでした。浅野さんの自宅にも水が迫り、小学校に避難せざるをえませんでした。

今回の豪雨では、浅野さんが担当する要援護者のうち、76歳の女性1人が自宅で死亡し、浅野さんの自宅も1階の天井まで浸水する被害を受けました。

浅野さんは「民生委員を30年以上務めてきたが、街全体が浸水するような水害は初めてだったので、自分の身を守ることで精いっぱいで、要援護者の人たちへの対応が非常に難しかった。自分に何ができたのか、どうしたらよかったのか、今もわかりません」と話していました。

消防・警察 名簿の活用できず

岡山県倉敷市真備町を管轄する玉島消防署では、要援護者の名簿を署内の金庫に保管していました。必要な時には、金庫から取り出して地元の消防団に渡すことになっていたということです。

しかし、真備町に避難勧告が出された先月6日の午後10時、市の消防局にはすでに、被害の状況を伝えたり、救助を求めたりする通報が殺到していました。

その対応に追われる中、要援護者の情報を活用して避難を呼びかけるという判断がされることはなく、名簿が金庫から取り出されることはありませんでした。

倉敷市消防局の前田勉消防司令長は「大量の通報に対応するため職員も車も出払っていた。消防や消防団が避難を手助けするのは難しかった」と話していました。

また、警察も要援護者の名簿を受け取っていましたが、その情報をどのように活用するのか具体的なルールを定めていませんでした。相次いで寄せられる通報への対応に追われる中、警察も要援護者の情報を活用することはなかったということです。

岡山県警察本部の担当者は「要援護者の情報をどのように活用すべきなのかなど、今回の災害で明らかになった課題を検証したい」と話していました。

専門家「実効的な対策や避難の仕組みを」

災害時の避難行動に詳しい東京大学大学院の松尾一郎客員教授は「自分を助けてほしいという要援護者の声を生かせなかったのは、じくじたる思いだ。個人情報保護法との兼ね合いで、どのように活用するかを決めかねている自治体が多いが、要援護者の情報を実際の避難にどう結びつけるのか、行政や住民がそれぞれの地域で具体的に考えることが必要だ」と指摘しています。

そのうえで「7年前の東日本大震災では、56人もの民生委員が亡くなっており、危険な状況になってから、民生委員や自主防災組織の人たちが活動するということはありえない。早めに対応するための実効的な対策や避難の仕組みを考えないと、同じようなことが全国各地で起きる可能性がある」と話していました。

山根会長 元暴力団員との長年の親交認める

08.06 15:12 NHK NEWS

日本ボクシング連盟の山根明会長がNHKのインタビューに応じ、暴力団員だった人物と長年にわたって交友関係が続いていたことを明らかにしました。

日本ボクシング連盟の山根会長は、選手への助成金の不適切な流用のほか、元暴力団員と親交があったことなどが指摘されています。

山根会長は5日、大阪市内でNHKのインタビューに応じ、「何十年も親交が続いたことは事実だ」と述べ、暴力団員だった人物と10代のころから長年にわたって交友関係を続けてきたことを明らかにしました。

この関係は、日本ボクシング連盟の理事となった平成3年以降も続き、飲食などをともにしていたということです。

また、山根会長は「自分は一匹おおかみで、誰の力も借りずにここまで生きてきた。お金なんて一銭ももらっていない」などと述べ、金銭のやり取りについては否定し、単なる友人としてのつきあいだったと説明しています。

山根会長によりますと、この人物とは数年前にトラブルがあって関係を絶っているということです。

こうした交際について山根会長は「最近になっていろいろと言われているが、過去にそんなことは何も言われなかった」と話しています。

そのうえで、みずからの進退については、「何も悪いことをしていないのだから、辞任をするわけはない」と強調しました。

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実況アナが見つめる「甲子園100回目の夏」

08.06 15:05 NHK NEWS

きのう開幕した夏の全国高校野球。100回目となることしは、選手、OB、将来を夢見る子どもたち、そしてすべての高校野球ファンにとって、特別な大会となるに違いない。

それは、中継の実況を務めるアナウンサーにとっても同じだ。大阪放送局アナウンサーの小野塚康之。30年以上、野球実況一筋に携わってきた。100回目の夏、小野塚は何を見つめ、何を思うのか。そのメッセージを寄せてもらった。

100回の重み “レジェンド始球式”

今大会、私・小野塚が楽しみにしていることの一つは、毎日第一試合の開始に際して行われる「レジェンド始球式」だ。私にとって、高校野球ファンにとって、なんという至福の時であろうか。

開会式後のオープニングゲームからこのすてきなセレモニーが準備され、決勝まで順延などなければ、上記のスターたちがマウンドに登る。

私は仕事として高校野球と向き合ってはいるが、基本的には単純・単細胞な野球ファンであるから、このメンバーを突き付けられた瞬間から“野球心”が揺さぶられている。

もっとも古い方で中西太さん、新しい人で本間篤史さん。中西さんの現役時代は存じ上げないが、イチローや田口壮がいるオリックスでコーチされていた時に野球の奥深さを教わったり、本間篤史さんの駒大苫小牧は、その前の選手権初制覇を実況した身近さからも、田中将大擁する実力校を強い関心を持って見ていたので印象深く記憶に残った選手である。

一人一人に対する思い入れがあり、私の脳みそはエピソード満載なので、例えば誰かを相手にお話をするならば1か月程度は要するだろう。

この大役を果たされる多くの方に、プロ野球中継の場などでさまざまな有意義なお話を聞かせて頂いたりしている。改めてそのことも贅沢なことである。

先日、プロ野球開催中の甲子園で8月11日を担当する水野雄仁さんにお目にかかった。水野さんは「僕、やるんですよ」と、このレジェンド始球式登板の話を本当にうれしそうに語り、少々紅潮した表情は、当時の「阿波の金太郎」そのものだった。

安仁屋さん、板東さん…。皆さん今でも高校野球を熱く見つめて下さっていて、私が放送を担当していることをご存じの方は、プロ野球の現場などで今の高校野球に対する思いなどを語ってくださる。

もう一つだけ、このセレモニーの楽しさを加えておくと、ここに名前のない人たちについてである。

「なんであの人は投げないの」「この人よりあっちの人でしょ」「バッターが少ないよ。あの人は入れるべき」とか、これでも盛り上がる。

もちろん毎日の始球式を見て、その選手の時代や、地元の選手、あるいは「当時のわたし」を振り返っても楽しいかもしれない。何しろおすすめの「好企画」だ。

「高校野球の力」

100回というのは何とも大きな数字だと感じる。

NHKに入局して38年、甲子園の高校野球の全国放送を担当して32年。この世界では「一番のベテランですよね」とか「なんでも見てますよね」とか言われるが、長い歴史からすると半分にも及んでいない。

小学校中学年から野球に明け暮れる子ども時代を過ごしていたので、“甲子園”はよくテレビ観戦していたが、それでもはっきりと記憶に残っている最初は10歳の1967年、昭和42年の第49回大会だ。

この年は習志野(千葉)が初優勝をした。ただし、記憶に鮮烈に刻まれたのは、決勝戦で敗れた広陵の小柄なサウスポー・宇根洋介投手の力投だった。自分自身が右利きだったし、当時は私の周囲には左利きがほとんどいなかったせいもあり、興味と、かっこよく見える左腕への憧れからだったようだ。

その宇根さんに30年後、広島放送局勤務時代にお目にかかった時には震えるほどうれしかった。平成22年、その宇根さんが旧・広島市民球場閉鎖に伴うラストゲームで始球式ならぬ“終球式”をした。現役時代のイメージが残るフォームで投球する姿に涙がにじんだ。宇根さんと交流があったわけでもないのだが、これだけの感動を覚えるというのも「高校野球の力」だと思った。

話がそれたが、放送の仕事と学生時代を合わせても50回分しか知らないのだった。開催回数の多い大会を私なりに調べてみたが、天皇杯サッカーが98回、関東大学対抗駅伝“箱根駅伝”でも94回、100回三桁となるとゴルフの全米オープンやテニスのウィンブルドンの域に入ってくるわけだから、高校スポーツとしては大変なものだと思う。だから、私の生涯のテーマの一つにもなったのだ。

“全チームのグラウンドを訪ねた”

高校野球に結び付けて人生を振り返ると、私が生まれたのは1957年(昭和32年)。第39回大会、甲子園戦術を確立した広島商業が4回目の全国制覇を果たした年、また話題の中心は春夏連覇を目指すセンバツ優勝の東京の早稲田実業・王貞治投手だった。後の世界のホームラン王だ!もうこの年に生まれた以上、野球にかかわるしかないという出生年である。

そして、その後、好きな野球を続け、1980年(昭和55年)にNHKに入局し、アナウンサー人生をスタートさせた。野球に近いところで人生を送りたい。そんなことも考えての就職先だった。

鳥取放送局に新人として赴任した当初から、迷いなく甲子園の実況を最初の目標とした。野球に対する思い入れは強かったが、アナウンサーとしては下手すぎて、ニュースや司会やインタビューなど何をやっても叱られ、視聴者の方からも「ダメ出し」をいただく毎日だった。

でもそれしかなかったので、取材やら「自主トレ」を続けた。野球関係者は皆さんあたたかく応援してくださった。そうこうするうち、夏の県大会がやってきて、野球放送要員が不足する中、チャンスがやってきた。

ほかのジャンルの放送が下手すぎたせいもあるのか、高校野球は初めて褒められた。何しろ、アナウンサーの中ではルールや戦術に詳しいし、隠れて取材もしていたことも功を奏した。

ここから流れが変わった。野球実況の方向性が、“甲子園の道”が見えてきた。でも、誰でもなれるものではない。それなりの競争がある。もうこうなるとチームと一緒だ。勝ち抜かなければ。日本一の練習をしようと。さらには戦術だ。どんな野球放送をしたいか?これが、実は大きなポイントだったと思う。

高校野球は周囲が見ているよりもはるかに複雑なのだ。「高校野球というと基本に忠実でセオリーをしっかり貫く」…。実際はそんなことはない、明日なき連戦の戦い。プロのように戦力が整っているチームばかりではない。ピッチャーだって足りなくなることもある。経験の少ない選手が突然登板したり、裏をかく先発起用がある。

攻撃でも、常識的にはバントをしないケースに実行してみたり、相手が予想しない奇策を展開したりとビックリもさせられる。よってさまざまな角度からの取材や研究が必要なのだ。いちいち驚いていては放送にならないし、私自身は先読みを武器にしようと思った。

鳥取では当時20校しかなかったので、大会前には全チームのグラウンドを訪ねた。高校野球は、それぞれの学校や地域で与えられた環境の中で最善を尽くす知恵と工夫の集積だと捉えることにした。すると一校一校、一人一人に特徴が見えてきて愛着を覚える。私の原点だ。

“サヨナラボーク”のメッセージ

昭和61年春のセンバツで甲子園全国放送の実況を始めてから33年目、これまでに一体どれだけの実況を担当し、試合を取材してきたのかわからない。次へ次へと向かうのが実況アナウンサーの習性なので、過去の記憶というのは意外にあいまいだ。

特に名勝負などと周りが注目して見ている放送はそうだ。いい試合は、集中力は必要だが試合の流れに乗っていける。大差やミスで決まってしまうゲームのほうが伝え方が簡単ではない。だから、そうした試合のほうが印象に残り、学ぶことが多かった。

松井秀喜さんの5連続敬遠などがその例だが、私がいまでも大切にしているものを与えてくれた試合がある。実況していたわけではない。

1998年第80回記念大会2回戦、豊田大谷(東愛知)対宇部商業(山口)。延長15回裏、豊田大谷、無死満塁のチャンス、マウンドにはここまで210球の熱投を続けてきた172センチ60キロと小柄な細身の2年生エース、左腕の藤田修平がいた。

宇部商業にとっては、1人帰ればチームが敗れる大ピンチ。チーム全体が慎重になる。キャッチャーが「配球を読まれまい」と、いったん決めた球種を変更、すでに一連の投球動作に入っていた藤田がこの2度目のサインで動きを止めた。

林清一球審がボーク判定。3塁ランナーが帰還して、豊田大谷の勝利となった。本人も認める明らかなボーク、疲労と緊張でいつもと違うサインの出し方についていけなかったそうだ。

このケースで学び、テーマとして受け止めたことは、まず、“サヨナラゲーム”は予測しても、ボークまで自分の頭にあったか、次に、仮に備えていたとしてその瞬間に何をどう理解するかだ。

コメントを準備するという意味ではない。主には瞬間的に人の気持ちをどう理解できるのかだと考えている。

その瞬間にかかわる人々。ボークをした人、複雑なサインを出したキャッチャー、監督、判定した球審、勝って喜ぶ打者、小躍りしてホームベースを踏むランナー、勝ったアルプス、負けた方、地元では、それぞれの該当者の家族は…。

実況中継は発生瞬間直後だ。関係者に「あと取材」して検証することなどができるスポーツ企画やドキュメンタリーとは違い、即時という部分では過酷である。

結論はわからない。でも、この時からスタートして、いまでも自分の中にあるのは、1つのプレーや1つの試合、1つのチームに多くの人たちの気持ちが動いているということだ。

私が思う実況アナウンサーとして大切なのは、その時「何を言うか」ではなく、そこでしゃべっている私のトーンがあっているかどうかだ。さまざまな立場の人がその瞬間を見ている中で“フィットしているか”なのだと思う。

幸運にも言葉になることもあるかもしれない。黙るほうが共感を呼ぶのかもしれない。やはり重要なのは人の気持ちと「熱」なのかな。

高校野球は楽しい!

高校野球の将来は、正直言って分からない。私はことし61歳になったが、今まで何を自分の幹として生きてきたかというと、それは間違いなく“野球”だ。高校野球はその中心でもある。

別に選手であったわけでもないのに、思い切りむきになり、ほかのことに優先させて野球と接してきた。甲子園のすぐ近くにも移り住んだ。家族にも申し訳ないと、この年になって反省もする。

でもやめられない。胸を張って言いたい。

“高校野球は楽しい! 皆さん野球やりましょう!”

仙台七夕まつり始まる 震災復興への願いも

08.06 14:29 NHK NEWS

東北を代表する夏祭りの一つ「仙台七夕まつり」がきょうから始まり、仙台市中心部にある商店街には鮮やかな七夕飾りが並んでいます。

「仙台七夕まつり」は、伊達政宗が仙台藩主だった400年以上前から続くとされる、東北を代表するまつりの一つです。

仙台市中心部のアーケードの商店街では6日、このまつりの開幕を祝うセレモニーが行われました。

セレモニーの会場には、小中学生が8色の色紙で折った8万8000羽の折り鶴を組み合わせて作った七夕飾りが飾られ、児童や生徒が震災復興への希望を込めた歌を披露しました。

今回のセレモニーに参加した小学6年生の外里花音さんは「震災で心に傷を負った方や、大きな被害に遭われた方を元気づけたいという思いで参加しました。これからも震災のことを知らない人たちに語り継いでいきたいです」と話していました。


まつり初日の6日はあいにくの雨となりましたが、会場には多くの人が訪れ、色鮮やかな七夕飾りを背景に家族や子どもの写真を撮るなどして楽しんでいました。

「仙台七夕まつり」は、商店街に合わせておよそ3000本の七夕飾りが飾られ、仙台七夕まつり協賛会では8日までの期間中、およそ210万人の人出を見込んでいるということです。

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サッカー本田 豪リーグのメルボルンビクトリーへ

08.06 14:07 NHK NEWS

サッカー日本代表でメキシコ1部リーグのパチューカに所属していた本田圭佑選手が、オーストラリアのプロリーグのメルボルンビクトリーに加入することになりました。

オーストラリアのプロサッカーチーム、メルボルンビクトリーは6日、現地で記者会見を開き、日本代表で、メキシコ1部リーグのパチューカに所属していた本田圭佑選手の加入を発表しました。

契約は1年間で、本田選手は早ければ来週にもメルボルン入りをする予定だということです。

会見でケビン・マスカット ヘッドコーチは「彼は疑いようもなく非常に才能にあふれていて、年齢的にもいいところにいる。彼の存在によってチームにより柔軟性が生まれるだろう」と述べ、今後の活躍に期待を示しました。

また、本田選手もテレビに出演し「オーストラリアの中でいちばんのクラブで光栄に思う。自分は野心的な人間だが、勝利に導く自信はある」と抱負を語りました。

自らもツイッターに投稿

移籍が発表されてまもなく、本田選手は「署名をしました!オーストラリアで会えることを楽しみにしています!」と自身のツイッターに英語で投稿しました。

本田圭佑選手 これまでの歩み

本田圭佑選手は日本代表としてワールドカップで2010年の南アフリカ大会からことしのロシア大会まで3大会連続で出場して、そのすべてでゴールを決めるなど、代表チームの攻撃の中心として長年活躍しました。

とりわけ、南アフリカ大会の1次リーグ、デンマーク戦で、無回転の揺れるボールで長い距離のフリーキックを直接決めた場面は、本田選手を象徴するプレーとして語り継がれています。

本田選手はこれまでJ1の名古屋グランパスでプロデビューを果たした後、オランダとロシアのチームを経て、2014年にイタリア1部リーグの強豪、ミランに移籍してエースナンバーの背番号「10」を背負い、3年半、プレーしました。

そして、昨シーズンからはメキシコ1部リーグのパチューカに移籍し、29試合で10得点をあげましたが、契約の更新は行っていませんでした。

本田選手はロシア大会を終えた後、「今回が最後のワールドカップになる」などと話し、今後の去就については明らかにしていませんでしたが、今月2日、インターネットテレビの番組に出演した際には「引退も考えたが、オリンピックを目指すことを決めた」と話し、2年後の東京オリンピックに通常24歳以上の選手が3人まで出場できる「オーバーエイジ」枠で出場を目指す考えを示していました。

かつてカズも在籍 「メルボルンビクトリー」

メルボルンビクトリーは2004年に設立され、オーストラリアのプロリーグ「Aリーグ」に所属しています。昨シーズンは、レギュラーシーズンで10チーム中、4位の成績でしたが、上位6チームで争われるプレーオフを制して4回目のリーグ優勝を果たしました。

そして、ことしのアジアナンバーワンのチームを決めるACL=アジアチャンピオンズリーグでは1次リーグで敗退しましたが、去年のJ1王者、川崎フロンターレとの対戦では1勝1引き分けと勝ち越しました。また、ファンクラブの会員や観客の入場者の数はリーグトップクラスです。

Aリーグに在籍した日本選手を見ますと、J2の横浜FCでプレーする元日本代表の「カズ」こと三浦知良選手や、J1の北海道コンサドーレ札幌に所属する小野伸二選手が、リーグの別のチームでプレーしていたことがあります。

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漂着したのはシロナガスクジラ! 国内で初

08.06 13:42 NHK NEWS

きのう神奈川県鎌倉市の海岸で見つかった体長10メートルほどのクジラは、地球上で最大の動物シロナガスクジラの子どもであることがわかりました。シロナガスクジラが国内の海岸に漂着したのは初めてと見られるということです。

このクジラは5日、神奈川県鎌倉市の由比ヶ浜海岸で波打ち際に打ち上げられているのが見つかりました。

6日朝、国立科学博物館の専門家が現場を訪れ、クジラを詳しく調査しました。その結果、胸びれの形や体の色から、打ち上げられたのは地球上で最大の動物として知られる、シロナガスクジラと確認されたということです。

体長は10メートル52センチで、体の表面には赤ちゃんに特徴的ないぼがあることから、ことし生まれた子どもで、オスだということです。

国立科学博物館によりますと、シロナガスクジラが国内の海岸に漂着した記録はなく、今回が初めてと見られるということです。

海岸には打ち上げられたクジラを一目見ようと多くの人が訪れました。娘と訪れた女性は「初めてこんなに近くでクジラを見て、びっくりしました」と話していました。

史上最大の動物で長寿

クジラの生態に詳しい東京海洋大学の中村玄助教によりますと、シロナガスクジラは確認されている範囲で恐竜なども含めて史上最大の動物で、過去には体長33メートル、体重200トンほどの個体も確認されています。

寿命が長いのも特徴で、これまでに確認された最高齢は110歳ですが、さらに長寿のものがいる可能性もあるということです。

中村助教によりますと、シロナガスクジラは北半球と南半球とで別々のグループが生息していることが知られ、体の大きさは北半球のもののほうが1割ほど小さいということです。

繁殖の時を除いて基本的に陸から遠く離れた外洋で単独行動をしていて、北半球のグループはこの時期は太平洋や大西洋の北部から北極海に近い海域で餌を食べているものとみられていますが、繁殖や回遊などの生態はわかっていない部分が多いということです。

子どもは体長7メートルほどで生まれ、今回打ち上げられた個体は体長などから1歳前後の赤ちゃんとみられ、何らかの原因で親からはぐれてしまった可能性があるということです。

シロナガスクジラは19世紀後半から20世紀にかけて行われた商業捕鯨の影響で激減し、北半球と南半球でそれぞれ数千頭ほどしか生息していないとみられ、絶滅危惧種に指定されています。

中村助教は「数が少ないうえに外洋で暮らしているため、陸に打ち上げられることは極めて珍しい」と話しています。

「可能なかぎり調査」

現場で調査にあたった国立科学博物館の田島木綿子研究主幹は「シロナガスクジラが漂着するのは国内で初めてのことなので、大変驚きました。日本での生物学的な調査は初めてのことで、世界的な期待も高まっているので、今後、クジラを移動して、死因のほかDNAサンプリングなど可能なかぎりの調査をしなければならないと思っています」と話していました。

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台風13号 今夜から小笠原諸島接近へ 東日本接近も

08.06 11:43 NHK NEWS

強い台風13号は、6日夜から7日未明にかけて発達しながら小笠原諸島に接近する見込みで、強風や高波に十分な注意が必要です。8日には伊豆諸島に近づき、翌9日には東日本に接近するおそれがあり、気象庁は最新の情報を確認し、早めに備えを進めるよう呼びかけています。

気象庁の観測によりますと、強い台風13号は6日午前9時には小笠原諸島の父島の東400キロの海上を1時間に20キロの速さで北北西へ進んでいます。

中心の気圧は970ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は35メートル、最大瞬間風速は50メートルで、中心から半径100キロ以内では風速25メートル以上の暴風が吹いています。

台風は発達しながらこのあとも北寄りに進み、6日夜から7日未明にかけて小笠原諸島に最も接近し、その後、8日には暴風域を伴って伊豆諸島に近づく見込みです。

小笠原諸島では6日夕方から7日明け方にかけて、伊豆諸島では7日夜から海上を中心に非常に強い風が吹く見込みで、7日にかけての最大風速は20メートル、最大瞬間風速は30メートルに達すると予想されています。

海上では波が高まり、7日にかけては伊豆諸島で7メートル、関東の沿岸で6メートルの大しけが、小笠原諸島で5メートルのしけが予想され、強風や高波に十分な注意が必要です。

その後、台風は北西へ進み、9日にかけては東日本に接近するおそれがあります。また、東北付近にある前線が南下し、台風から湿った空気が流れ込むため、関東甲信ではあす夜から雷を伴って激しい雨が降る見込みで、台風が接近する前から雨が降り続いて大雨となるおそれがあります。

さらに、いまは1年で最も潮位が高い時期で、高潮が起こりやすくなっています。気象庁は、東日本を中心に暴風や高波、大雨、高潮などのおそれがあるとして、最新の情報を確認するとともに、早めに備えを進めるよう呼びかけています。