2018年7月31日、早稲田の老舗がひっそりとのれんを下げたーー。
明治初期から100年以上続くこの店の名前は、三朝庵。馬場下町交差点のシンボルとして、早稲田の街を見守ってきた「早稲田最老舗」の蕎麦屋である。
早稲田大学の学生だけでなく、数々の著名人に愛されてきた。その証拠に、店内には大量のサインが飾られ、薬師丸ひろ子、山田洋次監督、藤子不二雄Aなど各界の有名人の名前がずらりと並んでいる。
その老舗が突如として店をたたむことを発表したのだ。「閉店の知らせ」が貼り出されたのは、すでに閉店した後だったため、31日が最終日だと知らずに店の前を通り過ぎていった人も多かったに違いない。
それでも最終営業日の昼時は、事前に情報を掴んでいたと思われる学生やOBたちで賑わっていた。その多くが惜しむように味わっていたのがカツ丼である。
諸説あるが、三朝庵は「カツ丼発祥の店」としても知られている。早稲田の地でカツ丼が産声をあげたのは1918年(大正7)。急なキャンセルにより大量に余ってしまったトンカツを、学生のアイデアによって卵でとじたことから誕生したという。
さらに驚くことに、三朝庵は「カレー南蛮」も生み出したと言われている。新しくできたカレー屋に奪われた客を奪い返すため、試行錯誤の末に誕生したのだそう。
いずれにせよ、早いうちから今日の日本食に貢献するような独創的なメニュー作りに励んでいたことは確か。その姿勢もあって、現在まで客の胃袋を掴んで離さなかったのだろう。
三朝庵が存在しなければ、早稲田だけでなく、きっと日本の食の風景もまったく違うものになっていたはずだ。
早稲田大学創設者の大隈重信も、三朝庵に魅せられた一人であった。大隈はたびたびこの店の蕎麦を学生に振る舞ったといい、店の外には「元大隈家御用」という看板も掲げられている。
実は、創業から大隈とは浅からぬ縁があった。もともと店の土地を所有していたのが大隈で、1906年に初代店主がこの土地を借り受ける形で、三朝庵はスタートしたのだ。