山小人(ドワーフ)の姫君 作:Menschsein
<< 前の話 次の話 >>
広場にアインズ・ウール・ゴウンが現れたのに最初に気付いたのは、ネムだった。
「アインズ様」という声とともに、アインズの元へと駆け寄るネム。
「久しぶりだな、ネム・エモット。少し身長が伸びたのではないか?」とアインズはガントレットを嵌めたままではあるが、ネムの頭を撫でる。
「えへへ」と、ネムも嬉しそうである。
アインズが村に来たことを気付いた村人も、作業を止めてアインズの周りに集まる。そして、アインズに対して各々感謝の言葉を伝えている。エンリもアインズ様が到着されたという知らせを聞いて、慌てて駆けつける。
「やぁ、エンリ。まずは謝罪させて欲しい。私のせいで、この村が襲われたようだな」とアインズは、まだ屋根の修復が終わっていない物見やぐらを暫く見つめてから、軽く頭を下げた。
「あ、頭を上げてください。わ、悪いのは王国だと思います」とエンリは言いながらも、王国軍によって殺された仲間のことを思い出し、自然と涙が浮かぶ。ずっと、そのことを考えないように、考える暇がないようにと、あの日以来働いていたエンリだった。村長である自分が暗い顔をしていてはいけないと、常に笑顔を心がけていた。ずっと張りつめていた緊張感が、一挙に安心感へと変わる。
アインズ・ウール・ゴウン様が来てくれたからもう安心だ、そんな気持ちになった。村長という重荷が、一時的にとはいえ、エンリの肩から重荷が下りたような気がした。
涙ぐんでいるエンリに対して、「すまない。もっと早く来るべきだったな」とアインズはエンリの頭に手を置く。エンリの想像を絶する偉大な魔法詠唱者《マジック・キャスター》であるアインズ・ウール・ゴウン様、その手が自分の頭に優しく置かれる。エンリは、薬草を上手に石臼で磨り潰すことが出来た日、父に頭を優しく撫でられた感覚を思い出した。姉の様子を見ていたネムも、暗い表情になる。
「エンリよ。この村に徴税吏が来たという報告が入ったのだが、それはどういうわけだったのだ?」とアインズが口を開く。
エンリは目に貯まった涙を右手の人差し指で払い、徴税吏が言っていたことをアインズに説明した。
・
一通りの説明をエンリから聞いたあと、アインズは暫しの間考え込んだ。
「なるほど。臨時の増税というわけか…… だが、妙だな。エ・ランテルの近郊は、魔導王アインズ・ウール・ゴウンの領土となったはずなのだがな」
「そうなのですか?」とエンリは目を丸くして驚く。
「そ、そのはず…… なのだがな」
先の帝国と王国の戦争は、このエ・ランテル近郊の土地がもともとアインズ・ウール・ゴウンの領土であり、それを王国が不当に占拠している、ということから始まった。そして、王国は大敗し、王の直轄領であったエ・ランテルは割譲されて魔導王アインズ・ウール・ゴウンの領土となった…… はずである。戦の当事者である帝国と王国の間で、停戦協定及び領土の割譲に関しての話し合いがもたれ、帝国側が終始有利な状況で話し合いが続いたとアインズは、ジルクニフから聞いている。
「今日からエ・ランテルは魔導王の領土となったよ。同盟国として今後も協力を惜しまないつもりだ。何かあったら、ロウネ・ヴァミリネンに言ってくれ。そうすれば、急ぎ、会談の場を用意しよう」というジルクニフの言葉をアインズは記憶していた。
王国から徴税吏が来たってことは、カルネ村はまだ王国領なのであろう。
近郊って言葉の定義の問題か? エ・ランテルとカルネ村の距離は五十キロ。人の足で二日かかる距離だ。二日かかる距離、通勤圏外って意味では、近郊じゃないな…… 一体どこまでがアインズ・ウール・ゴウンの領土なのだ?
一度、ジルクニフに確認を取って置く必要があるな……。
他に、アインズ・ウール・ゴウンの領土となった村があるのなら、エ・ランテルの都市に凱旋したように、その村が魔導王の支配する土地となったことを知らしめる必要がある。
失態だ……。自分の領土くらい、しっかりと把握しておくべきだった。この世界に対する無知が露呈する危険を考えて、帝国と王国の停戦協定会議に出席しなかったのは愚かなことだったようだな。
「一応確認するが、徴税吏が来たというのは何かの間違いということではないのだろう?」とアインズはエンリに念を押す。
鈴木悟の勤めていた会社ではよくあることだった。部門ごとに情報や指示が縦割りとなっており、部門間での情報のやりとりが少ない。領土が割譲されたという情報が徴税をしている部門に行かなかっただけ、何かの間違いであった可能性もある。
「はい。徴税吏が投げ捨てていった徴税書で確認しました」とエンリは、持っていた徴税書を広げ「えっと、ここにカルネ村って書いてあります」と、徴税書を指で示した。
「なるほど。間違いというわけではなさそうだ」とアインズは納得したように頷く。
文字は読めないけれど……。そして、「文字を勉強したのか?」とアインズは尋ねた。
「ンフィーに教えてもらっているんです。少しずつですが……」
エンリは少し恥ずかしくなる。最近は、文字を学ぶということよりも、ンフィーレアが香辛料を作る魔法を使えるようになり、文字の勉強の合間の休憩に出される砂糖を舐めるために、文字の勉強を続けているようなものだ。
そしてそれをネムに話したら、ネムまで文字の勉強をしたいと言い始めた。そのことをジュゲム達に話したら、「姉さん、そりゃー、ンフィの兄さんが気の毒ですよ。せっかくの二人っきりのシュガータイムだったのに」と言っていた。それを聞いたエンリも、物覚えの悪いのが一人増えて、ンフィーの負担も増えてしまうということに気付かなかった自分の至らなさを反省をしていた。研究をもっとしたいのに、時間を割いて文字の勉強を教えてくれる。なんて素敵な恋人なのだろうと思う。ンフィーを逃したら、絶対にダメだと改めて決意もした。
「村長として、文字は読めるべきだろうな」
(俺だって、ユグドラシルの文字の読み書きは出来た方がいいって分かっているんだ。だけど、忙しくてそれに手が回っていないだけなんだ……)
「私も勉強してるんだよ!」と、先ほどまで大人しく二人の話を聞いていたネムが、アインズに構って欲しそうに会話に割って入ってきた。
「凄いじゃないか、ネム。学びの秘訣は、学べるときに学んでおくということだ。いざ学ぼうとしても、金がなかったり、時間が無かったりして学ぶことができないからな」
(あと、DMMOーRPGにハマったりとかね……)
「ネム、がんばる。頑張って勉強をして、アインズ様のメイドになる! アインズ様のメイドになれなくても、アインズ様の仲間の方たちのメイドになりたい」
「ネム! 私達は単なる村娘なのよ!」とエンリは叫ぶ。
ルプスレギナさんやユリさんを始め、ナザリックでアインズ様に仕えているメイドは、絶世の美女だ。身内の贔屓目をしたとしても、ネムとアインズ様のメイドとでは、天と地ほどの差がある。容姿で完全に見劣りしている。
さらに、ナザリックの応接室に案内された際の、メイドが紅茶を淹れてからそれを差し出すまでの流れるような洗練された所作。訓練というより、育ちの良さのような、貧しい村の娘との間にある絶対的な溝をエンリは感じていた。
「はっ——はははは!」
広場に朗らかな笑い声が響き渡る。
「可能性を狭めることはないぞ。楽しみにしているぞ」とアインズはネムの頭を撫でながら機嫌が良さそうに答えた。
「あの、アインズ・ウール・ゴウン様。実は、お願いしたいことがあるのですが……」と、エンリは胸の内に秘めていた懸案事項の話を切り出す。最大の理由が、アインズ様の機嫌が良さそうであったことだ。この村の危機を何度も救い、高価なマジック・アイテムを下さる方なので、エンリの願いなど容易いことだと簡単に叶えてくれるような方であるということは十分理解している。しかし、村長として、村人のちょっとした争いなどを調整するという働きをしているうちに、人は機嫌が良いときほど寛容になれるということを学んでいた。いまがチャンスだ、とエンリは思った。
「ん? なんだ? 言うだけなら無料《ただ》だぞ? それに、私が聞き届けられないほどの願いなのかな?」とアインズは機嫌良さそうに答える。それに、言外《げんがい》に、自分自身に聞き届けることができない願いなど存在しない、というニュアンスを含ませているような物言いだ。
「実は、小鬼将軍の角笛を吹いて現れたゴブリンさん達のことなんですが、数が増えすぎて、村の食料が足りないんです……」
(え? えぇ? 王国からの徴税吏を追い返したというから、その分をエ・ランテルの食料の足しにしようと思って急いでこの村に来たのだが……。カルネ村も、エ・ランテルも、食料不足とは……)