山小人(ドワーフ)の姫君 作:Menschsein
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目の前に差し出された魚。その長さは1メートルをゆうに超えている。肉付きもよく、たっぷりと餌を与えられて育てられたということが分かる。人間一人ではそれを食べきることはできない量だ。
困ったな、というようにアルベドとコキュートスを見るが、アルベドは満足そうに微笑んでいる。どうやら、自らが仕える主人に対して捧げ物が贈られるということに対して満足しているような顔である。
コキュートスの表情は分からないが、この村を支配せよというアインズの指示を順調に遂行しているという満足感を得たのであろう。コキュートスの口から冷気が噴き出ている。
捧げ物の謝絶…… という選択肢はないんだよね、きっと……。
思い切って齧りつくか? いや、でも、口に入れても直ぐに肋骨の間を通って、そのまま地面に落ちるだけだ。それに、生きている魚を丸かじりするのは、鈴木悟として躊躇われる。日本人は刺身という文化がかつてはあって、魚を切って生でも食べたということは知っているが……。
「お前達の忠誠を受け取ろう」とアインズは決心する。もう、やけくそである。
アインズは、魔法の効果によって雄の蜥蜴人《リザードマン》が両手で持っている魚を宙に浮かせ、焼夷《ナパーム》を唱えた。火柱が天空めがけ吹き上がり、そして空中に浮いている魚をも飲み込む。
もったいないと思われるかもしれない、というアインズの思いとは裏腹に、「おぉ」という喜びの声とともに、クルシュ・ルールーと魚を運んで来た蜥蜴人《リザードマン》は平伏す。
突如、空に届くほどの火柱が集落の中から起こったことで、集落の中にいた蜥蜴人《リザードマン》達も集まってくる。そして、集まってきた蜥蜴人《リザードマン》も火柱の理由を悟ったのか、地面に平伏して「偉大なるかな、偉大なる方。偉大なるかな、偉大なる方」と口々に唱え始める。
魚は、グリルどころではなく、魚の骨までもが灰となるまで燃え尽き、その灰は風に流されて湖へと運ばれていく。
火柱が消失した後、「我等の忠誠を受け取っていただき感謝します。どうかこれからも我々をアインズ様の所有物としてくださいますように、心からお願いもうしあげます」とクルシュ・ルールーが言う。
ど、どうやら燃やし尽くす、で正解だったようだな、アインズは安堵のため息を吐く。
タブラ・スマラグディナさんの神話雑学の一環で、神に捧げものをする場合、その捧げ物を焼き尽くすという方法をとる習慣を持った民族がいるということを聞いたことがあった。それとは別に、海や川などの周辺に住む人は、船に捧げ物を乗せて、沖に流したり下流へと流したりするということも聞いたことがあった。
「その場で食べる」という選択肢以外では、焼くか船で流すか、この二択のどちらかであったが、どちらが良いのかアインズには見当もつかなかった。船を準備させて、それに乗せる手間を考えたら魔法で焼いてしまった方が早いと思った。それだけだけの理由で焼く方を選択したが、何とか捧げ物を受け取るという意味で正解だったようだ。
「それで…… 魚はどれくらいの収穫が見込めるのだ?」とアインズは平伏しているクルシュ・ルールーに訪ねる。
「稚魚の養殖が成功しましたので、来年には食料を戴かなくても個体数の二倍の食料を賄うことができる見込みです。稚魚から食べるのに適した成体になるまで二年。収穫できる成体の生け簀。一年育てた生け簀、一年未満の生け簀など、生け簀を魚の成育状況によって分けて管理し、安定して収穫できるようなサイクルを作っていきます」とクルシュ・ルールーが生け簀を指差しながら説明していく。
来年で個体数の二倍か、とアインズは話を聞きながら頭の中で落胆をする。エ・ランテルで食料が足りないのであれば、蜥蜴人《リザードマン》が飼育しているこの魚をエ・ランテルに供給しようというアインズの考えであった。しかし、蜥蜴人《リザードマン》とエ・ランテルの人間の個体数に差がありすぎる。収穫された魚の半分をエ・ランテルに供給したとしても、エ・ランテルの住人の一日の食料程度であろう。
かと言って、ダグザの大釜で作り出した魚をエ・ランテルに供給するわけにも行かない。
ナザリックのダグザの大釜で作り出す魚は、内臓が無い魚だ。実験の一環で、セバス直轄の仮メイドであるツアレニーニャにそれを料理せよと命じたことがあった。その際、ツアレニーニャの表情は僅かに歪んだ。これを料理して食べるのですか? というような、その魚に対する生理的な拒否反応があった。アインズを始め、ナザリックの異形の者たちにツアレニーニャは畏怖はしている。だが、その魚に対しては別の種類の嫌悪感を抱いているのは明白であった。
同じ異形のものであっても、自らより強者に対しては畏怖を、自らより弱いものには嫌悪を持つ。人間とはこれだから、とアインズは内心呆れたが……。
そして、ツアレニーニャが料理したものを、ツアレニーニャ自身が食べて、味などを報告せよと命令もした。ツアレニーニャのフォークが一向に進まない様子をみて、アインズはこの案の失敗を悟った。せめて、味が良ければ加工してからエ・ランテルに運ぼうかと思ったが、人間の味覚では、その魚は泥のような匂いが強く、率直に言って、とてつもなく不味いらしい。
蜥蜴人《リザードマン》の集落の魚をエ・ランテルに供給するというのは、現状では難しいという結論に達せざるを得ない。少なくともそれを可能にするためには、もっと生け簀を大量に作る必要がある。五、六年は必要だろう。
エ・ランテルの食料事情の問題は、一旦保留か……。いや、だけど人間は、飲食不要って訳じゃ無いしな……。
「素晴らしいぞ。今後も蜥蜴人《リザードマン》の集落が繁栄することを許可しよう」
「慈悲深きお言葉、感謝を致します」
「ときにクルシュ・ルールーよ。我はこの村を支配下とする際、お前達の同胞を多く殺したのだが、それに対して不満を持っている者などいないか?」とクルシュ・ルールーに尋ねる。これは、部族連合村の連合長クルシュ・ルールーに対してではなく、ザリュース・シャシャを復活させる条件として提示した、「監視者」クルシュ・ルールーに対しての質問である。
「めっそうもございません。この集落の全てのものが、アインズ様の所有物としてくださったことを心から感謝しています」とクルシュ・ルールーが答える。
「それはなぜだ? 嘘を吐いているならば、即座にザリュース・シャシャの命は失われるぞ?」とアインズは問わざるを得ない。はったりだけど……。
さきほどからアインズの後ろで黙って立っていたアルベドから若干の殺気が洩れた。不穏分子がいるなら、アルベドは容赦なく殺すであろう。
アインズ・ウール・ゴウンが、一方的に侵略をしてきた。家族を殺された蜥蜴人《リザードマン》もいるであろう。同胞を殺された恨みもあるだろう。そんな中で支配されることを感謝しているなど、信じる気持ちになれる訳がない。上辺だけ感謝する。面従腹背《めんじゅうふくはい》であることは疑って当然であろう。クルシュ・ルールーの言葉を鵜呑みにするほどアインズも愚かではないつもりだ。
「本当でございます。嘘偽りなどございません。アインズ様を始め、コキュートス様は絶対的な強者。その庇護下に入れば、種族の繁栄は約束されたも同然。それに、強者に従わぬ蜥蜴人《リザードマン》などおりません。我々の先祖を始め、先の戦いで死んだものたちも、アインズ様の所有物となれたことを喜んでいるはずでございます」と、クルシュ・ルールーは必死に説明をする。クルシュ・ルールーは、ザリュース・シャシャを失いたくはないのだろう。そして、嘘を吐いているような気配も感じられない。
(竜牙《ドラゴン・タスク》族は、強者に従うという思想があるとコキュートスが言っていたが、蜥蜴人《リザードマン》という種族としてもその傾向はあるのか? 傾向というか、この場合、習性っていうのかな……)
それに、先ほどからコキュートスに何ら変化は見られない。アインズよりもこの集落のことを熟知しているコキュートスだ。そのコキュートスが、蜥蜴人《リザードマン》に多少の愛着があることを考えたとしても、アインズの不利となることを看過したりはしないであろう。仮にこの場で、コキュートスに蜥蜴人《リザードマン》を皆殺しにしろと命じたら、それをすぐさま実行するだろう。
コキュートスがこの場で何も言わないということは、クルシュ・ルールーの言葉は信じるにたるということであるとアインズは判断する。
(蜥蜴人《リザードマン》達は、潔いと言えば潔いけど、人間はそんな簡単に割り切ったりしないもんなぁ)
エ・ランテルをどうやって統治するか。今は、“漆黒の英雄”モモンという存在でなんとか不満を抑えているが、限界はやって来るだろう。エ・ランテルの人間達を魔導王に対する恐怖とモモンという希望の両方で支配している。恐怖と希望が天秤の両端に乗ってバランスのとれた状態である。今後、さらに、経済的没落、食糧不足などの問題が深刻化してきたら、希望であるモモン側にエ・ランテルが一気に傾く恐れがある。
「エ・ランテルの住人は腹をくくりました。モモンさんと魔導王の戦いの巻き添えとなっても構いません。思う存分、魔導王と戦ってください」なんて言われた日には、エ・ランテルの住人を皆殺しにするしか方法が無くなる。そして、アンダーカバーとして作り上げたアダマンタイト級冒険者モモンも、戦死扱いにして闇に葬らなければならなくなる。それは避けたい。
蜥蜴人《リザードマン》達を支配した方法で、エ・ランテルを支配するのは難しい。
強者に従うという蜥蜴人《リザードマン》の習性。アインズ、コキュートス、デミウルゴス、ナザリック・オールドガーターなど異種であっても気にしない大雑把な性格。食料不足により、部族間が対立状態であったこと。
それらの要因が重なって、蜥蜴人《リザードマン》の支配は順調に進んだ。様々な要因が偶然かさなったと言っても良い。
「分かった。クルシュ・ルールーよ。お前の言葉を信じよう。これからも、私が与えた役割を忘れるな」
「畏まりました」とクルシュ・ルールーがホッとしたような顔となった。蜥蜴人《リザードマン》の表情に関してはいまいちよく分からないアインズではあるが……。
「さて、この集落を粗方視察したな。そろそろ帰るとする」と転移魔法を使おうとスタッフを掲げた。
「お帰りになるまえに、一つお願いがございます」とクルシュ・ルールーが口を開いた。
「下僕の分際で、偉大なるアインズ様にお願いごと?」とアルベドが後ろから殺気とともに見下すように言った。
「よいのだ、アルベド。私は蜥蜴人《リザードマン》の忠誠に満足している。クルシュ・ルールーよ。その願いとやらを言ってみよ。言うだけなら無料《ただ》だぞ?」と左手を軽く挙げてアルベドをアインズは抑えた。
「有り難うございます。あちらにいる子供達に祝福をお与えいただければと思います」とクルシュ・ルールーは言った。
クルシュ・ルールーが示す方向には、子供の蜥蜴人《リザードマン》が何人もいた。中には、産まれたばかりとも言えるような、自らの二本足だけでは立つことができず、両足と尻尾でなんとか二足歩行しているような蜥蜴人《リザードマン》の子供もいる。しかも、どうも親子連れで来ているようだった。
(え? 子供に祝福? 意味が分からないのだけど……)
遠巻きに見ている蜥蜴人《リザードマン》の親子。親の目には、懇願の色が浮かんでいる。アインズが願いを聞き届けてくれると期待しているのだろう。親の蜥蜴人《リザードマン》達の尻尾が、子犬の尻尾のような動きをしている。
「よかろう……」とアインズは答えた。
「ありがとうございます。みんな、こちらへ」とクルシュ・ルールーが親子達に向かって手招きをする。
すると、まるで行列にでも並ぶかのように、蜥蜴人《リザードマン》の親子達がアインズの前に並び始める。
「偉大なる蜥蜴人《リザードマン》の支配者であるアインズ様。どうか、息子が強き戦士となれるように祖霊のお守りを」と親だと思われる蜥蜴人《リザードマン》が熱のこもった口調で言う。
「うむ。あいわかった」と棒読みで答えるアインズ。モモンガは、設定上は、人間のアンデッドであって、蜥蜴人《リザードマン》の祖霊なるものと縁もゆかりもない。『祖霊の守りを』なんて言われても、どうしようもない。頼む相手を完全に間違っているとしかアインズには思えなかった。
「アインズ様、どうかこの雌《むすめ》に祖霊の守りを」と雌親が子供を連れてきて言う。
「うむ。あいわかった」
長い蜥蜴人《リザードマン》親子の行列。何がどうなっているのか分からないが、蜥蜴人《リザードマン》親子達は喜んでいる様子だし、もうどうでもいいや、とアインズは考えるのを放棄し、「うむ。あいわかった」と良いながら頷くことに専念した。鈴木悟のサラリーマン・スキルを活用して、なんとかその場をやり過ごすことに徹する。
長い行列の最後尾。それは、クルシュ・ルールーであった。
「アインズ様。どうか、産まれてくる子に祖霊の守りを」と言った。
よく見ると、クルシュ・ルールーのお腹は膨らんでいる。人間の体格で考えるなら、臨月を迎える妊婦といえるだろう。
(蜥蜴って、産卵するんじゃないんだな…… 胎生なのか……?)
「ザリュース・シャシャとの子か?」とアインズは尋ねる。そういえば、蜥蜴人《リザードマン》の集落を攻める前に、そういう光景を目にした覚えがあった……。
「はい」とクルシュ・ルールーは答える。蜥蜴人《リザードマン》の表情はよく分からないが、尻尾から判断するに恐らく照れているのだろう。
「おめでとう、と言うべきだな。それに、身重で案内を頼んですまなかったな」とアインズは素直に謝罪した。
「謝罪など不要でございます。実は…… 産まれてくる子の名付け親になっていただきたく思います」とクルシュ・ルールーは言う。
「う、産まれてくる子は、雄なのかな? 雌なのかな?」とアインズは動揺しながらも答えた。
「まだ分かりません。お願いできますでしょうか?」
「う、うむ。お、雄なら…… リザオ。雌なら、リザコではどうだろうか?」と、アインズは答える。
「ありがとうございます」とクルシュ・ルールーは地面に平伏す。喜んでくれてはいるようだが、リザオとリザコでいいのだろうかと逆にアインズが心配になる。
「で、では、私は帰るとする」とアインズは宣言をした。この場から早く逃げ出したかった。
「私ハ、リザードマンタチノ訓練ノ様子ヲミテカラ、ナザリックヘト帰リマス」
「コキュートスよ。お前の働きに私は満足している」
「アリガタキ、オ言葉」とコキュートスが膝を突いた。
「では、さらばだ」とアインズは言って、転移魔法を展開した。そして、両手を頬に当てて、真っ赤な顔をしながら『私もいつか、愛しのアインズ様との子を…… その為には、その為には…… 夜伽を……』と放心状態で呟いているアルベドを引っ張って、アインズはナザリックへと逃げるように帰った。