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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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外伝:頑張れ、エンリさん-3

 城塞都市エ・ランテルはその名に相応しい3重の城壁を持っている。その城壁に取り付けられた門は、外周部分にあるものが最も強固かつ巨大であり、その前に立てば圧し掛かってるような無骨な重厚感に満ち満ちていた。

 旅人が門の前で口をぽっかりと開けている光景が、さほど珍しいものでもない。まさに帝国が攻めてきても跳ね返せると、称される門である。


 そんな門の横手には検問所が設けられており、中では幾人もの兵士が日差しを避け、のんびりと寛いでいた。

 前線にも成りかねない都市の兵士にしては弛んだ空気ではあるが、検問所にいる彼らの役目は旅人のチェックである。違法な荷物の運搬や、他国のスパイ等の発見を仕事としている以上、都市に入る者がいなければ仕事は無いも同然だ。

 確かにこの検問所に努めることとなる兵士は特別なセンスを持つ、ある意味兵士の中でもエリートではある。そんな人間を遊ばせておくなんて勿体ないことがあるだろうか、という疑問は生じよう。しかし資料作成は上の仕事であり、肉体労働担当の彼ら――一般の兵士の仕事はやはり相手がいなければ意味の無い単純な作業がメインだ。

 都市に入る者がいなければ暇を持て余してしまうのも、仕事上仕方が無いことなのだ。


 では遊ばせないでせめてもの仕事として、周辺の警戒に当ててはどうかという疑問もあるだろうが、その仕事は城壁に立った歩哨が行っている。これは検問という仕事に熱中できるようにという寸法のためだ。


 そんな訳で、仕事の一切無い彼ら一般の兵士は――流石にカードゲームといった暇つぶしの遊びをしている者まではいないが、口からもれ出る欠伸を隠そうともしていなかった。

 勿論、現在は暇そうにしているが、忙しいときは非常に忙しい。特に早朝、門が開くぐらいの時間の忙しさは筆舌に尽くし難いほどなのだが。



 日差しが天空の最も高いところに昇りつつある、少しばかり暑くなってきた頃。


 机の上に肘をつき、ぼんやりと何も填まっていない窓から外を眺めていた兵士の1人が、ポコポコという音が似合いそうな雰囲気で荷馬車が一台、エ・ランテルに向かって進んでくるのを発見する。御者台には1人の女性の姿。幌の無いむき出しの荷馬車の上にも人が乗っている影は無かった。

 女性は武装をしているようには見えない。そこから推測される答えは――


 どこぞの村娘か。


 ――兵士はそう考え、自らの考えに頭を傾げる。

 近隣の村の人間が来ることはさほど珍しいことではない。しかし、女1人となると話が変わる。エ・ランテル近郊といえども野盗やモンスターが絶対にいないということは保障できない。そんな中、1人で向わせるだろうか。

 兵士は疑問を抱いたまま、視線を動かし、馬を見据える。そしてそこで再び混乱した。


 馬はやけに立派なもの。単なる村娘が持つことが出来るようなものではない。その体躯や毛並みは軍馬を思わせる。

 軍馬にもなれば購入するとしても、非常に値が張る。そして手に入れようとしても単なる一般人にはそう簡単には回されはしない。ワイバーンやグリフォンに代表されるモンスター系の騎乗動物を除けば、乗騎としては最高峰の存在を容易く手に入れるのが困難なのは道理なのだ。

 そんな軍馬を手に入れられる存在、それは基本的に何らかのコネ等があるものだけだ。

 奪えばという考えもあるかもしれないが、それだけの財産を奪った場合の報復は絶するもの。盗賊等も軍馬らしきものに乗っている人物には手を出すのを控える事だってあるほどだ。


 以上の件から、それだけの価値がある軍馬を所持する者が村娘であるはずが無い。となると考えられるのは、村娘の格好をしているが中身はまるで違うという予測が立つ。

 ここでヒントとなるのは、1人で旅をしてきたという点だ。つまりは自分の腕に自信があり、装備品に左右される存在では無いということだ。

 即ち、魔法使いに代表される、武装に左右される職業で無い存在。

 これは納得のいく答えだ。なぜなら魔法使いが良くなる職業である、冒険者等であればコネや金銭的な面もクリアでき、軍馬を手にいれることも用意だろうから。


「ありゃ、魔法使いかなんかか?」


 隣に来た同僚が、兵士も思っていた同じ疑問を口に話しかけてくる。


「かもしれないなぁ」


 僅かに眉を寄せて兵士は返答する。

 スペルキャスターは魔法こそが武器であり、場合によって武装した戦士よりも危険な存在だ。そして検問するには難しい相手でもある。

 まず第1に武器が魔法という――内面にあるもので発見することができない。つまりはどれだけの武器を所持しているか不明であること。

 次に魔法によって何らかのものを持ち込もうとしている可能性があり、それを発見するのが困難なこと。

 第3に専門的な持ち物が多く、かなり面倒な手続きを必要とすることなどが上げられる。


 正直に言ってしまえば、検問として持ち物を検査するには最も嫌な相手だといえよう。だからこそ魔術師ギルドから人員を借りてきて、協力を仰いでいるのだが……。


「アイツ呼ぶのか? いやだなぁ」

「仕方ないだろ? 魔法使いじゃないと判断して、通した後で問題になったら厄介なんだからな」

「魔法使いも魔法使いって格好してくれればいいのにな」

「怪しげな杖を持って、怪しげなローブで全身を包む?」

「そうだな。そりゃ見るからに魔法使いだ」


 互いに笑うと、今まで座っていた兵士は立ち上がる。それは今から来る魔法使いらしき少女を迎えるためだ。




 兵士達が見守る中、馬車は門の前まで進み、動きを止める。

 御者台からは少女が降りる。額には汗が僅かに滲み、日光下を旅してきたのが一目瞭然だった。日差しを避けるためだろう、長袖長ズボン。そのどれもあまり良い仕立てではない。どう見ても単なる村娘だ。

 しかしながら中身は違うかもしれないし、何かを隠しているかもしれない。

 兵士は油断無く少女に近づく。


「まずは色々と聞きたいことがあるので、向こうで構わないかね?」

「はい。構いません」


 兵士は少女を連れ立って詰め所に歩く。

 魅了等に代表される精神操作系魔法を警戒し、後ろから数メートル以上離れたところから別の兵士が2人を追いかけ、他の兵士達も少女が変な行動を取らないか、さりげなく横目で様子を伺う。

 そんな強い緊張感が漂っているのを感じ取ったのか、少女が首を数度かしげた。


「……どうかしたかね?」

「え? あ、いえなんでもないです」


 この微妙な空気を感じ取ったとすると、やはり只者ではないのか。そんなことを考えながら兵士は少女を連れ、詰め所に入る。

 直射日光下で無い詰め所は、外に比べて若干涼しい。

 ひんやりまではいかないが、涼しい空気に触れ、少女がふぅとため息のようなものを漏らした。


「ではそこに座ってもらえるかな?」

「はい」


 部屋に置かれていたイスの1つに少女が座る。


「まずは名前と出発した場所の名前を聞こう」

「はい。エンリ・エモット。トムの大森林近郊にあるカルネ村から来ました」


 兵士達が目配せを行い、1人が部屋の外に歩いていく。台帳に記載されているかどうかを確認しに行ったのだ。


 王国では一応は住民を管理するために台帳を付けている。

 一応というのはかなり大雑把なもので、生死に関する情報の更新が遅かったり、抜けていたりする場合が多いためだ。そのため、死んだ人間が生きていると思われたりというのはある意味日常茶飯事の出来事なのだ。それにかなり離れた都市にもなれば、情報が流れるのが非常に遅かったりもし、抜け落ちている部分が非常に多いとされている。

 王国の人口はその台帳で管理しているのだが、およそ数万単位で狂っているという試算もでているほどだ。

 そのため信頼しすぎるのは非常に不味いが、ある程度の役には立つという類のものと成り果てていた。

 そんな信用性の無い台帳の癖に、量だけはしっかりとある。その結果、調べ終わるまでにある程度の時間が掛かる。それを充分理解している兵士は、別の件から先に済ませていこうと、口を開く。


「まずは都市への通行料として足代を支払っていただきたい。人間が2銅貨、馬が4銀貨だ」

「はい」


 少女は懐からみすぼらしい皮袋を取り出し、口を緩める。その中からちょうど6枚の硬貨を取り出した。日差しを浴び、鈍く輝く硬貨を兵士に手渡す。

 皮製の手袋の上に置かれた硬貨を、しげしげと確認し、兵士は頷くと硬貨を自らの隣に置いた。


「確かに。次はエ・ランテルに来た理由なのだが」

「はい。私のとった薬草を売りに来ました」


 兵士は窓の外、荷馬車の方に目を送る。そこでは壷を動かしたりと幾人もの兵士が動いている最中だった。


「その薬草は名前と、壷の数を教えてもらえるかな?」

「はい。ニュクリが4壷、アジーナが4壷、それとエリエリシュが6壷です」

「エリエリシュが6?」

「はい」


 自慢げにエンリの顔が緩む。それを目にし、当然かと兵士は納得した。

 検問所に努める以上、当然として薬草に関する知識はある程度この兵士も持っている。エンリの言ったエリエリシュに関しても当然、知識にある。


 エリエリシュはこの時期の非常に短期間しか取れない薬草だが、治癒系のポーション作成には欠かせない薬草だ。そのため、非常に高額の値がつくものである。

 それを6壷ともなれば、内容量の多さにも当然よるだろうが、金貨100枚はくだらないはずだ。


「で、何処にもって行くつもりなんだ?」

「いつも卸している方がいますので」

「そうか……」


 ここから先に踏み込む必要もないかと兵士は判断する。実際、彼らの仕事は危険なものが中に入ることを阻止するのが仕事であり、中に入ったものの先を追うのは管轄外だ。今回の薬草には無かったが、興奮剤等に使用される薬草の場合、聞く方が拙いだろうということもあるのだから。


 兵士はふむ、と頷き、エンリの表情から目をそらす。

 今聞いた薬草は全て常用性等の危険性の無い薬草だ。

 そして聞いた話に怪しいところは無い。エンリの表情にも嘘をついている気配は無かった。

 壷の中に壷を隠したりしていないか、本当に言った薬草のものなのか、のチェックさえ終わってしまえば、彼の仕事は一先ずは終了だろう。次に任せる相手は決まっている。


 そんな時、ちょうど良く戻ってきた兵士が一度だけ頭を縦に振った。

 それはエンリという女性の登録があるということ。

 兵士は返答として頷く。


 ただ、これはカルネ村でエンリという女性が生まれたという記録にしか過ぎない。目の前にいる女性をエンリという人物だと保証するものでもなければ、エンリという女性がどのような人生を歩んできたかを保証するものでもない。

 もしかするとエンリという名前を使っているだけの人物かもしれないし、もしかすると生まれて直ぐに殺し合いの道に進んだ結果、血塗れのエンリといわれるような人物へと成長したかもしれないのだから。


 だからこそ最後にもう一つだけ調べる必要がある。


「了解した。ではあの方を呼んできてくれないか?」


 兵士は頷き、再び部屋を出て行く。


「これから荷物のチェックを行いたいのだが、良いかね?」

「え?」


 エンリは不思議そうに顔を歪めた。兵士は慌てて、自らの言葉に補足を入れる。


「あっと、別に何か問題があったわけではない。すまないがこれも規則でね。大したことをするわけではないから、安心して欲しいんだ」

「……そういうことなら、了解しました」


 エンリが納得したのを見て、兵士は内心で安堵の息を吐く。魔法使いかもしれない人物を好き好んで怒らせたくはないのは当然の考えだ。

 エンリと兵士。互いに何も話さず、沈黙が部屋を覆う。両者がそのあまりの空気に耐えかね、話題を探し始めた頃、先ほどの兵士がもう1人、男を連れて戻ってきた。


 それはまさに魔法使いだ。

 突き出したような鷲鼻、げっそりとした顔色の悪い顔にはびっしりと汗が噴いている。その鶏がらを思わせる手でねじくれた杖を握り締めていた。服装は怪しげな三角帽子を被り、熱そうな黒いローブを纏っている。

 兵士の個人的な感想ではそんなに熱いなら服を脱げば良いじゃないかとも思うのだが、個人的にその格好には思い入れがあるのか、魔法使いは頑なに格好を止めようとはしない。その所為か、魔法使いが入ってきた直後から、部屋の温度が数度上がったような気分さえする。


「その娘かね?」


 魔法使いの静かに語る声は、非常に違和感を感じさせた。

 外見年齢は推測するに20代後半だろうと思われるのだが、非常にしわがれた声で年齢の推測すらできないものなのだ。外見年齢が嘘なのか、それとも声が枯れているだけなのか。


「えっと……」


 エンリは驚いたように現れた魔法使いと、兵士を見比べる。兵士は驚くのも仕方が無いだろうと、内心頷いた。兵士も、魔法使いの声を初めて聞いた時驚いたものなのだから。


「こちらは魔術師ギルドから来ていただいている魔法使いの方です。簡単に調べていただきますので、少々お待ちください」兵士はエンリにそのまま座ったままでという合図を送ると、そこで魔法使いに軽く頭を下げる。「ではお願いしても?」

「当然」


 魔法使いは1歩前に出ると、エンリに正面から向き直る。そして魔法を詠唱した。


「《ディテクト・マジック/魔法探知》」


 そして魔法使いの目が細くなった。それはまるで獲物を狙う獣のようでもあった。そんな兵士ですら身構えたくなるようなものを向けられても、エンリに驚きは無い。

 それを見た兵士の心にやはりか、という思いが強まる。

 これだけの強烈な視線を向けられてなお、平然としてられる者が単なる村娘のはずが無い。最低でもモンスターと対峙したりしてきたものでなければ、この視線を受けてどうどうと出来るわけがないだろう。

 つまりこのエンリという少女は最低でも命の奪い合いに生きたことがあるということ。そこからの答えは、やはり魔法使いの可能性が高いということだ。


「我が目は誤魔化されん。そなた、魔法の道具を隠し持っているな。腰の辺りにな」


 エンリが初めて驚き、腰の辺りに目を落とす。

 兵士は僅かに身構える。剣とかの武器なら理解の範疇だが、マジックアイテムとかになれば兵士の知識の中には無いもの。人が未知を恐れるように、兵士も未知を恐れたのだ。


「これのことですか?」


 エンリが服の下からすっと出したのは、両手で隠せる程度の小さな角笛だ。みすぼらしい外見であり、兵士からすればチラ見で流してしまいかねないものだ。


「……これがマジックアイテムなんですか?」

「左様。外見に騙されてはいかぬ。これはなかなかの魔力をもっておるわ」


 兵士は瞠目する。この魔法使いがなかなかというほどのアイテムだ。どれだけの力を内包しているというのか。

 兵士はまるでみすぼらしい外見をわざと取っているようにも思え、刃物を突きつけられたような寒気を感じさせた。


「あ、それは――」

「無用。我が魔法は全てを見抜く」


 何か話そうとしたエンリを黙らせると魔法使いは再び魔法を発動させる。


「《アプレーザル・マジックアイテム/道具鑑定》。――むぅ」


 そして静けさが室内を支配した。

 魔法使いは黙り、その答えを待とうと兵士も黙り、エンリの結果を待って黙る。

 30秒ほどだろうか。やけに長く感じる空白の時間が過ぎ去り、魔法使いは口を開いた。


「これはゴブリンの群れを召喚するマジックアイテムだな?」

「そうです」


 エンリが僅かに驚いたように口を開く。


「なるほど。……都市内で使用する気……」

「ありません!」

「ふむ……。兵士よ」

「なんですか?」

「これはゴブリンを召喚し、使役するタイプのアイテムだ。どれだけの数を召喚するかまでは不明だが、即座に危険なものではない。ただ、突如として都市内でゴブリンが暴れるようなことがあれば、この者を重要参考人として捕縛すればよかろう」

「そうですか」

「とりあえずは即座に危険を発するものは持ってはいないし、持ち込もうとする気配はない。わが意見としては通しても問題はなかろうというものだ」


 マジックアイテムの知識としては魔法使いの方がはるかに上である。その人物がそれが良いと言うなら、無理に反対意見を押し出す要因もないし、受け入れるのが一番だろう。


「了解しました。お疲れ様です。エンリさん。これで全て終わりです」

「しかし……」


 何かを言おうとした魔法使いに兵士は尋ねる。


「何か?」

「いや、良い。別に大した話ではない。後はお前の仕事だ」

「……そうですか?」


 釈然とはしないが、兵士は問題が無いと判断された少女を、このまま留める理由も思いつかない。窓の外に目をやれば、荷物のチェックも思っているようで、なんら問題を発見できなかったようだ。


「ではエンリさん。エ・ランテルにようこそ」




 エンリが門を通り、都市の中に入っていく光景を見ながら、兵士は魔法使いに尋ねる。


「……凄いアイテムだったんですか?」

「ふむ……ゴブリンの群れがどれだけの数で、どれだけの強さを持つものかによって評価が変わるが……弱いものではないな」


 軍馬を持ち、凄いかもしれないマジックアイテムを所持する少女。

 兵士は興味を引かれた顔で、魔法使いに尋ねる。


「彼女は一体何者なんでしょうか?」


 魔法使いはローブの下からハンカチを取り出すと、額の汗を拭う。ハンカチが汗を吸って色を変える中、深く思案していた魔法使いはようやく口を開く。


「2つだ」

「は?」


 物分りの悪い生徒に教師が向ける視線をすると、魔法使いは更に先を続ける。


「ここまで1人で旅をしてきたということから推測するなら、まずは1つ目。彼女自身が自らの腕にある程度の自信がある――まぁ、魔法使いであるから一人旅をしてきた可能性」

「そして2つ目。あのマジックアイテムがあるから一人旅をしてきた可能性。前者なら単純だ。単なる魔法使いだと納得がいく」

「しかし若すぎますが?」


 魔法使いは色々と学ばなければならないことがあるために、初級をマスターするのでも成人を過ぎてからというのも珍しくないと兵士は聞いている。それからするとエンリは若すぎるのだ。


「……そこまでの力は無いと思うが、覚えておけ。魔法使いの場合、外見年齢と中身が一致しないことはあり得るのだと。かの偉大なる魔法使い、帝国最高の主席魔法使い。人類最高の魔法使いたるフールーダ・パラダイン老は200を超える年齢の持ち主だが、今だ初老とか聞く」

「つまりは彼女も――!」

「慌てるな」


 興奮した兵士に対し、やれやれと魔法使いは頭を振る。


「先も言っただろう。そこまでの力は無いと思うとな。若くとも才能を持つ魔法使いはいない訳ではない。特に帝国はしっかりとした学院を持っているからな。持っている才をしっかりと伸ばされた、若い魔法使いが帝国には多いと聞く」

「そうなんですか……」


 兵士はこれは記憶にとどめておく必要があると判断する。これからは若い人物でも魔法使いという可能性に関して考える必要があると。


「単なる魔法使いであればまるで簡単に納得がいくわけだ。しかしながら、2つめ。単なる村娘だとすると面倒だな」

「何故ですか? 単なる村娘の方が納得がいくと思うのですが? あのマジックアイテムがあるから一人旅をしてきたと」


 兵士の当然の疑問に、魔法使いはわざとらしいため息を1つつく。愚者を相手にしているような魔法使いの視線を浴び、兵士は一瞬だけ、ムカッとしたものが心中にこみ上げるが直ぐに押し殺す。相手からすれば自分は愚者なのだろうと納得し、次にこんな性格だったなと思い出して。


「もし仮に村娘であれば、その背後にはあれほどのアイテムを容易く渡せる存在がいるということ」

「……それは早計では? もしかすると彼女の家に代々伝わっているものとか、貰ったものとか……」

「どうやってあれほどのものを手に入れるのだ? それにあれは使いきりのアイテムだ。持って歩くのではなく、温存しようとするのが当然だろう?」

「確かに……そう考えると、彼女の後ろに何者かがいるというのが納得がいきますね」


 それなら全て理解できる。しかしそうなると、先ほどの魔法使いの面倒だというのは後ろにいる人物に向けた言葉なのだろうか。


「後ろに何者かがいるとすると……やはりあの娘は只者では無いかもしれんな」

「……何故ですか?」

「……最低でも金貨数千枚にも及ぶマジックアイテムを、単なる村娘にそなたなら貸し出せるか?」

「数千?!」


 驚愕の叫びが兵士の口から思わずこぼれる。

 マジックアイテムの金額が張るのは当然、兵士だって知っている。ただ、この詰め所に置かれたポーション系のアイテムは最高でも金貨150枚。比べるのが馬鹿みたいな金額の差だ。

 冒険者であればそれだけのアイテムを持っているものもいるだろう。しかし、それでもかなり上位か、幸運に恵まれたもの、バックにそれだけのパトロンがいる場合に限られるだろう。


「つまりはそれだけのアイテムを渡しても惜しくは無い存在だということか、はたまたはそれだけしても守りたいと思われるような存在か」

「…………」


 兵士は言葉無く、エンリの背中を捜し、都市を見る。無論、そこにはもはや姿はない。


「尾行させた方が良いでしょうか?」

「それは……われに聞く質問ではないな。そなたらが決めるべきだろう。ただ、怒らせない方がいいと思うぞ」

「ですか……」


 その言葉を聞き、兵士は再びエンリの背中を捜す。無論、結果は先ほどと同じだ。

 兵士はエンリの顔を思い出し、しっかりと心に刻み込んでおく。外に出ていくときは問題が無いだろうが、再びこの都市に来たとき、何かが起こるのではという予感を覚えながら。





 エンリはポクポクと馬車に揺られながら、通りを進んでいく。

 エ・ランテルは大きく3つの区画に分かれている。その中央区画は都市に住む様々な者のための区画だ。街という名前を聞いて一般的に想像される映像こそ、この区画である。

 その通りの一本のある店――村長に教えられた場所を目指しているのだ。


 目的地。それはエ・ランテルでも最も知られた薬師兼ポーション職人である、リィジー・バレアレの家だ。

 基本的に職人はギルドというものに所属するのが一般的ではある。これは仕事の奪い合いを避けるためや、物品の販売価格を調整するために組まれるものだ。しかしながら薬師の場合は、数が少ないためにギルドが作られることは少ない。

 しかしエ・ランテルのように前線基地にもなる都市となると、薬師の数は通常の都市に比べて数が多くなる。その結果、薬師のギルドのようなものも出来上がるのだ。

 エンリがリィジー・バレアレの家を目指すのも、薬師たちの小さなギルドの長のような仕事を行っており、ポーションや薬草の流通を管理している面があるからだ。

 どこかの薬師と深い繋がりがあれば、別にリィジー・バレアレの元に行かなくても良いだろうが、カルネ村には残念ながらそういったコネが無い。そのため取れた薬草は、リィジー・バレアレの元に降ろすのが基本となっている。


 やがて通りに奇怪な匂いが付き始める区画に差し掛かる。

 僅かに軍馬がこの先に進むことを嫌がる気配を見せるが、エンリの手綱によって不承不承進みだす。

 空気に付けられた匂いは何らかの薬品や潰した植物のもの。それはこの辺りが、薬師たちの並ぶ区画だということの証明だ。


 エンリはそのまま左右をきょろきょろしながら、ゆっくりと進む。やがてこの区画でも最も大きな家の前で、馬車を止めた。

 その家屋は周囲に並ぶものが、前に店舗を後ろに工房を、という感じで立てられたものに対し、工房に工房に工房という感じで建てられていた。


「ここ?」


 僅かに不安げになりながらエンリは馬車を前に寄せると、御者台から降りる。

 扉の横に文字が書かれているのだが、エンリは読むことが出来ない。そのため不安を感じながらも、数度ノックを繰り返す。


 返事は無い。


 再び数度のノック。


 やはり返事は無い。

 これで返答が無かったら、また時間を置いて来るしかない。エンリはそう判断し、再びノックを行う。


 ドタドタと言う音が扉の向こうから聞こえた。そして勢いを込めて、ドアが開かれる。


「――あぁん?」


 やたらとどすの効いた声と共に姿を見せたのは、潰した植物の汁が所々付着し、つーんとした匂いを放つ、ボロボロの作業着を着た女性だ。

 伸びた赤い髪はぼさぼさに乱れ、顔を半分ほど隠してしまっている。その髪の隙間からどんよりと濁りきった目が見える。目の下には凄いクマがあった。

 ぎょろっと半分以上すわった目が、エンリを確認しようと動く。

 顔立ちは非常に整っている。だが、目つきがやたら険しいために、美人というより怖いという雰囲気が先に立ってしまう。いうなら血に飢えた肉食獣系の雰囲気をかもし出している。

 さらにそんな外見であるために数歳は年齢を取っているようにも見えた。全てを差し引いて考えればエンリと同じぐらいか、もしくは若干上だろうという程度だ。

 そんな彼女は口を開く。そこらもれ出た言葉に友好性というものは皆無だった。あるのは純度100%の敵意だ。


「あんた誰よ?」

「えっと――」

「今、すっげぇ、忙しいの。後にしてくれる?」

「あの――」

「あぁん? 話聞こえてなかったのか? あ?」

「あ、いや――」

「とっとと終わらせて、眠いんだよぉお! いま、何時間起きてるか聞きたいか、こらぁ! あ?」

「えっと――」


 駄目だこれ。話を聞く気はまるで無い。

 エンリはそう判断し、どこかで時間を潰そうかと頭の中で半分以上考える。


「それぐらいにしたら?」


 家の中から別の人物の声が掛かる。男のものだ。

 それを聞いた女性の雰囲気が一転する。正面で向かい合っているエンリからすればその変化は、目を見開くようだった。そう、まるで女が無数の化粧道具で顔を整えるような変化だった。

 まず目が見開かれる。そして濁りきって光の無かった瞳に、キラキラと輝く星々が浮かんだ。死体を思わせる色だった肌には、頬を中心に薔薇色の光沢が浮かび上がる。

 そこにいたのはエンリよりも年下かもと思わせる少女。それも美しいもの。


「あ!」


 パタパタと乱れた髪を手で必死に整えつつ、少女は振り返る。


「いたんですね」


 口調も完全に違う。さきほどの人物が幻だったようだ。特にバックに花が咲くような演出効果があってもいいような雰囲気が漂っている。


「うん。疲れてるのは分かるんだけどお客さんみたいだしね」

「そうですね。ちょっと、興奮しちゃいました」


 てへっと少女が頭に軽く手を当てながら、中の男性に対して笑う。後ろでそのエンリが思わず、呆気に取られるほどの変化だ。


「入ってください。さぁ、どうぞどうぞ」


 非常に友好的になった少女に肩を抱かれるようにして、エンリは家の中に連れ込まれそうになる。しかし、まだ入るわけには行かない。エンリは慌てて、少女の家に招こうとする力に抵抗する。


「――馬車に荷物が」

「荷物?」


 ぴたりと力を止めると、少女はエンリの馬車に乗せられた荷物を確認する。


「あれは壷だけど、中に入っているのは薬草?」

「ええ。そうです」

「なら大丈夫。持って行かれても、うちが周りの職人に言えば買い取る人はいないから。その辺は商人も知ってるでしょうしね」


 それって問題の解決になって無いような気がする。

 エンリはそう思いながらも、再び肩に入りだした力に抵抗する気を無くし、家屋の中に入る。

 室内は薄暗く、外の日差しの中を進んできたエンリの目では中を見通すことはできない。数回、瞬きを繰り替えしたエンリの視界に広がったのは、店舗という雰囲気ではない部屋構えだった。

 さほど部屋自体は大きくは無い。

 どちらかと言えば客と話すための応接間だろうか。部屋の中央には向かい合った長椅子が置かれ、壁沿いには書類らしきものが並んだ本棚が置かれている。部屋の隅には観葉植物が置かれていた。

 そんな部屋の奥。そこには扉があり、そこから1人の男が姿を見せていた。平々凡々とした特別な魅力は感じさせない男だ。

 ただ室内にはそれ以外に男はいないのだから、彼女の雰囲気が変わった相手は間違いなく彼だろう。室内だというのに、無骨なガントレットを填めている。どこかで見たようなガントレットだが、あまりそういった物を知らないエンリからすれば良くあるもののようにも見えた。


「フェイ。私が荷物を中に入れておこうか」

「え? 良いんですか?」

「構わないから。リィジーにはお世話になっているし」

「じゃぁ、お願いしちゃいますね」


 微笑んだ少女――フェイに対し軽く頭を振ると、男は2人の横をすり抜け、外に出て行く。その後姿をフェイのキラキラとした目が追うように動いていた。

 エンリは男の口調に違和感を感じていた。それは年齢や性別が一致しないような、奇怪な異物感のようなものだ。しかしながら男に対して何か行動を取る理由も無い。それに元々そういう口調であり、気にしているようだった場合、非常に厄介ごとになる。エンリは物を売りに来た立場、自分から不利益になるような行動を取るべきではないだろう。

 そうエンリは判断し、商談を済ませるべく行動を開始した。


「あのー」

「ん? 何?」


 いまだ男の後姿から視線を動かさずにフェイは尋ねる。


「薬草を売りに来たんですけど……」

「うん? あー、薬草ね。うん。あー」


 初めてフェイはエンリに向き直り、考え込むように頭を傾げる。視線を動かした理由は扉の外へと消えていった男とも関係があるだろう。


「薬草……困ったなぁ」


 エンリは眉を寄せる。もしかしてどこと大口の取引でもして、薬草が余っている状態なんだろうかと考えてだ。


「実は……」

「いいんじゃない?」


 いつの間にか戻ったのか、両手に壷を軽々と持った男が口を開く。


「買ってあげれば? これから当分使うんだろうからね」


 それだけ言うと壷を置き、再び出て行く。フェイは一瞬、奥の方に視線をやってから、一度だけ大きく頷いた。


「そうね。うん、確かに。まだその領域には到達できないしね。うん、えっとどなただっけ?」

「カルネ村のエンリと言います」

「ああ、カルネ村の人!」


 フェイは微笑み、部屋の中央に置かれた長椅子に座るように指を指す。そして2人で向かい合って席に座る。


「えっと今回持ってきた貰ったものは何かしら?」

「ニュクリが4壷、アジーナが4壷、それとエリエリシュが6壷です」

「エリエリシュが6壷!」フェイが驚いたような声を上げる。「それは凄い……。よく集められたね。カルネ村の人なら品質は保障できるだろうし……全部あの壷のサイズでしょ?」


 フェイの指差した先にあるのは男が持ってきた壷だ。既に6つまでに増えている。


「はい。そうです」

「なら……カルネ村の人だし……多少色をつけて金貨126枚、銀貨7枚ぐらいでどう?」

「ええ! それで構いません!」


 エンリの前に提示された金額は今まで聞いたことも無いような額だ。いやアインズという偉大な魔法使いに提示されたものを除けばという意味でもあるが。


「なら、それでいいわね」

「はい。……ところであの人は恋人とかですか?」

「え?」


 商談も終わったという安堵感から生じた好奇心に負けたエンリの質問に、フェイは一瞬だけ口ごもり、誰を指した言葉か理解し、顔を真っ赤にする。


「え? えへへへへ。そう見えちゃう? えへへへへ。お世辞言ってもこれ以上上乗せはしないからね。えへへへへ」


 いやお世辞というより単なる疑問です。

 そんな思いは口には出さない。流石にエンリといえども空気を読むことぐらいは出来る。いや、完全にでれでれに溶け切ったフェイを前にそんなことを口に出来る人間がいるはずが無い。

 そしてエンリは内心安堵した。店の従業員ですかと聞かなくて。


 フェイは顔をぐいっとエンリに近づけ、声を落とす。


「まだそこまでは行って無いけどね。思いっきり狙ってるんだ」

「そうなんですか……」

「確かにそんなに格好良くは無いよ。でも凄く強いの。こう、ぐぃっと助けられて……えへへへへ」

「そ、そうなんですか……」


 エンリも少女として他人の恋話には興味がある。しかし、なんというかフェイの涎を垂らさんばかりの行動は少しばかり引くものがある。というよりも最初に出会ったときとは表情がまるで違うが、目の下のくまは健在だ。その所為もあって病人か狂人のようにも思える。


「……商談中、申し訳ないんだけど?」

「え?! あ、はひぃ!」


 唐突に話しかけられ、脳天から突き抜けたような奇怪な声がフェイから上がる。男も、そしてエンリも目を一瞬だけ丸くした。しかし、その件には触れないように、無視するように話を続ける。


「……えっと壷は全部持ち込んだよ」

「あ、ありがとうございます!」


 羞恥の赤に顔を染めながらフェイは答える。


「さっきも言った様に構わないよ、フェイ」

「あ、あのえっとほんと、凄い力ですよね。私、憧れちゃいます」

「……そう?」


 フェイの言葉を聞き、一瞬だけ男は視線をガントレットを填めた手に送る。そして肩をすくめた。


「まぁいいや。リィジーも不眠不休で色々とやってるようだし、そろそろ2人とも休んだ方が良いんじゃない?」

「心配してくれてありがとうございます。この商談が終わったらおばあちゃんにもそう伝えます」

「……壷は買い取ることにしたのなら、薬草置き場まで運んでおくよ」

「お願いしてもいいんですか?」

「まぁね」


 キラキラとした視線、キラキラとした表情で言葉を紡ぐフェイに対し、淡々と処理するように行動する男。

 なんというか、全然脈がなさそうだな。

 まるで対極な2人を見て生じた感想を、エンリは決して表情には出さないよう頑張る。

 男の背中がドアから出て行くと、フェイは視線をエンリに戻して尋ねた。


「とりあえず、支払いは交金貨で大丈夫?」

「あ、構いません」


 金貨での支払いになると非常に重くなるが、この際は仕方が無い。今回得た金貨の殆どの使い道は決まっている関係上、宝石でも問題は無いと思われるが、支払いは硬貨が基本だ。


「なら直ぐに持ってくるから」


 フェイはそう言うと立ち上がった。なんとなく弾むような足取りだったのは、エンリの気のせいで無い。なぜなら、フェイは男を追うように、ドアから出て行こうとするのだから。しかし――


 ――突如、外との扉が無造作に開けられる。そして2人の女性が入ってきた。


「はーい」


 舐めてくるようなヌルリとした、けだるい声。

 そんな声を上げた女性を見たエンリの視線が、ある一点で釘付けになる。

 その豊満な胸はまさに突き出すようだった。そしてそんな胸を充分にアピールする服は薄く、体の線がはっきりと見える。その体はまさにボンキュボンだ。

 肩口より長い茶色の髪をソバージュにしている。目の若干垂れた顔だちは非常に温和でいて、整っている。20代中ごろの、綺麗に化粧をした女性が動くだびに香水の良い香りが漂ってきた。


「……なんの用よ、売女」


 極寒の声がおどろおどろと響く。


「うわーひどいなー、ふぇいちゃん。えっと、かれにあいにきたんだ」


 語尾にハートマークが浮かんでいた。いや、そんなものを幻視したエンリだ。フェイに至っては空中に飛んでいるものを叩き落すような手振りさえしている。

 それからやたらと鋭い視線を向けた。


「彼は仕事が忙しいの。邪魔しないで帰れ。今なら性病に効く薬プレゼントしてやるから」

「……ひどいなぁ、フェイちゃん」


 女性の口調はまるで変わらないもの、目の奥にゆっくりと奇妙な感情の色が浮かび上がっているのそばで見ているエンリにも分かった。


「え、何? この状況……」

「あのー」


 一緒に入ってきていながら、今まで何も喋っていなかった女性が口を開く。

 こちらの女性は同時に入ってきた女性とはまるで違う。

 一言で言えば戦士だ。

 年齢は20いくかいかないか。赤毛の髪を動きやすいぐらいの長さで乱雑に切っている。どう贔屓目に見ても切りそろえているわけではない。どちらかというなら鳥の巣だ。

 顔立ちはさほど悪いわけではないが、目つきは鋭く、化粧っけはこれっぽちも感じられない。日差しに焼けた肌は健康的な小麦色に変わっている。

 そんな女性がエンリにこっち来いと軽く手を振る。


「うん、巻き込まれないほうがいいよ」

「あ、はい」


 小走りに駆け寄り、女戦士の横で振り返ってみると、フェイと女性のにらみ合う距離はだんだんと狭まる一方だ。


「師匠は店の奥?」

「あ、はい」


 一瞬だけ師匠というのが誰か分からず困惑するエンリだが、即座にあの男性を指しているのだろうと判断し、答える。


「そっか、参ったなぁ」

「不味いんですか?」

「非常に不味い。あの2人は平手打ちとか、そんな可愛いことで終わらせないから」そして女戦士はエンリを見据え、呟く「マジで殴りあう」

「え……。ちょ、止めてくださいよ!」

「嫌だよ……2人とも下手に権力者とのコネがあるんだから。あの2人だから殴り合いで止まるんだから」


 エンリと女戦士が怯えながら見ている間に、フェイと女性の距離は完全につまり、互いの額がゴリゴリとぶつかり合っていた。


「やるか」

「私はかまわないよ」


 そして2人が拳を握り締めた瞬間――

 ――ガチャリと音を立てて男が入ってくる。


「だーりん!」

「ちょ……」


 ハートマークを浮かべた女性が男に向かって小走りに走り出し、すかされたフェイが一瞬だけ踏鞴を踏む。

 女性が飛びつき、強く体を押し付けているため、むにりと胸の形が大きく変わっている。

 しかしそんな中にあって彼の表情に変化は無い。


「凄い……」


 エンリも男というものがどういうものか多少は知っている。あれだけの攻撃を受けて、エンリの知っている人間で、平然とできる者はいないだろう。

 まるで煩わしい同性に飛びつかれたような無表情さだ。


「もう、そんなくーるなところがす、き」


 男の胸に指を当てると、そこに何か文字を書いている。


「何しにき――」

「――ちょ、離れなさいよ!」


 フェイの怒鳴り声が響き、女に詰め寄る。そんな光景を見ながらエンリは女戦士とため息を付き合う。


「何んですか、これ?」

「いや、これが日常」

「苦労してるんですね」

「もう、めちゃくちゃ」


 そして2人で再びため息を付き合うのだった。


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