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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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外伝:頑張れ、エンリさん-2


 トブの大森林は入って直ぐであればさほど暗くも無ければ、足場が酷いわけでもない。これは村人が木々を必要な程度伐採しているためだ。そのため人の手が入った程度の森ぐらいの雰囲気しかない。ピクニックが似合うような、といえば雰囲気がつかめるだろうか。

 しかしながら薬草を探しに行くとなると、もっと深くまで入り込む必要がある。


 一直線に150メートルも進めば先ほどの雰囲気は一変する。足場は悪く、頭の上を茂った木々によって周囲は昼でも暗く、あちらこちらに闇がわだかまっている。木々によって視界は遮られ、遠くを見ることは勿論困難である。15メートル先が見えれば良いほうだろう。原生林という言葉がまさに相応しい景色となるのだ。

 その辺りからモンスターの姿が現れる確率も急上昇する。つまりは危険度がぐんと上がるということだ。



 そんな大森林の前にエンリは立っていた。勿論、1人ではない。周囲にはエンリに忠誠を尽くすゴブリン・トループの全員がそこには揃っていた。


 ゴブリンたちの武装はチェインシャツに円形盾<ラウンドシールド>、腰に肉厚なマチェットを下げている。チャインシャツの下は茶色の半袖半ズボン。それにしっかりとした毛皮で作った靴も履いている。腰には小物入れらしきポシェット。武装としては何一つとしては欠かしていない。

 そんなフル武装のゴブリンたちは、背負ってきた皮袋の中の荷物の最終チェックを行っておいた。大抵が水袋の中身や、肉厚なマチェットの鋭利さを確かめている。それ以外には雨が降ってきた場合の雨具だろうか。

 全員装備はしっかりとしているが、背負った荷物が少ないのは、戦闘の可能性は考えているが長時間の大森林内での行動を考えていないからだろう。


 そんなチェックをしているゴブリンの中でも、一回り大柄のゴブリンがエンリの元に歩いて来る。

 姿格好は戦士といっても過言ではない。ゴブリンとは思えないほどの筋骨隆々の長躯。それを実用第一主義な無骨なブレストプレートが包み、使い慣れたようなグレードソードを背中に背負っている。

 彼こそゴブリンの頭であるゴブリンリーダーである。


「じゃぁ、エンリの姉さん。先ほど言ったように、おれたちは森の周囲の様子を見て回ります。……大丈夫っすか?」


 ゴブリンリーダーはそのごつい顔を心配そうに歪め、エンリの顔を覗きこむ。それに対してエンリは微笑む。


「大丈夫です。そんなに奥には行きませんし、彼らが守ってくれますから」

「なら良いんですがね……」ゴブリンリーダーはエンリの視線の先にいる3体のゴブリンたちを順繰りに睨む。それから声を張り上げた「おい、手前ら、分かってるだろうが、姉さんに傷1つもつけんじゃねぇぞ?!」

「へい!」


 3体のゴブリンが同時に、威勢の良い返事をする。その返事に多少は満足したのか、ゴブリンリーダーは数度頭を縦に振る。


「しかしですね、正直、こんな危険なことをされなくて……」


 ゴブリンリーダーはエンリに振り返ると再び、渋い顔をする。村でも幾度と無く繰り返した会話を再びぶり返すのかと、エンリは多少だがうんざりした気持ちにさせられるが、エンリを心配しての発言である以上無碍にも出来ない。


「ですけど、やはり薬草を集めないとお金が手に入りませんし……」

「獣の皮とかでは駄目ですかね? あれならまだおれたちでも何とかなりますしね」

「悪くは無いですけど、やはり薬草が一番お金になるんです」


 獣の皮と薬草では金額の付き具合がはるかに違う。まさに天と地ほどの差が付くといっても良い。確かに非常にレアな動物のものであれば高額にはなるだろうが、そんなことは滅多にない。


「うーん。姉さんが心配されることも無いですぜ? ほんと、大丈夫ですから? 今のところ問題はありませんしね」

「でも何か起こってからでは遅すぎますし……実際、武装の強化は重要なんじゃないですか?」

「そりゃ、確かに……そうなんですがね……。しかし……止めませんかね……」


 止める気は無いだろうと思いながらも、ゴブリンリーダーはエンリが大森林に向かうことを止すよう口にする。


 それはエンリがお金を欲する理由にある。

 一言で現すなら、ゴブリンたちにより良い武装をさせるための金銭をエンリは稼ごうとしているのだ。

 それは自分たちが守るべき主人を、自分達の所為で危険に晒すということ。それでは本末転倒ではないかという思いがゴブリンリーダーの中にあるのだ。いや、その場にいるゴブリン全員の心にあるといっても良い。


 しかし、エンリとしても良い武装を整えるというのは金銭のかかる行為ではあるが、それを叶えたいと思うのは当然のことなのだ。命を賭けて守ってくれる存在に、欲しているものを渡せないというのでは、守られる者として恥ずべきことではないかという思いだ。

 勿論、村を守っているのはゴブリンなのだから、村人から金を徴収することだって出来るだろう。しかしエンリはできればそういうことはしたくは無かった。そのためゴブリンが欲する、武器の予備を買う金をエンリは稼ぐ必要があったのだ。そのための最も手段が薬草収穫である。


「ほんとうはあんぜんをかくにんできてから、エンリのお姉さんにいってもらえればよいんだけど……」


 後ろから口を挟んだのはゴブリン・メイジである。

 人型生物の髑髏を被ったスペルキャスターのゴブリンだ。

 手にはみすぼらしいながらも自分の身長よりも長い、くねった様な木の杖を持っている。全身はどこかの部族がつけそうな奇妙な装飾品等で身を飾っており、胸の部分が僅かに膨らんでいる。顔を良く見ると確かに女の可愛らしさがある。何で男と女でこんなに違いがあるの、と疑問符が浮かんでしまうほどだ。


「でも、安全になったかどうかの確認って出来ないんですよね?」

「うん、そう。ざんねんだけど、だれもわからない。せいぜいもりがおちついたかどうかだけど、わかるまでにじかんがかかる」


 それでは欲しい薬草の時期が終わってしまう。そうなると武装を整えるのにも時間が掛かってしまうということだ。


「大丈夫ですよ。そんなに深くはいきませんから」


 数度繰り返した問答で、やはりエンリの気持ちを変えることが出来なかったと理解したゴブリンリーダーは諦め、エンリを守る3体のゴブリンに視線を向ける。そして言うことはやはり先ほどと同じ内容だ。


「おれたちは守れねぇ。だからこそてめぇらが代表として、エンリの姉さんの命を守るんだぞ?」

「へい!」

「ほんと、みんなでこうどうできれば、いちばんあんぜんなのに」

「それだと後手に回ってしまうんですよね?」

「そう。だいしんりんのはしまでいどうしてきたものがいないか、はっけんするひつようがある。それもいそぎで」


 ライダーが持ってきた情報から予測される――大森林の端まで移動してきた、モンスターの存在。これが本当にいるかどうかの確認は、現在最初に行うべき問題だ。

 もし仮に森の外れである位置までモンスターが来ていた場合、村の近くまで出没する可能性は高い。村は壁に覆われてはいるが、その壁を登攀して中に入り込んでくるモンスターだって当然いるだろう。草食のモンスターだとしても、麦畑を襲われてしまっては目も当てられない。

 そのため定期的に大森林の捜索は必須だ。

 今回はその第一回。初めてということは、最も危険度が高いということに直結する。だからこそエンリの護衛にゴブリンを3体しか回せないのだが。


「だから、あまり奥に行かないといっても、危険なんすよ、姉さん」


 エンリはこくりと頷く。


「ですけど、この時期に取れる薬草が最も高額で卸せるんです。そしてその薬草はそんなに長く取れるものでもないですから……」

「……本当は全員で協力して姉さんを守って、それから捜索に移るというのがベストなんでしょうけどね」

「でも、そうするとこんばんはきけん」

「見張り台だって完成してるんだし、警戒すれば問題ねぇと思うんだがな……ストーンゴーレムもいるし」

「私の我が侭に頭を悩ましてもらって悪いんですが、皆さんは大森林の巡回に当たってください」


 はっきりと言い切ったエンリに、これ以上はしつこいだけだとゴブリンリーダーは納得するしかなかった。


「……兵力分散は愚策なんですが……ね。わかりやした。本当に注意してくださいよ? 妹さんを泣かせたくはないんで」


 ゴブリンリーダーは最後にそれだけ言うと、ゴブリンたちに出立の命令を下す。そしてエンリも3体のゴブリンをつれ、森の中に踏み入るのだった。



 ◆



 大森林内部。

 端から150メートルも進むと温度が数度下がる。それは単純に日差しが入ってこないためだ。とはいっても完全に真っ暗闇ということでもないから、エンリでも問題なく周囲の様子は伺える。

 ひんやりとした空気を掻き分けるようにエンリたち4人は森の中を進む。


 静かな大森林には時折鳥だと思われる獣の鳴き声以外はほぼ音が無い。それ以外はあっても梢の揺れる音ぐらいだろうか。その中をエンリたちの足音が響く。


 一行は二等辺三角形にも似た隊列で森の中を進む。中央にエンリを置いた形だ。

 広がった隊列というのは森の中だと維持が難しいので、基本は一直線になるのだが、エンリを守るという意味で無理矢理にこの隊列を維持しているのだ。その分、速度は落ちるがそれは仕方がないという判断だ。



 大森林に入って200メートルは来ただろうか、エンリは周囲の様子を伺う。目当ての薬草の生息する場所を探してだ。そして直ぐに発見できたのは幸運だったのだろう。木々の隙間に密集するように生えた薬草を。


 特定植物の群生地帯の発見というのは、知識等が無ければほぼ困難に近い行いだ。

 しかし別に彼女にそういった捜索能力に長けているわけでも、そういった訓練を受けたわけでもない。この程度の大森林の近郊に住む村人なら、生きていくうちにいつの間にか手に入れている知識の一環だ。


 ゴブリンが先行し、周囲の様子を伺ってから、無言でエンリを招く。

 エンリと2体のゴブリンは身を屈めつつ走ると、その薬草の生えた場所まで到着した。


 大量に生えた薬草は、ある意味硬貨の山のようにも見える。エンリは心の中で欲望が燃え上がりそうになるのを必死に抑えた。現在いる場所は危険なところだから、欲をかかずに、手早く済ませる必要がある。

 エンリは座ると、薬草を根元から注意深く毟り始める。適当に毟った場合、薬効効果が弱まる場合がある。特にこの植物は根に近いほうに薬効効果が溜まるもの。出来る限りギリギリから毟るのは当然の行いだ。


 ツーンと鼻を叩くような匂いも慣れてしまえば、なんら作業の手を止める障害にもならない。一本一本毟り、それを小脇に抱えたバックに潰れないように注意深く入れていく。

 ゆっくりと時間が経過する中、バックの中の薬草もそこそこの量になってきた。

 ゴブリンたちに協力を要請すればもっと早く済むだろうが、ゴブリンたちは周囲を油断無く警戒している。そんな彼らに薬草を毟ってくれなんていうほどエンリも愚かではない。


 無言で薬草を毟る、そんな作業がどれだけ経過したか。

 突如、ゴブリンが身を潜めるように、エンリの周りに座り込んだ。


 そして驚くエンリに、静かにとジェスチャーを見せた。何かの非常事態。それを悟ったエンリは初めて手を止めると、耳をすます。かすかに聞こえてくるのは何か大きなモノが動く足音のようなもの。


「これって……」

「何かこっちに向かってます。ここだとアレなんで少し動きましょう」


 エンリとゴブリンは立ち上がると、その音から離れるように、近くにあった木の後ろに隠れるように移動する。流石に巨木というわけではないので、全身を完全に隠しきれてはいないが、それでも遠目からは何もいないように見えるだろう。


 木の根元に伏せるような姿勢をとることで体の表面積を小さくする。その格好で4人は息を殺し、音の主が別の方角に行くよう祈る気持ちで待つ。しかし、やはり幸運には恵まれていなかったのか、その音の主がぬっと姿を見せた。


 身長は2メートル後半から3メートルはあるだろうか。

 顎を前に大きく突き出した顔は愚鈍そのものである。

 巨木を思わせる筋肉の隆起した長い腕は、猫背ということもあり地面に付く寸前だ。木からそのまま毟り取ったような棍棒を持ち、なめしてさえいないような毛皮を腰に巻くだけという格好だ。酷い匂いがこれだけ離れた場所まで漂ってくるような気さえする。

 所々疣が浮き上がっている肌は茶色っぽく、分厚い胸筋や腹筋をしている。外見から判断するにかなりの筋力を持っているだろうと予測が立つ。

 そんな、毛の完全にぬけ切ったチンパンジーを歪めたような巨躯のモンスター。

 それはオーガと呼ばれるものだ。


 それが鼻をひくつかせながら、キョロキョロと周囲を伺っている。木の後ろに隠れたエンリたちには未だ気付いてない様子だ。先手を打つかとゴブリンたちが静かに相談している。


 そんなオーガの目が突如一点で留まった。それは薬草の密集していた場所だ。


 そこでエンリは気付く。

 薬草を毟った際、手に付着した汁を。

 そう、ネムが潰した際に強烈な臭いを発していたあれだ。鼻が馬鹿になったエンリやゴブリンでは気づかないが、エンリのいる場所からは充分にその強烈な匂いが漂っているはずだ。

 そのエンリの焦りを感知したように、オーガの目がぎょろっと動き、エンリとゴブリンたちを捕らえた。


「うまそう」


 視線の先にいたのはエンリだ。その飢えた獣の目を浴び、エンリは全身をぶるりと震わせた。もしエンリが1人でオーガと遭遇したなら、彼女の運命は決まったようなものだ。

 しかし、この場において、それは有り得ない。


「おいおい、何言ってんだ、てめぇ」


 1体のゴブリンがゆっくりとエンリの前に立つ。無論、身長さがあるためにエンリの姿をオーガから隠すことは出来ないが、オーガは自分とエンリの間に入った小さな生き物に煩わしさを混ぜた視線を送る。


「小さいの、おれ、それ、くう」

「うせな」


 オーガの唸り声に混じった声に対し、ゴブリンの返答は簡単かつ簡素だ。握り拳に親指だけを立て、その辺りを指差す。

 その行為は充分にゴブリンの意思を表示している。


「おれ、それ、くう!」

「言ってんだろうが! うせろってよぉ!」


 すっと自然な動きで、ゴブリンが腰から下げていたマチェットを抜き放つ。それに遅れて他のゴブリンたちも抜き放った。


「ぐぅうう!」

「はん、かかって来いよ、色男」


 低い唸り声を上げつつオーガが、ゴブリンたちを睨み付ける。

 抜き放たれた3本のマチェットの刃の輝きが、僅かにオーガに冷静さを思い出させたようだった。

 しかしながらオーガとゴブリンの体格の差は歴然としており、大男と子供が向かい合っているようだった。オーガもそう感じたのだろう、1歩踏み込もうとして――


 ゴブリンは片手のマチェットを揺するように動かす。


 ――その足を止める。ゴブリンがマチェットを動かすたび変化する輝きが、オーガに警戒感を与えているようだった。

 ただ、今は警戒させることで足を止めることに成功しているが、その剣だって身長の差から見ると、頼りないほどだ。愚鈍なオーガならば、そのうちじれて襲い掛かってくるだろう。


「――この場はあいつが抑えます。おれたちは行きましょう」


 オーガの注意を引かないように小さな声でかけられた内容にエンリは驚き、残る2体のゴブリンを見る。3体で掛かればオーガといえども、という思いを込めてだ。しかし戦士の表情を浮かべた2体のゴブリンは冷静に判断を下す。


「エンリの姉さんをお守りするのが、おれたちのすべきことです」

「姉さん。間違っちゃいけません。姉さんが生き残ることこそ、俺達の勝利なんです。そのためなら仲間の命も惜しくは無いってことですよ」

「それにまだまだやばいっすからね」


 オーガに勝てるかどうかは不明だ。強さ的な面であれば互角だろう。そう考えれば3人でかかるというのも悪い判断ではない。しかしながら喧騒を聞きつけ第三者が現れた場合、非常に厄介ごとになるのは目に見えている。もしオーガが群れでいた場合等を考えるなら、確実に離れた方が良い。

 守るべき者がいるならば危険地帯から一刻も離れるのは当然だということだ。


 頭では理解できても納得がいかないエンリに、ゴブリンが男臭い笑みを浮かべながら、断言する。


「エンリの姉さん。信じてやってくださいよ。だいたいあいつが負けるなんて思いますか?」


 前で剣を抜き、オーガとにらみ合っているゴブリンが、振り返らずに親指を立てた握りこぶしを肩越しに見せる。その意思表示はエンリを納得させる。


「気をつけてください」


 エンリはそれだけ言うとゴブリンに手を引かれるように走り出した。



 ◆



 大森林を抜け出し、そこに待機していたライダーにエンリの護衛を任せると、付き従った2体のゴブリンは再び大森林の中へと消えていった。

 エンリはそれを祈るような気持ちで見守る。自らの我が侭でゴブリンを危険に晒したのだ。生きて――出来れば無傷で帰ってきて欲しい。そんな思いを込めて願う。

 そんなエンリにライダーの片割れが意外と軽い口調で話しかけた。


「そんなに心配ですかね? エンリの姉さんはどんと構えて、私の盾として良く働いたって言うぐらいがちょうど良いと思いますがね」


 上に立つ人間としてゴブリンが望むのはそれかと思い、エンリは俯く。

 自分には絶対にできないだろうという思いが心中を駆け抜けたからだ。ライダーの言っている像は、単なる村娘には難しい行いだ。


 そんなエンリに声をかけたのはやはり同じライダーだ。慌てているのはもう片割れのライダーの批判を込めた強い視線とも関係があるのだろう。


「おっと、別にエンリの姉さんにそうなって欲しいとかそうやって欲しいとかの意味じゃないですぜ? おれはエンリの姉さんののほほんとしたような穏やかな雰囲気ってやつはかなり好きですし、他の仲間たちも皆好きだと思います。それが突然、覇王みたいに成られてても……なんていうか困っちまいます」


 もう1体のライダーもうんうんと頷いている。ライダーは頭を掻きながら、必死に次に続く言葉を考え込み、そして口を開いた。


「あっと、おれは慰めっていうのはちっと苦手でして……何を言ってるかちょっと自信はないんですが、えっとなんでエンリの姉さんはそんなに心配されてるんですかね?」

「……ゴブリンさんは私のためにその場に残ってくださったんですから、心配するのは当然じゃないですか」

「そこが良く分からなかったんですよ。大体、エンリの姉さんが危険を承知で大森林に薬草を取りに行かれたのは、おれたちの武装の強化のためなんですよね。ならばエンリの姉さんを命がけで守ることは当然の義務じゃないですか。エンリの姉さんが危険に晒されたのも、元をただせばおれたちの所為なんですし」

「ですけど……」


 言い募ろうとしたエンリを差し止めるように、ゴブリンは手の平を見せる。


「そして大金を得ようとした以上、危険に晒されるのは当たり前じゃないですか。その結果が死だとしても、おれたちは受け入れます」


 その言葉にエンリはぐうの音も出ない。

 それはある意味当然と考えれば当然だからだ。


「まぁ、こんなのはおれたちの戦士としての勝手な考えであり、姉さんの考えとは大きく違うことぐらい分かってますがね」


 戦士と村娘。このまるで生き方が違う2人が、同じ思考パターンをしていたら、それはある意味非常に恐ろしい。


「……そんな風に心配してくれる、優しい姉さんだからこそ、おれたちが必死で守らなくちゃといけないなと思わせてくれるんですけどね」


 エンリはゴブリンの言葉に顔を赤くする。

 人間の美的感覚からすれば醜いともいえるゴブリンだが、ライダーの漂わせる雰囲気は立派な戦士のもの。そんな人物から真面目に賞賛されれば、あまり褒められることのない村娘であるエンリの顔が真っ赤になったとしても仕方が無いだろう。


「それに……オーガごとき負けるほど、おれたちは弱くないですよ」


 ウルフの背中に乗ったまま、ゴブリンはニヤリと笑うと、大森林を指差す。エンリが慌ててその先に視線を送ると、そこには3体のゴブリンの姿があった。


「でしょ、おれたちはエンリの姉さんの親衛隊。これっぽちのことぐらい切り抜けられなければ、名乗る資格がないってもんです」


 こちらに向かってくるゴブリンたちの足取りに狂いは一切見られない。それは彼らが完全な無傷であるということを意味している。

 エンリは喜び、手を振る。それに答えるように、真ん中のゴブリン――オーガの元に残ったゴブリンが手を振った。


 両者の距離は迫り、互いに喜びの声を上げる。その中で最も喜びの声をあげたのは当然、エンリである。


「無事だったんですね!」

「ええ、姉さん。なんとかなりましたよ」

「良かった!」


 上から下まで見ても傷は無いように見える。多少袖の部分に赤黒いものが付着しているが、恐らくはオーガの返り血だろう。

 ライダーはその姿を冷静に観察し、疑問を口にする。


「……それでオーガはぶっ殺したのか?」


 ゴブリンは短い武器を使用しているのだ。もし殺傷するような与えた場合、吹き出る血も大量になり、当然返り血も多くなる。それからするとゴブリンの服は汚れて無さ過ぎる。


「……いや、殺しちゃいないぜ?」

「なんでだよ」


 不思議そうに顔を歪めたライダーに、ゴブリンは答える。


「逃げ出したからな。もし仲間とかと一緒にいるなら案内してもらった方がいいだろ?」

「……ああ、そりゃそうか。一網打尽にしたほうがいいからな」

「じゃぁ、とりあえずエンリの姉さんを村まで護衛してから、リーダーの帰りを待つか」

「そんな感じで良いっすかね? 姉さん」


 突然話を振られ、エンリは一瞬だけ困惑するが、ゴブリンたちが決めたことなのだから、自分が決めるより正しいだろうと判断し頷く。


「よっしゃ、じゃあ、これが終わったら今日はオーガ退治だな」



 ◆



 ――深夜。

 エンリは深い眠りから、何者かによって引き起こされたのを感じた。目を開け、周囲に変わったことが無いか、目だけを動かし様子を伺う。そこに広がるのは、殆ど真っ暗な世界だ。窓の鎧戸の隙間から入り込む、月明かりのみが唯一の光源である。

 そんな貧しい光源に照らし出される中には、一切の異常は見受けられない。

 ただ、まだ眠りから完全に覚めきってないため、ボンヤリとした思考を支える感覚の1つ――聴覚が変わった音を聞きつけた。

 隣からの妹の健やかな寝息に紛れて、トントンというリズミカルな音。

 それが何か考え、即座にエンリは理解できた。何者かがドアを小さくノックする音だ。


 エンリは眉を寄せると、エンリとネム――2人の体に掛かっていた薄い布を器用にずらして、ゆっくりと寝床から立ち上がる。こんな遅い時間に一体何事だという思いを持って、妹を起こさないよう慎重に動く。

 ミシリミシリという家の床が立てる音が、今にもネムを起こしてしまうのではと思い、すこしばかり心臓の鼓動が早くなる。


 妹であるネムはあの事件があってから、寝る時は必ずエンリと一緒に寝ようとする。あの事件が引き起こしたことによる、妹への心の傷は非常に大きかったのだ。だからこそ頑なにエンリと一緒に眠ろうとする。

 エンリもそれを諌める気はない。なぜならエンリだって妹一緒に寝ることで安堵を得られるのだから。


 ただ2人で揃って寝ても、妹が悪夢に魘されるときもあれば、飛び起きることもあるのをエンリは知っている。だからこそ今、ぐっすり眠れているのなら、そのまま寝かしてやりたいと思うのは当然の姉心だ。


 エンリが歩いて玄関のドアに向かう中、やはりノックの音は止もうとはしない。


 のぞき窓から恐る恐る外を伺って見ると、月明かりに照らされるように扉を軽くノックするゴブリンリーダーの姿があった。エンリの心の内にこみ上げていた不安の代わりに、安堵の思いが浮かび上がる。


 ふぅと軽く息を吐き、エンリは外に声をかける。無論、妹を起こさないように小さな声で。


「ゴブリンリーダーさん、無事だったんですね」

「ああ、エンリの姉さん。何とかなりましたよ。おっと、起こしてしまって悪いですね」


 エンリは扉を開け、その隙間を潜るように外に出る。中に月明かりが入り込むことで妹が目を覚ますのを避けるためだ。


「ちょっと今から来て欲しいところがあるんですよ」

「今からですか?」

「はい、ほんと申し訳ないんですがね」


 深夜という時間を考えると眉を顰めるような話だ。

 人間の目は当然のように夜には適してはいない。だが、逆に闇視を持つモンスターは非常に多い。そのため夜は人以外の生物の時間なのだ。そんな時間、それも理知的なゴブリンリーダーがエンリを起こしてまでしなくてはならないこと。

 それはこの時間でなければならない、何らかの理由によるものだろうという推測は直ぐに立つ。


 そしてエンリは考え、直ぐにその理由に思い至った。

 それはオーガ退治の件だろうということだ。


 あの後ゴブリンリーダーと合流し、あったことを説明すると、ゴブリンリーダーは討伐隊――ほぼ全てのゴブリンを率いてオーガの跡を追跡することを決定した。ゴブリンリーダー達もオーガの足跡を、それも複数発見していたのだ。エンリたちを襲ったオーガもその内の1体であれば良いが、別のものだとするとかなりのオーガの群れが推測されるためだ。

 そうして出立したのが夕方前。


 そして戻ってきたのが、今なのだろう。それからすぐに呼びに来たと考えるのが妥当な線だ。


 よほどの重要な用件。それが理解できる以上、エンリにそれを断ることは出来ない。


「分かりました。どこに行けば良いのか、案内してくれますか?」



 案内されたのは外へと続く門である。静かな村の中、月明かりのみに照らされ、エンリは歩く。

 そして門を開けた先、そこにいる者たちを見て、エンリは立ちすくんだ。

 そこには5体のオーガが平伏していたのだ。その周りにはゴブリン・トループの全員が見張るように揃っている。全員無事に帰ってきたということへの喜びが、オーガがいることということ驚きで吹き飛ばされてしまっていた。


「え! あれは一体?」


 慌てて横に立つゴブリンリーダーに問いかける。


「いや、おれたちがオーガの群れを襲撃した際、7体いたんですがね。2体殺したところで投降してきたんですよ。それで如何するかを姉さんに決めてもらおうと思いましてね」

「え……」

「おい、お前ら! おれたちの姉さんが来たぞ! てめえらの命が姉さんの言葉で決まるんだからな!」


 その言葉に反応し、5体のオーガが一斉にエンリへと視線を向ける様はある意味圧迫感のあるものだった。エンリは驚き、後退しそうになる足をぐっと耐える。

 緊迫した一瞬とも、エンリからすると長い時間が経過し、オーガたちは口々に濁声で言葉を紡ぐ。


「おそろしい、ちいさいののしゅじん。おれたちあやまる」

「おまえ、おそうとかしたやつ、しんだ」

「わるいのしんだ」

「わびのしるし、もつ」

「おくりものする。だからゆるしてほしい」


 口だけではなく、長い手でジェスチャーを使ってまでの謝罪。それはエンリからすると悪いことを叱られた子供の姿のようにも思えた。しかし最後まで聞き、エンリは頭を傾げる。


「えっと?」


 エンリの前にオーガの一体が、自分達の巨躯で隠していた野生の獣を差し出す。


「これうまい。これ、おくる。おれたちをゆるしてほしい」

「やっととれたくいもの。おまえにたべる。そしてあやまる」


 そしてエンリの前に獣がドスンと音を立てるように置かれた。まだ生々しい血の臭いがその獣から立ち上がる。

 つまり、オーガはこの謝罪の代わりとして獣を上げるから許して欲しいと願っているのだろう。


「うんで、どうします?」

「え……どういう……?」


 エンリにゴブリンリーダーが問いかける。何がどうするというのか。

 そこでようやくエンリはここまで連れて来られた理由を思い出す。このオーガの処分のことを聞いているのだ、と。

 オーガを生かすのか、殺すのか。


 エンリは考える。

 生き物の命を奪うのは生きる過程で当然の行いである。しかしだからといって人間を襲って食べるオーガを容易く放免することは当然出来ない。もしかしたら今度は村の人間が襲われるかもしれないからだ。では遠くに行くように命令すれば問題は解決するだろうか。

 それはもしかしたら問題を先送りしているだけかもしれない。また戻ってきて、たまたま森に入っていた者が襲われるかもしれない。

 全ては予測の範疇を出ないが、可能性はあるし、低いわけでもないだろう。そう考えるなら殺してしまった方が安全だし、あとくされが無い。


 考え込むエンリに、ゴブリンリーダーがまるで世間話でもするかのように話しかける。


「……エンリの姉さん。オーガは人食い鬼とか言われますけど、結局は単なる肉食のモンスターにしか過ぎません。野生の獣を捕まえるよりは、人間とかを捕まえた方が簡単だから人間を襲うだけですんで」


 確かに野生の獣を捕まえるよりは、単なる人間であればそちらの方が容易に捕まえることが出来るだろう。獣と人間の機敏性を比べるだけで理解できる、至極当然のことだ。それ以外腕力だって、オーガに勝てる単なる村人なんてそうはいない。

 ならば食料を得るために弱いもの、容易く狩れるものを襲うのは、オーガのみならず生物として当然だ。


「まぁ、それでですね、飯をおれたちが用意すれば、奴らも村の人間を襲ったりはしません。奴らが人間を襲うのは食うためなんですから。そしてオーガよりは、おれたちのほうが動物は上手く狩れます。オーガが腹を減らすことは殆ど無いでしょうね」


 ゴブリンのアーチャーが非常に上手く動物を狩っているのは知っている。騎士によって殺されてはしまったが、村にいた狩人よりも巧みな技術を保有しているのだ。だからこそ村は新鮮な肉が良く食べられるようになったのだが。

 そしてこれでも全然本気ではないというのは、ゴブリン・アーチャーからエンリが直接聞いた話。恐らくはオーガ5体の食事ぐらい容易く補えるであろう。


 エンリはゴブリン・アーチャーに問いかけるような視線を向ける。その視線に即座に反応し、ゴブリン・アーチャーは口を開く。


「オーガの飯ぐらい容易く準備できますぜ。任せてくだせい」


 エンリの考えに対し、的確な答えが返ってくる。それにエンリは頷き、感謝の意を示す。


「でも、オーガの食事を用意してどうするんですか?」

「ああ、共存共栄って奴ですよ。いつまでもゴーレムを借りていられるわけではないですよね。そうなるとやはり力ある存在はいた方がいい。つまりは食事を与える代わりに肉体労働をしてもらおうと思いましてね」

「え? 村の住人として受け入れるってことですか!」

「まぁ、そこまでは流石に言いませんよ。ただ、村の近くで暮らしてもらって、村のために働いてもらおうと思ってるんですね」


 ニヤリとゴブリンリーダーが笑う。

 オーガのあの飢えた目を思い出すと、エンリとしては賛成したくない話だ。しかし、エンリよりも戦士として優れているゴブリンの頭がそういうのならば、エンリが考えるよりも正しいだろう。

 ただそれでも生じてしまう不安をエンリは口に出す。


「大丈夫ですよね?」

「大丈夫ですよ」


 ゴブリンリーダーの自信に溢れた答えが、エンリの不安を迎撃する。


「奴らには痛い目をみせました。おれたちに逆らう気なんかありません。それに飯までもらえるんです。どんな低脳でも変な行動には出たりはしませんよ」


 なるほどと、エンリは納得する。

 冷静になって考えれば、ゴブリンリーダーの言うことは確かだ。

 先の通り、オーガが人間を襲うのは食事のため。別に食事を用意されるのであれば、わざわざ人間を襲おうとはしないはずだ。さらには自分達よりも強い存在を相手にしてまで、そんな行為には普通は出ない。


「……分かりました。確かにオーガの命をとる必要も無いですよね」

「了解しました。なら、こいつらの命は助けます」

「あっと、それとこの動物は返しますので、オーガに上げちゃってください」

「良いんですか?」

「構いませんよ」少しだけ声のトーンを落として、エンリはゴブリンリーダーに囁くように尋ねる。「不味いですか?」

「いえ、全然」

「ではそういうことでお願いします」


 ゴブリンリーダーは大きく頷くと、オーガたちに向き直る。そして大声を上げた。


「良かったな! エンリの姉さんが、おめえらの命は助けてやるってよ!」


 目に見えてオーガたちの体から力が抜ける。今まで殺される可能性だってあったのだ。当然といえば当然の反応だろう。そしてオーガの1体がエンリの方をしっかりと見据えて口を開いた。


「ちいさいのつよい。それをしはいするおまえはもっとつよい」

「え?」

「おれたち。ちいさいのにつかえる。だからおまえ、かしらのかしら」

「……え?」


 エンリの驚きを無視するように、代表者だろうと考えられるオーガが頭を下げた。それに合わせて他のオーガたちも頭を下げた。


「おれたち、おまえのために、はたらく」

「……え!」

「つーか、エンリの姉さんにおまえはねぇんじゃねぇか?」

「いや、エンリの姉さんなんてもう言えねぇな。これからはエンリの姐さんだ!」

「エンリの姐さん!」

「良い響きっすね!」

「おめぇたちもエンリの姐さんに忠誠を尽くすんだぞ?」

「わかった。おれたちつよいのしたがう」

「あねさん、したがう」

「あねさん。あねさん。したがう」

「よっしゃ、エンリ親衛隊に新しい奴らが参入ってことだな」

「おうおう、良いじゃねぇか。流石はエンリの姉……姐さん。このままだとすげぇことになるぜ」


 エンリは目をぱちくりとさせ、それから――


「えーーーー!」


 ――エンリの悲鳴とも驚愕とも判断しづらい声が、夜闇の中大きく響き渡った。


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